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感情のわからないお嬢様は何を考えているのか

作者: 薩摩妹子

「初めまして! 本日よりマリアお嬢様のお世話係を務めさせていただきます、ミシェルと申します。至らぬ点がございますが、何卒よろしくお願いします!」

 「何してるの? 早く来なさい」

 「あっ、はい」


 っとと、今日からこのお屋敷、ダンテ伯爵家に仕えることになったのだけど、最初の挨拶をしっかりしたい為に鏡の前で練習していたら少し怒られてしまいました。

 

 「お嬢様は少々気難しいところがあります。ですが根気よく、親身になって仕えていればお嬢様の魅力に気がつくでしょう。精進なさい」

 「はい! しょ、しょうじんします」

 「・・・期待しています」


 そう言って、前を歩く30歳くらいの女性―メイド長のアリッシアさんは、私の方をちらりと見て薄く笑った。

 何だろう?何かあるのかなぁ?

 そんなことより今はお嬢様のことです!

 15歳になり、お母さんがこのお屋敷で働いていたこともあって、嫁入りの修行にとここへ来たのですが、まさか最初からお嬢様のお世話係になるなんて思ってもいませんでした。

 教養の無い私をすぐに雇っていただけるあたり、旦那様はいい人なのでしょうか?

 ともあれ、いきなりお嬢様の前で恥を掻かないようにしなければ!

 

 「こちらがお嬢様のお部屋です。準備はいいですね?」

 「はっはい!」


 では、と案内して頂いたアリッシアさんが手の甲で扉を叩き、ノックをする。

  

 「アリッシアです、入室してもよろしいでしょうか?」

 『……どうぞ』

 

 入室の許可を求める声に、よく透き通る、落ち着いた声の返事が返ってくる。

 心地いい響きだと思う間にも、アリッシアさんは扉を開き、中に入っていくのを慌てて付いて行きます。


 「……」


 部屋に入った瞬間から私は、本を手に椅子に座った部屋の主に見つめられていました。

 ぼんやりとした、気だるげながら綺麗なスカイブルーの瞳。

 年齢は一緒だと聞いていたけれど、一つか二つ年下に見える彼女は、綺麗なブロンドの髪の毛に合わせたかのような白い肌で、お人形のようにかわいいと思いました。

 ただその表情は、本当にお人形じゃないかと思うくらい、無表情でした。


 「お嬢様、こちらが先日お話しました新しいお世話係のミシェルです」

 「は、初めまして! ほ、本日よりマリアお嬢様のお世話係を務めさせていただきます、み、ミシェルと申しましゅ!」

 「……そう、よろしく」


 彼女は、お嬢様は、挨拶で噛んでしまった私に短く返し、手に持っていた本に視線を移す。

 その顔はどこまでも、無表情だった。

 噛んで失敗した、と恥ずかしさで顔を赤らめている私のことなんか、興味無い、と言わんばかりのその表情に、私は大いに苦手意識を持ってしまいました。

 

 これが、私とお嬢様の初めてで、忘れられない出会いでした。


―――――――


 マリアお嬢様の朝は早く、合わせて早めに起きないといけません。私、朝はそんなに強くないのに……。

 

 「おはようございます、マリアお嬢様」

 「……ん、おはよう」

 「朝の紅茶でございます」

 「……ありがとう。……少し、ぬるい……」

 「も、申し訳ございませんっ!」


 今日も無表情でお茶の失敗を指摘されました。

 お世話係を任されてから数日が経ち、失敗ばかりの私にお嬢様は怒ることはありません。

 けれど、笑顔も見たことがありません。

 はっきり言って怖いです。

 私は嫌われたのかなと思い、それとなくアリッシアさんや、他の先輩方に聞いてみましたが、どうやらお嬢様は誰に対してもあの調子だそうです。

 やっぱり私は苦手だなぁ。


 それとこの数日間で分かったことなのですが、お嬢様はとてもお勉強熱心です。

 初めてお会いした時も本を読んでいましたが、お嬢様は一日中読書していることもありました。

 たまに本を閉じて立ち上がったかと思うと、本に書かれていることを実際にやってみたりして、自分に出来るかどうかを確かめていました。

 その行動力もすごいですが、何よりそれを一回で出来てしまうのがすごいです。

 今日は何をするのでしょうか?

