表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

blue and white scene

作者: 雨奈麦

blue and white scene


富士が見えてきた。季節らしい優しい光を全身に浴びて、すべてを包み込むような柔らかい光を投げかけてくる。天空は薄く青く佇み、決して主張することなく、かといって存在を消すこともなく、風景の引き立て役に徹している。わたしは河口湖行の高速バスに揺られながら、窓側の4A席に座って所在なく外を眺めていた。ゴールデンウィークの真っ只中とあって車内には家族連れや団体客が多い。

伯父は恰幅の良い人だ。この界隈では有名なクリニックを経営している。東京の大学の医学部を出てアメリカに留学し、大学院を出た後、心臓外科の教授を十年間勤めた。自信の権化みたいな人だ。わたしはその伯父の養子に入ることになった。クリニックの跡継ぎが欲しい伯父と、わたしに何が何でも医者として成功してほしい母の意見が一致したかたちだ。周りはうらやむような目で僕を見るが、正直こういうのはあまり気が向かない。尾野は、自分の未来にあらゆる可能性があることに重きを置きたいと思っている人間だ。だから、このような将来に制限を科すようなまねは御免こうむる。だが断るとそれはまた面倒なことになりそうだった。大学の学費は伯父が受け持ってくれることになっている。もし断れば、僕は医者をあきらめなければならない。結局受け入れる以外に僕が取れる選択肢はなかった。

いよいよ主役がまわってきたと心躍らすように、若々しい樹や草が緑色に光を浮かばせている。まばゆい黄金を湛えた菜の花と淡い紫色の花をつけた仏の座が、春風に誘われるようにワルツを踊る。今ここに尾野正也という人間が存在していることなどまるで他愛のないことのように世界が春という生き物に心を奪われる。

伯父には養子になると伝えていたが、果たして本当にこれで良かったのか、疑問が浮かび後悔がちらつく。あれだけ悩んで至った決心は、驚くほど容易に霧散した。時にはまったく反対の結論に至ったり、またまたもとに戻ったりと、堂々巡りをくり返すばかりで一向に解決しそうになかった。ズブズブとはまり込んでゆくように、そのことばかりが頭の中をいっぱいにし、ついには心を蝕むようになった。尾野はそんな現実から逃げるようにここに来た。


「どちらへ行かれるんですか」隣の老夫婦が尋ねてきた。わたしはただ、富士を見たいと理由もなく思っていただけなので、答えに困った。まさか正直に答えるのも可笑しいと思うが良い言い訳も見つけられず、

「うーん…」と黙りそうになる。だがこのまま黙ってしまうのはまずい。

「富士山を見に…」なんて結局本当のことを言ってしまった。思わず卑屈な笑みがこぼれ出てしまう。きっと変な奴だと思われているのだろうなと考えていたが、老夫婦は意外にもにこやかにしている。

「そうなんですか。綺麗ですよねぇ…富士山。私はね、富士は今の時期が一番美しいと思うんですよ。冬の真っ白な富士も、夏の赤茶けた富士も良いのですが、やはり五月富士は調和が取れていると感じるんですよね」

「なるほど、調和ですか。確かに雪が良い具合に溶けていて美しく見えますね」

「やはりそう見えますか」

老夫は笑いながら頷く。老夫が熱心に語るのを老婦は微笑みながら聞いている。きっとその時、その光景がうらやましかった。わたしにもそろそろ幸せを分かち合える人とこうして旅する日がきてほしいものだ…と思わず想いをめぐらしてしまうほどに。

バスの扉が空いた。途端、どこまでも澄んで軽やかな空気が車内に充満する。狭い車内で図らずも緊張していた乗客たちが心なしか安堵する。尾野は運転士にチケットを渡してバスを降りた。

ふと、後ろから人の金切声と共に轟音が降ってきた。振り返ると、ちょうど席いっぱいに人を詰め込んだジェットコースターが、美しい曲線を描いて登ってゆく。平日の昼間だというのに、そのテーマパークには蟻が群れるように人が集まっている。喧噪に包まれたその空間は、富士の麓という環境の中で、あまりに浮いた存在だった。尾野はやがてその喧噪を背に、国道139号線沿いを歩き出した。

この辺に旅行に来るのは、これで三回目だ。尾野は富士を左目の端に捉えながら、すたすたと歩く。前回来た時は、富士は西日に真っ赤に染まっていて、自らのメラメラと内に燃ゆる炎を現すがごとく、どこからともなく紅葉が舞い上がり、どこまでも僕の視界に広がっていた。今は、富士は只々鎮座して動かない。少し、お腹がすいた。尾野はぶらぶらとコンビニに入ってゆく。別段、目的なんかない。ただただ、自らの眼に映してゆく。商品が目に入っては消え、別の商品が入っては消える。それをくり返す。コンビニは、どこのコンビニだってすべてが同じ。売っているものも、流れる音楽も。店員は同じ制服を身に着ける。どんなに距離が離れていても、この空間だけは同じだった。コンビニごとに違ってもいいのになぁ、なんて考えながら、ふと、飲み物売場で目が止まる。何の変哲もないミネラルウォーターだが、ひと際カラフルに宣伝されているものがあった。気が付けば、ご当地限定とある。「おぉ」と言葉が漏れていた。それはちっぽけな個性だったが、僕はなんとなく嬉しさを覚えた。レーズンパンとポテトチップス(尾野はこれが好きだった)だけ買って店を出た。

 しばらく歩くと眼下に河口湖が見えてきた。最近は随分と干上がって、湖上に浮かぶ小さな神社が陸続きになっているらしい。尾野は、湖岸にのっぺりと広がる土手に座って、しばらく湖面を眺めていた。すると次第に湖面が波立ってくる。何かと思って視線を上げると、大きな遊覧船が悠然と舳を先へと推し進めていくところだった。休みだけあってたくさんの客が乗っているようだ。見れば父親の手につながれた子どもが、ぎりぎりまで身を乗り出すものだからすこしハラハラさせられた。束の間のうちに艫が左に流れてゆく。遊覧船が過ぎた後にはただ、不規則に重なる波が、名残のように動くのみで、数分もすればまた、元のように静かな湖面に戻った。しばらく見ていると、湖面はなんだか鏡に見えてきた。湖面に大きくアーチを描く河口湖大橋がたくさんの自動車を載せて、道を渡ってそのまま湖沿いの道路へと送り出している。そして橋に覆いかぶさるように山が見える。振り返れば、そこには、若草色にところどころ深い緑を宿した名も知らぬ山々を抑えるように、ぬうっと大きくそびえ立つ五月富士であった。

電車で十分くらい揺られると富士山駅という小さな駅に着く。かなり陽も傾いている。少しゆっくりし過ぎたらしい。帰りのバスはここから出る予定だが、時計を見ると、出発まであと二時間もある。お腹も減ったし、どこかで夕飯がてら散策してみるか。そう思って尾野はおもむろに改札を出た。

周辺にはよそ者の気配が少ない。駅前の通りには商店が立ち並ぶ。塾、本屋、服屋、ファミレス、ビデオレンタル屋、…。通りのあらゆるものは、そのほとんどが市民の生活の場として存在している。だが、一つ小道を入れば昔ながらの家と畑が地を覆う。この付近では割と都市化が進んでいる様子だが、それでも第一次産業を生業としている人間も多々いるということだろう。

尾野はすでに二十二である。誰かに頼って、誰かの力で生きる時期はとっくに過ぎ去った。それは自分でもわかっている。わかってはいるけれど、どうしても、社会の荒波に身を繰り出す勇気が、どうしても持てる気にはなれない。それは、自分がまだ生き抜けるほどの器量がないとわかっているからでもあった。人に騙されないだけの自信はないし、他人を騙し切るほどの図太さもなかった。

「怖いんだ。とても。」

でも、そんな僕にそれでも愛情を示してくれるのは祖父母だった。何も言わずにお金を工面してくれる。気が付くと日はすっかり隠れ、太陽はただ、夜の群青色に薄らオレンジ色で抗うだけである。尾野はお金をおろすために郵便局に向かった。スマートフォンで郵便局の場所を調べ、駅前通りから右に入る。車の往来が多い。ほとんどが富士山ナンバーだ。信号を1つ抜けて2つ目を左に折れる。通りの名は赤富士通りといった。

尾野はATMと向き合う。言いようのない申し訳なさは感じる。自分にもどかしさと恥ずかしさを感じながら、ATMから吐き出される数枚の紙幣たちをただただ受け取る。駄目だとわかっていてもこの安定した生活から抜け出せない自分を嫌悪した。尾野は重たい足取りで外に出た。途端、冷たく、しかしどこか優しさをもった風が尾野を撫でながら通り過ぎてゆく。

来た道を今度は登ってゆく。すると行きでは気づかなかったが、目の前に大きく富士がそびえ立っている。となりを歩く何者かが「美しい」と言った。風が冷たく頬を撫でてゆく。富士のやや上では、宵の明星がきらきらと輝いていた。


中央高速を新宿行きのバスが上ってゆく。日もすっかり沈んであたりは暗闇に包まれている。夕飯を食べた直後だからか瞼がとても重い。ふと、前に座る男女がこんな会話をしている。

