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レオがどの程度の手勢を率いて潜んでいるのかは知らないが、不審な外国人に関する情報は全くといって良いほど出てこなかった。飯屋の下っ端でさえ、正式に入港している人間を珍しがっているというのに。
逆に、公式な使節としてラケルデモンによる、海岸線監視のための軍の展開が行われているという“不確かな”情報が――一件二件では、見間違えや思い込み、口達者なヤツのデマの可能性が否定できない――僅かに漏れ聞こえてきただけ。
なんでも、アルゴリダが、ラケルデモンへの進軍経路とならないように防衛協力での進駐らしいが、港湾付近の監視は緩く――俺がすんなり入国できたことから分かる通り、エンポリウムやその周辺ではラケルデモン兵を見かけなかった――、また、実際にラケルデモン兵を見た、という者もいないようだった。
どこかの誰かが、中央でそんな話が出たのを聞いた、という又聞きの情報だけ。
ラケルデモンがこの国に軍を派遣すること事態に不思議は無い。
しかし、軍を派遣したという情報が、直接接触したという一次情報としてあがってきていないことは不思議だった。
通常、敵対勢力が狙うのは、軍事拠点――奪取・もしくは破壊することで、周辺の非武装地域の獲得に繋がる――、都市――住民を奴隷として売ることによる経済効果と、人的資源を減らすことで敵の兵役の担い手を減らす――、経済基盤――広い農場を焼き払い、飢饉を起こさせたり、鉱山を奪い造幣や武器製造能力を奪ったり、街道や海路を封じて物流を止める――であり、その全てが多く人の居る場所である。
たとえ、無人の海岸線からアテーナイヱ軍が上陸したとしても、結局は人の居る場所へと攻め込む必要があるのだから、防衛部隊を展開する場所は、自ずと人目に付いてしまう。
にも関わらず目撃情報が皆無なのは、駐留軍にアルゴリダ防衛以外のなんらかの別の意図があるのは明白だった。
ならばと、駐留軍を追ってレオを探そうと思い、情報を集めにかかったが、結果は芳しくなく。野営地はおろか、軍の規模、装備、指揮官の名前さえも知ることは出来なかった。
少し危険ではあったが、それなりの地位の人間を何人か買収したり脅迫してみても、結局、全員が同じように、知らないと言う。
アルゴリダの人間も、近海の戦闘を知らないわけではないらしい。しかし、付近のラケルデモン同盟都市へのアテーナイヱ艦隊の襲撃でさえ、自分たちの身に差し迫った危機とは認識していない。
だから、人々のお喋りは季節の話や食事の事、哲学に関する堂々巡りの言葉遊びなんかが中心で、他国の軍人がどこでなにをしていようが、邪魔にならない限りは自分達とは関係ないとでも言うような態度だった。
そう。
この国に来た第一印象通り、アルゴリダ市民が無関心だって言うのもあるが、それにしたってなにかがおかしい。
ラケルデモン軍は、いったいどこから入国したっていうんだ?
ここ以外に大きな港は、この国には無い。もし田舎の漁港を使ったとしても、物流の一大拠点であるここにその情報は集まってくる。
陸の国境線は荒地は多く、人目につかずに入国できるかもしれないが、荒地だからこそ、糧秣を国境越えで補給しているとは考え難く、それならば、付近の都市に糧秣を買い付けに来る兵士の情報があって然るべきなのに。
こんなにも狭い国の中、誰の目にも映らずに、ひっそりとラケルデモン軍が蠢いている。
わけが分からんな。
それに、疑問はまだある。
なぜ、“公式”に派遣されているはずのラケルデモン軍が、都市を拠点とせずに活動しているのか。
逃亡者を狩りたいのなら、逃げ場を狭めていく必要がある。
普通に考えて、軍の居る場所に自分から飛び込むバカはいない。
それなら、各都市にラケルデモン軍が居るという情報を流させ、これみよがしに舞台を更新させ、レオ達の身動きを封じてしまえば良いのに。今のラケルデモン軍の行動は、その真逆で非効率な手段をとっている。
まあ、単純に、アテーナイヱの主要都市を攻囲している最中、この問題にそこまで兵を割く余裕が無いってだけなのかもしれないが……。
いや、だったら、余計に都市部ででんと構え、アルゴリダ軍を利用した方が効率的か。
それが出来ない理由でもあるんだろうか?
ラケルデモン軍の駐留の話は、レオが流させた偽情報なのか?
……いったい、戦争を遂行している間、俺が居ないラケルデモンでなにが起こっていたんだろうか?
