表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Corona Borealis/Austrina】 ~Corona Borealis~
391/424

11

 慌しく台上に地図が広げられるが、資料はそう多くない。文官の誰かが「シケリアでの大敗北後のイオニア諸島、か」と、呟く声が聞こえる。

「ラケルデモンへの降伏に時間が掛かったことで、アテーナイヱが地中海の西部との交易の窓口であったイオニア諸島――アテーナイヱの七つの島の指導部が逃走する時間的猶予が出来たのでしょう。これまで動向は不明でしたが……」

「辺境都市だし、向こうはカルターゴーや、アカイネメシス統治下の古代王国の影響が強い。さして注目される土地じゃなかったが、軍資金はあるのか」

 俺とクレイトスの話の際には黙っていた文官が俄然元気になるが、反面、プトレマイオスがもたらした情報以外には情報が乏しいようで、具体的な資金量や資金源については言及されなかった。

 まあ、見逃してたって事だよな。実際、俺もあまり西側を意識したことは無かった。シケリアにしたって、ラケルデモンは特に支配することに意欲的ってわけじゃない。

 統治するための物理的な距離の限界に当たるんだ。

 政策を決定したとして、それが施行されなければ意味がない。法令を充分に理解出来る指導部がいなければ、裁判も刑罰も意味を成さない。

 それに、アフリカの旧古代王国やカルターゴー、それにヘレネスの文化を吸収しつつ勢力を拡大させている共和制ローマなんかもあるにはあるが、基本的にはヘレネスの西は蛮族の部族集団が割拠する未開の地だ。

 現在のヘレネスの政治機構では、それらをまとめることは出来ない。

 アカイネメシスも旧古代王国を支配するにはしているが、古代王国時代の国体を維持し、王――ファラオ――を選んで送り込むという形式だし、文化的な同化や軍制を統一する意思を感じない。

 おそらく、俺達が世界政府を目指すのなら、もっと違った制度――統治機構が必要になる。

 ……その辺、王太子には案があるんだろうか?

 現状、テレスアリアにおいても問題が起こってから対処するというような状況となってしまっていて、完全に統治しているとは言えないんだし。


 横目で王太子の様子を窺うが、一見すると居眠りしているようにも見える仕草で薄く目を閉じて話に耳を傾けているだけだった。

 と、王太子を右目に捉えている俺の顔の傾きに気付いたのか、クレイトスがくしゃっと俺の髪を掴んで声を上げた。

「具体的な金額や金策はともかくとして、方針は二つなんじゃねえのかネェ?」

 他人の心の中を覗くことは出来ない、ということなのだろう、多分、俺も具体的な戦略の話に移りたいと思っていると解釈したのか、クレイトスが話題を攫っている。

「イオニア諸島もしくはヴィオティア本国を攻めるか、防衛戦に専念してテレスアリア遠征軍だけを潰すのか」

 クレイトスは指をひとつ立て、それから言い終えてからもうひとつ立て、皮肉っぽい笑みを口の端に浮かべて、過去の交易に関して議論している文官を視線でひと睨みした。

 が、本国を攻めると言う言葉に、支配の限界距離ということを考えていたこともあって俺は少し噴き出してしまい、クレイトスの手をやや乱暴に頭から跳ね除け――。

「お前は、話を聞いてないのかよ……。ヴィオティアはめんどくさいんだから、停戦交渉で手間取る事を避け、ヴィオティア本国以外から包囲を狭めるのがいいに決まってるだろ」

「じゃあ、連中のアクロポリスをほっぽっとくっつうノかよ? また、攻められて迎撃されての繰り返しカ? ラケルデモンがしてた泥沼の戦争と変わンねえだろ、それ」

 俺に反論されるとは思っていなかったのか、クレイトスが食って掛かるが「倒す敵の段階と順番を見誤るなって話だ。テレスアリアは肥沃な農業国だ。秋には大麦を蒔く必要があるし、果実の収穫や加工も無視するわけにはいかない。ヴィオティアが多方面作戦を展開中ならまずは遠征軍を叩くべきじゃないか?」と、指摘すれば、クレイトスは完全に納得していないものの、議場全体では俺の意見に同意する者がやや多いように感じられた。