 そう思いながら、お嬢様の御側に控えていたときでした。


 「……厨房へ行ってくるわ」

 「はい、お嬢様」


 読んでいた本を机の上に置き、お嬢様は立ち上がりました。ちなみに、本のタイトルは『王国とお菓子とレシピ』でした。

 

 「お菓子を作られるのですか?」

 「……そう」

 「ですが、今はシェフの方々が働いている時間帯では?」

 「……一昨日、空けてもらうように言っておいた。場所はある」

 「そうですか……」

 

 いつの間にシェフさんに言ったのか分かりませんが、その抜かりの無さに思わず間抜けな返事を返してしまいました。これではいけません。


 「お嬢様! 先日言われた通りにあのスペースを空けておきましたので、ご自由にお使い意ください」


 厨房に着くと、料理長のフランコさんが出迎えてくれました。

 まん丸とした顔で、やさしそうなおじさんです。

 今日のお昼はマカロニパスタですか。

 

 「……ありがとう。しばらく借りるわ……」


 相変わらず無表情のまま、お嬢様は厨房の奥に空けられたスペースへと進んでいきました。

 

 「私にも手伝えることはありますか?」

 「……いらない。厨房から出て待ってて」

 「あ、そうですか……」

 

 いらないと言われちゃいました……。

 悲しいです。

 ですが外で待っててと言われて私は待つことにしました。


 しばらくの間、私は厨房の外にある椅子に腰掛けて待っていました。

 二時間ほどでしょうか?程よく甘い、ケーキのいい匂いと共に、お嬢様が厨房から出てきました。

 その両手には2、3人分くらいの大きさのケーキがありました。

 丁寧に生クリームを塗り、季節物のフルーツでトッピングされたそれは、食べていないはずなのに幸せな気持ちになる出来栄えです。


 「……できた」

 「このケーキ、どうされるのですか?」

 「……あなたが来たお祝い」

 「……はい?」

 「……あなたが来たお祝い。……一緒に、食べましょ」


 机にケーキを置きながらお嬢様は言いました。

 というよりも今なんていいましたか?

 私が来たお祝い? お嬢様自ら?

 いけない混乱してきちゃった!


 「そ、そんなっ! 祝って頂くなんて滅相もありません! 私なんかの為に……」

 「……私がそうしたいだけだから。……気にしなくいい」

 「……ありがとうございます。お嬢様」

 「……ん」


 祝って頂けるなんて微塵も思っていませんでした。働いて当たり前だと思っていましたから……。

 ですがまさかお嬢様からお祝いして頂けるなんて……。

 少し、泣きそうになったのは秘密です。


 「……食べましょう」

 「はい、いただきます」


 ともあれ、私もお嬢様も向かい合わせに座り、ケーキを切り分け、フォークで一口分を口に運びます。


 「っ!!? 美味しい!!」

 「……ん、上出来」

 「こ、これ、初めて作られたのですか?」

 「……うん、本を読んで、作り方を覚えた。……中々上手に出来てよかった」

 「……だとしたら、すごく……すごいです!」

 

 一口目で口の中いっぱいに、フルーツや砂糖の丁度いい甘味が染み込んだケーキの味が広がり、これ以上ないほどに口の中を刺激しています!

 これほどのものを、本を読んだだけで作ってしまうお嬢様は、本当にすごいとしか言い様がありません。天才です!

 しかし表情は相変わらず無表情です。

 ですが、ケーキを食べているその様子は私となんら変わりないようで、なんだかお嬢様との距離が縮まったように思いました。


 その後は、拙いながらもお話をして過ごしました。

 お嬢様はいつも通り、無表情で相槌を打つだけでしたが、少し楽しかったです。 


―――――――


 このお屋敷に来てから2ヶ月が経ちました。

 マリアお嬢様は無表情です。

 笑いません。

 泣きません。

 怒りません。

 そんなお嬢様のことを最初は苦手に……いいえ、この際はっきりいいます。不気味にさえ思っていました。

 ですが、そんなお嬢様のお世話をして、お話をしていると段々お嬢様のことが分ってきました。

 これがアリッシアさんの言っていたお嬢様の魅力なのか、と今は思っています。

 例えば、奥様に構ってもらえない、と愚痴のようなものを零していたり、お菓子を作りすぎて料理長のフランコさんに遠まわしに注意された、なんて言ってしょんぼりとした雰囲気を出したりしていました。

