166第三の処刑前日
そうやって過去を振り返っていたトリトスは現在に目を向ける。
『貴方は不器用に“自分のオルター”を動かして“私の所”に来ました』
「そしてお前が居たオラクルに辿り着いて、オレのオルターに……」
『そう、貴方のオルターを私の身体にしました』
「そうだったよなぁ、あの頃はお前を喋れるようにするまで大変だった――って今頃どうしたんだ? 急に出会った頃の話なんてして」
『どうして、でしょう?』
「聞きたいのはこっちだよ。なんかここに来て急に……なんて言っていいのか、いい意味でらしくないな」
『いい意味、ですか』
首をリョウの方へと向け、真剣な表情をしたトリトスが口を開く。
『リョウ、貴方は――私が憎くないのですか?』
この問いは出会った当初は決まりきっていたと仮定していたため聞けず、言葉にはしなかった問いだった。
(どうして今そんなことを聞いてくるんだ?)
『私はこの世界の創造神だった者です』
どれだけ違和感を感じても言葉にならない煩わしさから素直に返答する。
「うん」
『この世界の元凶……その手先と言っても過言ではない存在です。既に役割を放棄した身ですが、その事実は変わらない。私が居なければ貴方は辛い目に遭わなかったかもしれないですし、友人と袂を分かつこともなかったかもしれない』
それを聞いてリョウも過去を振り返って朧気に思っていたことを言葉にする。
「今思っても正直憎いとか考えたこともないんだ」
『考えたことも?』
「うん、友達らがオレを見捨てたことの方がショックだったかな? 結局の所、オレは都合の良いお友達ってだけだったみたいだし……」
今では笑い話に出来る程度は余裕が出来たリョウは続ける。
「この世界に閉じ込められて辛かった時期もあったけどさ、今はお前がオレのオルターになってから悪い意味で辛かったことなんて一個もないんだ」
『一個も、ですか? それにしてはよく怒られている気がしますが』
「そりゃマイペースな上食べてばっかりで、人の話を聞いてるのに聞いてない感じ出したり、オレの財布にダメージ与えたり、人を怒らせて逃げる羽目になったり、空気を読まないから冷や汗かいたり、動けるからって勝手にオレを置いていったり散々だったよ……あれ、辛いことしかなくないか? なんてな」
冗談めかすリョウにトリトスはなんて返せばいいのかわからない。
『……』
「でもさ、嫌だったり辛かったなんてことは一度も無かったよ。なんて言うのかな? 手の掛かる妹みたいな」
『妹……ですか?』
「うん、手の掛かる子供って感じ」
『さ、最初なら兎も角、私はそこまでご迷惑をかけたつもりは――』
言葉に躓き、言い繕うトリトスを見てリョウは思う。
(おかしい、いくらなんでも感情が豊か……過ぎないか? 罪都に来てからいきなり変わった? いや、来てからって言うより徐々に変わってきたのが吹き出してきた? うん、そう言った方がしっくりくる)
違和感を抱きつつも、懐かしそうにリョウは言葉を続ける。
「……最初にお前から話を聞いても、なんて酷い奴なんだって思ったけどすぐに考え直したよ。トリトスって存在は、言わば赤ん坊なんだって」
『赤ん坊?』
「ああ、言葉を知ってるだけの赤ん坊さ」
『そう、ですか……もし当時の私がそれを言われれば否定したでしょう。ですが、今の私ならその言葉の意味を理解出来ます』
「それにあの頃は目の前のことで精一杯だったし、お前がオルターになるって案も強化される位にしか思ってなかった。だからそんな余裕無かったって言った方があってるかも」
『……』
「それからさっき言ったみたいに過ごしてる内に……なんて言ったらいいのかな? ちょっと恥ずかしいんだけど、かけがえのない相棒って感じかな。はは、手の掛かる妹で相棒って、オレ何言ってるんだろ」
その時、トリトスのカメラアイにも似た瞳孔がピンとを合わせるように強く収縮する。照れてトリトスの顔を見れないリョウは、当然それに気づけない。
そしてトリトスは一つの決意をする。
『貴方がそう言ってくれるのなら、私も打ち明けようと思います』
「お! やっとか!」
けれど悲しいことに、出来たばかりの未熟な心で下した決意は、してはいけない類いの物だった。
『この罪都に来てから私はある程度負の側面に触れてきて、今日まで様々な感情を学習したお陰で私の感情処理が非常に複雑な物になり、その処理に追われているのです』
「あぁ、だったらオレに出来ることはそんなないか?」
『はい』
「いや断言するなよ……」
『今までのやり取りを変えるのはよくないと思えたので』
「……ははは、というかそれならそうと言ってくれよ! オレじゃ何も出来ないだろうけど、これからもよろしくな!」
『はい、こちらこそ。相棒』
「それ恥ずかしいからやめて」
『相棒?』
「その呼び方もなんかおかしい……って今まで通り普通でいいだろ!」
『仕方がないですね』
そう言ってトリトスは笑う。
(トリトス、お前は気づいてるのか?)
