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Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Hercules】 ~Ras Algethi~
250/424

18

 藁人形を前に、鉄の剣を構えた軍団。

「掛かれ」

 俺は、ただ、いつも通りの口調で命じた。


 木剣での素振りや基礎的なことは学ばせていたが、やはり、刃物を刃物として扱うための訓練は必要で――でも、ここでラケルデモン式の実際の人間相手の斬撃訓練等は到底実施出来るはずも無く、近接戦闘の調練の仕上げとして、藁人形相手に『斬る』ための訓練を始めた。

 正直、火を熾す際に火打石で火種を点けるため、藁はそれなりに値が張るんだが……いや、ううむ、必要な経費だしな。それに、夏に収穫した麦藁は、丁度乾燥して市場に出回り始めた時期で、調達もしやすかった。

 まさか、実戦で剣を棍棒と同じように扱わせるわけにもいかないしな。


「無理に大降りをするな。盾と鎧で身を固めた重装歩兵とお前達の最大の違いは、速度だ。隙の出来る攻撃は控えろ。斬りつけた後、更に追撃できる姿勢を常に意識するんだ」

「はい!」


 時々、振り被った剣で自分の足を斬りそうになっているヤツの刃を自分の長剣で受け、流し、柄で軽く小突いて注意しながら、既に二百人を超した俺の軍を見て回る。


 剣は、非常に扱い難い武器だ。

 槍は長さもあるので、初心者でも恐怖心を抱き難く、かつ、戦列を作って前に突き出すだけの動作なら、短期間で覚えられる。

 市民軍が槍を持った重装歩兵で構成される理由は、そこにある。

 常備軍になれば、第二列目以降の兵士が、槍を斜め上に構えて飛来物を叩き落したりと、もう少し複雑な動作も行うが、基本的には、鎧と盾で身を固める、守り主体なのは変わらない。左右に密集した味方で槍を薙ぐことは出来ず、隣のヤツが倒れても、ひたすら前へと槍を突き出す。前のヤツが倒れれば、一歩踏み出して前列に加わり、横隊の崩壊を防ぐ。

 前進だけの単純な作戦だが、数で圧倒する分には好都合な陣形。それがファランクスであり……忠誠心を拠り所とする、市民軍では個の能力よりも、集団での力を発揮しやすい陣形であり……。

 俺が自軍に命じようとしている、複雑な命令を実行できない戦法だった。


 陽動、誘引、威力偵察、奇襲、待ち伏せ……。それらを実行するには、機動力があり、小回りが利き、かつ、騎馬ほどに目立たない軍が必要だった。

 防具の少なさを運動力で補い、槍とは異なり、細かく取り回せる剣により敵を撹乱する。


「敵が、防具で守りを固めているからといって恐れる必要は無い。鎧の継ぎ目、兜の隙間から覗く敵の目に、脛当とサンダルの隙間、冷静に観察し、技量で敵の守りをすり抜けろ!」

「はい!」


 充分な重さと長さのある剣で、かつ、それを扱える技量があれば、盾だろうが兜だろうが叩き割ることは難しくは無い、が、それを俺は兵士に対しては求めてはいなかった。

 俺が、ラケルデモンで十年以上をかけて身につけた技術だ。安易に真似出来るとは思えない。それなら、真似できる部分――戦場でも冷静で、視野を広く持ち、自ら考えること――を教えた方が効率的だ。


「実戦では、一対一に拘る必要も無い。そもそもが、正面から正規軍にぶつかるつもりは俺にはない。投槍で投石で崩した軍の、戦列の折れに突っ込むのだ。斬り合いで意識が前に向いた敵の横から、後ろから斬り崩せ。……ああ、手練相手なら、無理に斬り合うな。二~三撃で倒せないようなら、距離をとれ。そのための投石技術だ」