 かわいかったです。

 やっぱり私とそんなに変わらないんだと改めて思いました。


 そうそう、先日はこんなこともありました。

 その日はお嬢様がお屋敷の広い庭の中で、お花のスケッチをされていた時でした。

 お庭の中を散策中に、男性の使用人さんが4人程、談笑しながらチェスをしていましたので、例によってお嬢様は興味を引かれ、その対戦を観察していました。


 「お嬢様!」

 「如何されましたか?」

 「……チェスをしていたから……続けて」

 「は、はい……」


 お嬢様に見られながらの対戦は緊張するのか、先ほどとは打って変わって真面目な様子で二人はチェスを再開しました。

 周りで見ていた二人も緊張した面持ちで見守ります。私もなんだか緊張してきました。

 

 「……」

 「……」

 「…………」


 コトリ、コトリとゲームは進んでいきます。

 チェスなんてしたこともない私は、どちらが勝っているかなんてわかりません。

 それでも何故か手に汗握ってしまいます。これもお嬢様が見ているからでしょうか。

 そんなお嬢様も、無表情ながらもいつにも増して真剣に二人の対戦を見入っています。


 「チェック」

 「……う~ん……ここだ」

 「残念、チェックメイトだ」

 「だぁ~~!負けたかぁ~」


 どうやら勝敗がついたようです。

 壮年でライオンヘアーの使用人、フィリップさんが勝ったようです。

 勝負を見届けたお嬢様は、一つ納得したように頷くと―

 

 「……フィリップ、次は私と」

 

 なんて言ってしまいました。

 

 「えっ! あっ、はい。かまいませんが、お嬢様は駒の動かし方をご存知で?」

 「……本で読んだから知ってる」

 「……でしたら構いません。始めましょう」


 フィリップさんは何か納得したように頷きながら、駒を並べていきました。

 やはりお嬢様が勉強熱心で、天才肌だと言うことを知っているのでしょうか?

 並べ終えた盤を挟んでお互いに座り、いざ、ゲームが始まります。


 「……」

 「う〜む……」

 「……」

 「っ! ……」


 先ほどのように静かにゲームが進みます。

 無表情なお嬢様に対して、フィリップさんは時折渋い顔になります。

  

 「……」

 「そう来るか……」

 

 迷いなく駒を動かすお嬢様に対し、フィリップさんは慎重に、時折悩みながらも駒を進めているように見えます。

 お互いに同じくらいに駒を取り合っていて、どちらが勝っているのかなんて素人の目には分かりません。

 またしばらくの間、緊張の続く時が流れましたが、お互い半分ほど駒が取られたときのことでした。

 

 「…………」


 これまで悩むことなく駒を動かしていたお嬢様が、じっとチェス盤を見つめたまま動きません。

 時折駒に手を伸ばそうとしては思いとどまるを繰り返していました。

 その手にははっきりと、迷いの感情が見えました。

 あの、何事にも迷いなく行動されるお嬢様が、です。

 信じられません。

 ですが、お嬢様も人間です。迷うこともあります。

 ただそれがこんな形ではっきりと表れるなんて思いもしませんでした。

 そんなお嬢様も、意を決したように駒を動かします。

 しかし、フィリップさんはそれを待っていたかのようにニヤリと笑いました。

 

 「チェック、ですな」

 「……」


 お嬢様の手がまた止まり、考えながらも次の手を打ちます。

 しかし――

 

 「チェックメイトです。お嬢様」

 「……そう……」

 

 お嬢様は負けてしまいました。

 

 「いやはや、途中までは負けるかと思いました。あそこでクイーンを動かされたのが失敗でしたな」

 「……」

 

 緊張が抜けて、安堵した表情でフィリップさんは言いました。

 対してお嬢様は、気のせいかもしれませんが、悔しさでいっぱいなオーラが漂っているように感じました。

 