いつも通りに実行しようとして出来ていなかった――
(今、寂しいって表情で笑ってるんだぞ?)
本当の感情が現れた笑顔は前向きな未来には思えなかった。誤魔化す訳じゃなく、言わない選択を取ったトリトスに対して、何も告げずに納得と同時に決意する。
(お前が何を言わなかったのか、それはわからない。でもそっちがその気なら、こっちだってオレが何をするかなんて言わないからな!)
(ありがとう)
嘘は吐かず本当のことを告げ、真実を表に出さない。かけがえのない相棒と言ってくれたリョウに、トリトスは最初で最後の不義理を決断した。
明かりが絶えない長い廊下を見つからないように素早く駆ける。それ程長い距離ではないが、影が無いため隠れられないアキラからすれば数十秒も数分に感じられた。
「ここか?」
そして辿り着いたのは金属製の重厚な扉だった。
「開かない……なんだこれ、とんでもない厚みしてそうだな」
アキラが触った感触からして壁以上に頑丈な趣を感じる。そして目線より少し上にあるのぞき窓を覗けば……
「っ!?」
自分の声が漏れたんじゃないかと錯覚する程の驚愕、パイオニアクラスのボスで見たリキッドマシンペリメウスより大きく、ノートリアスモンスターのブラックアビスより邪悪さを滲ませた存在が見えた。
部屋は暗く、姿形は良く見えない。にも関わらずその存在感から大きさを感じ、準備せず対峙してはいけない存在だと理解出来た。
(戦っちゃ……ダメだ)
アキラは気軽に覗き込んだことを後悔した。ただでかいだけなら攻略法はあるだろう。ただ邪悪なだけならなんとかなる。
だが、あれだけはダメだと本能と理性が同じ結論を出していた。
「っ……」
姿形はわからない歪な存在、己の中の何かがすぐにここを離れろと警笛を鳴らす。
アキラは言葉も無く後退するしかなかった。
どうやって戻ったのかも定かでは無い。気がつけば自身の装備を回収した部屋まで戻り、隠者のマフラーを使って影に隠れていた。
(はぁ、情けない……)
アキラは少し落ち着き、状況を整理する。
(あそこに閉じ込められてた何かが、俺に気づいてない訳がない)
自身が怯えるクラスの存在が、アキラの存在に気づいていないのはおかしいと考える。
(俺の存在なんかどうだっていいってことか?)
それ程に力の差があるのかと、自身の身に着けた力を確かめるように手の平を見つめ、握り込む。
(そんな訳がない。遠くに感じた気配は黒い化け花と同じだったんだ。どうしてこんなにビビってるんだ? 身体の芯が震えるって言うか……そう魂の奥底から揺るがすよう、な……あ)
そして思い出す。自身が感じる気配の捉え方が今までと異なっていたことを。
(魂が、揺れる? 俺の魂に影響を与えたってことか? でもなんでいきなり? 今までもやばい奴と会ってきたけどこんな取り乱したりなんて――おかしくないか?)
何かが根本的に間違い……いや勘違いしているのではないかと感じ取った。仮定の話でも手掛かりを欲するアキラは思考を深めるが、まだ結論を出せない。予測はいくつか候補として出てくるものの確証が得られなかった。
(ダメだ、まだ落ち着かない。こんな所で没頭しても仕方がない。優先順位を間違えるなよ、俺)
装備を取り戻しただけでも上等だったと思い直す。わからないことに時間を割いている余裕が今のアキラには無い。
(少し整理しよう。俺には前提として今脱獄する意思はない……それは自覚しとかないとな)
半ば自由とはいえドエル達との予定を違えるつもりはない。拘束場を抜け出した目的は脱獄の際に必要な地理の把握と、脅威の選定、首輪の解除方法、装備を取り戻せれば御の字、その程度だった。
(地図ならマップが見られるようになったから問題ない、ヤバイ奴が居るってわかっただけでも収穫はある。何より嬉しいのは装備が戻ってきたことだ)
そしてこの後をどうするかを考える。
(脱出経路がまだあれば見つけたかったけどそうそうある訳無いしな、それに大きく動けば見つかるリスクも上がる。折角ここまで見つからずに来たんだから、もう少し突っ込んでもいいか? 正直バレてもいい……でもこれ以上欲張るのはどうなんだ? ……俺は今間違いなく冷静じゃない――なら、ここまでだな)
心の中で自身が正常な判断が下せないことを理解していたアキラは、十分過ぎる収穫から自身が囚われていた場所へと戻る決意をした。
同時刻、剣戟が激しく打つ反響音が廊下に伝わる。
「……まさか、ここまでの“当たり”だったなんて思わなかったよなぁ」
男が腕を組んで呟くが、狐のお面を付けた女性が肯定と言わんばかりに舞うようなステップで男に目線を合わせる。取り残された髪が生き物のように彼女の後に縋った。
「ぐっ! そこっ!!」
その対面にいる剣を持った男性が苦悶の声を上げながら放った刺突……苦労の末見つけた隙、このタイミングで避けられるはずがないと口角が物語る。そして貫いた……数本の髪と空気を。
カンッ!