「見てみて!すごい綺麗!」

「うわー、まるで星空と星空に挟まれているみたいだ!」

何かと思って、僕は気怠そうに窓の外を見る。すると、なるほど、確かに目を見開くような景色が広がっていた。おそらく、相模湖のあたりであろう。夜の街を上から見下ろす風景には、実に趣がある。街の灯りたちが楽しそうに手をつなぎ合って、地上にも星の棚所があるようだ。いつかどこかのパイロットが、東京の空が一番綺麗だと述べたそうだが、なるほど、きっとそのパイロットもこんな気持であったのだろう。そう納得して尾野は眠気に身を任せて、現実世界から零れ落ちていった。

「ビーッ」盛大で重なり合うクラクションの音に、尾野は目を覚ました。窓の外を見ると大きな通りに何台もの自動車が往来している。いつの間にか高速を降りていたらしい。初台のあたりで高速を降りるはずだから、きっともうすぐ新宿であろう。

「ご乗車ありがとうございました。間もなく新宿駅西口に到着です」。音程と音量のバランスのとれた自動アナウンスが到着を告げる。バスの扉が空いた。途端、どこか懐かしい軽やかな空気が車内に充満する。狭い車内で図らずも緊張していた乗客たちが心なしか安堵し、またすこし寂しい雰囲気を醸し出す。尾野は運転士にチケットを渡してバスを降りた。荷物をもって街に一歩踏み出せば、尾野は、新宿という街を構成する数多ある人間の一つにすぎない。通りの流れに飲み込まれ、猫背が特徴的な姿で重い足取りで歩いてゆく、尾野の後ろ姿が夜の色に溶け込んでいった。


それから三日ほど経って、わたしは上野にある伯父の家に向かった。途中、池袋にある行き付けの酒屋で伯父の好きなウヰスキーは買ってある。山手線に乗り込むと丁度良い具合に席が空いていた。わたしは、愛用のリュックサックから取り出した、現像仕立ての富士の写真を眺めながら四半時ほど電車にゆられる。

上野駅公園口に出ると、伯父が迎えに来ていた。駅前はレジャーで来ている日本人や観光に来た外国人で溢れている。その中でも一際背の高い伯父はとても目立った。

「久しいな正也君。よく来てくれたね。」

「お久しぶりです。あの…これ…ウヰスキーなんですけれど、良かったらどうぞ」

「おお!クライヌリッシュか!君とは好みも合いそうで楽しくやれそうだ」

「気に入っていただけたようで、良かったです」

わたしは、とりあえず上手くいったと、安堵の心地で伯父の車に乗り込んだ。

「今日はちょうど紙月も来てるから。」

伯父ふと思い出したように言った。紙月さんとは伯父の高校時代の同級生で、現在は神戸の大学で社会思想の研究をしている。

「そうなんですか。それは楽しみですね」正直僕は紙月さんとは気が合う。静謐な甕には幾許の水が入っているのかわからない。彼はそういう底知れぬ深さをもった類の人間なのだ。

外国製のスポーツカーが、威勢のいいエンジン音とともに勢い良く発進する。瞬く間の内に、すぐ近くに見えていた不忍池が随分遠くに浮かんで見える。日も大分傾いたとあって、街の至る所にオレンジ色が咲いている。

「着いたぞ」

気が付けば、伯父の家に着いていた。伯父の家は先代の頃からの趣のある二階建てで、なかなか広々とした造りをしている。橙色に灯った玄関ライトがほんのりと眩しい。わたしは温かく迎えられているのだろうか。

「お邪魔します」若干の恐怖が足を留めようとするが、最早引き返せる位置ではなかった。僕は一抹の不安を無理矢理胸に押しとどめて左足を一歩、いつもより大きく踏み出した。


玄関をくぐると、小さな男の子と女の子が立っている。伯父には子供がいなかったから、きっと紙月さんとこの子だろうと当てをつける。

「おお裕君、瑞穂ちゃんよく来たね。お正月以来かな。」

伯父が嬉しそうな声を上げる。

「ゴホン、ゴホン」

奥からわざとらしい咳が聞こえる。きっと人間嫌いな紙月さんであろう。はたして、紙月さんはリビングのテーブルで純粋理性批判なんて本を読んでいた。

「やあやあ、お邪魔してます。隆史さん悪いね。君は…正也くんかい?久しぶりだね」

「お久しぶりです、先生。カントですか。」

「ああ。自らが自由的存在たり得るか、色々と考えをめぐらしているところだよ」

「人間は本質的に自由な存在だといえるでしょうか」

「私はやっぱり難しいんだと思うね。一見道徳的に見える行為も、その実何かしらの欲求が含まれていると思うんだがね」

「正也君は今日から家の養子になるんだ。」

伯父が遮るように言った。こういう問答は嫌いらしい。

「ほう。」

「正也君。君の部屋を案内するから来なさい」

「是非」

わたしの部屋は二階の廊下を突き当りまで行った左側にある六畳一間であった。右手にある五段くらいの本棚は古びていて、中身の空っぽなのがやけに目立つ。正面についたガラス張りのドアは、開けるとベランダに出られる仕組みだ。尾野はひとまず本棚の隣にある、やはりこれも古びた机と木製の椅子に腰かけ、荷物をどのように入れるか、思案することにした。


夜も更け紙月さんとこの子供たちも眠りについたころ、尾野と紙月さんと伯父よる夜会が開かれた。持参したクライヌリッシュの栓が開けられる。

「おっ、こりゃあ随分気合いが入ってるな」伯父が興奮したように言う。

「ふーん」紙月さんは相変わらず世間離れした本を読みながら、ちらちらと視線を上げて自らの体に入れて良いものかじっくりと見定めようという構えだ。伯父が先頭切ってグラスにクライヌリッシュを入れようという雰囲気だから、わたしは、

「僕が入れて差し上げますよ」と慌ててビンを手に取る。わたしの分は伯父がグラスにこぼれそうなくらい入れてある。

「うーん、よし」紙月さんは何か得心したようだ。

「乾杯」見事なハーモニ。三人の声の調和は黄金律を得ているらしい。飲んでみると、自分が買ってきたものながら、随分なものだと思った。

「うまいな」

世の中本当に納得するものには、自然と賛美しか浮かび上がらないようだ。伯父も紙月さんも僕と同じ心地か…。しばらく三人とも黙り込む。

「そういえば大学の方はどうだね」伯父がわたしに尋ねる。この質問には困った。別段取り立てて言うこともないのだ。

「ぼちぼちです」

「そうか」

再びの沈黙。居たたまれなくなった僕は、思い切って話題を振ってみた。

「そういえば、最近まで山梨へちょっとした旅行に行っていたんですよ。」そう言って僕は徐に現像してしばらくたった富士の写真を取り出した。机の上に三枚の写真が並べられる。バスの中であった老紳士が絶賛した五月富士、全てを蒸発させるような熱に粋な雪衣は脱がされ、そびえ立つように青黒い肌を露出させた葉月富士、そして水に少し映えた朱色を混ぜて、それを吸わした筆で世界を描いたような赤色を浴びて、わずかに取り戻した白銀の雪衣がきらきらと光る霜月の富士。僕は尋ねた。

「先生方はいずれの富士がお好きですか」

伯父はまったくの即答で、葉月富士あった。紙月さんはどれを選ぶだろうか。できれば五月富士であったら良いと思う。わたしは、紙月さんの人間離れした感性に魅かれている。それが俗世を超越した尊いものなのだと信じたい。願わくば自分もその道を歩いていたい。僕は答えを待つ。待つ。…。なかなか来ない。紙月さんは静かに黙ったままだ。

「僕はその…五月に見えた富士が好きなんですよね…」思わず話しかけるようなつもりで言葉がほとばしる。その後、ようやく紙月さんは口を開いた。

「僕の好きな富士はここにはない。皆、思い思いに富士の象徴を脳に刻んでいるが、それを元にして皆、好き勝手に富士を語る。私にとって富士は、調和ではない。雄大さでもない。朱色に染まる儚くも美しい富士でもない。富士には月見草がよく似合うと太宰は言ったが、私にとっては雪だ。色で言うならば白。形に例えるならば六芒星。富士と雪には、それこそ人知を超えた相性の良さがある。富士に合うのは混じりけのない白だよ。だから、私の好きな富士はここには無いんだ。」そう言い終えると、クライヌリッシュを一口含んだ。