 「……ありがとう。勉強するから、またしましょう」

 「はい。いつでもお待ちしております」

 「……行こう、ミシェル」

 「あ、はい、お嬢様」


 お嬢様は立ち上がり、フィリップさんにお礼を言うと、使用人の方々に見送られながら少し足早に、その場を離れていきました。

 私も少し送れて付いていきました。


 「……次は、勝つわ」


 よほど悔しかったのでしょうか。

 あの後すぐに部屋へ戻っては、チェスに関する本を読み漁って、数日後にはフィリップさんと再戦。そしてなんと勝ってしまいました。

 なんだか、負けてムキになる子供みたいで、少し可愛かったです。


―――――――


 マリアお嬢様にお仕えして早半年。

 今日は朝から豪雨が降り注ぎ、お嬢様は一日中屋敷内で過ごしていました。

 夕餉を食べ終え、お風呂上りの読書を終えた後、そろそろベッドに入られる時のことでした。

 私が就寝前のお茶を片付けていると、一瞬部屋の中が昼間のように明るくなったかと思うと、続いて空気を切り裂くような轟音が響きました。

 

 「雷ですね……。カーテンを閉めましょう、お嬢さ……ま?」


 開いていたカーテンを閉めようかと聞こうとしてお嬢様の方へ振り向くと、ベッドの上には変な物が鎮座していました。

 変な物―布団に包まったお嬢様が、そこにいました。


 「お嬢様!? いかがされました?」


 初めて見るその様子に不安を感じ、カーテンを閉め、近づいて様子を伺うと、お嬢様は小刻みに震えていました。

 ……もしかしてお嬢様、雷が怖いのでしょうか?

 そんなことを考えていると、お嬢様は私の袖を引っ張ってきました。


 「……雷……ミシェル……そばに、いて……」


 鼻血が出るかと思いました。

 顔は相変わらずの無表情です。

 しかし、どこか遠慮がちに見上げるその目には、若干の涙が溜まっていて、その小さい体は小刻みに震えていました。

  

 「……はい。気の済むまで、お傍におります」


 部屋の椅子をベッドの脇に置いて座り、 再び布団に入ったお嬢様の頭を撫でました。

 雷が鳴るたびにビクリと体を震わせていましたが、私に撫でられている内に段々と安心したのか、やがて穏やかな寝息を立て始めました。

 私が少し頭を撫でていただけなのに、お嬢様はこんなにも安心した様子で寝付きます。

 信頼して頂いている証拠なのでしょうか?それならばこんなに嬉しいことはありません。 

 

 それからしばらくの間、お嬢様のそばで顔を眺めてから、自分の部屋に戻りました。

 何も恐れないと思っていたお嬢様がまさか雷が苦手だったなんて意外でした。

 そんな意外なところもお嬢様の魅力なのだと、私は改めて思いました。 

 

―――――――


 私がこのお屋敷に来てからちょうど1年。

 私はマリアお嬢様のお世話係になったことに、今は喜びを感じていますっ!

 無表情でありながらも愛くるしいその動作、優雅だけれど幼さも感じる言葉遣い。

 そして私達を気遣ってくれるその優しさ。

 不気味だと思っていたあの頃の私が恥ずかしいです。

 今では仕えるべき大切なお方。

 お嬢様の為に、私は今日も頑張りますっ!


 「お呼びでしょうか旦那様」

 

 この日は朝から旦那様に呼ばれました。

 早起きすることにも慣れ、お嬢様のお世話の準備をしていた時、朝の紅茶の準備をしようとしていたところにアリッシアさんが訪れ、このお屋敷の旦那様―ジョゼッフェ・ダンテ様に呼ばれたことを告げられた私は、旦那様のもとへと来ていました。


 「うむ。あ~……実はだね……」


 なんだか歯切れの悪い旦那様です。

 いやな予感しかしません。

 

 「先日、この屋敷に来ていたヴェニス伯爵がだね、君の事を気に入ったみたいでね……。それで、よければ君を彼の屋敷で雇いたいと言ってきたんだ」


 ほらやっぱり!嫌な予感って絶対当たるんです!

 勿論嫌ですよっ!

 私はこのお屋敷を……お嬢様の下から離れたくありません。

 せっかくお嬢様の魅力が分かってきたというのに、今更他所のお屋敷で働くなんて考えられません!