放ったタイミングは完璧だと思っていた。これまでの攻防で避けられるのはなんとか理解出来る。だが自身の剣がどうやってか弾かれてしまったのか、それだけはわからない。いや、武器で弾かれたのは耳に残る金属音から理解はさせられた。
問題なのは伸びきった体勢で弾かれたため、自身のバランスが崩れたことだ。
「フッ!」
彼女の持っているシュバイツァーサーベル、黒炎とも呼べる紋様が宿ったその刀身を呼気と共に放つ……いや、放ったはずだ。
(は、早すぎる!)
腕がブレる所までしか彼には見えない。だがやはり、また斬られなかった。
「終わりです」
「?」
男は目の前の女性が後ろを振り返ったことが理解出来ず、何を終わらせたのかもわからない。ただ、今の斬撃で気になったことがあるとすれば……
(剣に当たった音がしない? 本当に斬られたのか?)
「都合十合で私の勝ちです。これでよろしいでしょうか?」
狐のお面の女性、翠火が腕を組んだ雇い主の男に向き直る。
「いや、おめぇがなんで勝ったことになる? そいつぁまだやれるぜ? それに自分で設定したハンデのせいでおめぇはもう剣を振るえない。そうだろぉスーカ?」
リングネームで呼ばれた翠火は自身の実力を示す場で、ハンデとして10回まで剣を振るう制限を設けた。そして今、その都合十合目が終わっても勝負がついていない。そのことに自身を雇った人物が少し落胆を滲ませながら問う。
「そうですね、確かに剣は振るえません。ですがその必要もありません」
「いやだからよぉ、わかるように言葉を――」
瞬間、翠火は未だ剣を構えたままの男に目をやる。反射的にビクリと動いてしまった時、彼女の言葉が遅れて理解出来た。
――ガランッ!
「んぁ?」
「え? あっ」
「都合十合で武器を使用不能にしました。これで勝ちではいけませんか?」
彼等の視線は地面に落ちた柄の無い剣だった。戦闘を継続するにはあまりに頼りない柄だけの代物、降参するには十分過ぎるだろう。
「……あぁ降参するよ」
「スーカよぉ、10回も同じ所を斬ったってのか?」
「はい」
「あれは弾かれたのではなく……斬られていたのか? あのタイミングで? なんて奴だ……」
「でもよぉ、一度で済ましゃいいじゃねぇか? なぁんでこんな時間を掛けたんだぁ?」
「一度で両断しては“見世物”としては寂しいですよね?」
「――ハッハァ! ちげぇねぇ! 興業をわかってるってことか!? 決まりだなぁ!」
「オーナーの言う通りだ。これ程の技量、魅せ方、ミステリアスさとそのお面が生む愛嬌なら花形で問題ないと思う」
「ありがとうございます」
翠火は綺麗な角度で頭と身体を下げて応える。
「かぁ~! なぁスーカよぉ、本格的にウチに入らねぇか? 今回で終わりなんて勿体ねぇったらねぇ!」
「申し訳ありません」
「やぁっぱダメか~惜しいねぇ」
「私も残念ですが、期間までは精一杯務めさせて頂きます」
「それまでは頼むぜ……つっても短気契約なのが勿体ねぇ、もっと早くメインで使っとくんだったなぁ」
痺れた腕を振りながら相手方がやんわりと言う。
「無茶言っちゃいけませんよオーナー? こちらにも予定があるんですから、罪都だけは嫌だってウチのお姫様が言ったからであって――」
「わぁってるよ! 聞かれたら事なんだ! もう明日に備えて解散すっぞ!」
そのやり取りに軽く微笑んで流した翠火は、自身に宛がわれた控え室へと向かいながらトリトスとのやり取りを思い返す。
『翠火さんには私達とは別口の救出を担当して頂きます』
「それは構いませんが、何をするのでしょう?」
『罪都には囚人を魔物と戦わせる賭博が存在しますが、それは限られた特権を持った者や何かしらの事情で関わっている者のみが居ます』
「あまり関わりたいと思える場所ではありませんね」
『確かに一般的な感性で言えば忌諱されるできモノでしょう』
「すみません話の腰を折ってしまって……続けてください」
トリトスは構わないと首を軽く振って続ける。
『その場所に居るのは当たり前ですが、ギャラリーだけに限られた話ではありません』
「……囚人の他にも居ると?」
