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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Virgo】 ~Porrima~
341/424

5

 そういえば、と、改めてキルクスに従う連中を観察してみる。

 運動量の多い軍人は、必然的に衣類の着こなしにおいても、丈が短く動きやすい物を選ぶようになるんだが、キルクスの取り巻きは、ドクシアディスなんかの一部のアヱギーナ人を除いて、金持ちが着るような長い裾の服を着ていた。

「お前が、あの艦隊の責任者なのか?」

 キルクスは軽く片眉を上げて「ええ」と、どうしてそんな事を訊くのかと、不思議そうな顔を返してきた。

「軍団を指揮する将軍は誰だ? お前の役職は、違ったはずだな?」

「…………」

 キルクスは、すぐに答えなかった。

 俺がキルクスに許可しているのは、主に書類作成に関する記録業務だったはずだ。コイツは、そういうのだけは丁寧だし。その俺の命令を、勝手にネアルコスが変えたはずはない。

 と、いうことは、だ。

「民会における了承は?」

 自由市民全員が参加する民会でなくとも、政治や経済の代表の会議でも軍権を与えられないこともないが、ミュティレア占領後はネアルコスとラオメドンの二人がその会議には必ず参加することになっているので、こんな素人に兵士を預ける決定をするはずはない。

「完全な同意では、その、ありませんが……」

 兵を集めることに対する明確な根拠を示せはしないのか、キルクスは言葉を濁した。

 そこで迎賓館に集ったミュティレアの支配層に視線を向けるが、何人かは気まずそうに目をそらした。

 反応があった年齢層的に、口車に乗った、という雰囲気ではないな。急進派を持て余していたので、あくまで個人的に兵を雇っての参戦を見逃す、とか、そういう微妙な決定を下したんだろう。

 キルクスとしても、成功で切れば手柄を独り占めできる、と、それだけで納得したのかもしれない。

 ……ハン。

 どっかで聞いた話だな。

 まあ、あの時は俺もいたし上手くいったが、今回はどうなることやら。


 今更といえばそうなのかもしれないが、人によるのかもしれない。進歩せずに同じことを繰り返す者、失敗から学べる者、そして、大きな失敗を犯す前にそれに気付き成功しつつ学べる者。

 キルクスやドクシアディスは、間違ってもヘタイロイへと入ることはないだろう。この程度の才能、いくらでも替えがきく。労力をかけてまで、手元に残したい人間ではない。


 状況の不利を悟ってか、キルクスは早口で捲くし立ててきた。

「皆様、ごく最近の話ではありますがアルゴリダがラケルデモンより離脱したことで、ラケルデモン近海のメロス島をアテーナイヱが占拠したことはご存知ですか?」

 アルゴリダの件は思い当たる、というか、当事者だったので俺は軽く鼻で笑った後、曖昧にうなずいた。

「状況は、海を知るアテーナイヱに傾きつつあります。ミュティレアが、自治を維持するためには、戦果を持って過去を清算し、新たなる商業拠点となることが最善の道なのです!」

 キルクスは、我が意を得たりと檄を飛ばしているが……。

 俺達がテレスアリアにいた時点では、メロス島も戦闘中で、ラケルデモンが援軍を出すか出さないかと議論の的になっていたが、見殺しにしたのか。

 まあ、キルクスのさっきの言が正しいとするなら、ラケルデモンとしては、艦隊が上陸してきたとして本土で迎撃できるので、近くの島のひとつふたつくれてやり、その分、海戦を避けてアテーナイヱ背後の補給線の遮断に出たんだろう。これまで負け続けたアテーナイヱ艦隊が、エーゲ海の西や、更に遠方のシケリアなんて遠方に出向いている今が好機と見て。

 それに関しては、納得できる合理的な判断ではあるな。シケリア遠征と比較すれば、はるかに。

 むしろ、ラケルデモン艦隊の動きを誘う意味で――多少古い情報だが、ラケルデモン艦隊が決戦を避けているらしいという話は、去年の秋に他ならぬキルクス達からもたらされていたし――アテーナイヱ艦隊は留守にしたのかも、という考えも浮かんだ。