 そんなことを思っていると、私の顔に出ていたのか旦那様は困ったような表情で続けました。

 

 「……給金は今の3倍は出すと言っている。今まで通りにやってくれていればいいとも言っている。勿論私も最初は拒否したんだが、どうしてもと彼が言うのでね……。彼の下に行ってくれないか?」

 

 貴族同士のお付き合いにも色々あるのでしょうが、それはあんまりです。納得できません。

 

 「い、行かなければなりませんでしょうか……」

 「できれば君の承諾を得て送り出したいんだ。そうでないとだね……」

 「?」


 目線が泳ぎ、尻すぼみになっていくその言葉には、様々な葛藤の色が見えます。

 旦那様の言葉の中には、私が”はい”と返事をしなければ無理やり引き渡すと言っていましたが、そんな私よりも他の誰かに遠慮している様子でした。

 やがて、何かを諦めたかのように話を続けました。

  

 「……娘は……マリアは、君の事を気に入っている様子でね。君を無理やりヴェニス伯爵の下へ渡したとなれば、あの子も傷つくだろうから、できれば自分から行ってもらいたいのだよ。彼には借りがあってね……」

 「……は、はい……」

 

 ”はい”と言うしかありませんでした。

 旦那様は無理やりにでも相手方へ私を売りつけることが出来ましたが、お嬢様を思って私に促したのでしょう。

 今はもう、お嬢様の下から離れるという事実で頭がいっぱいでした。


 その後、アリッシアさん達のいるメイドの詰め所に行き、ありのままに話を伝えたついでにヴェニス伯爵という人について話を聞きました。

 ……はっきり言って聞かなければよかったです。

 ヴェニス伯爵は女好きなことで有名で、毎晩違う女性を抱いているという噂です。

 しかも上は40歳の女性から、下は11、2歳くらいの女の子までです。

 最低です。

 お嬢様から離れて、そんな人の所へ行くんだと思うと、涙がボロボロと出てきました。

 

 アリッシアさん達に励まされつつ、腫れた目元を擦りたいのを堪えながら私は、お嬢様の下へと向かいました。


 「……」 


 お嬢様のお部屋にはいると、いつもと様子の違う私をお嬢様は見つめてきました。

 そんな私も、扉を背に立ちすくみます。

 これからお嬢様に旦那様との話の内容を聞かせると思うと、どうしても涙が溢れそうになります。

 心配してくださっているのでしょうか、優しいお嬢様ですからその沈黙だけでなんとなく分かってきます。

 お嬢様は立ち上がって私の所に近づくと、私の頭をなでながら言いました。


 「……何かあったの? どこか痛いの?」

 「お、おじょ、お嬢様……」


 そんなお嬢様の手のぬくもりを感じて、私は我慢が出来ずに泣き出してしまいました。 

 

 「……」

 

 お嬢様は私の頭を優しく無言で撫でながら、私が話し出すのを待っていてくれました。

 お嬢様に撫でられているうちに、私も段々と落ち着きを取り戻し、ぽつぽつと言葉が出てきました。


 「……実は……私、旦那様に言われて、ヴェニス伯爵の下へ……その……引き取られるみたいで……もうここには……」

 「……お父様が言ったの?」

 

 お嬢様が手を止めて聞きました。

 いつも通り淡々とした表情ですが、その言葉には言い知れない冷たさを感じます。

 「そうです」と小さく返した私に、お嬢様は私を抱きしめました。


 「……行かせない」


 呆気にとられる私を尻目に、お嬢様は私から離れて少しだけ乱暴な足取りで部屋を後にしました。

 

 「っ!? お嬢様!」

 

 いきなりあのお嬢様に抱きしめられたことに驚いていた私は、すぐに後を追いました。

 お嬢様がどこへ向かっているのかはなんとなく分かっていましたが、いつも以上に早く歩くお嬢様に付いていくのに必死になって聞けませんでした。


 「……お父様、マリアです。……入ります」


 やっぱり、お嬢様は旦那様のお部屋まで来ました。

 ノックを三回、お嬢様は扉に向かって声をかけると、返事を待つことなく入っていきます。

 ……なんだか私が告げ口したみたいで少し気が重いです。


 「ま、マリア! いきなりなんだい?」

 「……ミシェルのことで話があります」


 旦那様が私を睨み付けます。


 「……ミシェルは何も悪くありません。悪いのはお父様です」

 「いや、それはだね……」


 旦那様に対してお嬢様は毅然とした態度で言い放ちました。

 それに対して旦那様はしどろもどろです。

 私はオロオロするばかりです。


 「そ、そもそも私にはヴェニス伯爵に貸しがあるから、それを無碍には出来んのだよ」

 「……それは3年前の不作についてですか?」

 「ああそうだ。あの年には王都からの食料だけではとても持たなかったからね……。そこに彼からの支援が来たことは有難いことだった。だから彼には借りを返さなければならないのだ」

