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黄泉ノ前マート

作者: 剥製ありす

息抜きの短編です。

 ホウ、ホウと梟が鳴いていた。夜の静寂に響き渡る鳴き声。お昼時の明るい時間とはまったく違う姿をみせる樹海は、まるで黒い海のようだ。光をも飲み込む深い緑が、月明かりに僅かに照らされている。富士、青木ヶ原樹海。不名誉に有名なそこを、ひとりの男が歩いていた。

「ハァッ、ハァッ……」

 男は息を荒げ、スマートフォンの明かりだけを頼りに、樹海の中を進む。体力がないわけではない。その胸に宿る暗い決意が、男の肺を圧迫して、嗚咽のように息を吐き出させていた。やはり男は、自殺をしに来たのだ。

 背負ったバックパックの中には、水と、財布、折りたたみ椅子に、封筒がひとつ。それから丈夫な縄が一本。誰にも見られない宵闇の中、木々に見守られながら首を吊って、命を絶つ腹積もりであった。

「この辺で、いいか」

 もう随分と、樹海の奥まで来てしまった。もはや引き返すことは叶わない。定説通り狂ったコンパスがぐるぐると回るのを見て、男は寂しげに笑った。やっと、終わるんだ。そんな思いだった。

「よし」

 男は大木の前にバックパックを置くと、そのままジィとファスナーを開けて、中から縄を取り出した。折りたたみ椅子を広げ、足の届かない高さまで上がって、自分が吊り下がっても折れなさそうな太く丈夫な幹に結んでいく。グッ、グッ、と縄を引いて、具合を確かめる。問題なさそうだった。ごくり。震える吐息を誤魔化すように、男は水を飲んだ。スマートフォンで時刻を確認する。午前2時。真夜中も真夜中だ。誰にも見られることはないだろう。鬱蒼とした木々がざわざわと風に泣く。闇に溶けゆくような感覚を覚え、男はひとつ身震いをした。しかし、もう決めたのだ。

「さよなら、父さん、母さん」

 男が椅子の上に乗り、縄を首にかけようとしたその時、ふと、場違いな明かりが木々の向こうに見えた。男は眩しさに目を細め、怪訝そうにそちらを伺う。なんだ、誰か来たのか。男は一度決行を諦め、身を隠しながら光の方へ歩んでいった。

 男が木々の間から光を伺うと、そこには店があった。二十四時間営業を示す看板が煌びやかに光り、ガラスの向こうには多数の商品棚が並んでいる。コンビニエンスストアのようだ。

 どうして、こんなところに? ありえない。男は狐に抓まれたような思いで、それでもなぜだか中が気になって、街灯の明かりに導かれる羽虫のように、店の中へと入っていった。

 ピーンポーン。男が、電気もないのに勝手に動いている自動ドアをくぐると、間の抜けたベルが鳴った。異様な光景だ。男は自分が死にに来ていたことも忘れて、店内を見渡した。レジがある。男が、そう思った時だった。

「いらっしゃいませ」

 男の背後から、声がした。慌てて振り返ると、そこには黒いスーツ姿の老人が立っていた。

 びくり、思わず後ずさりをする。老人は柔和に微笑むと、男の脇を抜けて、振り返った。

「黄泉ノ前マート、富士の樹海店へようこそ」

「黄泉ノ前マート?」

 男は思わず聞き返した。老人は、ええ、と言って店内を見回しながら説明した。

「ここでは、これから死にゆく人のための最後のショッピングを提供しております」

 わけがわからなかった。なんだ、これは。男は混乱しながらも、ひとまず立ち上がって、その胡散臭い話を聞いてみることにした。

「人間というのはね、死ぬ直前になると、ああ、最後にアレがしたかった。アレを食べたかった、と後悔を抱くものです。ここでは、そんなご要望にお応えして、人生最後の時のお供となる品を、売っているのです。……お客さん、首つりですかな?」

「あ、ああ……」

 老人の雰囲気に圧され、男は素直に答えた。どうしてか、嘘を吐く気分にはなれなかった。

 すると老人は、商品棚から何やらモノを取り出して、男に見せた。

「それなら、これはどうです?」

「これは……」

「ええ、おむつです」

「おむつ」

 男は思わずオウム返しをした。一気に力の抜けた肩をだらりと下げ、半笑いで老人の方を見る。なんだ、揶揄われているのか。しかし老人は、いたって真剣な様子で、その口元に携えた笑みを一ミリも崩さずに言った。

「首つりをして死ぬと、体中の力が抜けて、中に溜まっていた糞尿を垂れ流してしまうことになるんです。自分が見つかった時、そんな状態だと嫌でしょう? 中々、人気の商品ですよ」

