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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Auriga】 ~Capella~
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2

 出てくる料理を片っ端から腹に収め、食事を終えた頃には夜はどっぷりとくれていた。

 キルクス達は部屋を用意するといってくれたが、余分な着替えなんかの荷物は宿の部屋に置きっぱなしだったし、宿代の清算も必要なので今夜は塒に戻ることにした。

 領事館から充分に離れ、尾行がないことを確認してから俺はおもむろにエレオノーレに切り出す。

「お前、分かってるのか? これから加担しようとしてるのは、戦争なんだぞ? 今日みたいな小競り合いじゃない、本当の戦場に行く気か?」

 実の所、アヱギーナからの襲撃の危険もあるのに夜に戻ると言ったのは、意思確認……いや、エレオノーレを思い止まらせるのが最大の目的だった。このまま済し崩し的に向こうのペースに巻き込まれれば、気付いたら戦場まで引っ張られているだろうから。

 しかし、豪勢な食事を欲張りすぎたのか、少し苦しそうな様子のエレオノーレは、俺の気遣いに気付かないのか、目を吊り上げて言い返してきあがったた。

「あの人達が、戦死したり、奴隷に身をやつしても良いと言うのか?」

 こういう返しは久しぶりだな、と、思うと同時に、その言い草を少し意外に感じもしたんだが――ようやく気付いてしまった。どうやら、エレオノーレは、かつては奴隷だった自分自身の境遇を必要以上にあの二人に投影しているみたいだ。

 いや、気付けなかった俺がどうかしていたのか。あの時の逃走劇の際にも、立ち寄った奴隷の村で裏切られるまでは随分と心を許していたようだったし。

 ふ――、と、夜空に長く息を吐く。

「俺が言っているのは、そこだけの話じゃない」

 ラケルデモン内のあの状況とは今が全く異なることを、意固地になったこの女にどう理解させたものか。

「うん?」

「アイツ等に優しくすることで、他の人間を傷つけることになる」

「なぜ?」

 エレオノーレは、やはり分かっていない顔をしていた。

 ただ、一拍後にはくしゃりと破顔してどこか楽しそうに言葉を続けた。

「でも、アーベルが私を止めるなんて珍しいな」

「アァ?」

「戦いが好きなんじゃなかったの?」

 腰をかがめたエレオノーレが下から覗き込むようにして俺の目を見ている。試すような瞳が、心の表面をざわざわとなぞった。

 ……正直な所、俺だけの問題として見れば、どっちでも良い問題ではあった。いや、多分、俺ひとりでいたなら介入しただろう。戦争に巻き込まれれば、自分自身で軍閥を組織するもの容易だし、一応とはいえ権力側のキルクスを上手く使えばアヱギーナもしくはアテーナイヱの領土の一部をかっぱらうことも出来る。ラケルデモンで学んだ用兵の技術と、自分自身の実戦での強さを確かめるのも面白そうだ。

 敵だろうが味方だろうが、死んだらそいつが弱かったってだけの話だし、戦争で死体の数を数えることに意味なんて無い。自分自身が生き残り、最後に勝ってればいいんだ。それが正義だ。

 ただ――。

 この女をそういう場所に連れて行くというのが、なんだか、な。

 上手く言えないが、エレオノーレが戦争に介入するのは、なにかが違う気がした。それにエレオノーレは、アテーナイヱに感情移入しすぎているのも問題だ。一方だけが悪という状況は、戦争では在り得ないんだが、どうにも奴隷だった時の単純な善悪の構図から思考が進歩できていない。


 ああ、そうか。この女が折角手に入れた――望んでいた――平穏を、無駄な御節介と思い込みで手放すのが、俺はなんだか面白くなかったのか……。これまでを、ないがしろにされたような気がして。

 優しいエレオノーレに対して、戦場は非情な現実でしかない。

 ――フン。

「好きにしろ」

 呟くように吐き出した声は、自分でも諦めたような調子に聞こえた。そんなつもりはなかったのに。まったく、俺は、この女をどうしたいのかな。どんな風に生きてくれれば納得出来るんだろうか?

