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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Auriga】 ~Hoedus Secundus~
86/424

5

 本来は三段櫂船は居住区画が無いものらしいが、キルクスの場合は金に任せてあちこち弄っているらしく――昼にあれこれと自慢されたが、ほとんど聞き逃したし、戦闘で使えそうな改造部分しか憶えていない――、この船では、夜間に上陸して野営せずに済ますための最低限の設備が乗せられていた。

 簡易的な調理室――もっとも、火は使えないそうだが――に、区切られた寝所――櫂を突き出す隙間に布を張って簡易的な個室にしているだけで、そもそも下級兵は毛布で地べたに寝るしかない――等が設置されている。

 また、一部の人間、俺とエレオノーレ、キルクスとイオ、ドクシアディスと何名かの士官だけには、船尾近くの多少は広い場所に、木枠と藁、シーツの簡易的な寝床を用意されていた。


 仕事を終えると陽も落ちていたので、オイルランプに火を点け、キルクスに用意させた資料に目を通す作業を続ける。アテーナイヱの法律、市のシステム、基本戦術。殆んどは当たり障りの無い資料だったが、複数の本来は関係ない資料を見比べれば、本質に行き当たることもある。

 例えば、関係の深い国家、潜在的に敵対している国家、同盟を結ぶ準備段階にある国家、そんなものが、町で演じられる演劇の演目や、領事館への人や物資の移動、外交使節の来訪暦から見える。

 ここの戦争の後は、クレーテを目指すのがいいか。

 状況次第だが……。出来ればキルクスとは取引が続けられるように海洋商業国に滞在したいが、しばらくはアテーナイヱと関わらずに大人しくしている方がいいからな。


 考えをまとめ、明日には接敵するんだしそろそろ寝ておくか、と、思った時、布の仕切り越しに小さな声が聞こえて来た。

「アル。その、起きてる」

 俺をそんな風に呼ぶのはひとりだけだ。間髪いれずに俺はエレオノーレ……いや、エルに答えて、部屋に招き入れた。

「ああ、入れ」

 おずおずと、布の仕切りを捲ってエルが入ってきた。寝る前だからなのか、今は髪を降ろしている。グリーンの綺麗な瞳は、しかしながら、今は、俺が一番嫌いな不安や迷いで揺れていた。

 エルは、座っている俺の目の前に立ち、伏目がちに訊いてきた。

「アル、その……怒ってる?」

 怒るようなことをしたのかといぶかしんだのは最初だけで、アテーナイヱに加担すると決めたあの日の質問の続きだと気付き――。

 しかし、別に俺はもうどうとも思っていない部分だったので、返事に困った。だってそうだろ? 戦争は始まっており、俺たちは既に巻き込まれている。

 なら、戦って生き延びることだけを考えるべきだ。

「前も言ったが、そう思う理由を話せ」

 真剣な顔のエルに、俺もあの日と同じように訊き返してみる。

 エルが、なにを考えているのか、知りたくて。

「うん……」

 エルは小さく頷いて、ゆっくりと話し始めた。

「私は、アテーナイヱの人を助けたいって思ったけど、でも、アルが連れて来た人達と話していると。その……」

「アヱギーナを悪人だと思えなくなった」

 言い難そうにしていたので、続く台詞を先読みして口に出す。

 エルは素直に頷いた。

「うん。それに――」

 言いかけたエルは、語尾を伸ばして視線を泳がせた。

 言え、と、顎で促してみる。

「助けるための行動も、私が思っていたのとは違って……でも、誰もそれをおかしいって言わなくて、私だけが、ひとりで置いて行かれていて……」

 エルがどんな手段でアテーナイヱを助ける気だったのかは知らないが、きっと、年端の行かない子供に聞かせる寝物語のように、甘くて安易な案だったのだろう。最後は、皆で平和に暮らしました、めでたしめでたし、みたいな。

 現実はそんな風に行くものか。

 例え戦争が終わっても、しばらくは復讐の応酬が続くはずだしな。

 今はもう無いエルの母国でもそうだったと聞いている。戦後に反乱があり、その反乱が壊滅させられ、それを何度か繰り返し、メセタニアの人口が大きく減った。ラケルデモンの管理下で家畜になるしかない程に。

「ほんと、は、参加しちゃ、いけなかったのかな? って、アルは止めてくれたし」

 俯き、鼻に掛かった声で話すエルの様子に、ふぅ、と、短く溜息を吐く。

「慰めが欲しいだけか? 間違ってない、俺が誰も彼も助けてやるとでもいえばいいのか?」

 ぐ、と、右手をエルの右頬に当て顔を上げさせる。

 エルは真っ直ぐに俺の顔を見たが、すぐに視線を外し、部屋の隅の壁へと視線を逃がしてしまった。

 だから、言葉で追い撃つ。

「甘えるな。経緯はどうあれ、決めたのは、エル、お前自身だ。予想出来た出来ないじゃない、起こる全ての責任は、決めた自分自身で負うしかないものだ」

「うん」

「俺はお前を責めない。そして、この戦争で死なせもしない。が、お前を生き延びさせるためにそれ以外は、必要なら死地へと送り出す」

「そ!」

 エルが俺の方へと向き直り、鼻がぶつかるほど顔を近付けて抗議してきた。

「そんなのダメだ! 私が参加を決めたんだから、そういう場面では私も!」

 視線がぶつける。

 一呼吸の間を置いて、エルを少し落ち着けてから、静かに抑揚を抑えた声で俺は言った。

「ダメだ」

 なにか言い返そうとしたエルを遮って俺は続ける。

「これは、俺とお前の戦争じゃない。俺は……」

 言いかけて、なぜか言葉が詰まった。流れが止まると、なにを言おうとしたのかもう思い出せなかった。『俺は……』なんだ? どうしようってんだろうな。

「……アル?」

 エルの戸惑った顔が目の前にある。

「俺は、俺の戦争を遂行するために、お前をここで死なせない」

 さっき言おうとした台詞か否かは定かじゃないが、客観的事実を俺は口にした。

 そう、これはアテーナイヱとアヱギーナの戦争で、俺とエルが行うべき戦争じゃ無い。俺が確かに俺は兵隊が欲しいが、それはここじゃなくても構わない。エルに関しては、そもそも戦いを望まない人間だ。

 巻き込まれて死ぬなんて、そんなくだらない結末を迎えるつもりも迎えさせるつもりも無い。

「寝ておけ。きちんと休めるのは今日だけだ」

 いまひとつ釈然としない顔をしているエルに、それだけ言って会話を打ち切る。

「うん。でも――」

 エルは部屋から出て行こうとはしていなかった。

「不安ならここで寝ろ。現状、この船には主義も信条も目的も違う色んなヤツが乗り込んでるんだ。誰も彼も、完全には敵じゃないと言い切れない」

 俺としては、一応、エルを慮ったつもりだったんだが、エルは頬をかいて変な顔をしていた。

 だが、時間も遅いし今更あれこれ追求する必要も感じなかったので、寝台を指差して付け加えた。

「守ってやるから、休んでおけ」

 木の枠に干草を引いてシーツを被せた寝床をエルに譲り、木枠に背を預けて、剣の柄に右手を這わす。ベッドの使用権の言い合いをする気はない。

 目を閉じ、寝たふりを決め込むと、クスクスとエルが笑う声がして、ランプが消された気配がした。

「うん。ごめんなさい」

 宵闇の中、そんな声が優しく――部屋に入ってきた時の暗い色を感じさせない調子で、小さく響いた。

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