思い出の花冠
序盤はプラトニック風味ですが、佳境からはシリアス気味です。
これは、死病の牙がチェルシーを襲う前の一時の物語――
北の最果ての魔神城。
それから歩いて、わずかなところに拓けた草原。
太陽の光に照らされながら、そこに二人の人物が立っていた。
「風が気持ち良いですー」
「そうか、それは良かった。
君が喜んでくれて、私は嬉しいよ」
深呼吸して、草原に満ちる空気を美味しそうに吸っている長い金髪の少女。
その名をチェルシーと言った。
チェルシーの様子を隣で微笑ましく感じているのは、漆黒の大翼を有し王者の威を纏った黒い髪の男。
魔神城の主である、黒き魔神チェルノボークである。
何故、彼らが魔神城から離れて草原にいるのか。
それは昨夜にまで遡る――。
‡
「チェルシー、物憂げな顔をしてどうしたというんだ?
私で良ければ、訳を言ってくれないか?」
魔神城にあるチェルシーの寝室。
そこで紅茶を楽しんでいたチェルノボークは、憂いを秘めた表情をしているチェルシーを見て、心配そうに聞いた。
「チェルノボーク様の気を気遣わせてしまいすみません。
ただ、最近、城の中にいたので自然を見ていないなーって思いまして。
そうしたら、何故か悲しくなったんですー」
沈んでいた顔の素振りを見せず、問われたチェルシーは素直に答えた。
「そうだったのか。城の中の景色では、自然が見づらいの確かだ。
チェルシーは自然が見たいのか?」
「はいー。できればお花とかが見たいですねー」
「そうか。この城の近くに草原があるが、明日にでも見に行ってみるか?」
「本当ですかー! 行って見たいですー!」
チェルノボークの言葉を聞いて、チェルシーは驚いたように目を思いっきり開いた。
「ああ、君の憂いが晴れて良かったよ。
君はやっぱり、笑っていた方が似合うから」
「チェルノボーク様……!」
太陽に照らされたひまわりを思わせるほど、元気を取り戻したチェルシーの行動を見たチェルノボークは、ほめ言葉を紡ぎ出す。
そして、それを聞いたチェルシーは嬉しさのあまり熟したトマトのように顔を真っ赤にしてしまった。
「……チ、チェルシー、顔が真っ赤だが大丈夫か?」
自分の言った言葉がチェルシーの顔を赤くさせていることに気づかないチェルノボークは、少しだが慌てながらもチェルシーに近づくと、彼女の額に自身の無骨な手を置いて熱を計り始めた。
「チェ、チェルノボーク様のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんー。
あたしは大丈夫ですので、離しても構いませんよー」
額に手を置かれたチェルシーは、動揺しながら体調が良好であることを伝える。
「熱は無いようだが、明日のためにもう休んだほうが良いだろうな。
ベットまで運ぶから、君はもう寝ていなさい」
「……分かりましたー。その通りにしますー……」
チェルノボークに自らの身体を任せたチェルシーは、チェルノボークの温もりを肌で感じながら微笑む。
「チェルノボーク様、お休みなさいー」
「ああ、お休みなさい。また明日な」
ベットの中に入ったチェルシーの眠りの言葉に、チェルノボークは一言だけ返す。
毎夜繰り返されるやり取りを経て、約束の朝が訪れた。
そう。元気なチェルシーがチェルノボークと一緒に、魔神城の近くにある草原へ行く約束の日が――。
‡
穏やかに吹き抜ける風と優しく照らす太陽の光。
北の最果てとは思えない自然に愛された草原で、チェルシーは笑っていた。
「こんな気持ち良いところに来れて、嬉しいですー」
「私も君にこの場所を教えて良かったと思う。
ここは私の好きな場所でもあるからね」
案内人であるチェルノボークも嬉しそうに笑う。
「ああ、もう少し行くと花畑があるから、見に行くかい?
カモミールが一面に咲いているから綺麗だと思うよ」
「お花ですかー? それは見に行きたいですー!」
チェルノボークから白い花を咲かすカモミールの花畑があることを聞いたチェルシーは、好奇心を全開にして。
野ウサギが飛び跳ねるように、花畑が見れる喜びを全身で表した。
「そんなに急かさなくても、花畑は逃げやしないよ。
それに、陽もまだあるから焦らなくても大丈夫だ」
子供のようにはしゃぐチェルシーを見ながら、傍らで微笑ましく笑うチェルノボーク。
娘を見守る父親のような気持ちになりながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべながら言った。
「それは分かりますー。でも気になってしまうんですよー」
「そうかい。なら、君の意思通りに行こうか」
チェルノボークはそう言ってからチェルシーの手を取ると、カモミールが咲く花畑へと歩き出した――。
‡
「さあ、着いたよ。ここがカモミールの花畑だ」
「うわー、カモミールがいっぱいできれいですー!」
草原から少し歩いた場所に広がっていたのは、緑の絨毯を彩らせる白い花々が咲き乱れる、カモミールの花畑だった。
「日が暮れるまで時間は十分にあるから、ここで遊んだらどうだい?
それに、カモミールを摘めばハーブティーにすることができるよ」
「それは楽しみですー!」
カモミールに限らず、大体のハーブティーには心を和ませる効果がある。
それに、今日摘んだカモミールでハーブティーを注げば、チェルシーの物憂げな表情は晴れてくれるだろう。
カモミールの花畑ではしゃぎ回るチェルシーを見て、チェルノボークはそう思った――。
「チェルシーは何をしているんだ?」
ふと見ると、チェルシーがはしゃぎ回るのを止めて、カモミールの花畑の一角に座っていた。
チェルノボークから見て、後ろ姿だから何をやっているのか分からないが、カモミールの花を摘んでいるらしい。
「花束を作っているにしては、時間がかかっているようだが……。
もしかしたら、あれなのか?
