9
「それにしてもハールがサーグリア商会と知り合いだったは……」
「隠していたわけではないんだけどね。
俺が一緒に旅してた頃は、移動商会だったし」
「ああ、僕も最初は移動商会だって思ってたんだ。
初めて見た時、馬車の荷台のところをつかって商売していてさ。
小さいけれど、いろんなものを売っていて」
「へー。
それっていつくらいのこと?」
「そんなに前じゃないかな?
えっと、2、3年前?」
俺が別れた後か。そういえば、引きこもっていたとはいえ、ある程度お客さんは把握していた。その中に貴族っぽい人いなかったし、それはそうか。
「ダンジョン行くようになったら、ダンジョンの素材買い取るって言ってくれた」
「え!?
ほんと?」
「うん」
ありがたい、と喜んでもらえたからよかった。少しだけ、昔の伝手は頼らない、といわれるかもしれないと思ったのだ。これで卒業後の心配をする必要はなくなった。
ここでもリキートは同室。フェリラは別の女子と同室らしい。ここでは二人一部屋が基本、そしてフェリラも相手の子も快く同意したということで、そうなっている。毎年男女比が変わるから、男子寮女子寮なんてなくて、俺たちの部屋はここでも隣同士だった。
そしてリキートが寝静まったことを確認した後、そっと外に出る。シャリラントが外がいい、といったのだ。
「それで?
なんの話だ?」
さすがにいろいろとありすぎて疲れた。できれば早く休みたいところだが。
『そんなに急がないでください。
ほら、今日は月がきれいですよ』
月……。確かにきれいだ。どこで見ても変わらない。ふと、サランと酒を飲み、ミーヤと話したあの日のことを思い出した。時計、のことも。
「で?」
『せっかちですね。
まあいいでしょう。
ずっと気になっていたことがあったんです。
試験も終わったようですし、もういいかと思いまして』
「いいって……、何が?」
『ねえ、ハール。
あなたは本当に生きているんですか』
……、……はぁ!? いや、え、俺死んでないよな。いや、確かに一回死んだ。でも、今は生きている。心臓、うん、動いている。
『生きているならば、なぜあなたは感情を動かさないのですか?』
感情、を? そんなことは、ない。だって、今日だって懐かしいって思った。楽しいって思ったこともある。
『確かに表層では何かを感じていることがあります。
でも、心の一番奥で、あなたは何も感じていない。
人間が、当たり前のように感じる恐怖も、怒りも、あなたは感じない』
「恐怖や、怒り?」
そんなもの感じてしまったら、だめだ。
『ダンジョンに行った時、初めて出会う魔獣、満足な武器も、満足な鍛錬もない。
それなのにあんなにも冷静だったこと、異常だと思わなかったんですね』
なあ、どうして、そんなにつらそうな顔をする? 俺に感情があろうがあるまいが、シャリラントには関係がないのに。
『あなたの中にいたとき、少しだけ過去を覗きました。
だから、この国に来る前のことも知っています』
「なっ!?
そんな勝手な!」
『あなたの決意は、早々できることではない。
それもたった8つの少年が。
世の中が、あなたみたいな人ばかりだったら、もっと世界は平和でしょうね』
「それはどういう意味だ?」
『そうやって、憎しみにうまく蓋をできるんですから。
上手に、歳を経るごとに頑丈に鍵をかけて』
憎しみに蓋……。だって、そうしないと立ち止まると思った。そうしないと、今すぐにでもあいつらを殺しに行こうと、殴りこんでいた。俺は、どうして、こんなところにいるんだろうかって……。
『でも、あなたがその感情に蓋をしている限り、あなたが本当に意味で生きることはできない。
あなたがきちんと死者を悼むこともできない。
感情はね、生者の特権なんですよ。
それなのに、生きながら自らを殺してどうするんですか』
生きながら、殺す? だって、仕方ないじゃないか……。
あのとき、あいつらを、殺しに行こうと思った。そう思って、皇宮に戻ろうと。でも、でも……、声がしたんだ。二人の。こんな俺のことを、『愛している』って言ってくれる声が。
それなのに。
「それなのに、戻ることなんてできるわけ、ないだろ……。
俺にできることが、逃げることだけだって、わかっていたのに。
二人のために……」
『ねえ、これはあなたの人生です。
あなたの母上の人生でも、兄上の人生でもない。
それなのに、あなたはそのお二人のために生きるのですか?』
だって、二人は俺のために命を懸けてくれた。それなのに、俺だけがのうのうと生きる? そんなの無理に決まっている。
『あなたは力を手に入れた。
ミベラの神剣という、強力な力を。
それでもまだ逃げるのですか?』
ちから……。あの時は、なかった力。俺は、何のためにそれを使いたい? ああ、でも。
「こわい……。
ずっと、蓋をしてきた。
蓋をするのは得意なんだ、ずっと。
でも、蓋を開けたことはない……。
こわい、怖いよ」
『私は、支えます。
ハール、まずは力を付ければいい。
闇から、目をそらさなくて済む、それくらいの力を』
ちから。
『本当は少し迷いました、この話をするのを。
あなたがどれほど必死に目をそらしていたか、感じましたから。
もしも、目をそらしてすっかり過去を忘れて、生きていけるならば、それでも良かった。
でも、あなたは優しすぎる。
忘れることができなくて、だから目をそらすことしかできなかったんでしょう?
それに、今日他人の口から皇国の名が出て反応したとき、思ったんです。
あなたはこれに向き合わねば、いつまでも皇国の影におびえて生きるのか、と。
いつまでも、大切な人と向き合うことができないのか、と』
それは、不幸ではないですか? そう問いかけるシャリラント。どうして、この神使はこんなにも繊細な表情をするのだろう。人間の些細な雑事、関係ないはずなのに。どうして、俺個人のことにこうも必死になる?
『だから、お願いだから、あなたはあの人のようにはならないで』
あの人? 疑問に思ったときにはシャリラントは消えていて、なんて勝手な、そんな風に思っていた。
時計と剣。ずっと大切に、大切にして、僕が目を逸らしていたもの。
時計の蓋を開ける。その中でほほ笑む母上、そしてまっすぐにこちらを見る兄上。じっくり見たの、いつぶりだろうか。
「僕はどうしたらいいの……?」