 実際問題としてテレスアリアの農耕地帯を確保したのに、麦が得られないのでは来年の国庫に響く。

 それに、元々がテレスアリアは大穀倉地帯なのだ。ヴィオティアを攻めて補給線を脅かしたとして、遠征軍が冬越しの食料を現地調達するのは充分可能であり、倒せる敵を放置して来年度の収入を減らすことはバカげている。

 常備軍を有するマケドニコーバシオにとっては――とはいえ、装備を自弁する他国の市民軍でも遠征中の物資に関しては国庫負担になるだろうが――戦争だって、無料じゃ出来ないんだからな。


 他に戦略に対する意見が出なかったので、皆の顔が王太子へと向かうと、どこかまだ穏やかな調子で王太子が口を開いた。

「イオニア諸島の資金源については、実は多少は心当たりがある」

「と、言うと?」

 クレイトスがいつもの調子で王太子に訊ねると、何人か眉を顰める者もいたが、クレイトスの軍人としての功績と、王太子自身が気にしていないことで、この場で会議を中断してまで咎める者は出なかった。

「これだ」

 王太子がテーブルの上に転がしたのは、突起のある巻貝の貝殻で、なぜこれが資金源なのか俺はよく分からなかった。食料としては小振りだが……まさか、西方では貝殻を貨幣にするとか言わないよな? レスボス島には、大昔の東の果ての国で使われた貨幣と言う貝殻が持ち込まれたこともあったが……。

 俺が訝しむようにそれを見ていると、王太子は苦笑いで続けた。

「アーベルには馴染みがないか? 紫の染料で、西方では王の色として重宝している。己や兄弟の服にも使っている物もあるんだがな。地中海の南東の方が産地だが、七つの島でも多少は獲れる」

 悪いがあんまり俺は着る物に関しては拘ってなかったので、ああそうか、としか言えない。まあ、ミュティレアで取り扱う染料も高いのはあったはずだが、それを自分で使おうとはあんまりおもわなかったしな。

 着る物に金を賭けるぐらいなら、その分ひとり兵士を増やした方が結局は得だ。


 ただ、その島の特産品ということは島を押さえれば資金流入はある程度止まるということだ。

 位置的にはマケドニコーバシオから直接向かうには遠いが、現在のマケドニコーバシオには……いや、王太子派には充分な数の軍艦とその扱いに慣れた海軍があり強襲作戦も充分に可能だ。

 島の規模次第だが、テッサロニケーに集めた軍船でも占領できるかもしれない。

 と、具体的な遠征軍の編成と、航路から考えた所要日数と必要物資を計算しようとしたんだが、それを遮ったのも王太子だった。

「兄弟、自分で段階を踏めと言ったのに、いきなり飛躍しようとするな。補給もなく大部隊を送り込めばアテーナイヱのシケリア遠征の再来だ」

「俺が直接指揮を執ってもか?」

 周囲のヘタイロイは、おそらく俺を辺境で完全に自由にさせる事を危惧してざわついたんだろうが、反面、目立った反論も出なかった。既にレスボス島における占領統治で実績があり、常に最前線に立ち武勲を挙げてきた以上、俺以外の適任者はいない。

 まあ、良い印象を持ってないヤツもそりゃいるだろうが、働きぶりに関しては信用してるって事だ。

 もう一度、右目で王太子を視界の中央に捉える。

 王太子は、ゆるゆると首を横に振って、軽く微笑んで答えた。

「兄弟には、別の事を頼みたいから言ってるんだ」

 別のこと? と、誰かが呟くも、王太子は俺に向かって続けた。

「少し思う所がある」

 珍しい言い回しだと思った。

 いや、仲間内に敵の間諜がいる前提で“俺達”は動いているが、だからこそ王太子が発する言葉は充分に吟味されているのが常である。仲間であるはずのヘタイロイを前に、隠し事をしていると宣言しているようにも受け取られる言葉に引っ掛かりを覚えたのは、だからだ。


 態度には出さずに視線で訊ねる俺に答えず、王太子はそのまま戦略を話し始めた。

「まずは、ヴオティア遠征部隊を分断して殲滅する」

 巧者は、さっきの言い回しに潜むなにかに気付いている様だが、主である王太子がそれ以上話さないのであれば、無理に問い詰めるような人間は……。いないと言い切れない部分はあるが、ヘタイロイ――王の友――が全員集合している今は詰問すべきではない、と、隣のクレイトスも思っているようで、椅子に踏ん反り返る態度だけで止めているようだった。

「アーベルは少数の投石兵を率いて現地へ陸路で向かい、テレスアリア軍及び北部から西部にかけての防衛線の指揮を行ってくれ」

 ――っと、周囲の様子を窺っていたことで流しそうになってしまったが、最初の命令の時点で充分に変だった。

 いや、確かに俺は騎乗出来ないので騎兵を指揮するわけにはいかないんだが、軍団兵ではなくテレスアリア兵を使えってのか?

