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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Virgo】 ~夜の始まり~
332/424

4

「悪いが、意味が全く分からん」

 エペイロス軍に対し、戦闘訓練……というか、基本戦術はマケドニコーバシオと同じく、普通の都市国家の倍の長さの槍で、首掛け盾を装備したファランクスによる戦術なので、俺は乱戦になった際の格闘訓練という、どちらかといえば精神的な鍛錬、もしくは攻城戦における市街戦の戦い方の指導指揮を行っていた。

 もっとも、兵の訓練以上に、俺自身が左目を失った事に慣れるため、という意味もそこにはあったが。


 だがしかし、今、俺の目の前には、エペイロス兵ではなく戦装束に実を包んだアデアがいる。とはいえ、年齢的に重装歩兵の鎧兜は重過ぎるのか、布を重ねた胸鎧と、騎兵用の視野の広い兜をかぶり、盾は持っていなかったが。

 一応、王太子に視線を向けてみるが、あっさりと突き放されてしまった。

「言っても聞かぬ」

 仲が良くないというのは、冗談ではなく本当らしい。顔でそれがはっきりと分かった。

 次いで、プトレマイオスの方に身体ごと向き直ってみるが……。

「私は反対した」

 怒っていることを本人は隠しているつもりなんだろうが、声にはっきりと現れてしまっているプトレマイオス。

 いや、うん、まあ……自覚がなくはない。しかも、少年従者の件でもそうだったし、今回も全く同じ経過なので、俺は小言が飛び出す前に身体の向きを変えた。


 助けが降って来ないとは知りつつも、軽く視線を周囲に巡らせてみる。近くでは、兜を被り、首掛け盾を装備し、長槍と剣で武装したエペイロス兵が固唾を呑んで成り行きを見守っている。更にその背後には……どこか故郷のラケルデモンを思い起こさせる山脈が天を衝いていた。もっとも、ラケルデモンでは、こんな風に雪を頂いた真っ白な山脈というのは目にしたことはないが。

 ただ、エペイロスの厳かな白銀の山並みも嫌いではなかった。

 もっとも、冬の盛りはいつの間にか過ぎていて、降り注ぐ日差しは足元の雪や凍った地面を溶かし始めていたし、口に布を当てなくても鼻の奥や喉が冷えて痛むようなことはもうなくなっていたので、直に溶け出すのだろうが。

 最近は、場所によっては、気の早いクロッカスの蕾を目にすることも多い。

 冬の終わりが近付いている。


 気乗りはしなかったが、最後にアデアに顔を向ける。

 ついさっきまでエペイロス兵との稽古をしていたので、足元は少しぬかるんでいて、踏み出した一歩は少し湿った足音を響かせた。

「我が夫よ、毎日毎日、訓練だのなんだのと急がしそうではないか?」

 訊ねる口調ではあるものの、その表情には随分と含みがあるようだった。

 アデアの綺麗な海の色をした瞳が、細く皮肉げに引き絞られていて、口端を下げ、歪んだ笑みを浮かべている。

「ああ、まぁな」

 俺が返事をして、踏み出す足を一歩で止めたので、アデアが「部屋に戻る理由は短い睡眠のため、食事は三食外で済ます、話しかければ今忙しい! 税制改革案のまとめ! 経費関連の書類作成! 戦略会議!」最初はゆっくりと歩を詰めて来たんだが、段々苛々してきたのか、怒鳴りながら大股で俺に詰め寄り――。

「ん? ワタシは、いつお前と会話すればよいのだ? んん?」

 中指と人差し指で、俺の胸の中央をつついて来た。


 だから、喋らないのは、避けてるとかじゃ……なくはないのかもしれないが、それ以上に、なにを話せば良いのか分からないんだっての。前にも――。

 ……ああ、いや、それは違うか。

 思い出してしまうと、浮かんでいる苦笑いは変わらないままだったが、意味合いが少し変わってしまった。表情が変わっていないので、誰もそれに気付いていないことが、少しありがたい。


 そう、ずっと昔に、喋りたいなら自分から話題を振れと言い返してやったのは、エレオノーレに対してだった。

 ……アイツ大丈夫だよな? まあ、内政面はネアルコス、軍事面はラオメドンが上手く補佐してるはずだ。それに、冬の荒れた海で海岸線を離れては漂流するんだし、島であるあの場所は侵攻もされていないはずだ。

 なにより、先生も合流したのなら、エレオノーレの精神面においても上手く気遣ってくれるだろうし。


「で、これは?」

 エレオノーレの事は頭からすぐには消えなかったが、今は目の前のアデアを見詰めながら、その非難がなぜ武装して俺の目の前にいることに繋がるのかを冷静に訊ねてみる。

 決闘とか申し込むんじゃないだろうな?