「はい」


 続けろ、と、命じ視察に来たプトレマイオスの方へと俺は足を向けた。

「お前の部隊は、他とまるで毛並みが違うな」

 開口一番、挨拶もそこそこに切り出したプトレマイオス。

「うん?」

 意味が――いや、意味するところが多過ぎて、どういった点について指摘されたのかが分からず、俺は首を傾げて見せた。

「目付きの時点でまるで違う。なんといえばいいかな……熱気ではなく、冷気を感じるというか……」

「手は抜いていないぞ」

「当然だ。そうではなく……」

 表現に困っているのか、プトレマイオスが予想以上に真剣に悩み始めたので、大丈夫だ、なんとなく分かると、返し、改めて兵士の側に向き直る。

 他の常備軍の兵士の目は、情熱で輝いている。古参の兵は、これまでの栄誉によって上を向く。

 ここの連中は――。

 動機の部分で違っている。他の場所では、もう生きていけない。人生に意味を求めるには、もうこの場所で勝ち抜くしかない。そういう男達の軍だ。

 どちらが優れているとか、勝っているでは無い。と、思う。

 あり方の違いだ。

 いや……それは――。


「プトレマイオス」

「うん?」

 予想以上に擦れていない目を向けられ、伝えるべきか否か、かなり迷ったが……このまま伝えずに仕舞いこんでおくよりは、マケドニコーバシオ貴族として領地を持つプトレマイオスには必要な情報だと感じて、俺は口を開いた。

「生意気を言うようでアレだが、ひとつ、忠告させてくれ」

 一瞬驚いた顔をしたが、苦笑いで鷹揚に言い返してきたプトレマイオス。

「今に始まったことでもない。それに、私はお前の教師ではあるが、それ以前に同じ王の友だ。遠慮するな」

「俺の軍は、卑賤だ」

 プトレマイオスは、真顔になり……暫く口を真一文字に結んでいたが、最終的には項垂れ――。

「……すまない、先程の発言は、そういう意味ではなく――」

 と、ちょっと俺が思っていたのとは少し違う謝罪の言葉が出てきたので、俺は慌てて「怒ったわけじゃないんだ、最後まで聞いてくれ」と、口を挟んだ。

 プトレマイオスは、やや気まずそうにはしていたが、再び話を聞く姿勢になったので俺は、さっきよりも慎重に言葉を選んで話し始めた。

「事実として、無産階級や、市民権を制限されている連中を集めて組織した軍隊だ」

 うむ、と、プトレマイオスが頷いている。

 そう、発足当初、そこで少し揉めたのは記憶に新しい。なによりプトレマイオス自身が、そうした人間を取るに足りないものとして見下している節もあったし。

「ここにこなければ、どっかの土木工事や、作業場ではした金を貰って、安酒かっくらって、……喧嘩もすれば、夜中に出歩いている婦女子を見つけて強姦もしていたかもしれない、そんな、治安面では懸念となるような連中だった」

 話の行方を見定めようとしているのか、プトレマイオスは無言だった。

 なにか反論や意見があるかな、とも思って一呼吸の間を挟んだが、特に動きも無かったので、俺はそのまま話し続けることにした。

「色々と、事情はあったんだろうよ。元から貧乏だった、とか、誰かに騙されて金を失った、とか。ただ、経緯はどうあっても、自力では浮上できない場所まで沈んだ連中だった。が、今のコイツ等はどうだろう? 才能の煌めきは、一片も感じないだろうか?」

「……いや、他の軍に劣るとは思っていない」

 口が重いのは、まだ全幅の信頼を得たとは言えない状況からだろう。事実、犯罪面に関する罰則は、抑止の意味も込めて他の軍と比べかなり厳しくしてあるし。

 むしろ、多少なりとは認めてくれていることを喜ぶべきか。


 うん、と、俺は頷き返し、続けた。

「誰にも目を向けられない場所であっても、才能までは失っていない者は、確かに居るんだ」

「……救貧制度を?」

 プトレマイオスが、少し先走って訊ねてきた。

 確かに、昔から、そういう話もあるにはあるようだが、予算がつかずに流れることが多く、実用的な制度としては、どの都市国家――ポリス――でも運用されていない。

 なぜなら――。

「うーん、確かに、それも必要かな、とは思うが。上から見てる分には、貧乏してるのも、荒んでいるのも、個人の責任で知ったことじゃないって形だろ? 救貧制度を設けるにしても、予算はきっちり働いている市民の税から出すんだから、反対も多いだろうし」

「確かに……そうだが」

 俺の軍を目の当たりにしているからか、プトレマイオスの眉間には微かに皺がよっていた。他にも、噂程度なら、エレオノーレの過去も聞き及んでいるのかもしれない。


 貧乏人に機会を与えることは、公金を出せないなら、個人で行えば良いという物でもない。制度を整えるには役人も必要だし、基準も設けなくてはならない。そして、市民の感じる不平等感に対する方便も。