その夜、尾野は夢を見た。見渡す限り漆黒の世界が広がる。そこがどこだかさっぱりわからなかったが、富士の麓だということはわかった。どうやらまだ舗装もままならないような道が目の前に広がっていて、僕はそれをひたすら登ってゆく。あたりは凍えるほど寒い。振り返ると、はるか下方に小さな光がいくつか、揺らめきながら点々としているのが見えた。ふと、僕の腕に冷たい感触を感じる。上を向けば、細かい白い雪が点々と空を飾っていた。尾野はその歩を速め、先を急いだ。生命の温かさを許さないような世界に、僕は一抹の不安を覚えた。不安は次第にその膨らみを増す。やがてその不安は全身に広がってゆき、尾野から理性を奪う。周りを占めるすべてのものが敵に見える。そのすべてが牙をむく。尾野はただ一人暗闇の中、周りからにじみだす異様な圧迫感に恐怖しながら、それでも必死に砂利道を、音を立ててゆく。思いを裏切るように、周りの樹々が自分を追いこして行くように感じる。きっと僕はそのとき少しおかしかった。まるで、上っているのに、ころがり落ちるように感じていたのだ。すると目の前に吊り橋が現れた。はるか下方から水の流れる音がする。わずかに残った尾野の理性が警鐘を鳴らす。この暗闇の中で、それでもそれを渡ろうなど狂っている。ここで止めてしまっても誰も文句は言うまいと思った。しかし、渡りきった先には、途方もない何かがあるのだと直観できる。目の前にある吊り橋は得体の知れぬ魅惑を放っている。「渡ってやる。きっと渡ってやるぞ。」おそらく今、最も野生じみた欲望をむき出しにしている人間は尾野であろう。渡ってその先にあるものを手に入れるのだ。

とうとう尾野はその吊り橋に足をかけた。途端、

「ギィーッ、ギィーッ」と不気味な音をたてる。僕は四万十を流れる濁流を思い出していた。それを見下ろしながら橋を渡った記憶がぽつぽつとよみがえってくる。たしか五才になったばかりであったか。あのときわたしを突き動かしていたのは恐怖だった。共に山へ入った人間たちが次々と向こう岸へと消えてゆき、唯一人、取り残されるのではと思うと怖かった。恐怖に背いて橋の丁度真ん中くらいまで来て、もはや引き返すことも困難となって初めて後悔が生まれた。あのときは助けを乞える人間がいたが、今は尾野ただ一人だ。「さァ―――…」という悪魔じみた声が頭上から降ってくる。これはいよいよダメか…と考えた。後悔がちらつく。だが僕は歩を進めた。必死で、必死で歩を進めた。気が付くかつかぬ内に音が消えるー。

そうして尾野は渡り切った。その先に何があるのか。両脇に険しい崖を携えた切通のような道を、尾野は期待に満ちた足取りで登ってゆく。歩みは走るように軽い。道はやがて左に大きく曲がった。「これを曲がった先に何かがある!」そう確信した尾野は、駆けるように抜けた。その途端、目の前に在ったのは、冬に輝く富士だった。月明かりを浴びて、それを山肌の雪が、ぼーっと青白く照らし返す。〞山が浮かび上がる〞とは真にこのことをいうのだと信じた。そう認識せぬ間に全身を強烈な波が駆け巡る。そのとき初めて尾野はー。


「トントントントン!」と何かを打ち付けるような音がしつこく耳に残る。不快な気分で目が覚めると、日はすでに高く上がっていた。近くで男の怒鳴り声がする。騒々しい音は隣の家の取り壊しが原因のようだ。尾野はぼやけた視界を眼鏡をかけてはっきりさせ、一階へ降りた。尾野は極度の近視なのである。リビングのドアを開けると、紙月さんとこの子供たちが何やら夢中になっている。男の子が四角く切った紙のようなものを女の子に手渡し、女の子は代わりに藍色の帽子を手渡している。どうやら洋服店の客と店員のつもりらしい。彼らを見ていると、どうにもわたしと妹に被る。テーブルの方へ目をやると紙月さんが突っ伏して寝ていた。伯父の姿は見えないから、大方、ゴルフにでも行ったのだろう。まったく、伯父の体力は怪物並らしい。

「うーん…」

と、紙月さんはようやく目が覚めたようだ。僕はなにも言わず、コップに水を注いで紙月さんに手渡す。紙月さんはそれを一気に飲み干した。紙月さんは目をぱちくりさせて、「うーん…」と伸びをする。ようやく意識がはっきりしてきたらしい。

「パパぁ、パンダが見たい」

「ゆたかはキリンが見たい」いつの間にか“お店ごっこ”に飽きていた子供たちが紙月さんにねだる。今日は土曜日だから、きっとものすごい混んでるだろう。紙月さんはあまり乗り気ではないようだ。しかし一度決めたら叶うまで中々諦めないのが子どもというものである。紙月さんの中の事物の重大さを測るシーソーは、人ごみの苦しさよりも子どもにごねられる方に傾いたようだ。

「仕方がないな、行こうか。正也君も来てくれるかね」

このまま伯父の家にいてもつまらないし、別段取り立てた用事は無かったので、ついて行くことにした。

一行は靴を履いて、玄関の扉を押す。すると、金属のつんざくような音が耳を傷めつけた。

「ついこの間まで立派な家が立っていたんだがね、事業の失敗で多額の借金を抱えてしまったらしい」古代から人間の栄枯盛衰は必定の理だというが、こうして家が崩れてゆくさまを見つめていると、他人事とはいえやるせない気持ちになる。

「行こうか。」

紙月さんの声を号令にして我々一行は再び歩き出す。その場には足踏と憂いだけが残された。金属音は悲鳴のようにしばらくこだまして聞こえていた。


公園口は相も変わらず人でごった返している。最近は欧米人には日本風が面白いらしく、旅客の外国人も増えてきた。だが同時に彼らを狙っていかがわしい人間たちも多く集まってくるというから、全く都市というものは恐ろしいものだ。僕の前を行く紙月さんは両手を一つずつの小さな手に掴まれて、護送船団に曳航される舟ように前へ前へと引っ張られている。周りには、緑生い茂る木々が道を挟むように立ち並んでいる。左手に神社が見えてきた。思えば何年前だったか。あの神社の鳥居をくぐろうとすると、そのときだ。異様に背の高いチベット人に話しかけられて、仏像シールのはられた簡素なカードを売りつけられそうになったっけ。今でも相変わらず彼はいるのだろうか。少しだけ興味が湧いたけど、あまりの人だかりのために到底確認などできず、今はただ朱色に塗られた鳥居の上部が見えるだけであった。

パンダ園は人でごった返している。僕も紙月さんも、もう人ごみはたくさんだ、なんて顔をしているけれど、瑞穂ちゃんだけはキラキラした瞳をしてパンダが現れるのを楽しみにしている。ただ一人、裕くんは無の境地でどこか遠くをみていて一点から目を動かさない。

「キリンはあっっちだよ?」

そのとき僕はハッと理解した。裕くんは西園のほうを向いていて、かれはずっとキリンを見ているのだ。僕は一刻も早く裕くんにキリンを見せてあげたいと思った。僕は紙月さんに二手に別れることを提案し、僕らは二手に別れることにした。紙月さんは少し嫌な顔をしていたけれど、どうしようもないことだろう。紙月さんと瑞穂ちゃんはパンダ園に残り、僕と裕くんは西園へ行くことになった。別れ際、親とはこういうものなのだと思うと、紙月さんすらその因果から逃れられないと知ってわずかに嘲笑が表情に混ざった。

僕と裕くんは西園に向かった。裕を見ていると、いつも不思議な気持ちになる。まるで自分と歩いているみたいだと、思うことがしばしばある。ただ彼はまだ七歳だ。そこがなんとも恐ろしく、その子ども離れした落ち着きはきっと紙月さんに似たんだなと納得してきたのだが、そうであってもこの違和感は完全にはぬぐい切れないほどだ。今、横を歩くゆたかの顔には少しだけ笑みが含まれている。 僕は無邪気に笑う表情は子供らしさが感じられてほっとした。

西園に湛える不忍池には何十羽と知れぬ鵜たちが集っている。悠然と泳いでいる錦鯉が跳ねた。僕がその光景に見とれていると、不意に力の入った裕くんの手に体が引っ張られた。「キリンは?」奥へ奥へと入り込んでゆく。「キリンだ!」裕くんが嬉しそうに駆け寄って行く。

僕が裕くんと同じくらいの年のころ、幼い眼に尊敬の念を湛えてキリンを見ていた。キリンはすごいのだ。キリンはいつだって姿勢が優れている。姿勢を伸ばすことで自らの尊厳を示しているようだ。正直動物園なんて、動物からしたら狭かろう。ライオン例えにとってみても、エサはあたえられて、狩という本能を封じられて檻に閉ざされたままだ。獲得すべきものがすでに与えられるというのは果たして幸せなことなのだろうか。この身を動かしているものはグルコースでもアミノ酸でもない。それは激しくうねる感情にほかならない。感情は〃足りない〃から湧いてくるのだ。足りないものをどうしようもなく満たしたい、その欲求があるから生命は存在する価値を生む。与えるとはある意味では奪うことと同じなのだ。だがそれでもキリンは姿勢を正す。わたしが彼の立場であったならきっと卑屈になってしまうところを、姿勢を正して威厳を保つ。その姿が幼きわたしに少なくない感動を与えた。

目にゴミでも入ったのか、なんだか落ち着いてはいられない。視界に微かなもやがかかる。ふと見ると、キリン園の柵の前で誰かが裕くんに話しかけている。そいつは僕より少しばかり背の低い少年で、屈託のない表情、それでいてどこか物寂しい後ろ姿をなげかけてくる。不意にそいつが、緩慢な動きでこちらへ振り返ってくる。

