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ビルの端を梳いて射す光。朝には不思議な生気が溢れた。

 結局、僕らは朝までビリヤードをし続けた。実力は拮抗きっこうし、互いに集中する価値のある試合が続いた。長い時間頭を使っていたせいで、奇妙に冴えざえとした不思議な感覚があった。


 ビリヤード場を出ると、町の建物それぞれの東面が光で明るく塗られ、そのギザギザとしたコンクリの歯からこぼれる朝日の線が、もやの中を真っ直ぐに貫いていた。


 いつもなら、そんな時間まで飲んだり遊んだりしてしまえば神経も身体もガタガタになる。けれども今日は、そのどちらともが瑞々(みずみず)しい生気せいきたたえている。


「不思議だ。全然眠くない」


「ええ。わたしも。⋯⋯ねえ、それはどうしてだと思う?」


 スミエは歩道を斜めに切り抜くような光の中に立って、一方の手で楽器のケースを持ち、もう一方の手で眩しさを避けながら僕に聞いた。

「さあ。何か不思議な力に包まれているのかもしれない。空のずっと高くで、⋯⋯抽選が当たって、その特別な力は僕らに割り当てられたのかもしれない」


 スミエはくだらない冗談に、くしゃっと丸めて広げ直したような笑い顔をした。それから少しだけ真面目そうに言った。


「そうね。当たらずしも遠からずってところかもしれない」

 彼女は朝の街の路地を当てずっぽうに歩き出した。僕はしばらくその後について歩きながら、何かの力を含んだような朝の空気を呼吸した。




 アパートに寄って車に乗り、街の中を岬の方へ向けて走った。ラジオでは、今日一日は好天で、夏から秋に変わる雨のシーズンがそのまま終わってしまうだろうと言っていた。それからリクエスト曲のポップソングがいくつか流れた。助手席のスミエは窓から道行く人々や店の看板やらを眺めていた。


「寝ててもいいよ。そんなに遠くはないけど」

 僕がそう言うと、彼女はシートを少し倒して居佇(いず)まいを直した。


「ありがとう。じゃあ、ほんの少しだけ目をつぶるわ」

 信号に止まり、後ろからやってきた大型のバイクに前を譲った。ヘルメットの彼は丁寧に手を挙げた。長閑のどかな日曜日が、地上と空と一杯に広がっている。


 ビルとビルの間から背の低い家が見え、背の低い家の間から林が見え、林の間からやがて海が見えた。車は道沿いにうねりながら、少しずつ低い方へと降りていった。その間、スミエは結局気持ちよさそうに眠っていた。時々見ると、深い眠りの呼吸でシャツの胸が上下した。


 その寝顔と僕を乗せた車が走る岬の道から、電波の先にあるどこかずっと遠くの場所で、ラジオDJはコーヒーの世界情勢について話をした。何種類かの豆は、ファームが土砂崩れに巻き込まれたせいで値段が上がるということだった。遠くの畑が崩れると、街にはそれくらいの微細な変化が起きる。




 岬のうねに向かって車はゆるゆると坂を登った。その先で建物は完全に消え失せ、しばらくしてから叔父の経営する民宿が見えた。臙脂えんじの屋根の一戸建てで、その周りにはまだ緑色をした草が茂っている。ただただ広くて何もない原っぱだ。やがて冷たい風が吹くと緑の色彩が吹き払われ、この辺りは乾いた葉の擦れるカサカサという音と、コオロギの声とで一杯になる。


 僕は民宿の前に車を止めた。エンジンとラジオの音が止むと静けさが辺りを満たした。ここから先は海を望む崖のところまで、ただサラサラとした原っぱが続いているだけだ。スミエがやっと目を覚ました。


「ごめん。眠っちゃった」

「構やしないさ。どうする? 用事が済むまで、周りの景色でも見てる?」

「いいえ、わたしも行くわ」




   ──でもきっと、誰もいないわよ



 

 スミエが何か言ったような気がして僕はドアから半歩投げ出したまま振り向いた。

「え? 何か言った?」

「いいえ? 何も言ってないけれど」

 僕は軽く首を傾げてから車を降りた。

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