3
「弓、か」
珍しい武器を使うな、と、思った。
ネアルコスはそんな反応は見飽きたているといった様子で、表情だけはにこやかに、しかし声にはたっぷりの棘を含めて返してきた。
「投石に距離で負け、投げ槍に威力で負け、中途半端な武器と思っていますね? まあ、良いでしょう。弓には弓の良いところがあるんです。例えば――」
昨日の夕飯になった獣の頭骨を弓で射抜いて見せ、更に二の矢でそれを粉砕した。
距離は、そう遠くは無い。巧者なら、投槍でも狙える距離だが、成程、矢のように素早い連射は出来ないな。
得意そうに胸を張って見せてくるネアルコスに、言い方が悪かった、と、素直に謝る。
ネアルコスだけでなく、その部隊も、傭兵が中心というだけあって統一性に欠ける様にも見えたが、こうして見れば部隊の人員数で見れば弓兵が以上に多く配属されていた。
俺の視線に気付いたネアルコスが、弓兵の隊長を何名か側に呼び、紹介しながら続けた。
「猟師を多く勧誘したんですよ。マケドニコーバシオは、畜産中心の国でしたので、山間部にはそうした者も多いんです」
いや、そりゃあ、トラキア人も混ざってるんじゃねーかとは思ったが、マケドニコーバシオの一員としての自覚と自負があるのなら、特にそこは問題とはならないので、俺は口を挟むのを止めた。
そもそも俺自身がラケルデモン人なんだしな。徒に指揮を下げたり、反感を買う意味は無い。
「ボクの軍は、基本的には防衛線を行います」
「城壁からの射撃か?」
それだと、ちょっと今回の戦闘には不向きかもな、なんて考えていると「ええ、基本的には」と、含みを持たせた返事が返ってきた。
「基本的には?」
「軽装歩兵を前に出して、弓での精密な援護も行いますし、逆に矢を射掛けてちょっかいをかけ、食いついてきたところで、後列の重装歩兵と入れ替えて磨り潰したりもします」
ああ、まあ、なんかすごい分かるな。
ネアルコス自身の性質も、そんな感じだし。
「城壁を押さえた上で上陸して援護してもらうか、移動しながら射撃を頼むか、まあ単独で放り込むことは余り考えていない」
「ええ、良い相方がいた方が燃えるモノですよね。弓だけでなく、恋愛相談なんかでも力になれますよ」
最前線で正面きって戦うのはネアルコスも想像していないのか、あっさりと同意してくれたものの、余分なおまけまで付けられてしまった。誰がするか、恋愛相談なんて。
「エロースか、お前は」
エロースは、射た者を恋に落とす金の矢と、恋を失う鉛の矢を持つ、若々しい青年の神で、気まぐれにその矢で人や神を射る困った性格の神様だ。そう、弓の名手で、そっち方面にばっかり興味のありそうなコイツにぴったり。
呆れ顔で指摘すれば、悪びれもせずにネアルコスが言い返してくる。
「いいえ、金の林檎ですよ」
こうしていると、いつまでも減らず口に絡め取られてしまいそうだったので、分かったわかったと応じ――。
問題っていうか、正直、よく分からないもうひとりのヘタイロイとその部隊へと俺は視線を向けた。
そう、戦うのは兵士個人であるが、部隊というのは不思議なことに指揮官の性質を色濃く反映する。
いや、そう調練しているからというだけでなく、部隊間の兵士個人の移動も少なからずあるが、移動先の部隊に馴染む時間を鑑みれば、なにか、人知を超えた大きな力が働いているかのように、指揮官の力が末端の兵まで伝播する。有鬚であればあるほど、速やかに、強く感応させられる。
……まあ、昔の武装商人時代の兵隊は、俺とは似ていなかったけどな。つか、寄せ集めで、正式に俺の元に集ったって形でもなかったし――素直だが無駄が多く、備えはするが実戦を嫌う気質そのものは、エレオノーレを反映していたと思えば、納得も出来るがな。
今の、そして本来の俺とその軍は、軽装の身軽さを活かし敵を撹乱する、遊撃を旨とした攻撃隊だ。
ただ、そうした事を踏まえて言うならば、ラオメドンはあまり特徴の無い男だった。
いや、凡庸というわけではない。そんなのがヘタイロイ――王の友――になれるわけがない。……んだが。この男もその部隊も、驚くほど特筆する点がなかった。
俺は攻めに特化した遊撃部隊であるし、ネアルコスは攻撃的防衛線――防壁ありきで射撃したり、敵の部隊にちょっかいを掛け、食いついて来たらすぐに退いて疲労と進軍速度の遅滞を誘う――を旨としており、どちらもがかなり特徴的な軍を形成している。
逆に、ラオメドンは一般的なマケドニコーバシオ式ファランクスの重装歩兵を率い、かつて王太子が模擬線で見せたような斜線陣で攻める基本に忠実なスタイルだった。
そんな姿勢に、どうしても消極的というか、物足りなさを感じてしまったんだが……。
提出された模擬戦の戦績を見ても、丁度、中程の位置にいる。
時間が押すのはまずかったんだが、扱いを見誤るわけにもいかず、軽い模擬戦を俺の部隊と行わせてみた。
二度とも俺が勝ったが――。ラオメドンの部隊に対しては、規定の時間内に充分な損害を与えたとはいえない演習内容だった。
なるほどな。そういうことか。
ラオメドンは、尖った能力が無いことを自覚し、決して無理をしない将だった。ひとつの戦場を見れば、組みやすい相手だが、戦局という観点からいえば、厄介な相手になる。
不利を悟れば退き、好機に攻める。
いや、それ自体は当たり前の事なんだが、それが出来る人間は意外と少ない。罠、伏兵、地形、天候、その他、戦場には様々な隠された要素がある。
勇みも臆しもしない将。
撤退に際しても、隊列を崩さず、充分に戦える将だ。
どうも、一回り年上の兄の影響から、諦め――というわけではないが、正面からぶつかっても勝てない際に、なにが一番良いのかを考えてこの形になった……らしい。まあ、その高齢で参戦出来ないラオメドンの兄の発言を全て信じれば、だが。
ちなみに、兄貴の方は普通に喋るんだな、とは思ったが、無理にラオメドンに言葉を出させようとは思わなかった。
なにか理由があるんだろう、きっと。
最初は、土地勘があるというだけで選ばれたんだと思っていたが、人伝の噂よりもはるかに有能な将だな。
まあ、優秀で――かつ、寡黙なので――困ることも無いが。
戦術は、決まった。
先駆けを俺が務め、直接援護にネアルコス、後列にラオメドンを据え、戦況に応じて入れ替える――もしくは、頑強な抵抗にあった場合、一時撤退する。
色々とラオメドンを量っていた俺に、困った人だとネアルコスが視線を向けてきたので、俺の方から二人の仲間に向かって手を差し出した。
「さて、行こうか。ミュティレアを獲りにな」
ネアルコスが人懐こい笑顔で俺の手を取り、ラオメドンが、相変わらずの無表情――いや、模擬線で戦って少し分かったが、多分、これは、笑顔だと思う――で俺とネアルコスの手をまとめて包むように握った。
顔を見合わせ、心を決め、俺達は船へと再び乗り込む。
後続の仲間のために、島を奪い取るために。