一度、情報収集を打ち切って、アルゴリダの地形を思い浮かべ、自分ならどうするか、という視点で改めて考えてみる。
人目を避けつつ潜める場所は、地形的に二箇所しかない。
ここからアクロポリスを突っ切って北西に進んだリルキア山脈がまずひとつ。
ラケルデモンには近いが、木々や地形の起伏は身を隠すのに充分で、ああ……この辺りは、海沿いは暖かいが、内陸部の山に入ると雪が多いしな、水に薪、それに獣や野草なんかの食料の調達も容易だろう。
また、リルキア山脈は比較的大きな河川であるイーナコス川も通っている。
この川は、アルゴリダのアクロポリスを掠めて海へと通じる川で、春を待ち、船で一気にラケルデモン勢力圏外へと抜けられる、……可能性がある。
ただし、逆に言えば、誰にでも予想出来る潜伏場所であり、また、川沿いには村や都市も多く、潜んでいるとしたら厳冬期の山奥ということになる。
軍団を潜ませるなら、三十人未満の少数で、かつ、指揮官が相当優秀でなければ、とっくの昔に発見されているだろう。
もうひとつが、ここから湾を挟んで南西側のラケルデモン国境付近の名も無き高地だ。まあ、荒地と言い換えても良いかもしれないが。
大きくは無いが川があり、船を準備しているなら同じように湾へと抜けられる。らしい。
アルゴリダは中央部が農地が多く発展しているものの、それ以外の国境線――特に、北西の高地周辺は城壁を備えた都市はおろか、村さえも少ない未開の地で、住民は極めて少ない。高地に名前が無いのも、河川の情報が不確かなのもそれが原因だ。
奪う価値さえないということで、ラケルデモンがそれ以上勢力を広げず、監視所も置かずに国境となっている場所でもある。
当然、ラケルデモン側も、これまで重視していない場所であったので拠点は無いに等しく、軍を派遣するにはそれなりの兵站線を確保する必要性があり、軍が駐留するならば、陣地築城をまず行う必要があり、時間を稼ぐことが容易である。
ただし、それは、潜伏する側にとっても追って側と同じように補給が難しいということであり、場合によっては自滅の危険性すらある。
……どっちだ?
しかし、腕組みしてみても、これ以上の推測は出来るはずも無く――。
飲み込んだ唾の音が大きく頭の中に響いた。
積極的に他人の話を聞いて回ることは、こちらの存在を敵に気付かれる危険も大きいので好ましくは無いんだが……。
速度を重視し、単独で出張っているのに、躊躇したり悩んでいては本末転倒か。
この際、手段を選んでいる場合でもない。
覚悟を決め、武装商船隊を指揮していた時の経験と伝手を辿って、アルゴリダの商人組織へと接触した。
無論、そこでもラケルデモン軍やレオに関する情報は得られないだろう。俺が欲したのは、そうした直接的な話ではなく――。
ここ最近、穀物の売買が急に増えた地域に関する情報。革製品の取引が増えた地域。娼館の奴隷娼婦の買い付けや、新規雇用の記録。
そう、兵士だって人間だ。
飯も食うし、男ばかりの遠征軍では、酒も女も欲しいだろう。
売買の記録を丹念に洗えば――そう、商人という連中はどこでも同じで、金になる話には耳聡い。この国の人間が怠惰だったとしても、他国の人間がその分稼ぐだけ――、間接的な証拠は集められる。
また、他にも、最近不思議と旅人や商隊が行方不明になっている街道や、盗賊によって襲撃された村の位置なんかからも、怪しい地域を絞り込む。
路銀の半分以上を使ってしまったが、集めた情報は、一箇所を指し示していた。
リルキア山脈の渓谷。かつて付近の村で大量の凍死者が出たことから、冥界の河ステュクスが流れ込んだとも地元で噂された場所で――。
丁度、この冬も、全く連絡がつかなくなっている村があるらしい。調査や商用で向かった旅人は誰も帰らず、大規模な雪崩が起こった可能性もあることから、春まで立ち入りを見送ることを商人達は内々に取り決めている。
ただ――。
正直な所、村を襲ったのはレオ達ではないと思う。もっとも、その付近で起きている商人や旅人の被害はなんともいえないが。
いや、人道とか、そんな戦場ではクソの役にも立たないようなものではなく、合理的な思考の結果として。
追い詰められていたとはいえ――いや、だからこそ、村の襲撃なんてラケルデモン以外の国では目立つことを、レオしたとは考えられなかった。
レオはもっと老獪で冷静だ。
秘密裏に潜伏するためなら、仲間を殺してその肉で飢えを凌ぐ程度の事は顔色ひとつ変えずに行うだろう。
しかし、他に当てが有るわけでも無かったし、そこにいるのがなんであれ、俺がちょっかいをかければ、レオ達への間接支援にもなるはずだ。
方針が決まった以上、ぐだぐだと悩むことを止め――。
リルキア山脈調査のための必要なものを買い集めるために、宵の町へと駆け出した。