 いや、それならそれで、怪我させずに上手く勝って、婚約を破棄させるって手段も――。

 と、そこまで考えた瞬間だった。

「ワタシにも稽古をつけろ」

 今度は、さっきまでの含みのある笑みではなく、満面の笑みでアデアが胸を張ったのは。

 歳の割りに……ってか、胸鎧で潰されているとはいえ、それでも確実にエレオノーレ以上の胸が俺に向かって突き出されている。

 俺は、天を見上げ、口を一直線に結び、王太子へと視線を向けるが、プトレマイオスと王太子二人から刺すような目を向けられ、俯いた。

「あのな?」

 と、切り出しはしたものの、言葉が続かない。

 コイツ、誰に稽古つけろって言ってるのか分かってるんだろうか? 今でこそここまで落ち着いたが、元々は日常的に人を斬ってて、それが楽しくて……千人に近い数を既に殺してきた人間なんだがな。

 そう……アデアと同じぐらいのヘロット――ラケルデモンの農奴――を殺したことも、何度もあった。エレオノーレは、本当に稀有な例だ。

「我が夫は強いのだろう?」

 しかしアデアは、そんな俺の気持ちを知らずに、挑発的な笑みで訊ねてくる。

「まぁな」

 強さを否定する理由はないので、俺は頷いた。

「しかし、ワタシはそれを人伝に聞いただけでしかない」

「いや、今の訓練も見てただろ?」

 組み手のはずだったんだが、次々と飛び掛ってきては一撃で吹っ飛ばされていくエペイロス兵を見て、よくもまあ単独で勝負を挑めるものだと、そこだけは感心してしまう。

 もっとも、呆れに近い感心だが。

 こんな風にバカ正直に無策で正対せずに、もっと、こう、罠を使ったり俺を疲れさせたりしないと、絶対に勝てないって分かりそうなものなんだけどな。普通は。

「折角なので、ワタシが試してやる」

 アデアには、話がまるで通じない。

 まあ、なんとなく、こんな気の強さは最初から感じていたけどな。


 最終確認も兼ねて主だった者の表情を窺うが……ったく、ちっとばっかし、遊んでやるしかない、か。

 溜息混じりに自分の長剣をプトレマイオスに向かって放り投げる。だがしかし、プトレマイオスが受け取りに多少まごついて、長剣を落としそうになっていた。

「おい」

 鉄剣は北部じゃ手に入らないんだから、注意してくれ、と、言いたかったんだが「お前は、こんな物を放り投げるな!」と、割と真面目な顔で逆に怒られてしまった。

 確かに、使い手を選ぶ得物ではあるんだけどな。

 一応、これで思い直すかと思ってアデアを見るが。

「なにをしている? 早く他の武器をもて」

 とか、全く理解していない顔をされてしまい、ちょっとだけカチンときた。

 とはいえ、剣で相手するのもなぁ。青銅の剣では、俺の振りに負けて折れたり曲がったりするので、意図せずに怪我をさせるかもしれない。

 まあ、気配から推察するに、無手でも良いと言えば良いんだが……。

 兵士達を横目で見れば、一番近くの兵士が慌てて自身の剣を持ってきたので「あー、いい、いい、その辺の適当な棒っきれで……ああ、薪でも構わない!」と、兵士達があたっている焚き火の近くの薪から、二の腕と同じぐらいの長さのものを持ってこさせた。

 燃えやすくするために割ってあったので太さはないが、まあ、この程度で充分だろう。

 軽く振って手応えを確認し、アデアに向き合う。

「随分とワタシのことを舐めているんだな」

 思った以上に不機嫌なのは、その表情から察せられたんだが……。

「そういうのは、俺に手傷のひとつでも負わせてから言え」

 実力差を鑑みて、はっきりとバカにした笑みで告げると、即座にアデアがだらりと引き摺るように構えていた剣を振り上げた。

 僅かに背中を反って、顔の前を吹き抜ける刃を見送る。顎を狙ったそれに躊躇は感じられなかった。防ぐことを確信していたのか、それともこれで死ぬならそれで良いってつもりだったのか。

