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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Hercules】 ~Kornephoros~
268/424

15

 日が落ちると、気温が一気に下がったように感じた。

「北の冬は早いな」

 まだ雪になるような寒さではないが、ラケルデモンにいた頃と比べると、段違いの寒さだ。

「ふん……」

 いや、まあ、あの頃は、上着もなしに腰巻程度の格好だったが、と、無い無い尽くしの少年隊生活を思い浮かべてしまい……。

 浮べたはずの苦笑いは、歪んでいた。


 季節は、順調に変わりつつある。

 もう、あまり時間が無い。

 ヘレネスの冬は雨季。雨や雪で増水した川がエーゲ海へと流れ込み、普段は穏やかな海面が一気に波打つ。兵を満載したガレーを出すなら、横転の危険がある。

 しかも、レスボス島攻略作戦は、春まで延期することは出来ない。

 いや、それだけじゃなく、テッサロニケーへの到着が余り遅いと不審がられてしまう。

 占領都市ダトゥを出て、既に二日。

 予定では、新都ペラまで四日、新都ペラでの工作に二日。そして、テッサロニケーまで四日の計十日の日程だ。

 充分な猶予があるとはいえない。


 とはいえ……野宿するつもりまでは無かったんだがな。順当かやや早めの、明日の夜か明後日の昼前には新都ペラに着けそうなんだし。

 別に、野盗の十や二十が怖いわけじゃない。むしろ、普段の俺なら積極的に襲われて、遊び半分で殺して身包み剥ぐ。それなら、食料も路銀も頂けて、マケドニコーバシオの治安も良くなり、ついでに俺も剣で肉を斬る感触を楽しめて、良いことづくめなんだし。

 ただ……。

 新都ペラで騒ぎを起こす以上、余計なイザコザは避けるにこしたことはない。庶子とはいえ、王太子の兄が急病で伏せることになるんだ。

 それに前後する時期に、街道に点々と死体が転がっていたとなれば、善からぬ噂が立つ。


 街道沿いの手頃な水場の近くに、下草を刈って寝床とし、周囲に縄と小枝で簡単に罠を張り、背中に背負っていた荷物を降ろす。旅の必需品は、羊毛の大きな布に包んで背中に背負っていたが、野宿の際にはそれが毛布になる。

 毛布に包んでいた荷物の中から、炒った大麦を出してざっと適当に一掴み、まとめて口の中に押し込んだ。

 傷まないように火を入れているので、若干、墨を齧るようなガリガリとか、そんな音が口の中でなっている。舌には砂が口に入った時の様な、じゃりじゃりする触感が残る。

 食えたもんじゃねえが、食わないよりはましだ。

 急ぐ旅もないのなら、少し街道を離れて山に入れば栗や茸、アシタバなんかの山菜は採れるだろうし、上手くすれば鳥も獲れるかもしれないのにな。

 今は、火を熾して目立つようなことはするべきじゃない。

 夜の明かりは、獣は遠ざけるが、虫や柄の良くない連中を良く引き寄せる。


 籾殻が歯や頬の内側、舌の裏なんかに張り付くので、最後に水をたっぷりと口に含み、軽くゆすいで飲み込む。味気ない夕飯の終わりだ。

 干した果実や、魚や貝の干物、欲を言えば干し肉も欲しいが、今は手元に無い。

 余計な荷物を増やしたく無かったってのもあるし、関所で宿が取れるなら、温かい飯を腹いっぱい食うぐらいの贅沢は出来ていたからだ。


 別に、我慢できないわけじゃないが……。

 ミエザの学園で、少し贅沢に慣れてしまったのかもしれない。実力主義とはいえ、貴族の子息も多く通っていたせいで、必然的に生活水準が高い都市だったんだし。


 まあ、昔を偲んでいるとでも思えばいいか。

 適当にクズみたいな野菜を、大麦の粉を混ぜた水でどろどろに煮込んだラケルデモンしチュー。

 それが標準的な食事だった頃には……いや、不味いとは思っていたが常食していた。

 いつだったか、ミエザの学園に来てそんなに立たなかった――ああ、そうだ春になって冬に残った備蓄が安く町に出ていた時だ――頃、ヘタイロイの仲間に面白半分に乞われて作ってやったことがあったが……。

 飲み込めたのはリュシマコスと王太子ぐらいだったっけ?

 プトレマイオスは皿も受け取らず、皿を受け取ったヤツも大半は臭いで匙を戻した。軍隊規律の維持をしているスタサルノに関しては、こめかみをピクピクさせ、眉間に皺を寄せ、やや後退の始まっている額に青筋を何本も走らせていたが、王太子を始めとしたヘタイロイから作れと頼まれたという事情を知ってか、口を真一文字に結んで――もしかすると、絶対に自分は食わないというアピールも込みでの態度だったのかもしれないが――押し黙っていた。

 あれは、ウケたな。

 主に俺だけが。

 スタサルノは、生真面目過ぎる。その上、王太子に対して信仰に近いような感情を抱いているので、多少の気持ちの悪さを感じてしまう。

 だからこそ、王太子の命令の手前、罵倒出来ずにしかし王太子に追従できずにいるあの顔には、日頃の不満が一気に晴れた。バカ騒ぎを度々咎められているリュシマコスも同じ気持ちだったようで、酔ってるみたいにしつこくスタサルノに絡んで、からかい、その反応に腹を抱えて笑っていたっけ。

 ふふん、と、軽く思い出し笑いを浮べる。


 寝転がって早めの床に入れば、大口を開けて笑っているような、半月を少し越した月が白く空に浮かんでいる。


 不思議なことだな、と、思う。

 いや、空に月があることではなく、ふとした瞬間にこうして思い出す記憶が、マケドニコーバシオに来てからのものばかりだということが。過ごした時間は――確かに、面白い記憶ばかりではないが、まるっきり全部がクソだったとも言い難いのに――、ラケルデモンの方が長いのに。

 いつだったか、エレオノーレに返り討ちにされたペットの二匹の名前は、もう思い出せなかった。死んだ人間に意味は無い。周囲に新しい人間が増えている以上、新しい名前を覚える度に古い名前が消えるのは当然の摂理だ。

 様々なことは移ろい、忘れ去られていく。


 なのに――。

 幼い日の屈辱の記憶だけは、いつまでも薄れない。

 ラケルデモンは俺が奪う。俺以外に、ラケルデモンに王族は要らない。全て、殺す。二つの王家と中央監督官の分権を廃し、軍制改革を成し、マケドニコーバシオの先進的ファランクスを超える軍を整える。

 ヘレネスが統一され、各都市国家が自立しつつ軍権を切り離された内政組織と化すなら、ラケルデモンに今の政治システムは不要だしな。


 それからは……。

 そうだな、俺は、ラケルデモンの王権を獲ったら満足、ということでは既に無さそうだった。

 アカイネメシスを討ち滅ぼし、更に東征を進め、王太子と東の果てまでを征服するのは、悪くない。

 人が人である以上、戦場がなくなることは無い。

 最後の最後まで俺の技と業を振るえるなら、そんな生き方は悪くない。


 今は、国を追われる王太子とその仲間の戯言と笑われるだろう。

 別にそれでも構わない。

 ただ死んでないだけの人生を生きている大半の人間なんて、くだらない常識で了見と可能性をせばめるものだ。理解される必要は無い。理解出来る人間だけが仲間だ。


 どこまでも、戦い、攻め滅ぼすことを考え。

 ――少しだけ、昔より、幸せな気持ちで俺は眠りに落ちていった。

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