「あっ!」

目が合った途端、僕は思わず声をあげていた。あれは僕だ。幼き頃のまぎれもない僕だ。なぜ、どうして、ありえない光景に僕の頭は混乱する。彼の瞳から、涙がこぼれた。なぜ泣いているのか。僕はそれ、どこまでも澄んだ瞳に、僕の心は吸い込まれていった。


 海。


海という巨大な水たまりに、世界で初めて波を起こしたのは何者であろうか。

いつも海を見るとそう思う。岸辺にもり出す磯のごゴツゴツとした岩に巨大な潮が猛り狂ったように叩きつける。黒々しい渦が、今にも私を飲み込もうとしている。だが尾野は、海がもう一つ自分の中にあることを知っている。それは今目の前に広がる大海原のように、幾重にも波が連なって、岸辺に押し寄せ白く泡立ち、潮騒とかおりを運んでくるわけではない。それは最初は存在すら知られぬものだった。誰もがきっと始めはそうなのだ。だが何かしらのきっかけで一度波紋が生じた時、そのときになって初めて存在が自覚され、それから一生自分から切っても切り離せないものとなる。

僕の人生は受験の連続だった。尾野は東京で生まれ、東京で育った。私立の幼稚園に通い、小学校受験を経て私立の小学校に入学した。父親は家庭を顧みぬ荒れくれ者であったが、母は非常に教育熱心で私にとても厳しかった。父親を反面教師に自分は立身しなければといつも思っていたので年の割には落ち着きのある少年だった。自分が少しでも母の負担を減らすべきだと、真剣に思っていた。だから、テストでは良い成績を取ったし、常に模範的な態度であろうと心がけた。虫取りや魚釣りみたいな子供らしい遊びはするにはしたが、小学校4年には受験のために塾にこもる毎日を送った。

 そんなとき、僕の心は唐突に生まれた。


小学校六年のことだ。生まれて初めて触れた書道で、先生は何でも良いから好きな言葉を書けと言った。「未来」「希望」…。クラスメイトたちが意気揚々と、知っている単語で最もカッコいいやつをあっちこっちに墨を跳ね飛ばしながら書き上げてゆく。わたしは大人びたものを書いてみたいと思った。誰も書かないようなものを書きたかった。だが僕はしばらくたっても何を書けばよいのやらサッパリわからない。しばらくそうしていると、友人たちが次々と提出し始めた。僕は焦った。ついには「まだか~?」なんて先生に急かされる始末。それで必死に、必死に、やっとの思いで浮かんだのは、自らの人生に苦悩する大人の姿。自らが生きる道。尾野は「生道」というありそうでない組み合わせの二文字を書いていた。

「これ、なんて読むんだ?」教師は言った。それと呼応するようにクラスメイトたちが騒ぎ出した。

「せいどー?ひょっとして、なまみち、か!笑」

なまみち。そのなんとも恰好の悪い響きはクラスメイトの笑いの的となった。僕はただ苦笑いするしかなかった。今思い返せば、どうしてそんなことを書いたのか。とにかく咄嗟のことだったからはっきりしたことは覚えていない。ただ、それでも、そのきっかけには思い当たる節がある。なぜ笑われるんだ?僕としては精いっぱい恰好付けたはずなのに…。そう思ったのは今でも記憶に残っている。

学校には尾野より優秀な人間はほとんどいなかったが、塾にはたくさん存在した。なにしろ自分がいつまで経っても解決できない問題を、たった10分足らずで「できた!」なんて言って嬉々としているような奴らなのだ。尾野にとってそれは、己の存在価値を真っ向から否定されるようなものだった。きっと悩んでいたんだと思う。優秀で態度の良い完璧な自分。そうであるからこそ、周りの大人たちは尾野に期待した。期待されることが尾野の存在価値だった。それを失った後、自分は何を澪標にして船を漕げばよいのか。不安な疑問が「生道」を生んだ。自分の内側に生じた灰色の渦が、ザワザワと内に響くように音を立ててついに生じさせてしまった。自らの疑問を覆いきれなかった単語として、自らの語彙の範疇をはるかに超えた刹那に浮かんだものだったのだ。



尾野は受験に失敗した。入った中学は、自分の行きたいと思った学校ではなかったから、不満ばかりがつのっていった。「なんでこんなところにいなきゃならないんだ」なんて考えたのはざらである。尾野は“惨めな者”になどなる気はさらさらなかった。だがそれ以上に、自分が“惨めな者たち”の仲間入りを果たしたことに心底痛みを感じていた。だがこれは尾野の実力の上でたどり着いた結果だった。だからそれを差し置いてこんなことを考えている自分にまた嫌気が差した。認めたくないけれど、自分には実力がないんだという事実は、自分の中にしっかりと根付いていったのだ。母には「あんたをそんな風にするために頑張って育ててきたんではない!」「今までの私の頑張りを何だと思ってるの!」なんて言葉を投げつけられて、その言葉はやっぱり尾野の心を大きくエグったりした。他の誰のものよりも、母の言葉が一番重かった。

正直来ないと思っていた。だが母は入学式に来た。周りを見渡せば、その人の心情がその人の背筋でわかる。緊張で張りつめたような背筋。地球の引力に耐えきれぬかのように大きく曲がった背筋。ピンッと張っていてもどこか柔らかさを兼ね備えた背筋。…。僕の背筋はどうなっているのだろうか。自分ではわからないからこそより真実を語ってくる。一定の満足感が窺える人。明らかに落胆の色が窺える人。まるで神の加護は自らにありと主張するような人…。式も終わったころ、僕は母を目で探した。すぐに母の背中は見つかったけれど、皆が腰を上げる中でさっきから母はじっと動かない。どうしたのかと思って近づいてゆくと、不意に、尾野の足は、はたと止まった。それが僕の視覚から得た情報から大脳皮質が下位ニューロンに命令を送ったのだと理解するまでに何秒もかかった。母の背筋は苦しむように前のめりだったけれど、どこか月のような静謐さを湛えていた。舞台を照らす灯りたちが揺らめいた気がした。それでも僕は母を見ずにはいられなかった。母は静かに涙を流していた。



尾野は独りだった。別に身寄りがないとかそういう類ではない。母は居ったし、妹が一人、それに母方の祖父母とはしょっちゅう会った。祖父母は大変良くしてくれた。だが彼らは皆、尾野の存在に安心を覚える人たちだった。決して、まだまだ未熟だと、しかしだからこそ引っ張って行ってやると、そういう気概をもった人間たちではなかった。そういう男が尾野の近くにはいなかった。だから尾野は、周りに安心を与えることはあっても、自らが安心することはなかった。そして、自らの存在価値を喪失した後、尾野は結局過去にしがみつくしかなかった。自信なんて最早失っているのに、あたかも自信があるかのように振る舞った。“なんでも完璧にこなせる自分を演じる”という“役割”をこなすことで、周りの大人を満足させることに徹した。だが、そんな“役割”を完璧にこなすなど元から不可能であったから、時々ボロが出てしまう。自らの“役割”にそぐわない行為が周りの人々の期待を裏切り、失望した顔をされるのが本当に恐ろしかった。尾野はその度に絶望していたのだ。加えて、尾野は元々繊細な性格だった。“役割”は、尾野の人に対する敏感さを、異常なまでに高めてしまった。ちょっとした仕草、目の動き、果てには雰囲気だけで、相手が尾野のことを悪く思っているのではと勘繰った。傷つくのが嫌だったから、何でもない人と話すときでさえ疑ってかかるようになり、尾野は次第に他人を信用できなくなっていった。周りから見ればきっと、嫌なやつであったのだろうと思う。

 


尾野の中学生活は、劣等感に苛まれ続けた、地獄のような日々だった。何をやっても空虚だ。何をやっても楽しいとは思えない。ただとにかく勉強だけはさせられた。大学受験に特化した、塾のような学校だったからだ。体は後ろを向いているのに、無理矢理前へ走れと言われているようなものだ。尾野はそんな環境が嫌になった。多分、尾野以外にも、いや、ほとんどの生徒が何かしら圧迫感を感じていたと思う。実際、「辞めたい」なんて言ってるやつも、冗談か本気か、何人かいた。だが、本気で辞めたいと思っていたのは、尾野だけだったようだ。尾野は自由を欲していた。渇望していた。それはある種の反発感情であったかもしれない。それは若いなりの必死の逃避行動であったかもしれない。若いゆえに、胸に迫るものがあった。

中学2年になった。それなりに友人もできた。その中にも特に親しかった、渡井と折原という2人の人物がいた。渡井はおよそ、尾野とは真反対の思考回路の持ち主だった。彼の判断基準は、常に自分だった。他人が何を思おうが、その視線は、まったくブレることがない。だから彼には、失敗はあっても敗北はなかった。彼の心の中で、他人の存在感は蜃気楼のように薄かった。