 今日明日で出来る対策では、決して、無い。

 そうじゃなく――。

「俺が言いたいのは、ここの連中みたいに、それなりに腕があるにも関わらずに、卑しい仕事で安く使い潰されるヤツのことさ。自力では、もうどう足掻いても成功者にはなれない。それを知ったら、どんな自棄を起こしても不思議じゃない。強盗でも、敵国のスパイでも、なんでも。どうせ失敗した人生なんだから、と、他の人間への嫌がらせにかかる」

「そこまで極端なのも少ないと思うが」

 と、前置いた上ではあったが、プトレマイオスは俺の意見に同調した。

「分からない話でもない」

「俺の軍は、そうした不平不満の発露と言う側面もあると思っている」

 ここの連中が、本当にこの町を荒ませることが出来るとは、俺も思っていない。むしろ、ひっそりと野垂れ死ぬ程度だと思う。

 が、切っ掛けがあったらどうなるか分からない、という爆発力も持ち合わせていると思っている。今回はたまたま俺が焚きつけ、悪いほうへところがらなかったというだけで。

 どうせ落ちぶれて死ぬなら、最後くらい派手に、なんて心境だ。

 ただ、その場合でも、しっかりと訓練した常備軍にならず者の集団が勝てるとは思っていない。

 余程油断していない限り。国内が揺らいでいない限り。

「貴族だから、と、視野をせばめて足元をすくわれないでくれよ」

 頭の後ろで腕を組み、軽い調子で話をまとめる。最後の最後で、なんか、照れ臭くなったからだ。

「肝に銘じておこう。しかし……」

 どこか晴れやかというか、感慨深そうな顔で俺を見たプトレマイオス。

「うん?」

 首を傾げれば、まるっきり親父――といっても、俺の親父ではなく、マケドニコーバシオで一般的な保護者としての概念での親父だが――のような顔をしたプトレマイオス。

「あのアーベルからそんなことを言われるとはな。嬉しいぞ」

 言ってろ、と、そっぽ向いたが、プトレマイオスの言葉は追いかけてきた。

「そして、これは……今度は、私からの忠告だが」

 げぇ、と、特に最近では思い当たる節はなかったが、少年従者の件で絞られることが多かったので、つい、素で変な声が漏れた。

 コホンと、プトレマイオスが澄ました顔をするので、俺もやれやれと――。

「悩みがあるなら相談しろ。エレオノーレ殿からも聞いたが、お前はどうしても自力で解決したがる悪癖があるようだからな。たまには素直に頼れ」

 ……やれやれと言った顔で向き直ったんだが、下唇を噛んで頭を掻く羽目になった。

「そんなに分かりやすいか?」

 自分の兵士の前で迷いを見せるのは半人前以下だ。

 そもそも悩みがある、というのも正しい表現だとは思っていないが……。いや、心が決まっていないという意味では、同じことか。

 一貫していない軍は弱い。

 前と同じ失敗をするつもりはないんだが……。

「いや、付き合いの長さと、お前の心配性の恋人のおかげだ。それで? どうしたんだ?」

 まあ、確かに、ミエザの学園に来てから、プトレマイオスとはずっと一緒に行動していたしな。エレオノーレも、家で話していて時々言葉に詰まることもあったので、それを過剰に報告したんだろう。


 ただ……。

 ん――。

「いや、悩みといえばそうなのかもしれないが、しかし、なんと言うか……。掴みかねているんだ。不全感と言うか……。先生と話していて、時々、わからなくなる」

「疑問は、素直に尋ねるべきだと思うが?」

 正論だと思ったが、それで済むならそうしている。俺が問題としているのは、決して複雑な理論を理解できていないということではなく、論の正誤に関してでも無い。

「疑問、とは違うんだよな。もっと漠然とした――」


 このままで本当にいいのか?


 そう、心に問われている気がする。今の自分が間違っている、とは思っていないのに。なぜか……。

「漠然とした不安のようなもので、悩み云々より先に、自分でも上手くまとまっていない感情なんだ」

「ああ、新しい方針の軍だからな。色々な意見も出ているし、不安は当然かもしれないな」

 プトレマイオスは、勝手に俺の言葉を解釈したようで、あっさりと結論を出してしまった。


 そういうことでもないんだが。

 いや、まあ、俺もいつも軍の事ばっかり話しているので、そう思われても仕方が無いのかもしれないし、結局上手く説明できないことには変わらないので、俺は曖昧に頷くことにした。

 いずれにしても――。


「もう少し、はっきりしてきたら相談させてくれ」

「ああ、約束だぞ」


 こん、と、籠手同士を俺達はぶつけた。

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