表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Virgo】 ~夜の終わり~
370/424

4

 サロ湾での戦いの後、イオを側仕えから――エレオノーレの言い方では友達だが、周囲はそう見ていなかった――外していたし、キルクスの件は隠し通せる事でもなかったので、裁判が終わった日の夜、アデアには何も言わずエレオノーレの部屋を訪れていたのだが……。

「結局、私達は、勝ったの? 負けたの?」

 開口一番にそう訊ねられ、全く意味が分からなかった。

「あん?」

「だって、その……」

 いや、まあ、いつもの口癖に関しては、いいとして、なんで俺達が負けたと思うんだ?

 ……ああ、キルクスの方の戦いだけを見ればそういう結論にもなるのか。

 意図したわけじゃなかったが、思わず溜息が出てしまい、エレオノーレに拗ねた顔をされてしまった。ので、誤魔化すように俺は早口で捲くし立てた。

「確かに戦死者は出たが、テレスアリア兵を助けたついでに他のアテーナイヱ側都市の兵士も助けることになっちまってたし、帰国せずに島に残った連中も多い。お前は、あんまり詳しく解ってないかもしれないが、テレスアリア兵の滞在で経済も回ったしな。そのおこぼれ目当てで浮民が集ってきてるし、人口はむしろ増加してる。島内に新しい都市の建造も視野に入る程にな」

「そういう意味じゃない」

 俺の弁明と言うか、説明が気に食わなかったのが、そっぽ向いたまま不貞腐れたように答えるエレオノーレ。

「イオを、お前の側仕えに戻せって話しか? 止めとけ、周囲の反感を買うし、あのガキもキルクスの一件で腹の中でなにを考えてるか分かったもんじゃないぞ」

「それだけを言ってるわけでもない」

 なにが不満なのか、いまひとつ理解に苦しむ。

 昔からそうだと言えばそうなんだが、……なんつーか。

 ふぅ、と、溜息を吐くと、久々――いや、エレオノーレが睨んだり悲しんだり怒ったりするのはいつもの事なんだが、遠征前後はバタバタしてたし、エレオノーレのそんな表情をじっくりとみるのは久々のように感じた。

 そして、こういう時、アデアなら不満ははっきりと口に出すんだがな、と、思い――いつかアデアが言っていた、俺の中の女性の基準がいつの間にか変わっていたことに、少しだけ衝撃を受けた。

 上手くいえないが、多分、今、アデアと接せているのは、それ以前にエレオノーレと過ごした日々が自分の中で血肉となり、下敷きになっているからだと思う。確かにアデアはエレオノーレと違って、積極的に俺の中へと割って入ってくる性質だが、エレオノーレと出会う前の俺だったなら、さっさと心に防壁を張って近寄らせなかったはずだ。それが解っているにも拘らず軸が揺れ始めているのが、自分の意志の弱さの表れのような気がして、な。

 人の心は変わるもの、かぁ……。

「俺を……怨みたければ怨めば良いだろ?」

 キルクスやイオに関する件だけでなく、今時分の中にある整理しきれない複雑な想いも含めてそう……今度は俺が不貞腐れるように呟けば――。

「ううん、恨みなんてしないよ」

 不意にエレオノーレの態度が変わり……いや、態度はいじけたままだが、妙にはっきりと意思表示してきたので、ちょっと疑問に思っていると、エレオノーレはどこか慌てたように付け加えた。

「あ、ごめんなさい。少し、ほっとしてるのかも」

 ほっと、してる?

 一拍後、カッと頭に血が上ったのを自覚し、そのまま考えるより先にエレオノーレに詰め寄っていた。

「キルクスに、なにかされたのか!?」

「そういうことじゃないんだけど……」

 問い詰められたエレオノーレは、戸惑ったような曖昧な笑みで俺から視線を外したが、冷静に考えてみれば、そもそもあの腐れ文官と比べればエレオノーレの方が強い。俺のようにあっさりと他人を殺せる性質ではないが、無理矢理犯されそうになって黙っている女ではないか。

 ただ、じゃあどうしてだと、首を傾げて見せると、エレオノーレは困ったような顔になり――もしかしなくても、俺が理解できないとでも思っているのかもしれない――、さっきと同じような曖昧な笑みをさっきとは別の理由で浮かべ、遠回りした解説を始めた。……んだと思う。