自分は何によって構成されるかを考えるとき、必ず自分以外の何者かが思い浮かぶはずだ。目的とは何によって与えられるかを考えたとき、必ず自分以外の何者かが思考に入ってくるはずだ。何かを判断しようとすると、人間はその決定にわずかでも自信を得たいと考えてしまう。自信は主観だけでは成り立たず、必ず客観的側面を必要とする。最も有効的な客観性は、動きようのない客観的事実なのであるが、人間は必ずしもそれを選ぼうとしない。事実を積み上げるよりも他人に同調してしまう方が圧倒的な簡便さで客観性を得られるからだ。他人に頷いてもらう方がよっぽど簡単に自信を得ることができるのだ。だがこのようにして得られた判断は、ある程度の客観性を帯びても、絶対的正義には成り得ない。尾野は他人があって、自分があった。尾野という存在を成り立たせていたのは他人だったのだ。幼いころに、奇しくも与えられてしまったあの”役割”は、他人の期待に答えるものであった。それは尾野にとって喜びでもあり、苦しみでもあった。そして、中学受験でその期待に応えられなかった十三の尾野にとって、“役割”は苦しみの方が大きくなっていた。そんな尾野にとって渡井のような生き方は、一種の憧れだった。

もう一人、折原という友人は尾野にとても似ているのだった。入学式の日、尾野の一つ後ろの席に座った折原は、周りどこか忙しなさを抱える人間と比べて、あまりに落ち着いていた。尾野は、一時も休むことなく絶えず流れる小川と、底知れぬ深さを持ち合わせた大海との違いを思い浮かべた。

だが僕は、そんな折原の無類の落ち着きの中に辛く苦しい影を見た。僕はその時、意識したとは思っていなかったが、きっと同類を探していたのだ。尾野はその日から、彼のことが何となく気になって会うたびにその行動に注目していた。彼は時々奇行を起こす癖があった。例えばこんな話がある。彼はよく教科書やノートを頭の上にのせずにはいられないようだった。次の授業に向かう際には、よくそうやってほかの生徒に抜かされながら、しかし少しも歩にズレもなく、たんたんと歩いてゆく。理由を聞こうと思った時期もあった。だが結局最後まで聞くことはなかった。彼のそれには、有無を言わさぬ真剣さがあった。多分、多くの人間が、彼のようなおふざけを見れば、きっと戯れで返そうとしたに違いない。しかし彼のそれは、戯れを許さない。それほどの凄みがあった。

そういえば、通っていた塾にも、同じような凄みを持ったやつはいた。彼は常に帽子を被っていた。それがいつからか、ある日突然帽子を被らなくなった。その瞬間、皆が理解した。彼は髪がなかった。誰か空気の読めないやつがそれを指摘してもおかしくなかった。でも、誰もそうしなかった。いや、彼がそうさせなかったのだ。彼の放つ威厳のようなものが、やはり戯れを許さなかったのだ。きっとそれまで帽子を被っていたのも、親の影響下にあったが故の消極的なものにすぎないのだろうと思った。かれが帽子を脱いだ瞬間、それは彼にとっての自律の儀式だったのだと今になって感じている。

尾野と折原と渡井は、よく気が合った。次第に仲も良くなって、一緒に帰るようになり、やがて休日に図書館に行ったり、ゲームをしに行ったりするようになった。二次元文化に興味をもって、みんなで作品について語り合ったりもした。奇遇にも三人とも部活に入っていなかったから、どうせなら作ってしまおうと、数学研究部を立ち上げたりもした。かなり本格的な部活で、自分たちで問題を作ったり、入試の解説を行ったりと、それはそれで充実した生活を送っていた。

折原との付き合いも長くなってきたころ、彼もまた期待される側の人間だと理解した。親からの期待、先生からの期待、彼はあらゆる者に期待をかけられて、今にも押しつぶされそうだと思った。だが尾野と決定的に異なっていたのは、彼に自らの意思があったことだ。彼は自らが周りから期待されていること、自らが周りの夢の一部であることを理解していた。それを知ったうえでなお、受け入れた。器の違いを見せつけられたような気がした。尾野は彼に憧憬の火を灯すと同時に、少し妬ましいと思った。先生や親にすら、最早僕は底の知れた人間だと思われている節があった。だが僕は、折原よりも能力がないという事実を、最後の最後まで認めようとはしなかった。自分は特別な存在だと信じた。それは、客観的事実も、他人が同調してくれることもない、根拠のない自信だった。

やがて渡井と折原との付き合いも、中三になってクラスが分かれると次第に無くなっていった。



桜の散る季節になった。尾野は中三になっていたが、中一の春から結局何も変わっていない。プライドはそう簡単には捨てられない。「なぜ僕はここにいるんだ?」そう思うことは多々あって一向にその数は減りそうにない。ふとした時にそんな思考に入れば、自分が今過ごしている日常がふわふわと浮いているようで現実感に欠けているように感じる。そうして我に返ると、人知れず悲しみが溢れてきて、どうしようもなく泣きたくなる。でも、そんなにも悲しいのに、涙は一滴も出てこない。問われても、わからないのだ。てきとうな理由の二つや三つくらいはすぐにでも思いつくのであるが、正にこれだという答えがない。「呆然として生きている」、そんな状態が長く続いていた。僕に転機が訪れたのは桜も散って葉の生い茂る、緑の眩しいころであった。

尾野の周りには必ず人がいた。彼らは彼を理解する者たちではなかったが、尾野には関心があった者たちだった。以前の僕は成績が良く模範的に振る舞い、周りが期待するのは当然であった。当時も孤独を感じてはいたが、それはあくまで精神的孤独だった。だが、今の僕は成績で目立つこともなく、態度が良いわけでもなく、没個性的な人間に成り下がっていた。光らない石に価値は付かない。尾野は本当に孤独になった。

僕は孤独が苦しかった。だから同じ人間を求めた。人間は、誰もが心に認められたいという欲求を秘めている。欲求は行動のガソリンみたいなものだ。皆、欲求を満たそうと必死に人生というロードを走る。だが走れば走るほどガソリンは減っていくというのはなんとも皮肉な矛盾だ。類は友を呼ぶというが、同じように、皆どこか満たされぬ欲求に枯らされたような人間ばかりが集まる。尾野に集まった友人は落第の危機が迫っていようが、学校の規律に反していようがお構いなしに、ひたすらゲームやらなにやらで暇を潰し尽した。それが彼らにとっての愉悦であり、僕には彼らの愉悦が魅惑的に映った。「仲間」というものが、とても心地よさそうだった。僕は彼らにくっ付いて色々回った。学校から池袋が近かったから、遊ぼうと思えばいくらでも遊べた。ゲームセンターというものを覚えた。カラオケというものに行った。学校にゲーム機をもっていって、「仲間」と通信して遊んだりもした。ゲームは対戦ではなく協力プレイが好きだった。

そしてその日が来た。その日も、「仲間」は学校などそっちのけで、ファストフード店でゲームに明け暮れていた。学校に来ない僕たちを不審に思い、学校の教師たちは捜索していたようだ。そこで僕らは見つかった。

厳しく取り調べられ、反省文も書かされた。僕の額に冷汗が流れると同時に、「こうなるよなぁ…」という諦めが頭に浮かぶ。そのときになって初めて僕は、自分がどうしようもなく堕落していることに気が付いたのだった。


夜の九時頃になってようやく解放されても、僕の心は宙に漂うように、頭の中はぼんやりしていた。池袋駅の公衆電話で家に電話をかけた。母が出る。「もしもし?」「まさやです。今池袋です。」「池袋?遅すぎでしょ!何してたの!」「あ……うん。」「なに?」「いや…それがさ…」「え?なに?はっきり言いなさいよ!」「ああ…うん…ゲームしてたのばれちゃった…先生に怒られちゃった……」「そんなことだろうとは思ったわ!」母は吐き捨てるように言った。「ばかだおまえは!おおばかだよ!」電話が勝手に切れた。それが、母によって切られたものだと理解するまでには暫く時間がかかった。尾野は静かに受話器を置いて、ホームへ続く階段へと向かった。

母は最初怒っていたが、それも段々と悲しみに変わった。尾野は再び“役割”を果たせなかった。僕は怒られることよりも、悲しまれることの方が堪えた。母は言った。

「あんたのこと、『フツーの生徒です』ってせんせ言ってたわよ。フツーだって。私、初めて言われたわ…。」

とりわけ、母に悲しまれると、本当に、本当に堪えた。心臓を握りつぶされるような気分だった。だが同時に理不尽だとも思った。今まで僕が頑張ってきたのは何のためだ?母のためだ。母の期待に応えるためだ。いままで、自分なりに頑張ってきたつもりだ。確かに中学受験に失敗したのは事実だが、それでも一言くらい、

「お前はよくやったよ」と言ってくれても良いではないか。そう思うと、あれほど出てこなかった涙が、堰を切ったように溢れ出してきた。かっとなった頭の中に、いくつもの呪いの言葉が浮かぶ。そして僕は母さんに言い放った、

「フツーだって!?親が親だから、子も子なのさ!」そう言って僕は家を飛び出した。


笑い声は遠い。自分の周りで心地よさそうに笑う人はたくさんいる。皆その時々一瞬に没頭し、理屈など忘れて、ただ星屑のように散りばめられた甘美な瞬間を必死に集める。集めては心に空いた穴を、少し焦燥の念を抱いた様子で埋めていく。これを心理的防衛反応だというのなら、尾野にはいささか、というよりまったくもって欠けているものであった。尾野はただ、慄くだけであった。たとえ大砲に打ち抜かれたような大穴がその心に空いていたとしても、決して埋めようとはしなかった。心に空いた大穴に吹き込む風の音に、ただただ恐怖するのみであった。恐怖が心を完全に支配すると絶望へと変化し、絶望はやがて全身を蝕み、その人間の生命力を奪ってゆく。