 だが、それにしたって損害の割合が……。

「アカイネメシスに食い込んでいた、東岸のアテーナイヱ殖民都市はどうなんだ」

「どう、とは?」

 指をひとつ立てる。

「攻撃されたが、港湾機能を有している」

 二本目の指を立て。

「徹底的に破壊されつくした」

 そして、三本目。

「都市機能を残したまま占領されている」

 キルクスは一度俯き、軽く目を潤ませてから返事をしてきた。

「……三です。ラケルデモン艦隊による奇襲後に、アカイネメシス軍が後詰めし、駐留しております」

 それは、もう、艦隊を追っ払ってどうにかなるって段階ではないだろ、と、俺は心の中だけでつっこんだ。

 確かに、大昔の大きな戦で、ヘレネスはアカイネメシスと戦い、勝利した。しかしそれは、各都市国家が一丸となって戦った結果であり、現状、一国の軍事力でアカイネメシスの人海戦術に対抗するのは無理がある。

 再攻略の都市を要所に限定したとしても、物資を輸入に頼るアテーナイヱの需要を賄えるほどでもない。

「僕は、アテーナイヱ人だから支援したいといっているわけではないのです。アカイネメシスの脅威が迫ることを許してまで勝利に拘るラケルデモンへの懲罰は、ヘレネスの都市国家として必要なことであり、アカイネメシスの脅威を間近に感じるミュティレアだからこそ、遠方でせせら笑うラケルデモンの目を覚まさせるための行動が必要なのです」

 キルクスは、軽く鼻をすすり上げ、安い芝居のような演技で愛国心に訴えているが、間違いなくアテーナイヱはそんな意図ではない。

 アテーナイヱ艦隊は何度もラケルデモン艦隊を壊滅させているので、今度の海戦で勝利し、アカイネメシスにラケルデモンを支援するのは無駄だと示し、両国間の同盟に楔を打ちたいんだろう。

 ラケルデモンとアカイネメシスの同盟が手切れにならなかったとしても、制海権を確立させ、両国間の連絡を……?

 あー、そういうことか。

 マケドニコーバシオが、ラケルデモンの支持を表明しているので、ダーダルネス海峡さえ確保しておけば、陸路でもアカイネメシスへの連絡線が通じてる。

 ラケルデモン艦隊がサロ湾に居座っている理由もそれか。

 資金のあるアテーナイヱが中々干上がらないので、エーゲ海の中で大きく封鎖する作戦に切り替わってたんだ。

 じゃあ、パッと見ただけでも問題だらけのシケリア遠征も、それなりに意味があるのか。エーゲ海の中で四方からの補給を断たれたアテーナイヱが、外部からの糧秣を調達する上では。

 概ね、両国間の戦略が見えてきたので「いや、逆だろ。両勢力が共に疲弊してこそ、第三勢力の台頭が可能になる」と、白けた声を投げ掛け、キルクスの鼻に衝く芝居を止めさせた。

 キルクスも、思ったほど効果がない現状に気付いていたのか、さっさと顔を整え――。

「アーベル様個人のお考えは?」

 不意にキルクスに訊ねられたので、俺? と、首を傾げてしまった。まさかここで俺個人と前置かれるとは思っていなかった。

 ってか、俺としては、今現在こうして返事しているのがマケドニコーバシオの遠征軍の代表としてではなく、あくまで一個人の見解程度なんだがな 王太子や他のヘタイロイも、既に到着しているんだし。

 なので、逆に問い返してみた。

「なんで俺が、お前等についていくと思うんだ?」

「いえ、その……」

 まさかそう返されるとは思っていなかったのか、露骨にキルクスが動揺した。

 なんで、当たり前みたいに俺がキルクスに従うと思っていたのかの方がはるかに疑問なんだが? ん? ああ、もしかしたら、キルクス達は俺が未だにただ戦っていられれば満足すると考えているのかもしれない。もしくはラケルデモンへの復讐心に駆られているだけとか。

 確かに、それを完全に否定は出来ない。

 でも……、異母弟を押さえた今となっては、私闘を優先するつもりはなかった。特に、今回の件において王太子には大きな借りがある。優先されるべきは、マケドニコーバシオの国益であり、そして叶うならその中でも王太子派の利益を優先する。


