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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Corona Borealis/Austrina】 ~Corona Borealis~
406/424

26

 ミュティレアで残っていたのは、確認作業だけだ。

 先発の伝令で必要な事を伝えている以上、事務仕事はもうほぼ済んでいた。後は形式ばった民会での裏付け作りだけだ。自由市民の懐柔や買収は、ネアルコスが済ませているので否決の不安もない。ミュティレアの国庫から派兵の予算の承認、そして、亡命メタセニア人部隊の編成と指揮系統の確認、派兵規模の確認、必要な船の数にその輸送計画。

 プトレマイオスが立てた計画は完璧で、油断も隙も無い。


 肩透かしされたような気さえする台本通りの民会後――。

「さすが、かつて俺の指導をしていただけはあるな。完璧な準備じゃないか」

 からかったつもりは無かったんだが、プトレマイオスはどうも俺が思っていることとは逆に解釈したようで軽く俺を小突いてきた。

「ここ数年、商売に関する事務仕事ばかりだ。上手くもなるだろ」

 ……どうも、ネアルコス同様、追放処分で裏方として金儲けに勤しまなければならない状況を良くは思っていないらしいな。だが――。

「先のことを考えるなら、損はないだろ」

 うん? と、大きな二重の瞳で俺を見つめ返すプトレマイオス。ネアルコスが、都会のここでも、プトレマイオスだけは美男で通っているというのも頷ける優雅な仕草だ。

「王太子が即位すれば、皆は国に帰るんだ。以前のように酪農をこじんまりとするわけでもないだろ、もっと大きな場所で辣腕を振るってくれ。そのためには、金勘定も出来る様になっとくべきだ」

 嘆息したプトレマイオスは、口が減らないとでも言いたげの様子だったが、並んで歩く三歩の内に真剣な表情になり、顔を俯けた。アゴラから、演説準備で議事堂へ向かう柱廊の途上、一歩の距離で振り返る俺。プトレマイオスは真剣な眼差しで問い掛けてきた。

「皆は、なんて、まるで、その場にお前がいないような言い草だな」

「言葉の綾だ。……どうした? やけに神経質になってるな」

 暗い空気を嫌って、今度はからかい混じりに明るく訊ねたつもりだったんだが、プトレマイオスの表情は変わらなかった。

「結婚の話とエレオノーレ殿のことがあるからな」

 ああー、と、軽く唸る。

「体良く利用して捨てたと周囲には思われる、か?」

 先にネアルコスと話していたおかげで、エレオノーレを気遣う方よりも外面を意識して言う事が出来た、と、思う。だが、プトレマイオスは俺が思っていたのとは逆のことを指摘してきた。

「メタセニア人だけを連れて行くという事、そしてお前が結局エレオノーレ殿をどっちつかずの立場にしておいたことから、上級の指揮官はお前がメタセニアに鞍替えする事を危惧している」

 目を瞬かせる。

 どういう理屈でそうなったのか、理解出来なく……は、無いんだが、普段の俺の行動を鑑みてくれるなら、結局最終的には利を追求する。アルゴリダの件も、罠の可能性はあったが、事実だった場合に得られるものは大きいと判断した。

 メタセニアに鞍替えして、小国の支配者として満足出来るほど俺は無欲じゃない。

 ……なんて事を考えていたんだが、俺の沈黙をどうもプトレマイオスは機嫌を悪くしたと勘違いしたようで、硬い表情のままで付け加えてきた。

「念のため付け加えるなら、私もネアルコスも、そして、ラオメドンをはじめとする主だった者はそんな心配をしてはいない。が、それだけお前を必要だと思い、その反面、奔放さを危惧している者も多いんだ。人の上に立つことで私に偉そうに講義したんだ。今のお前なら、私の言いたいことがわかるな?」

 無言で頷く俺。


 確かに、な。何度も顔を合わせていれば別なんだろうが、レスボス島、トラキア、テレスアリアとあちこちの戦場に向かっているせいで、情報からしか俺を判断できていない兵士も多い。また、マケドニコーバシオからミュティレアに移った後、兵士から自由市民になったものや、逆に他国の人間を軍団に引き入れたりしているので、追放ヘタイロイの一団と括っても、細かく見れば人の出入りは少なくない。

 俺ももう十代のガキじゃないんだし、結婚もすると決めたい上、少しは行動を改める時期、なのかもな。

「プトレマイオス」

「うん?」

 名前を呼ばれ、軽く小首を傾げて見せたプトレマイオスだったが「エレオノーレに、メタセニア女王としての即位とマケドニコーバシオ王家との結婚の話をそれとなく伝えてくれ」と、俺が頼むと、思いっ切り嫌そうな顔になった。

「それは、お前がするべきことだろう?」

 ふ――っと、長い溜息を鼻から逃がす。

 いや、それも分かってはいるんだが……。

「今、アイツと話すと……たぶん、喧嘩になるから」

 なんとなく、エレオノーレの態度が分かる。エレオノーレの前では、他yのヤツといる時よりも感情的になりやすい自覚もある。だから、いきなり俺からってのは、良い結果にならないと思う。

 悪いんだが、今の“アイツ”だったら、俺はラケルデモンから連れ出していないと思う。

 多分、言ったら拙い事をお互いに口にするし、それだけで済めば良いか、互いに元の性格が激しい部分があるので、口喧嘩だけで済む保証もない。

「ずっと昔だが、俺はアイツと剣を向け合った。……一呼吸おかないと、またそうなりかねない気がするんだ」

 珍しく、という自覚はあるが、素直な本音を吐露すればプトレマイオスは驚き、そして、兄貴分らしい笑みで俺の背中を叩いた。

「戦いの後、きちんとけりはつけるが……いや、そうか」

 言い訳の途中で、ふと、人伝ではないが、直接的に告げなくても伝わる手段を思い付いた。が、俺の表情から、こんな時だけ正確に頭の中を読み取ったのか、プトレマイオスがベシンともう一度、さっきよりも強く俺の背中を叩いてきた。