 いずれにしても、俺とは違った生き方をしてもらいたいものだ。

「……え?」

 エレオノーレが、迷子の子供のような顔になった。

 ん? と、その変化に首をかしげていると、ギュッと強く腕を引かれ、ようやく見捨てたと思われたのだと気付いた。

 ったく、と、舌打ちしてから苦笑いする。

「お前が行くと言うなら付いて行く。ただ、即断するな。戦争に善悪は無い。あるのは勝敗だけだ。どちらが勝っても、その真理はなにも変わらない。……今夜休みながらじっくりと考えろ」

「うん……」

 エレオノーレは、まだどこかしょげたような顔で頷き――、でも、そのすぐ後で、無邪気を装った声で訊ねてきた。

「そういえば、さっきのアレはなんだったのだ?」

「ん?」

「ウーティスと名乗ったのは?」

 このバカ、と、罵りかけたが歴史につてはまだほとんど手付かずだったのを思い出して、どうにも肩の力が抜けてしまった。

 エレオノーレは真面目ではあるんだが、あまり物覚えがよくない。

 日常の金の遣り取りに必要な簡単な算術と、都市生活の作法を教えるだけで――いや、それさえもまだ完全にマスターしたとはいえないが――この数ヶ月は終わっていた。歴史以外にも、各地の文化、芸術、科学や哲学に関してもほとんど手付かずのままだ。

「……ああ、そうか、オデュッセイアはまだだったな。あれは、オデュッセイアの一節なんだ」

 のっけから理解を諦めたような顔をしたエレオノーレに、噛んで含めるように簡単な言葉を選んで説明を続ける。

「一つ目の人食いの巨人を倒す際に、他の巨人に助けを呼ばれないようにするために、オデュッセウスはウーティス……つまり、誰もいないと名乗って切り抜ける。そういう話だ」

 ざっと引用した部分のあらましを語ってやっても、エレオノーレはやっぱり深い意味を理解しなかった。

「それで?」

 無邪気に訊き返してきた額を軽くグーでノックする。

「血の巡りの悪い女だな」

 ぶたれた額を押さえたエレオノーレが、微かに頬を膨らませて非難するような目を俺に向けた。

「まず、俺の家族名を知らせないため。ラケルデモンはこの戦争に干渉していないからな。それから、下手に俺達が交渉材料になってラケルデモンを引っ張ってこようと画策されるのを防ぐため、敵を倒して逃げた故事を引っ張ってきた。一つ目の巨人と同じ目にあいたくないだろう、という恫喝の意味で」

 もっとも、俺等をだしにラケルデモンを引っ張ってこようとなんてしたら、犯罪者の一味とみなされて即殺されるとは思うが、あの連中はそこまでの事情を知らない――言うつもりもない――からな。

「は――」

 ただただ感心したようにそんな声を上げているエレオノーレに、小バカにしたような目を向ける。

「殺しを否定しつつ戦争に介入するなら、頭を使えよ」

 エレオノーレは何か言い返したそうな視線を向けてきたが、結局口は動かなかった。

 だから俺が会話を続ける。

「更に言えば、その後、セイレーンの海を切り抜ける話もあるが、その際、セイレーン達はオデュッセウスを惑わせなかったことを恥じて海底へ沈んでいる」

「…………」

 エレオノーレは、もう完全についてこれていない顔で沈黙している。が、それに構わずに俺は話し続けた。一度始めた解説を中途半端にすると、なんだか気になって仕方が無いから。

「味方にしようと足掻くよりも、すべきことがあるんじゃないか? 引き込めずに海底に沈むかもよ、という問題提起」

「政治は難しい」

 半ば以上は諦めているエレオノーレの顔。

「一言で終わらせるな。剣の腕以外のものも磨け」

 拳を振り上げ殴りつける真似をすると、エレオノーレは頭を両手で押さえて縮こまった。

 フン……。

 まったく、この女は矛盾ばかりだ。

 戦いたくないと言いつつ厄介事に首は突っ込むし、殺しの技以外の特技も無い。

 ただ、そんな女と一緒にいる俺自身が一番不可解、か。

 上手く表現できない気持ちのまま、ほう、と、短く太く息を吐いて見上げた夜空。月は無く、その分強く星が瞬いていた。

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