 たしかに、そんな話を聞いたことはある。そうか、おむつか。男は思案した。老人はそれを見ると、矢継ぎ早に次の商品を勧めてきた。

「これはどうです。インスタントおふくろのあじセット」

「なんですか、それは」

「最後の晩餐には、やはり母の料理が恋しくなるものです。これは、お客さまのお母さまの味を再現した、インスタント食品でございます。レンジでチン。簡単でしょう?」

「え、ええと……」

 男は反応に詰まった。自分の母親の味が、こんなもので再現できるはずもない。というか、そんなものが存在するわけがない。まったく、何もかもが不可思議だ。しかし老人の柔和な表情と、自信満々の声色には、それを本当だと信じ込ませる不思議な説得力がこもっていた。

 男が戸惑っていると、老人はお気に召しませんでしたか、といって、次の商品を取り出した。

「これは?」

「腐敗防止ドリンクでございます」

「はぁ」

 男は生返事をした。

「死んだ人間の体は、腐っていくものです。果ては目も当てられない姿になる。しかしこのドリンクを飲めば、それを遅らせることができます」

「なるほど」

「セットで、こちらもいかかですか?」

「それは?」

 男が尋ねた。

「虫獣よけスプレーでございます」

 老人はプラプラとスプレーの缶を振って、おすすめですよ、と微笑んだ。男は曖昧な笑みを返して、聞いた。

「あぁ、値段は……?」

「すべて四円統一でございます。良き死を、というのが、当コンビニのモットーですので」

「はぁ」

 男は何気なく財布の中身を確認した。千円札が数枚あった。お金は、問題なさそうだ。

「ああ、そうだ」

 老人が、思い出したように言った。

「当店では、両替サービスも行っております」

「両替?」

「はい。黄泉への道、三途の川を渡るときには、冥界のお金、六文銭が必要になりますから。地獄の沙汰も、金次第、でございます」

 三途の川。そんなものが、本当にあるのか。男は、不思議と老人の言葉を信じていた。この状況自体、現実離れしているのだ。乗りかかった船だ。その船があの世行きであろうと、もはや降りる気は起きなかった。

「……それから」

 老人は一拍置いて、ごそごそと棚から一冊の本を取り出した。

「これなんか、どうです。お客様にべすとまっちなあいてむですよ」

「ええと……」

「漫画で振り返る、あなたの人生! で、あります。文字通り、あなたのこれまでの人生が、漫画にまとめられています」

「へぇ」

 それは面白そうだ。男は思った。おもむろに小銭を取り出し、老人に渡す。

「それ、ください」

「毎度、お買い上げ、どうもありがとうございます」

 男は本を受け取ると、その場に座って己の人生を読み始めた。

 記憶にはない、生まれた瞬間の母の笑顔。おっかなびっくり自分を抱き上げる、父の腕。初めてハイハイをした日、初めて笑った日、初めて歩いた日、初めて言葉を話した日。そこには、男のなくした眩い日々があった。毎日を必死に生きて、毎日を必死に楽しんだ。

 小学校にあがると、しゃかいやどうとくの勉強をした。同じクラスの子と喧嘩をして泣いては、一緒に遊んで笑いあった。

 中学校にあがると、思春期を迎えた。甘酸っぱくてほろ苦い、初めての恋もした。

 高校生になると、夜に遊びまわるようになった。何度か両親と衝突して、家出することもあった。

 大学生になると、お酒を楽しむようになった。初めて父と一緒に飲んだ酒は、とてもおいしかった。

 そうしてサラリーマンになって、一人暮らしをするようになった。ブラックな職場環境。知らずの内に退職できないよう、檻で囲まれ、鎖でつながれ、今日までを惰性で生きてきた。

 ぽたり、ぽたり、とさり。男は、本を取り落とした。前がぼやけて見えなかった。涙でぼやけて、見えなかった。

「俺、俺は……父さん、母さん……」

「お客様」

 老人が、柔和な笑みを携えて、言った

「どうやらお客様が当店を訪れるには、まだ早かったようです」

 散々泣きはらした後で、男はハッと顔をあげた。気付けば店も老人も、幻であったかのように消えていた。

 男は荷物をまとめ、元来た道を引き返し始めた。

「いつかのご来店を、お待ちしております」

 吹き抜けた涼やかな風に運ばれて、そんな声が届いた気がした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] サスペンス? ホラー?と思うダークな始まりから、気が付けば不思議な『黄泉ノ前マート』の世界に入り込んでいました。 主人公の心にスルリと入り込む店主がダンディーな雰囲気で魅力的です! 意…
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