 好意的に考えるなら不敵に笑い、すぐさま上段に構え直したアデアの様子は、初撃で決める気はなかったとも見て取れ、前者のような気はするがな。

 ともあれ、男でも女でも勇敢なヤツは嫌いじゃない。だが、蛮勇は恥ずべき行為だ。勝負は、勝ってこそ意味がある。今後のためにも、ここで少しは痛い目を見ていてもらおう、と、俺は右手だけで薪を握り、アデアに向けて構える。


 薙ぐ動きは一歩下がってかわし、振り抜いた剣を構える隙に、間合いを詰めてアデアを後退させる。退いたアデアを手招きで挑発し、粗い振りを右に避ける。

 薪は使うまでもなかった。

 とはいえ、アデアがダメなのではないとは、感じてもいる。その辺の雑兵相手なら、不覚傷を負うことはないだろう。が、なんていうかな、お行儀が良過ぎる印象もある。中堅の兵士相手では戦い抜ける技量ではない。

 貴族出のヘタイロイ……例えば、プトレマイオスなんかも基本的には型通りの戦い方をするんだが、実戦で慣らしているのでもう少しは応用が利いている。アデアは、なんというか、生のままの戦技というか……。一撃一撃がそれだけで終わってしまっていて、次の攻撃に移る前に、必ず予備動作がある。筋肉の動き、重心の移動、視線の動きが、雄弁にそれを語ってしまっている。

 正直、攻撃を見切るのは簡単で、当たってやる方が難しいぐらいだった。

 だから――。

 アデアが上段から振り下ろした剣を、さして太くもない薪で受け止める。

 角度をつけ、刃筋を見切り、力の方向性を上手く支配できれば、そう難しい技術ではない。まして、アデアの剣術は直線的なので先を読みやすいのだ。こんなちっぽけな棒っきれでも、簡単に受け流されてしまう。

「えっ!?」

 だがアデアとしては、まさか薪で青銅の剣を受け止められるとは思ってもみなかったのか、意外と可愛らしい声が口から漏れたので、つい笑ってしまい――鋭い視線で睨まれてしまった。

 くっくっく、と、笑いながら解説をしてやる。

「刃物を、ただ、振るな。接触時に滑らせ、斬ることを覚えろ」

 その言葉を聞いた瞬間に、アデアが腰を落とし、腕を素早く引こうとしたので、ちょん、と、軽く突き出される形になった脛を蹴り、構えを崩した。

 だが、アデアは腕を引くことだけに集中していたのか、大きく姿勢を崩し……踏ん張るも、堪え切れずによろけてしまい、ぬかるみに転がりそうになったので、慌てて薪を投げ捨てて腰を支えた。

「腕に意識が行き過ぎだ。足は要らないのか? ん?」

 抱き留め、額がぶつかる距離でそう告げると、アデアはプイと頬を膨らませて視線を逸らした。

「俺の勝ちだな」

 逃げたアデアの視線を、態勢を立て直すのを手伝いながら言葉で追撃する。するとアデアは、羞恥心からか赤い顔で「今に見てろ」と、吐き捨てるように言い放った。

「あん?」

「その余裕の笑みをすぐに消してやる。ワタシはまだまだ伸びるんだ」

 真っ赤な顔で俺を指差すアデアが、なんだか微笑ましくて、今度こそ俺は腹の底から笑ってしまった。

 目尻に涙さえ浮べて笑う俺を、勝気でありながらもどこかまっすぐな視線で睨むアデア。

 そう、アデアはまだ若い。何者にもなれないまま、既に古くなってしまった俺とはとても吊り合わないほどに。


「その通りだ。だから必要以上に俺に拘るな」

 真面目な忠告のつもりだった。

 だが、どこか寂しそうな、悲しそうな目を向けられたので、ポンポンとその頭に右手を乗せ、軽く撫でてしまい――なんとなく、その流れで訓練を終えた。

 言いたい事を飲み込んだような複雑な顔のプトレマイオスと、どっか悦に入ったような王太子の視線を受けながら。

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