学校が終わり日も沈んだ頃よく、池袋東口のハンバーガー屋に行ってポテトを食べた。そうして窓の外を眺めるのが、いつしか僕の日課のようになっていた。心が不思議と安らぐのだった。街路灯の橙色に撫でられて一層気味の悪さを増した背の高いメタセコイアが好きだった。ヌメリとした黒さをもった木が、わずかな微風でもその輪郭をユラリとさせる様子が、この世の理不尽を艶やかに映し出しているようだった。

「僕はなにをしているのだろう…」窓の外を見ているといつもそんな疑問が湧いてきた。

「なにって。出たいんだろ?学校」

「ぼくはなにをしているのだろう」

「僕は学校を出るのか?」

「出たいって思っているのは僕だろ?」…。そんな自問自答がいつまでも繰り返される。そうやって、ある程度時間が過ぎると満足して帰るのだ。


気が付けば尾野はまた池袋を歩いていた。ただし今は独りだ。愉悦を分かち合った「仲間」も、渡井や折原もいない。自分は今、どん底にいるのだと悟った。目の前にいつものハンバーガー屋の看板が滲んで見える。頭では何も判断できなかったから、体に従って店に入った。いつものように窓際の席に座る。隣に座ったのは、驚くほど母に似ているように見えた。他人から見れば、尾野は一見いつもと変わりのないように見えたかもしれない。だが僕の内面には決して小さくない渦が生じていた。コーヒーを一杯口に含む。するとぼんやりしていた頭が働くようになる。いままで無に近かった心にやっと湧いてきた感情は「怒り」だ。何に対してだろうか。誘惑を放った「仲間」たちか、魅惑的な日々を一瞬で粉砕した教師に対してか、怒りをぶつけ心を揺さぶるように悲しんだ母へか、それともこの事態を招いてしまった自分への怒りなのか…。

答えはその、全てだと思った。尾野はすべてに怒っていた。強いて言うなら尾野が今ここに存在していて、その周りを様々な人、物が囲い、下は固い床で、上には途方もなく空が広がっているこの世界、地球が重力ですべてを引きつけているこの世界、そしてそのような状況を作り出したいわば「神」のようなものに対して怒っていた。そして僕はその時誓ったのだ。「今からでも遅くはない。ここまで僕をコケにしたのだ。死んでも仕返ししてやる」と。いつの間に、こぶしがギュッと握りこまれてわずかに血が滲んでいる。隣に座っていた人間はすでにいなかった。

尾野はもう一度受験を決心した。心の中には常に黒々しい波がうねっていた。禁断の果実に手を出したように、浅はかに思える。本当にこれで良いのか。自分は今、やってはいけないことをやっているのではないか。そんなことが少しでも顔を見せようものなら、途端心の中は嵐になる。心の中と呼応するように視界がぐらぐらと揺れるように感じる。家に帰ると、すでに日付も変わっていたが母はまだ起きていた。薄暗く灯ったダイニングに背を向けて、母はいつものようにキッチンで皿を洗っている。その時だ。母は唐突に言った。

「するんでしょ?受験。」

僕は、そう澄ましたように言い放つ母の口振りに驚き慄いていた。だが同時に嬉しかった。先の分からぬけもの道に案内人が現れたような心持だった。母はわたしに期待するだけの人間ではなく、わたしを導く人間でもあると思えたことがとても、とても嬉しかった。


何の因果か、小学校のときに通っていた塾に再び通うことになった。わたしはその塾ではあまり良い思い出がない。できれば忘れ去りたいものだった。かつて数学を担当していた教師とは、特に犬猿の仲で、一度コテンパに殴られたこともある。だがここにきて再びその事実と対面せねばならなくなった。尾野の中学校は一貫校だったために、制服で塾を歩けば人々から奇異の視線を浴びることになる。わたしにとってそれが苦痛以外の何物でもなった。尾野は良くも悪くも目立つのが嫌いだった。(皮肉なことに結局彼は誰よりも目立つ存在であるのだが)3年ぶりに訪れた塾。扉の前に立ってもすぐにはくぐらなかった。どうしても引き返したいという気持ちはつきまとった。「今ならまだ引き返せる」という声が頭の中で鐘のように鳴り響き、僕の足を、一歩前に踏み出すのをしつこく邪魔してくる。だがここまで来て引き返すわけにもいかない。諦めという名の覚悟を決めて、僕は一歩前へ踏み出した。

今後のスケジュールを話し合い、一段落して今日の所は一度帰ろうかという時、必然のようにあの教師とすれ違った。まったく、自分には偶然には思えなかった。彼は尾野には才能がないと思い、尾野は彼の教師としての能力がないと思っていた。協調の余地などどこにも残されていなかった。目が合った瞬間、互いにいかばかりか目を見開き、先に口を開いたのはどちらだったか、

「お久しぶりです。」言ったのはわたしだったはずだ。

「あれ!?…おう。」その声はわたしの鼓膜を確かに揺らしたはずだが、聞こえない、いや聞かなかったのだ。ただ、口の動きで察しがついた。だが、その次に発せられた言葉は、どうしても避けようがなかった。

「尾野君。その制服は十分君に似合っているよ」僕は聞こえるか聞こえぬかのうちに、反射的にこう答えていた。

「そうですかねえ?では。」頭の中では「似合っている…似合っている…お似合いだよ」と何度も反芻されていたにも関わらず。少し前までの尾野であったなら、心に風穴を開けられて、ただ黙っているしかなかったであろう。しかし、その時は違ったのだ。風穴を開けられたのなら、相手にも風穴を開けてやればよい。反射的に返した疑問形はまったく弱弱しく小さな弾丸であったが、それでもそれは確かに弾丸であったのだ。ここにきてようやく尾野は人間らしさを取り戻しつつあったのだ。今まで数々の弾丸に打ち抜かれ、そしてそれをそのまま放置し続けてきた尾野の心は、無数に空いた穴から冷たい冷気が入り込み、今にも凍え死のうとしていた。尾野自身もそれはわかっていた。いつかその穴をふさがなければ、自分が死んでしまうとわかっていた。そしてそれは今だと理解した。必ずリヴェンジを果たし、皆に尾野に対する判断が間違いであったと認めさせるのだ。命がけの復讐劇だ!   


だがこのやり方は間違いだった。根本からあらゆる意味で間違いだ。尾野の意識は、合格するための目的は、復讐のためだった。復讐が自らの心に空いた穴をふさぐものであるはずがない。それはあくまで弾丸なのだ。それも尾野が放とうとしているものは、一発で様々な人間に放つための散弾のようなものだ。


その年の十一月ごろ、僕は富士を見た。富士は西日を浴びて燃えるように真っ赤に染まっていて、自らの内にメラメラと燃ゆる炎のごとく、どこからともなく紅葉が火の粉のように舞い上がり、そしてどこまでも僕の視界に広がっていた。尾野には志がなかった。始めはすこしの反抗心だったものが、いつしか恨みを晴らす復讐へと変貌していた。自分が怖くなった。まさか。まさかこの自分の内にこれほどまでに研ぎ澄まされた刃が眠っていようとは。だがそれでも前に進まねば。尾野は昼間、学校で従順な普通の生徒を演じ、夜間、塾で孤独に授業を受けた。「学校の仲間」側にも「塾の仲間」側にも属せず、宙ぶらりんの状態が長く続いた。尾野はここで初めて真の孤独とは何たるかを知った。人生で最も苦しく、最も追い込まれ、しかしそれゆえに最も生きていることを実感した時期、それは紛れもなく中学三年に他ならなかった。僕が生きるのかそれとも死ぬのか、それを決定させた間違いなく重要な時期であった。


中学に高校へは進学しないと伝えた時点で、僕には一切の保障が無くなった。十二月の二十六日、クリスマスが終わり、どこか白けた雰囲気のある朝、いつもなら、こういった重大な出来事のあとは決まって必ず重苦しい気持ちになるものだが、不思議と晴れ晴れとした気持がした。学校からのいつもの帰り道、歩道橋に差し込む朝日がまぶしい。どこまでも、透き通る白さを湛えた雲が、まるで空が青いだけでは退屈だとでもいうように存在感を発揮している。受験というのは、直前期が難しい。あれだけ僕の一週間を占領していた塾は、糸の切れた凧のようにふらふらとはるか遠くへ消えていき、学校に至っても、あってないようなものになる。その一か月ただ己との勝負。だが僕はその方がよっぽど気楽だった。ひたすら自分に集中できる環境が好きだった。だがそうはいっても、本当に二,三日前に迫ると緊張が心の許容範囲を逸脱し始める。結局僕はその間ほとんど勉強できなかった。そんなとき、本当に励みになったのは母だった。正確に言うと、母の熱意だ。母は息子の中学受験の失敗から学んだのか、受験番号は早い方が良いと早朝から並び、ある二桁の番号を取ってきた。受験番号一七.