 ……俺もテレスアリアの軍制改革に関わってる身で悪いが、マケドニコーバシオの常備軍と比べれば、テレスアリアの自由市民による重装歩兵隊なんて、囮か数を恃んだ脅しにしか使えないと思うんだが。

 マケドニコーバシオ式の斜線陣にしたって、その新式のファランクスを編成展開したら絶対に勝てるというわけではない。むしろ、斬新な戦術だからこそ、その戦術を兵士や指揮官が熟知し非日常である戦場において使いこなせなくては意味がないのだ。

 そういう意味ではテレスアリア人が指揮するよりは、俺が良いのかも知れないが……。

 しかし王太子は、溜息を辛うじて飲み込んでいる俺に、大きく頷いて見せた。

「そうだ。船と水夫はこちらで貰うぞ。騎兵を敵後背へと輸送し、山岳地帯の敵兵站線を撹乱の後に壊滅させ、防衛線を再構築。敵を盆地内に閉じ込めてから、殲滅する。その間、敵の目を引き付けておいてくれ」

 はっきりと命令として発せられれば、否とは言えないんだがな。あんまり面白くなさそうな仕事でも。

 テレスアリア兵は兵站線だけが強みだ。連中にとっては祖国での戦いである以上、兵士を集める事は容易であり、損耗には強い。敵の挑発に応じず、守りに徹していれば防衛線を維持することは出来るだろう。

「包囲網が完成したらどうする? 敵がそちらに向かうようなら野営地を確保するが、篭城するようなら……」

 敵が一戦を志向すれば、騎兵とテレスアリア兵で包囲殲滅できる。だが、篭城されれば厄介だ。

 その場合、俺達マケドニコーバシオ軍の降伏勧告を受けるとは思えない。テレスアリアの土地を蹂躙した以上、退却中に現地民やテレスアリア軍から攻撃を受けることは分かり切ってるだろうからな。

 王太子が盆地の出口に蓋をすれば尚更だ。

 当てのない篭城でも、少しでも長く生き延びる方を人は選ぶ。

 力攻めで被害を出すよりは、死体を使った疫病で攻めれば犠牲を最小限に抑えられると俺は踏んでいた。時期的には申し分ないし、かつて篭城を選択したアテーナイヱのアクロポリスに甚大な被害を出した事も分かっている。


 だが、意外な事に王太子ははっきりとそれを否定した。

「駄目だ。農業地に疫病を流行らせてどうする。毒も使うな。己の予想が当たっている場合、敵は勝手に自滅する。もし外れるのであれば、それがヴィオティア軍の本隊であり、やはり武威を持って倒すべきである」

 言っている事は分かるが、王太子の内心は読み取れなかった。

 ラケルデモンは農業国であり、現地を長期間汚染するような毒や病を使わない事は王太子も知っているはずだが……。奴隷として酷使されているであろうテレスアリアの現地民を、巻き込むことに対する人道敵見地だけでは上手く納得出来ない。

 戦術を制限する以上、なんらかの戦略的意味があるはずだが、それはいったい?

 考え込む俺を他所に「それと、作戦を伝えるためパルメニオンを呼んでくれ。ああ、それと、もう夜も遅いのでパルメニオンと同行するアーベル以外の者は先に休んで遠征に備えてくれ」と、王太子が会議をまとめる。

 ……まあ、パルメニオンもあくまで督戦として参加し、かつ、ヤツ自身が騎兵じゃないのなら俺に就ける意図も分かる。俺にパルメニオンを就け、テレスアリア兵を指揮している場面を見せることで手の内を隠す。

 まあ、古参のヘタイロイは別としても大半はそれが王太子が隠している秘策であり、『思う所がある』と言った部分だと納得した様子だった。

 その程度に世界が単純なら、物事はもっと簡単に進むんだがな。やれやれだ。


 聞く限り、ヴィオティア軍も弱卒ってわけじゃないんだから、あんまり面倒な付帯事項は設けられないといいんだがな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