「この、最終段階で余計なことはするんじゃないぞ?」

 ミエザの学園で良く見せられた、本気で怒っている顔だ。

 だが、別に今回は少年従者の一件の時のような我侭だけではなく、最良の結果を得るための微調整なんだし、そんなに目くじらを立てられる謂われは無い。

「任せとけ」

 と、笑顔で応じるも、そんなに信用が無いのか、溜息で送り出されただけだった。



 民会後、自由市民だけでなく無産階級、その他希望者は全てアゴラに入れた。亡命メタセニア人部隊による援軍部隊の壮行会がこれから開かれる。

 レオが取りまとめてはいるが、正直、メタセニア人側からはラケルデモンと一緒に戦うことへの不満が噴出していることも理解している。俺やレオ、一部の亡命ラケルデモン人は、特例中の特例で、それさえもメタセニア人部隊の設立と維持でようやく信頼を勝ち取ったものだ。それを抑えるための、マケドニコーバシオの立場での演説の予定であったが――。

「ティーバの侵略により、マケドニコーバシオはラケルデモンと同盟し、卑劣な侵略軍を撃退することを決断した」

 アゴラに設けられた壇上で、静まり返る聴衆、遠征軍を前に予定通りの前置きから始めた俺は「そして、もうひとつ。諸君が既に聞き及んでいる通り、ラケルデモンはメタセニアを失陥した」と、二言目で、予定には無い話に踏み込んだ。

 成程、プトレマイオスにネアルコス、皆が書いた台本は完璧だろう。だが、それだけではいけないのだ。当たり前のこと、当たり障りのないことで人間は動かない。

 戦場へと連れ出しても、自らで戦わない愚衆となる。

「我々から、ティーバへと鞍替えするか?」

 唆すように、口の端に笑みを浮かべれば、周囲のざわつきが一層大きくなり……たっぷりと間を空けてから、俺は両手で周囲の発言を制した。

「心が揺らいだ者は、遠慮は要らない。この場から去れ。我が軍に臆病で先を見通せない者は不要だ」

 この展開を予想していたのか、本当にアゴラを去る者はいなかった。もっとも、兵士としての訓練においては、命令への服従も叩き込んでいるので周囲に同調して動けなかっただけかもしれないが。

 ただ、揺らいでいるのはその表情や視線からはっきりと見て取れた。むしろ、それが俺の目論見でもある。

 嘲るような笑みを口の端に乗せて俺は続ける。

「メタセニアを得たティーバはその自治を認めたか? これから認めると思うのか? 答えは否だ! ラケルデモンよりはましだ、そう思わせる政策で、これからも諸君の輩は飼いならされることだろう」

 ハッとした表情を浮かべる者、隣の顔色を窺う者、反応は様々ではあったが心を立て直す隙を与えずに俺は声を張り上げた。

「独立とは、どこかから降ってくるものでも、まして、他人に委ねるようなものではないのだ! 国家の再建を、民族の自治を求めるのなら、自らの手でそれは勝ち取らねばならない。諸君自身の血と汗によってそれは成さねばならぬのだ! それが、奴隷という家畜ではなく、人間として生きることなのだ!」

 声がアゴラに響いている。

 俺の声以外に響くものは無い。野次もひそひそ声も、なりを潜めている。

「無論、それが平坦な道ではないことを知っている。そして、ラケルデモンへの恨み辛みも忘れろとは言わない。しかし、蜂起すべきは今なのだ。例え、憎い仇敵と共に立つ戦場であろうとも、その憎しみを忘れずに共に戦える者が必要なのだ。……国を得ること、国を維持することとは、それほどまでに深い苦悩と葛藤、覚悟の要ることなのだ」

 一度口を閉ざし視線を天に向け、それからアゴラ全体を見渡し腹の底から高らかに問いかける。

「諸君にその意思はあるのか!」

 答える声は無いが、手応えは感じていた。

 がっちりと、世界をこの手で掴み、回している感覚。


 一呼吸の間を置き、少しだけ皮肉っぽい笑みを浮かべ、プトレマイオスのほうに視線を向けながら「マケドニコーバシオが、ラケルデモンと同じように諸君を利用し捨てる事を危惧している者は、聡明だ。だが、それは無用な心配となるだろう。諸君の女王エレオノーレに、マケドニコーバシオ王家から婿を出す事が内々で決まっている。……傀儡にされるのではないかという危惧ももちろん正当なものだ。ならばこそ! そうならぬ為に戦い抜き、国を勝ち取ったという実績が、発言力が、裏付けが必要ではないか?」最後には、メタセニア人兵士に語りかける。

 ……エレオノーレの顔は、終ぞ見ることは出来なかったが。


「ま、そうならないように俺も力を貸してやるよ。お前等を拾ってきたのも俺だろ。もう一回ぐらい信用しろ。マケドニコーバシオが貴国の独立を認めないなら、またお前等と戦場に立ってやる。中々に面白い展開だろ? この戦争後にアデアを妻とし、マケドニコーバシオ王家の一員となる俺が辺境で弓引くってのもな」

 少し冗談っぽく言って見せたが、追放ヘタイロイの連中の顔色は穏やかではなくて、だから俺は思い切り笑顔で笑い飛ばして、剣を抜き放って掲げた。


「行くぞ、戦場へ! 誇りを見せろ!」


 アゴラに木霊する歓声に、ほんの少しだけ感じていた寂寥感は押し流されていった。

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