「ラケルデモンの奴隷の村にいた時や、旅が始まってすぐ、それからドクシアディスさん達と出会った頃は、皆の事をもっと分かったつもりになってた。なんていうかな。アーベルは否定するかもしれないけど、皆、友達として上手くやれてたと思うんだ」

 呆れたような目でエレオノーレを見るが、甘いのは分かってるという顔をされたので俺は取り合えず口を噤んでエレオノーレの話すに任せることにした。

 あの頃の俺やキルクス、ドクシアディスは、今のヘタイロイとの関係とはまるで別物だ。集めた連中にしても、マケドニコーバシオにおける軍団兵とは毛並みが違いすぎる。

 目的も動機も、目指す場所も志も、なにもかもが異なっている寄せ集めを、その場しのぎで繋ぎとめ、なんとか集団としての体を成していただけ。

 直接の切っ掛けは奴隷の買い過ぎだったが、あの一件が無かったとしても先があったとは思えない。

「でも、段々と人が多くなって、どんなことを考えているのか、思っているのか分からないことが増えて――」

 エレオノーレの真剣な表情を少し意外な感をもって見つめる。

 エレオノーレも、俺と同じ意味合いではないかもしれないが、感覚の部分でそうした不和の芽を感じていたんだなって。その場その場で感情に走るだけで、俺に甘えるだけってわけでもなかったのか?

 ……いや、不和の芽に気づいていたからこそ、鈍感で直情的な少女として振舞っていたのかもな。

「アーベルがいなくなった時、なにか大事な箍が外れて……。大きな町をもらえて、アーベルがいなくなったのは寂しいけど、平穏に過ごせるって思ってたのに、市の統制や、ええと、増築に関する部分? とかで、諍いが増えて、でも、私にはなにもできなくて……。でも、折角ここまで皆で来たんだからって、なんとかしたくて」

 灯明皿のオレンジの炎が、エレオノーレの髪や頬や瞳を橙で染めている。今となっては遠い昔、二人でラケルデモンを彷徨っていた日に見た燃えるような黄昏を思い起こさせる。


 エレオノーレにはエレオノーレの苦悩がある。いや、それは、当たり前の事なんだけれど、なんとなく、俺と比べればはるかに軽い悩みのように思っていたかもしれない。

 事の大小と苦悩の深さは一致するとも限らないのにな。

「キルクスさんに『結婚しませんか?』って言われた時、どうすれば良いのか分からなくなってたの。嫌いじゃないんだけど、そういう話になると困るって言うか……」

 俺は、エレオノーレは強いと思っていた。

 思い込んでいた。

 でも……いや、もっと前からその兆候はあったのに、今まで直視しなかっただけだ。

 エレオノーレを安全な場所に置こうとした俺の行動が間違っていたとは思わない。が、昔感じたような、俺と対等な強さを持ちながらまったく別の思考で動く人間と言う見方は消え、今は、どこか暗さの中に儚さの様なものを感じる。

 昔は、エレオノーレが俺の敗北の象徴の様に感じ、遠ざけたかったって言うのに。今は、側にいないとどうなってしまうのか分からない。そんな、不安がある。


 うん? と、いつまでも返事をしない俺を不思議がるようにエレオノーレが顔を覗きこんできていたので、俺は慌てて……そして、少しだけおどけて見せた。

「あー、いや、まあ、そういうのは、少しは分かるけどな」

 もっとも、俺の場合は婚約したという事後報告で、そんな甘っちょろい提案ではなかったが。

「そっか」

 エレオノーレも、俺が誰との件を話しているのかは察しがついたようだったが、そのことについてあまり聞きたくはないのか、あっさりと流されてしまった。


「なあ」

「うん?」

 降ってきた沈黙を破るように呼びかけると、エレオノーレは微かに小首を傾げて応じた。

 話題に詰まったのは一瞬で、ふと思い起こして――。

「お前は前に俺に好きなヤツがいるのかどうなのか訊いたことがあったが、お前自身はどうなんだ?」

 エレオノーレは目を大きく開いた後、二~三度瞬きをして、どこか寂しそうに笑った。

「アーベルが気付いていないのなら……、そういうことじゃないの?」

「そういうこと?」

 エレオノーレは分かり易く項垂れた後、顔を上げ真っ直ぐに俺を見つめ――少し悲しそうに、だけど、くしゃっと笑って答えた。


「知ってて訊いてるのか、本気で分からないのかで私の答えは変わらざるを得ないよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