 軽く横目で王太子に視線を送るが、余裕のある笑みを返されただけで、なにかを俺に命じるつもりはなさそうだった。他のヘタイロイに関しても、特になにか反応を示したものはいない。プトレマイオスは相変わらず真面目な顔で、その後ろに続く者も其々いつも通りの、リラックスした雰囲気だ。エレオノーレの脇を固めるネアルコスはニヤニヤ笑いで、その後ろのラオメドンが無表情で俺を見詰め返す。

 信頼してるってことなのかもな。

 手放しの信頼も怖いんだけどな、と、軽く肩を竦めた後。

「俺がまとう紋章はひとつだ」

 以前、この島を出る際にネアルコスから預かり、アルゴリダでは命を拾うことにもなった探検を懐から取り出し、ヴェルリナの太陽とも呼ばれるマケドニコーバシオの国章を見せ付けた上で、再び姿勢を正す。

 キルクスが奥歯を噛んだのに気付いたので、逆に俺は口元を緩めてからかうように訊き返した。

「御守が要るのか?」

「つまり、アナタ方はこの派兵に対し、反対であるということですか?」

 王太子側の軍団から兵を借りれないと悟ったからか、露骨に態度を変えたキルクスが俺を睨んでくる。

「いや、俺等ってか。民会の時点で意思統一されていないのに、反対だのなんだのと言われてもな?」

 キルクスは、民会そのものが今現在はマケドニコーバシオ王太子派の支配化にあるだろ、とでも言いたそうな、物凄いしかめっ面をしてから、負け惜しみだけはきっちりと残して――。

「今回の長期的かつ大規模な戦争は、その後のヘレネスにおける勢力図を大きく書き換えることになるでしょう。後悔しますよ?」

「お前が、後悔しないようにしとけ。戦は準備の時点で大半が決まる。行くのなら、止めない。が、負けるぐらいなら兵を温存しろ」

 迎賓館を出て行くキルクス達の背中を見送り、再び前へと視線を戻せば、エレオノーレが泣きそうな顔で俺を真っ直ぐに見ていた。俺にキルクス達を止めてほしかったのか、それか、キルクス達についていって犠牲を最小限にとどめて欲しいからなのかもしれない。


 一応、事後報告となってしまうが、支援を断った件に関し、プトレマイオスと王太子へと視線を向けるが、プトレマイオスに若干煩そうに前を向けとジェスチャーされただけだった。

 まあ、訊くまでもないか。

 兵を出すにしても、もっと情報が必要だ。それに、俺を悪者にすれば、改めてヘタイロイがキルクスに味方することも出来るだろうしな。王太子や他のヘタイロイは、なんの言質も与えていないんだから。

 と、そんなことを考えていた時、全ての式典と議案の審査が終わったから、閉会の宣言をエレオノーレが……正直、良く聞き取れないような小声で、俯きながら行い、扉の向こうの自由市民が迎賓館へとどっと押し寄せた。

 ミュティレアとしても、戦闘で壊れた市街の復興もひと段落し、レスボス島遠征軍の統治が行き渡り、かつ、それに信頼を寄せてきた時期であり、また、春で海が再び開かれ交易で潤ってきているらしく、今夜はお祭り騒ぎになるらしい。


 この反応を見るに、どうも、アテーナイヱ本国の人間が多いキルクス達は、ここでも馴染んでなかったらしいな。まあ、それもそうか、俺達はミュティレアが欲している軍事力であり、キルクス達はその俺達に寄生するような軍付きの酒保証人と見えていて、ある意味では商売敵みたいな関係になってしまっていた部分もあるんだろう。


 俺も、ミュティレアにいたことに挨拶したことがある金持ち連中や兵士の志願者の少年に対して軽く挨拶や、プトレマイオスの紹介なんかを行う。その後、各自軽い挨拶を終え、程々に場が暖まったところで、アゴラにおける夜宴準備のため退席しようと、エレオノーレの周囲へと王太子とヘタイロイが集まった。

 王太子による、最後の挨拶が終わる。

 エレオノーレは、会議中もなにか言いたそうにずっとちらちらとこっちを見てきていたが、いざ隣に来てみれば、王太子やプトレマイオスに緊張してか、どこかもじもじしていた。

