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超短編2

へらへら笑ってる人。

作者: しおん

 へらへらと遊んでいるように人生を過ごしている人は、幸せなんだと思っていた。その間違いに気づいたのはもう何十年も生きてからだった。


 毎日どうしようもない悩みが頭の中を占拠して、人生の選択を迫られ続ける人生だった私は、何も考えずに生きているような人が羨ましかった。いや、憎らしかった。


 私はこんなにも苦しんで生きているのに、楽観的というか適当に人生を過ごしてうまくいっている人が居ることが理不尽だと神を呪ったし、自分の人生を悲観したこともある。けれど、そんなことをしても変わってくれるような簡単な人生ではなかった。


 相手の事を羨ましいと思っていた気持ちはいつの間にか歪みだして、私の人生の待遇の悪さに小言を言う事が多くなった。


 どうして私ばっかり。

 どうして私だけ。


 口にすればするほどそれは言霊のように私の人生に害を及ぼした。それは、実際神様がもたらした必然かもしれないし、自身が引き起こした偶然かもしれない。どちらにせよ私の人生が悪い方向に曲がっていったのはそこからだったと思う。


 何をしてもうまくいかなくなった。

 課題もテストも日常生活も。嫌な方へ、嫌な方へと進んでいく。


 やっぱり。


 また。


 どうせ。


 悪い結果は毎度の事で、もうそうなって当たり前だとすら思えるようになった。そうならない為になんの努力もしていないのに、いいご身分だと今の私なら思う。


 我が儘ばかりを口にして、自分の行動にみあわない対価を要求する。そのなんと図々しいことか。よくなるようにと努力もしていないくせに一丁前にいい結果を求めて、そんなことをしているからいい結果が与えられないのに。


 私が遊んでいたときに、人は努力をしていたし。

 私がなにもしていなくても、人は努力をしていただろう。


 何を努力していたかは明言できないけれど、それが後々に役に立っているのなら、 それは 努力なんだと私は思う。


 へらへらと遊んでいたって、私が見る事ができない部分で何事かがあったかもしれないし、それでもそれを気づかせない態度をとり続けることは大変なことだと思う。


 幸せだとは限らない。


 その日その時笑っていても、それはその場しのぎかもしれないし、はたまた私のよう他人には悟られたくないというプライドがそうさせているのかもしれない。本人でないから明言はできないけれど、へらへらしていたって楽しいとは限らない。


 人は楽しくても笑うけれど、苦しくても笑うことはできるのだから。




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