当日、目覚めは悪くなかった。昨日は意外とよく眠れたのだ。ただ、不思議な頭痛があった。脳みその右半分だけが奇妙にも痛みを感じるのだ。左はいたって普通。まるで別々の器官を一つに縫い合わされたような感覚だった。予定の一時間前には最寄りの駅に着いた。受験会場の方とは反対口にある喫茶店に入る。一息つこうとコーヒーを注文した。しかしいつもなら一息つけるはずが、それどころか受け付けず、すぐに腹を下してしまった。いたって冷静でいるようで、その実かなり緊張していたのだ。「人間には無意識というものが存在する」ということをその時はっきりと理解した。

会場の門が見えてきた。外には思ったほど人気が少なかったが、中では大勢の人間の不穏な息遣いが聞こえるのが感じられた。尾野は考えた。ここまで来た以上、もはや後戻りするという選択肢はない。僕が門をくぐったその先から、本当に何があるかわからない。なにが起きるかわからない。きっと、何かしら自分にとって不利益なことも起こるだろう。だがそれは、僕にはどうすることもできないのだ。何かが起こったとしても、結局受け入れるしかないのだ。だったらいっそのこと潔く諦めよう。消極的なものではなく積極的な諦めの気持ちで行こう。誰かが助けてくれるわけではない。結局のところ、自らを救うのは自ら以外にはありえない。そう思うと得体の知れぬ自信が湧いてきた。僕は、自分の唇が「ニヤリ」と曲がって不敵な笑みを浮かべているのがはっきりと分かった。そうして門までくると、あれだけ躊躇していたその一線を、自分でも驚くほど簡単に越えていたのだった。

 

試験終了のチャイムの後、受験生は整然と列をなして教室を後にして行く。試験官からの視点に立てば、尾野という人間は、我々が動物園で見るサルとなんら変わりはない。ただ、番号だけがつけられた動物となんら同じなのだ。それが悔しくてならない。受験というものを経験する度思ってきたことだ。僕が僕であることの証明方法があまりにも少なかった。ただ、解答用紙に言葉を書き連ねること、それだけしか許されないのだ。しかも自由に論述しているわけではない。限られた解法に沿って答えるだけだ。莫迦らしい。本当に馬鹿げている。けれども、そんな馬鹿なことを必死でやらなければ、人生が前に進まないのだから、全くたちの悪いものだ。僕はせめてあのキリンのようであろうと姿勢を伸ばした。


二月十二日、果たして受験番号十七はあった。その瞬間、僕は思わず「よっしゃ!」と声を上げて手を叩いた。一秒後、共に来ていた母と目が合い、互いの目からいつからと知れず涙が溢れていた。

かくして尾野はその復讐劇を果たしてしまった。散弾は発射された。そう確信すると同時に、僕は甘美な無類の幸せを感じたのだった。


「ソフトクリーム、食べるかい」

後ろから肩を叩かれて、突然周りの音がよみがえってきた。しばらく物思いに耽っていたようだ。声をかけても返事がないから、紙月さんは仕方なく肩を叩いたらしい。あの少年の姿はどこにも見えない。

「すみません、ちょっとボーッとしていて…」

不忍池に面した売店で、僕と紙月さんはソフトクリームを買った。僕がバニラで紙月さんが抹茶だ。

「そこに座ろうか。」僕と紙月さんは鵜池を臨めるベンチに並んで腰かけた。

裕くんと瑞穂ちゃんがいつの間にか、一緒に並んでペンギンを見ている。あの少年は何者であったのだろうか。わからない。だが、あの少年の涙の意味はそこはかとなく解るような気がした。

「先生。」

「どうした?」

「先生は自分と出会ったことはありますか?」僕はなんとなく紙月さんに聞いてみた。紙月さんはしばらく黙ったまま、やがておもむろに口を開いた。


「ちょうど僕が君ぐらいの年のころ、つまりは大学生だったのだが、ある日、友人たちと大学近くの居酒屋で飲んでいたんだ。そのときは久しぶりに大いに盛り上がってしまってさ、随分と酔っぱらってしまって気が付いたら懐かしい小学校まで来ていたんだ。そうして校庭の花壇で眠りこけてしまったんだが、そのとき不思議な夢を見た。僕は小学校の校庭に立っていて、周りにはたくさんの子どもたちが元気よく遊んでいて、とても楽しそうだった。ちょうどそのとき、休み時間終了のチャイムが鳴って、子どもたちは集合し始めた。僕もあのときはこうやって整列してたっけ。僕はなつかしさに心震えていたよ。確か一年A組の一番後ろで…。あれ? 僕の目線がそこに移った時、一人の背中に思わず釘づけになった。思わず全身に鳥肌が立ったよ。それはほかでもない、幼き頃の自分そのものだった。僕は気が付いたら“彼”に駆け寄ってた。僕は自分で自分の名前を呼んで、“彼”は不思議そうに、まだ幼さ残る無邪気なほほえみを浮かべてこちらを振り返った。僕は感動で涙が出た。同時にこの、未だ悩みを抱えたことのない純朴な少年が、これから経験するであろう数々の苦難のことを思うと、思わず抱きしめた。“彼”は目を丸くして驚いていたけれど、すぐにまた無邪気なほほえみに戻って僕を抱きしめたんだ。僕は思わず空を見た。金木犀の香りが肌をなでた。そうして目覚めたんだ。花壇を見ると、植わっていたのは昔と変わらぬ金木犀だった。」

そう、つぶやくように言った紙月さんはしばらく空を見上げていた。それから僕と紙月さんは、ほとんど言葉を交わすことなく伯父の家へと帰った。

翌日、まだ夜も明けきらぬうちに紙月さん親子は地元の神戸へと帰っていった。



時は知らぬ間に経ってい行く。悩み、苦しみ、ときには我を忘れるほどに楽しんだ、意識が内に外に向かう間に、時はじわじわと着実に過ぎ去って行く。小石川後楽園へとつづく道には、黄色く色づいた見事なイチョウの木が立ち並んでいる。この葉は時に枯らされてゆくのか。

あれから早二十が年経った。わたしは医師となって市民病院で外科医として働いている。しかし人間とは日々、成長しているのかしていないのか、よくわからない生き物だ。わたしは今でも「役割」との葛藤に苦しんでいる。母に代わった伯父の望むような結果を出して、いずれは伯父の望むようにクリニックを継がねばならない。自分がなぜ医学を学んでいるのか、時々分からなくなることもある。だが医学を選んだのは紛れもない“わたし”だった。自らの意志で選んだ道を歩める僕は、どうしようもなく幸せ者だ。


わたしを頼るものには 真摯に応え 

わたしを救うものには 真心を込める

 キリストのように愛することはできないけれども 

わたしは理解することはできる


人間は遅かれ早かれ死ぬ。現状存在するすべての治療法を駆使し、新たなる治療法を模索し、絶え間ない病魔との戦いの末、人間は死んでゆく。最善を尽くしても、ほとんど効果なく死んでゆく人間もある。だがそれでも、患者に尽し、医学に貢献することこそ、私は医師の役目だと信じている。

一年程前、紙月さんが胆道癌で死んだ。六十四歳だった。早すぎる彼の死にわたしはとてもショックを受けた。だが、わたし以上に深くショックを受けていたのは、紙月さんと大の親友であった伯父であった。死ぬ間際、紙月さんは伯父にこう言い残した。


飛ぶ鳥の 声も聞こえぬ 奥山の 深き心を 人は知らなむ (古今和歌集 五三五番)


そのとき、紙月さんの目には何が映っていたのか、伯父には解っていたのだろうか。紙月さんが息を引き取った後、伯父はかなりやつれた顔でそっと呟くように言った。

「人の気持ちは物質ではないんだ。だから細かく分析した途端に霧散してしまう。雰囲気のようなものが大事なんだな…」

わたしは今でもその言葉を忘れることはない。



わたしが初めて伯父に会ったのは、小学校四年のときだった。母方の祖父母の家が水戸にあったものだから、学校が休みになるとよく遊びに行っていた。いつもは海外の病院や学会に出席するとかで、滅多に顔を出さない伯父であったが、その年のお盆の頃だけは帰って来ていた。

墓参りを終えた後、伯父は唐突にわたしを釣りに誘った。

「正也君。早起きは大丈夫かね」

「はあ…ええ、大丈夫ですけど…」

「ならば明日大洗にでも行ってみるか。アジ、サバならたくさん釣れるぞ」

「ほんとですか!是非行きたいです!」

「決まりだな。寝坊するなよ!」

そう言って伯父は、昔の朋友に久しぶりに会うとかで意気揚々と街に繰り出していった。夏の茹だるような熱い日だった。

わたしはその日は眠れなかった。釣りは鯉ならやったことがあるが、海に乗り出したことはない。鯉は食えぬが、アジやサバは食べられるのだ!自ら釣った魚を自らが食う。これほど充実したことはないだろうと、ワクワクして眠るどころではなかった。

朝四時ごろ、二階で寝ていたわたしはエンジンのかかる音で目が覚めた。幼いわたしは急いで布団をたたみ、横で寝る母と妹を起こさないようにそっと足を忍ばせながら、部屋を出て階段を降りた。玄関まで来てみると、ドアは開け放たれていて、伯父がトランクに釣り道具をせっせと詰め込んでいるのが見えた。