『そうです。興業という形で外部の者を招き入れるイベントがあります』
「なるほど、ではそれを利用するということですね?」
『はい、救出役であるリョウと私と翠火さんはそれを利用してアキラの収監されている罪都の牢獄に潜入します』
「では私は何をすればいいのでしょうか?」
『翠火さんには罪都の剣闘士になっていただきます』
「剣闘士……ですか?」
小首を傾げて問うと、トリトスはホワイトボードを使って詳細を説明し始めた。
『はい、罪都に入ること自体は難しくありません。ですが、牢獄への出入りはコネも縁も無い私達にとっては非常に困難です。怪しまれずに入り込むなど不可能と言っていいでしょう。そこで――』
(なぜナシロとメラニーを例にしたのでしょう? 可愛い……)
人ならざる者であるトリトスの描画速度で描くのは、目を×にした猫のナシロと雀のメラニーが門前払いを受けているシーンだった。その疑問に答えず、また新たに三角形に見立てた階級や牢獄の見取り図らしきもの、ナシロとメラニーが剣を持って掲げるシーンを描いていく。とても勇敢そうだ。
『――と、このように興業の関係者となって潜入し、娯楽を提供する側に回れば最も違和感がなく、怪しまれずに紛れ込めると考えました』
「しかし、後1週間しかないのに間に合うのでしょうか?」
『問題ありません。処刑が執行される場合、予想される多大なストレスを軽減策としてこの興業は必ず行われます。そしてこのイベントを取りやめる権限を、罪都の執行部は有していません』
「え? どうしてでしょう?」
『罪都は特別な街で、唯一ルールが存在しません。ですが、罪都を造る上で定められた決まりを変更する権限はテラのみが有しています』
「つまりストレス軽減策である興業はその権限の内だから手出しが出来ないということですか?」
『肯定します』
「なるほど……」
そうして翠火自身もトリトスの作戦の取っ掛かりを理解した。その剣闘士になり、罪都の牢獄に潜入すればいいのだと。
『剣闘士になるのは簡単ですが、必ず牢獄のイベントに出れるようにしてください。そして注意点も』
「注意点?」
『はい、牢獄のイベントには階級によって出場する会場が異なるのです』
そういって階級を表した三角形の頂点を指し示して続ける。
『公にはされていませんが、機密性の高い場所にはランクの高い人物が振り分けられます』
「そんな場所に残りの時間でとても到達出来るとは思えないのですが……」
『順にお答えします』
そう言ってホワイトボードの空いたスペースにトリトスはイラストを追加していく。
『機密と言っても場所が場所だけに戦闘力が必要と言うだけです。本来の用途は隠されているのでただの闘技場としか思われません』
ナシロとメラニーが戦っている。イラストなのに動き出しそうなほど迫力があった。ただ、ナシロはこれ程躍動感ある動きはしない。
『ランクについてはそもそもが人手不足であり、実力者しか配置されません。申請すればすぐにランクの判定をしてもらえます』
審査員のナシロがメラニーの動きを見ているイラストを描く。
(イラストの意味はあるのでしょうか?)
『簡単に説明させてもらいましたがご納得されましたでしょうか?』
「はい、ありがとうございます。後、最後に確認したいのですが」
『なんでしょう』
「中に入り、私は何をすればいいのですか?」
『はい、ではそれぞれの役割をお話しします』
「お願いします」
そうして予定通りに翠火はリングネームをスーカとして闘技場に紛れ込むことに成功した。
(なんとか間に合わすことが出来ました。リョウさんとトリトスさんは大丈夫でしょうか?)
自身の役目を果たすため、主役級のランクを手に入れた翠火の準備は整った。期日まで時間があるため、持て余した時間は悪趣味と自覚しつつも闘技場を観覧するために使うつもりだ。
(アキラさんに助けてもらったこの命、お返しとしては不足かもしれませんが、貴方を助けることで少しでも報いたいと思います)
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