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軍の、初のお披露目を終えてから十日。
将軍詰め所の一室で――。
「剣で突撃するより、槍を一本手元に残させてはどうだ?」
と、リュシマコスが、大きめに切った羊肉を串に刺して炙ったスブラキを齧りながら、提案してきた。
今日は、午前に、プトレマイオスの軍を敵役として、三人で訓練を行い、午後の書類仕事前に食事しながらの反省会となっていた。
「長さで負ける」
確かに、剣は習熟に時間が掛かる。現状、棍棒として扱ってしまう者も少なくはない。それならば、長さを活かし、単に槍を突き出させた方が戦力になるだろう、というのがリュシマコスの考えのようだが……。
投擲用の短槍では、普通の槍を使った中距離戦闘で押し負ける。機動力を生かしたペルタ――三日月盾――なので、防御は薄いし。
懐に踏み込み、剣による面での攻撃が活路だ。槍の線での攻撃を跳ね返すには。
「長槍を持たせれば、いや、邪魔になるのか。中々、扱い難い部隊だな。お前と同じで」
言い終えた後、チーズを溶かして薄く固め直し、酢と塩で味付けし、オリーブオイルで揚げたサガナキをひとくち分、口に放り込むプトレマイオス。
はあっははは、と、リュシマコスが笑うので、俺はタコの揚げ物を頬張って口を閉ざした。
俺の軍に対するヘタイロイ内の反応は……まあ、予定通りとしかいえないな。元々が、其々の性格や性質を部隊に反映させているので、相性の面から合わない所もあるし、新造の部隊に逆風が吹くのは、ある意味当然でもある。軍事予算だって、限りがあるんだから。
むしろ、――俺の教育係という側面もあるにはあるだろうが――プトレマイオスや、今回連携の可能性のあるリュシマコスその他、主に運動戦――部隊を動かし、敵を攻撃する軍――を行うヘタイロイの印象は早い段階で良くなったので、上々と言ったところだろう。
もっとも、ファランクスでの決戦が名誉とされているので、俺の軍とは強い功名争いにはならないとの政治的な判断もあるだろうが。
逆に、というか、これも予想されたことではあるが、防衛戦や軍規の監視を行う部隊の物からの印象はいまひとつだった。特に、ヘタイロイの犯罪を監視しているスタサルノには、随分と嫌われている感は――俺の軍の出自や従軍時以外の素行面を鑑みれば当然かもしれないが――否めない。
ただ、防衛戦を主とする王の友――ヘタイロイ――ではあるものの、クレーテーの出身で、現在の地位もそれほど高くなく、騎兵ではなく徴募の重装歩兵を指揮しているネアルコスからは、高い評価を得られたりもしている。性格的な面では、俺とはそれほど相性がよくなかったので、ちょっと意外ではあったが。
ヘタイロイの中での俺の軍の位置付けも大凡固まり、リュマコシスやプトレマイオスとの騎兵の合同訓練も、順調に推移している。
半日空きが出来た日には、先生とも――議論、というか、どちらかと言えば……いや、プトレマイオスとの時のように、授業とも言えないんだよな。
先生は、俺が考えるまで、答えを待ち続ける。そして、先生の話す内容は、そのほとんど全てにおいて答えが出ないような話が多かった。
例えば、若い母子が崖を落ちかけ、片方しか助けられないならどちらを助けるのか、等。
自分ならどうするか、それを行った場合、周囲の人はなにを思うのか。それは、どんな正義の結果なのか。
いや、それだけでなく、割と一般的で、話だけは聞いていた『テセウスの船』に代表するような、なにを以って同一というのか等……。やはり、これが正解というものの無い問題ではあったが、答えの出ない問題を考えることや、それにより他者の思考を慮ること等を教わった。
自分とは、どういう人間で、自分以外にどんな価値観があるのか、ということが、少し分かってきた気がする……。
「午後の仕事で思い出したが、お前の軍は予算面でもかなり優秀だな」
プトレマイオスが……、多分、予算の合算値だけを頭の中で弾いて言って来た。
「いや、騎兵と歩兵を比較するのはおかしいだろう」
予算の、内訳は……いや、書類ではしっかり記しているので、こちらの落ち度ではないが、兵士其々の給金は他のヘタイロイと同じだ。馬の維持費や、装備の値段の差を考慮すれば、そこまで安いってわけではないと思う。
装備を自弁する徴募兵や市民軍とは、さすがに桁がひとつ違ってしまうし。
「まあ、そうだが、それでも軍を新設するに当たり、承認を得やすかったのは確かだろう」
「なにか、してるのか?」
プトレマイオスが言い終えると同時に、リュマコシスに訊ねられた。
そういえば、プトレマイオスの軍は、確かに予算はかなり掛かっていたよな。俺の軍のおよそ五倍程度だったか?