 

 そうです。3年前にはこの領地で大不作に陥り、他領から様々な支援がなされたと聞きましたが、まさかヴェニス伯爵からも来ていたとは……。

 旦那様は威厳を取り戻した様子でお嬢様を見据え、堂々と言い放ちました。

 一方でお嬢様は、「……そうですか」とポツリと答えたかと思うと―—。


 「……ではお父様が昨年までに行った、脱税について王都に告発します」

  

 とんでもないことをおっしゃいました。

 

 「……証拠なんて無いはずだが」

 「……お父様の書斎の右奥手前から2番目の本棚、……その上から3段目にある薄緑の本にかく―—」

 「分かった、分かったっ!もう分かったから。……その書類のこと、他の人には話してないだろうね?」


 重大な発言をするお嬢様に、慌てて止めに入る旦那様。

 ですが、流石に一領主である旦那様はすぐに領主としての顔に戻り、お嬢様に確かめました。

 

 「……ミシェルが聞きました」


 唖然としました。

 旦那様も目を剥いて、お嬢様を凝視します。

 事の重大さなんて私には分かりません。

 しかし、お嬢様が私の為に危険なことをしてくれていることが分かりました。

 それだけで、私の心の中は嬉しさでいっぱいです。

 ……本当に、マリアお嬢様の下で働くことが出来て幸せです。


 「……わかった……。ミシェルにこの事を言いふらされても面白くないからね。……この件については先方に話しておくよ……」

 「……我が儘を言って申し訳ありません」

 「……いいさ。偶には娘の言うことも聞かなければね……」

 「……有り難うございます。お父様」

 

 旦那様はどこか疲れた様子で、私がこの館に留まっても良いと許可してくださいました。

 お嬢様も変わらないその表情で、けれど、どこか安堵したような声で返しました。

 

 「ミシェル。マリアのこと、引き続き頼む」

 「……はい。ありがとうございます」

 「うむ。……あと、あのことは誰にも言うなよ?」

 「は、はい!」


 釘を刺されました。

 うっかりしゃべらないように気をつけなきゃ!

 それから私達はお嬢様の部屋に戻りました。

 

 「本当にありがとうございました! 私、あのままヴェニス伯爵の所へ行くのだと思うと本当に……」

 「……いいの、私もそんなことは嫌だから……貴女は、私の大切な友達だから……」

 「お嬢様……」


 感極まって涙を流す私を、お嬢様は優しく抱きしめてくれます。

 あまつさえ、私のことを”友達”と言ってくれました。

 ああ……この方に仕えて本当によかった……。

 これからも、マリアお嬢様の為に私は生きよう。

 改めて、そう決意しました。


―――――――


 マリアお嬢様に仕えて早1年半。

 ヴェニス伯爵の一件以来、私は常にお嬢様のお傍に控え、お嬢様の為に仕事をしてきました。

 最早私の生き甲斐と言っても過言ではありません。


 無愛想で無表情。

 けれど、本を読んだだけで何でも出来たり、時にはお菓子を作って振舞ってくれたり、チェスで負けてチェスの勉強をして再戦したり。

 時には雷に怯えて布団に包まっていたり、私を、”友達”だと言って助けてくれたりする。

 誰よりも優しくて素敵なお嬢様。


 「……ミシェル。……今日も散歩にでるわ」

 「はい。お嬢様」


 もう、”無表情で気味の悪い人”だなんて思いません。

 だって、お嬢様の考えていることなんて私には分かるから。

 それだけで十分です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 初めまして、葛城遊歩と申します。 ちょっと面白そうだと思い、読ませて頂きました。 無口キャラというものはセリフが少ないので、動かすのか大変ですね。 これからも頑張って下さい。 [気になる点…
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