「おーい!さっさと着かえて来な。もう出発するぞ!」

伯父のハキハキした声が、まだ寝ぼけた脳みそを揺さぶり起こす。

「はーい!」なんて、深く考えずに、伯父に聞こえるようにとにかく大きな声出したら、「うるさい!」と、誰かが大きくため息をついた。わたしはマッハの速度で着かえを済ますと、コンマの世界で伯父の車に乗り込んだ。


周りに響く「ドーン」と波が磯にぶつかる音の向こうに、眩しい朝日が昇ってくる。伯父とわたしは陽の光に照らされながら、釣りの準備に黙々と取り掛かった。

「そこを…そう、そのまま引っ張ってて」伯父は外科医だけあって糸の扱いが並はずれて上手い。幼いわたしはそんな伯父の姿に尊敬の念を抱いた。

「そらできたぞ。正也君はこれを使いなさい。僕のは今から組み立てる」

そう言われて無造作に渡された釣竿は光り輝いて見えた。釣竿から垂れた糸の先に、金色に輝く綺麗な弧を描いた鋭い針がついている。わたしはそこにエサのゴカイをつけようとしたが、上手くつけられない。つまんで針を刺そうとすると、身をくねらせて、必死に逃れようと試みている。ついには人差し指に噛みついた。

「いてっ」驚きと鋭い痛みに声が出た。

「どれ、かしてみ」見かねた伯父はわたしから針とゴカイを取り上げると、ささっと、ものの二三秒で針を通した。ゴカイはすんなり大人しくなる。

「ありがとう、伯父さん!」またしても尾野の目に尊敬の色が浮かぶ。だが同時に勝てないと思った。自分がいつか伯父と同じ年齢になった時、わたしは伯父を超えているだろうか。自分にはとても信じられなかった。それがちょっぴり悔しかった。

正午を過ぎて太陽が南中した頃になっても、魚は一向に釣れそうになかった。伯父はというと、わたしより二十分ほど遅れて釣り糸を投入したにもかかわらず、すでに二三匹のアジを釣り上げていた。釣りというものは誰かと一緒にやるべきではない。必ず一人で臨むべきだ。なぜなら、人が自分よりも多く釣っていると無性にイライラして来る。まして自分がまったく連れていないのに、となりでわんさか釣られた日には腹の虫が治まらなくなる。

「そろそろ昼飯にしようか」伯父が竿を置いて、今朝車で来る途中、コンビニで買ってきたおにぎりとパンをビニールの袋から取り出し始める。わたしはとても不愉快だったが、それでも腹は減っていたので、鮭おにぎりとレーズンパンを無理矢理口に詰め込んだ。

「そんなに急いで食べたら胃がんになるぞ!」伯父は上機嫌で笑いながらそんなことを言う。わたしは増々不愉快になった。こうなったら何としても釣り上げてやらねば。そう決心してわたしは再び海と向き合った。

伯父は釣りの方法を一切教えようとしなかった。ぴくとも動かない浮きと向かい合うわたしとは対照的に、相変わらず伯父は調子よくアジやサバを釣り上げている。やがて太陽は下りてきて刻一刻と地平線に近づいてゆく。わたしはもう諦めようと思った。最後の一投だと決心して、釣り糸を海へ投げ入れる。すると最後の最後で願っていた瞬間が来た。今度は勢いよく浮きが海へと沈み込んだのだ。わたしは素早く竿を立てる。魚の暴れまわる動きが振動となって竿を持つわたしの手にビシビシと伝わってきた。わたしは逸る気持ちを抑えて慎重に糸を引き上げてゆく。隣で伯父が釣竿を置き、網を手にしてやってくるのが横目に見えた。糸をくわえた小さな魚が海面をバタバタもがいている。伯父が網に魚を捕らえたとき、思わず笑みがこぼれた。

海の向こうに今日という日が去ってゆく。釣竿をたたんでトランクに詰め込み、伯父と私を乗せた車が勢いよく走り出す。わたしの釣った魚はアジでもサバでも、イワシでもなく、ボラといった。とても食べられるような魚ではなかったが、それでもわたしには満足だった。釣り上げたという事実に確かな自信が芽生えた。

「人間にとって幸福とは快楽ではない。それはほとんどの場合、勝利である。」伯父は車を運転しながら、そう、豪語した。今日という一日を通して、勝利することの、人の心をどれ程満たすかを味わった幼いわたしには、真剣に頷けるほどの説得力があると思えた。その身をもって勝利を体現する伯父に、深い尊敬の念を抱いた。窓から外を見ると、遠く、筑波山の見えるさらに遠くに、うっすらと大きくそびえ立つ山が見えた。それは何者をも寄せ付けぬ、全てを蒸発させるような熱に粋な雪衣は脱がされ、そびえ立つように青黒い肌を露出させた葉月富士であった。



師走も終わりに近づいたころ、わたしは、南足柄の町に古くからあるお寺へ伯父と共に出向いた。その日が紙月さんの一周忌だったためだ。参拝を済ませ車を走らせていると、仁王像が有名な山の中腹あたりで一面の杉林を抜けると突然、大きな黄金色の満月に出会った。眼下に広がる町の美しい光の玉たちを従えて、黄金の月は町の頭上に鎮座している。ショパンの夜想曲が聞こえてきそうだと思った。

「見事な景色ですね」わたしは伯父を労わるように話しかけた。

「ああ。こういうのも良いもんだな」伯父は、どこか遠いところを見ているように、虚ろな目で呟いた。

「ちょっと写真、取ってきますね」わたしは伯父を置いて車の外に出た。竜の息吹のように芯の冷える空気がわたしを包む。最近の伯父は、ひどく元気がない。あれほど自信に満ちた姿で、勝者の化身のようだった伯父が、熱のないシャボン玉のような言葉を吐くようになった。ついて出た溜息が白い塊となって空へと昇っていく。わたしは、伯父への思いを振り払うように少しだけ山を登った。やがて振り返ると、月はさっきよりも落ち着いた位置で街を温かく照らしている。何度見ても美しい。幻想の世界の産物が、今日だけは事実なのだと悟った。わたしはシャッターを押して、パシャッと歯切れの良い音と共に、月と街を一枚の写真に押し込めた。「きっと紙月さんも見ているに違いない。今日は何だかツいてる日だ。」取れた写真から、そんなことを連想した。

ふと横に目を向けてみれば、杉林に向かって小さなけものが小道を走り抜けてゆく。普段なら絶対立ち入らないような場所に、なんだか今日は行ってみたくなる。恐怖心よりも好奇心の方が勝って、私は少しだけ辿ってみることにした。上着に着たジャンパーの擦れる音が、やけに大きく聞こえるが、幸いいつもより強めの月明かりが道を優しくと照らしてくれている。しばらく歩くと、屋根に少し雪の積もった小屋が見えてきた。しかもどうやら先客がいるらしい。近づいてみると、わたしより少し背の低い初老の男が一心不乱になにかを見ている。

「なにか見えますか」わたしはその男に話しかけた。

すると、その男はわたしがくるのを待っていたかのように、何かを見たまま口を開いた。

「おまえはまだ、五月の富士に魅かれるのかもしれないが。」

見ると、あの紙月さんが好きだった富士。純白の雪衣にすっかり身を包み、澄んだ空気に身をおいて、冷たくも柔らかな月光を一身に浴びてボーッと光る、神秘的な富士だった。

「人生は終わったように見えても、必ず続いてゆくもんさ。苦しいときは、神に祈りたくもなるが、結局自分を助けるのは、どん底に突き当たる度、こんなところでくたばってたまるかと、太平洋の大波のように湧いてくる激烈な闘志だ。わたしはそれがあったから今まで何とか生き延びてきた。おまえにもそれがあることを忘れるな。」

そう、言葉を残して男は去ってゆく。尾野の耳にはしばらくその男の言葉がこだましている。はっと振り返ると、猫背が特徴的な姿で重い足取りで歩いてゆく、男の後ろ姿が夜の色に溶け込んでいった。


車に戻ると、伯父は助手席で眠っているようだ。わたしは運転席に乗り込み、首にかけたカメラをそっと後部座席に乗せた。すると寝ていたと思った伯父は、ゆっくり目を開けて唐突にわたしにこう言った。

「正也君、僕の病院を継いでくれるか」

「…」しばらくの沈黙の後、

わたしはゆっくりと答えた。

「もちろんです」

「そうか…ありがとう。」

そう言って伯父は安心したようにまた目をつむった。わたしは少しほっとしながら、気を引き締めてアクセルを踏み込む。車は前へと勢いよくとび出した。


尾野と尾野の伯父を乗せた車は山を下りてゆく。いつしか、大きなボタン雪がしんしんと降り始めた。尾野はこの幻想的な世界から尾野を取り囲むあの現実の世界へと、自らの意志で戻ってゆく。尾野と伯父を乗せた車の赤いブレーキランプは、やがて平たい街の灯りへと呑み込まれていった。


沢山の人に読んでほしい。ただ、それだけです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