なら、完成するまで待っていよう。
チェルシーに喜んでもらいたいしな」
チェルシーの様子から、カモミールの花で何をしているのか察したチェルノボークは、その過程を見守るようにして微笑んだ。
愛する者が喜ぶことなら、――それがなんなのか知っているなら――黙っているのも一つの優しさなのだから――。
「……これをこうしてー、ああしてー。
……ふふ、順調なのですー。
これを上げたら、チェルノボーク様は喜んでくれますよねー。
……楽しみですー」
カモミールの花畑の一角に座っていたチェルシーは、数輪ほどのカモミールを摘んでから。
その茎を一生懸命に手先を使って編み繋いでいく。
頑張って、頑張って。少しずつ伸ばしていく。
微笑みを浮かべながら。渡す瞬間を思い浮かべながら。
一輪一輪、しっかりと思いを込めて編み込んでゆく。
カモミールの花畑へと、連れて行ってくれた記念品を作るために。
喜びの時の思い出を抱くために。
チェルシーは――を作っていたのだ。
愛する主であるチェルノボークのために――。
「チェルシー。作っていたものは完成したかい?」
花編みをしている頃合いを見計らって、チェルノボークはチェルシーに声をかけた。
「は、はいー。なんとか完成しましたー」
花編みに熱中していたであろうチェルシーは、不意を突かれたような返事をする。
「そうかい、それは良かったね。
そろそろ日が暮れ始めるから、城に戻ろうか。
ところで、何を作っていたんだい?」
空を見ると、遠くの方から宵闇がうっすらと出てきた。
数刻もすると、北の最果ても夜を迎える。
寒さが覆う夜の時が。
魔神であるチェルノボークなら一人でも大丈夫だろう。
しかし、チェルシーは人間だ。
人の身では、北の最果ての寒さは、芯を凍てつかせるほどに辛いものとなる。
それを心配して、チェルノボークは今の内に魔神城に戻ることにしたのだ。
「はいー。分かりましたー。
その前に、これを渡しても良いですかー?」
チェルシーは手に持っていた花編みで作ったもの――カモミールの花冠をチェルノボークに見せた。
「これを私にかい?」
「そうですー。今日の記念にと思って作ったんですー。
もしかして、お気に召しませんでしたかー……?」
「そんなことないよ。チェルシー、ありがとう。
君が作ったものなら、何でも嬉しいよ」
「こちらこそ、ありがとうございますー。
そう言ってもらえて、あたしも嬉しいですー」
チェルノボークは笑顔で微笑むように言った。
その笑顔は、チェルシーの心に差した陰りを晴らし、太陽のような笑みを浮かばせた。
形は何であれ、たった一人を笑顔にすること。
それは万人を笑顔にすることよりも、はるかに価値があることだ。
「さぁ、そろそろ行こう。
君が風邪を引いてしまう前にね」
「はいー。分かりましたー」
白いカモミールの花冠で頭に乗せながら、チェルシーへと手を伸ばすチェルノボーク。
その手を握りしめながら、チェルシーは願った。
――どうか、この時がずっと続きますように――と。
‡
「今日は寝ているのか……。
チェルシー、早く良くなってくれ……」
魔神城にあるチェルシーの寝室。
そこにあるベットには、チェルシーが横たわっている。
「……うぅ……」
すやすやとした寝息ではない。
うなされているような苦難が、チェルシーの顔を歪ませていた。
「チェルシー……私には君の苦しみを晴らすことができない。
そのことが歯痒く思うよ……」
愛する者の苦痛をただ見ていることしかできないのは、胸が切り裂かれるほどに心が痛むもの。
黒き魔神であるチェルノボークも例外ではない。
「君が病に……死病に苦しむことになったのは、何故だろうか。
何故、私ではなく君なんだ。
君を蝕んでいる死病の苦しみを、私が代わることができたなら……!
そうすれば、君は苦しむから解放されるだろうに……。
どうして、私では無いのか……」
チェルノボークは嘆いていた。
愛する者を救えない自分自身を。
ただ、死を振り招くことしかできない、黒き魔神である自分を。
「チェルシー……君を救うことなら、私は何だってやろう。
君を蝕んでいる死病を晴らせるなら、この身をいくらでも捧げよう。
だからこそ、君を救うことができる時まで、病に負けないでほしい。
その時まで待っていてくれ……。
それが私からの願いだ」
チェルノボークは強い意志を込めて言葉を紡いだ。
その言葉が眠っているチェルシーに聞こえているかは分からない。
されど、思いは伝わっていることだろう。
愛しき思いを裁つことなど、誰もできはしないのだから。
しかし、運命は非情の道を歩ませる。
縋った希望は、肥大した野心に付け込まれ。
絶望の嘲笑が響き渡る。
偽りをもって築いた栄光は、真摯な思いを打ち砕く。
されど、その非情の先にあるのは奇妙な救い。
絶望が振るう野心なる正義は、救出者によって斬り滅ぶ。
蝕んでいた死病すらも、払い除かれる。
神格の喪失を代償に、救いの光は差すのだから――。
《終》
佳境のシリアスは、本編に合わせるためにそうなりました。
お読みくださり、ありがとうございました。