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夏草の原っぱ。Big Yellow Taxi

 民宿の玄関には鍵が掛かっていなかったけれど、開けてみるとどうも中に人の気配がしない。僕は靴箱を見て宿泊客がいないことを確認し、それから奥に向かって一声かけてみた。


「オジちゃん? 来たよ!」


 けれどもシンとした空白がその密度を一瞬変えたような気がしただけで、誰の返事もなかった。僕はスミエに言った。

「散歩にでも出てるのかもしれない。少し待ってみてもいい?」

「ねえ、岬から海が見てみたいわ」


 僕は自分たちの足元を見てみた。一応は2人で、歩きやすい靴を履いているようだ。

「いいよ、行こう」

 僕たちは叔父が戻ってくるまでの時間を潰すために、原っぱの中へ散歩に出かけた。




 草の中へ踏み入ってすぐ、スミエは気持ちよさそうに歌を唄いだした。聞いたことのあるメロディ。けど題の思い出せない外国の歌だ。


「──ピーパラダイッ プ ラ パ パーキンロッ──」


「なんだっけその歌。絶対に聴いたことがあるはずなんだけどな」

「素敵な相手は出て行って、二度とは会えないかもしれないって歌よ」

「それにしては、軽いメロディだ」

「⋯⋯そうね。わたしもそう思うわ」


 僕らは歩いて崖の上までやって来た。草が途切れたところから石と砂の地面が下へ下へと続いていて、その先では波が複雑な形の岩場にぶち当たって砕けていた。


 僕らの目の高さの上や下を、吹き上がる風にのって灰色の海鳥が何羽か飛び回っている。ときどき彼らは声を上げた。晴れ渡った空の下で、それはなぜだか物悲しく聞こえた。


 岬の音にしばらく耳を澄ませていてから、スミエが言った。

秋雨あきさめの季節が終わるね」

「ラジオでも言ってた。どうなのかな? 本当に今日一日をかいにして、そんなにスッパリ終わってしまうと思う?」

「さあ、どうかしらね。⋯⋯きっとそうなんじゃないかしら」

 それだけ言うと、彼女はまた岬の音に聞き入った。まるでその場の風の中に、自分の身体を溶かしてしまおうとしてるみたいだ。


「僕は戻るよ」

「うん。わたしはもう少し、この辺りを見てみるわ」

「別に何もないところだけどね」

 僕はスミエに背を向けると、もと来た方に向かって草を踏みながら歩いた。


 民宿の建物に戻って玄関から入ると、今度はどことなく人の気配がした。

「オジちゃん!」

 僕が呼ぶと、奥の部屋から声がした。

「おお、来たかい。待ってたよ」

 叔父が奥の部屋から、にこやかな表情を浮かべながらやって来た。僕は靴を脱いで上がった。

「はい、これ。書類が出来たよ」

「おお、すまんね」

 そうしてどこの役所の窓口にでも置いてある書類封筒を渡すと、僕がここへやって来た用事は終わってしまった。


「さっきも声を掛けたんだけど、オジちゃん この建物の中にいた?」

 叔父は台所の方へ回りながら言った。

「奥でウトウトしちゃってたよ。夢ぇ見てたね」

 そうだったのか。けれども僕は納得し兼ねた。さっきの この場所の空気は、本当に完璧な「人のいない空気」だったような気がしたからだ。そういうものは人間が動物だった頃の勘の名残で、存外(ぞんがい)間違いのないものだと考えていた。けれど まあ、それについて深く考えても仕方ない。


「うーん、干物とおせんべいしかないわぁ」

 叔父が台所から能天気な声を上げた。

「いいって。途中で何か食べて帰るからさ」


 僕は柱に寄りかかって、キレイに磨かれた大窓から外の原っぱを見た。夏草は気持ちよさそうに風にそよぎ、青い空のずうっと端っこの方で、舞台の道具係のように目立たずに、切れ端のような白い雲がいくつか流れていた。

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