 まあ、目の負傷に関してもネアルコスに耳打ちされていたようだし、何度聞かれても失った目玉は戻らないので、今更改めてそれを訊く必要がなくなったってだけかもしれないがな。

 すると逆にネアルコスが俺の左側へと顔を向けて訊ねてきた。

「そういえば、お隣の女性は?」

 そういえば、ネアルコスも生粋のマケドニコーバシオ人ではないと言っていたし、俺と同じくミエザの学園時代にアデアとは会っていなかったんだろう。まずは無難に王太子の親戚とでも答えるべきかと悩んでいたんだが――。

「ああ、アーベルの妻だ」

 俺が言うべき台詞を決めかねているというのに、プトレマイオスがサラッと勝手に答えあがったので、訊いたネアルコスが、噴出している。

 あの色恋沙汰が大好きなネアルコスが、からかいもせず、真顔で、ぶは、なんてらしくない品のない噴出しかたしているのだ。

 いや、そんな態度される心当たりも山程ありはするんだがな、ちくしょう。

「式を挙げてねえだろ」

 俺の右側でネアルコスに答えたプトレマイオスを睨めつけるが、いずれするだろ、とでも言いたいのか、軽く肩を竦ませられてしまった。

 ラオメドンの反応は、ちょっと分からないが、概ねミュティレアに残してきた仲間は驚いているらしい。まあ、アルゴリダに向かったのは戦争の切り札を入手するはずだったのに、婚約者連れて来たなんて言ったらそうなるのも仕方がないのかもしれないが。

 ただ、俺は、婚約に完全に同意してるわけでも無くてだなぁ。


 ふとそこで、エレオノーレが、椅子の上で身動ぎするのが視界の端に映ったので、顔を向けてみるが、エレオノーレは目を丸くして、椅子から立ち上がろうと前傾した姿勢で止まっていた。

「……なんだよ?」

 他意がありまくりなその格好に目を細めて訊ねるが、エレオノーレからはいつまでも返事が返って来ない。

 なので、気恥ずかしさもあってつい怒鳴ってしまった。

「おい! 聞いてるのか?」

 エレオノーレの肩に手を伸ばそうとするが、ネアルコスの方が反応が早かった。

「あ……ダメです! 医家を」

 ネアルコスが、エレオノーレを椅子に凭れかけさせ、声を張り上げ……場が、騒然としだした。

 慌てて俺も駆け寄るが、エレオノーレの息が確かに上がっている。ネアルコスの顔を覗きこむと――。

「エレオノーレさん、過呼吸」

 うん、なんか、死ぬようなものではなかったので、若干、気が抜けてしまった。

「なんだそれは。布でも口に当てとけ」

 うろたえてしまったことも含めて、ぶっきらぼうに言うと、ネアルコスに眉をひそめられてしまった。

「心労が溜まってたんですよ。どこかの気侭な兄さんのせいで」

 いや、……うん、アルゴリダへと行くまでは確かに俺の我侭なんだが、アデアの件に関しては、俺のせいではないと思うんだが。

 普段余りネアルコスは不機嫌な表情を見せないので、なんか、罪悪感を感じてしまう。その上、アデアも――。

「例の、前の妻か? どこかの国にもいたよな? 女にだらしない男が。それをお前はどう思っているのだ? ん?」

 俺の紅緋のクラミュスの裾を引っ張りながら、しかも、敢て俺に視線を向けずにそんなことを呟いている。

 確かに、俺がアデアと出会う切っ掛けとなった件も、元を質せばマケドニコーバシオの現国王が結婚ばっかりして後継者をはっきりさせないからであり、そういう意味では今の俺も大差無いのかも知れないが。

「いや、アデアも、そう……ん――」

 言い訳……まあ、確かに俺が行おうとしているのは、言い訳か。だが、それさえも思い浮かばずに、かといって、肯定も否定も出来る状況でもなく、変なオチがついてしまった状況で、俺は額に手を当てて、現実逃避した。


 向こうでなにがあったんですか? と、ネアルコスが後発のヘタイロイを見渡している。

 プトレマイオスが、俺の右隣でやれやれと肩を竦めていた。

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