まあ、騎兵の維持費以外にも、領地から呼び寄せている兵士の衣食住の面倒に、家臣の格に応じた上乗せ金等、必要な経費ではあるんだろうが……。
ああ、いや、その違いだけでもないか。
「装備の調達に関しては、武装商船隊時代に、随分と交渉や原価を覚えたからな」
相場を把握している以上、暴利られることも無い。まあ、町の外の連中や、行商人を多用し過ぎると商業ギルドからの圧力もあるので、程々で泣いてやったりはしているがな。
ただ、ヘタイロイの中には、単純にお抱え商人の持ってくる装備をそのまま買い、武具の整備も工房に丸投げって所もあるし。
そうした細かい部分の節約も積み重なっているのかもしれない。
「そういえば、アーベルは午後は、書類仕事だけだよな? こっちは空きだから、晩は一緒するか?」
多分、予算面での遣り繰りの相談――リュマコシスの軍がどの程度金がかかっているのか、ちょっと俺は把握してないが、現状、浪費していないにしても、余裕があるに越したことは無いんだし、コツを聞きたいのかもしれない。
まあ、この男の場合、単に多人数で飲み食いしたいだけってのもあるので――晩の食事を一緒すると、決まって腹心や兵士を五~六人連れてくるので、宴会になる――、判断に迷うが。
しかし、今日は……。
「あ――」
まあ、約束があるとも言い切れないんだが、上がりの時間が分かっている日は、たいてい……。
「家に待つ人が居るヤツを誘うなよ」
プトレマイオスが、少年従者の件で散々手を焼かされたのを未だに根に持っている顔で、俺を一瞥した後、にんまりとリュマコシスに笑いかけた。
微かに嘆息した俺と、豪快に笑ったリュマコシス。
どうも、アンティゴノスの策略というか奸計に嵌ってしまったようで、少年従者の件も含め、そういうことだと勝手に納得されてしまっている。
三日ないし四日に一度はエレオノーレと夕飯を一緒して、ポツポツと夜半まで雑談するせいで。
まあ、別に嫌なんじゃないんだけどな。誤解されたとしても、特に悪影響もないし、むしろ、少年従者をつけろという話が沈静化している限り、俺にも充分な利益になっているんだし。
少しだけ……なんとなく、そう、馬に乗ったときのような座りの悪さはあるけど、追い返すって気分にもなれないし。
「王太子には、なんて言うんだ? 今、ペラだから、帰りにはお前の正妻となる相手の目星ぐらいはつけてくるはずだぞ?」
思いっきり他人事なのか、リュマコシスに冗談にならない問題を冗談のように聞かれてしまい……俺は、リュシマコスの前にあったスブラキをひと串まるまる口の中に詰め込んで、閉口した。
が、助言をするかのようにプトレマイオスが――。
「別に、ラケルデモンの風習に従うこともあるまい。ここじゃ、充分な実績があるなら、何人妻を娶っても構わないんだからな」
とか、俺の教師としての顔で補足するものだから、余計な噂が立たないように、口を開かないわけにもいかなくなった。
頬にいっぱいだった肉を噛み、飲み込む。横から、良く噛めよなんてありきたりなことを言われた気がしたが、今はそれどころではない。
「考えている。が、それより先に決すべきは、今度の戦争と、王太子の後継問題だ」
と、俺は愛想なく問題の摩り替えを謀ったが――。
年上の戦友二人に、余裕たっぷりの笑みで迎え撃たれ、丁度響いた午後の始まりの鉦で、昼食を切り上げて其々の仕事場――リュマコシスは、今日は午前だけなので帰宅――へと向かって歩き始めた。
そう、多少の問題はあるものの、それはむしろ生きていれば当たり前程度の事で、なにもかもが順調なのは、否定しないんだけどな……。




