表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Celestial sphere  作者: 一条 灯夜
【Hercules】 ~Ras Algethi~
241/424

10

 荒れている、というよりは掃除をしていない家だと思った。家は、住人の個性を強く反映する。竈は、以前使った痕跡はあるが、最近は使われていないのか灰は無く、煤がこびり付いているだけだ。

 予想通りで、目的通りだ。

 俺達三人が踏み込んでも、めんどくさそうに視線を向けただけの男は、世の中に対する不満や怒りといった焔も燃え尽き、どこか諦めたような感情の抜け落ちたような顔をしていた。

 こんなものか、という顔をしたのはプトレマイオスで、コイツをどうするのかね、と、試すような目を俺に向けてきたのがアンティゴノス。

「なんだ……借金は無いぞ。借りる当てが無いんだからな。ここも立ち退けってか?」

 くくっと喉の奥で笑った男は、資料では四十歳のはずだが、皺の感じから言って、もう少し歳が上のようにも感じた。筋肉は……まあ、衰えが目立つのは、しょうがないか。こんな生活では、アゴラで汗を流すといったこともしていないんだろうしな。

 屋台の売れ残りで飢えを凌ぎ、昼まで寝て、時々は雑用で駄賃を稼ぐ。そんな家畜と大差ない生活をしているんだろう。

「お前の、未来を予知してやろう」

 男の前に立ち、俺は話し始めた。

 プトレマイオスは服が汚れるのを嫌ってか、それとも目の前の男が逃走するのを防ぐためにか、戸口を動かなかった。アンティゴノスは、俺とプトレマイオスの間で、壁に背を向けいつも通りの底が読み難い薄ら笑いを浮べている。

「クソみたいな仕事で、はした金しか貰えず、安酒で酔っ払い、ある冬に凍え死ぬ」

 男は、目を背けず、顔を顰めもしなかった。

 当然だろう。誰が見ても明らかなことなんだしな。自覚がないわけがない。

「自分でも分かってるんだろ?」

 顔を近づければ、真っ暗な洞のような目が、不安や恐怖と言った側に震えているのが分かった。

 いいね。

 丁度良い具合に、濁った目だ。

「世界は、お前に、優しくない。これまでに大勝ちする機会は巡ってこなかったし、そもそも勝負に出れるだけの元手もない」

「……ただ、嘲いに来ただけか? いいとこの、お坊ちゃんが」

 こちらの狙い量りかねているんだろうが、善意ではないと解釈したようで、苦労知らずと暗にからかってきた男。

 フン、と、プトレマイオスが鼻を鳴らす。

 確かに、一部、金に任せて奴隷兵だけを戦場に送り、自らは遊び呆けている富裕商人や地方貴族もいるにはいる。が、そんなのと同じと思われ――いや、プトレマイオスは、こちらの実力を測れない、腐った男と、心底目の前のヤツを嘲って鼻を鳴らしたのかもな。

「嘲って欲しいのか?」

「…………」

 それならそうするが、と、訊ねてみるが、男は今度は返事を返さなかった。

 ので、そのまま話し続けることにした。

「別に、深く考えなくて構わん。直感で答えろ」

「ん?」

 なんだ、仕事の依頼だったのか? と、少し表情を変えた男が、顔を斜めにして俺を見上げたので――。

「金をやるから人を殺せ。出来るか? ただ、殺すのは一人二人じゃない、千も万も殺してもらう」

 視線がぶつかると同時に、一欠けらも感情を含めずに俺は訊ねた。

「おい!」

 身を乗り出したプトレマイオスを、アンティゴノスが腕で遮り――首を横に振って押し留めている。

 目の前の男は、俺を探るように見詰めてはいるが、状況を全く理解出来ていないのか、あからさまに挙動不審になった。

「結果は変わらん。戦時に殺せば英雄で、平時に殺せば犯罪だが、事実はどちらも死体を積み上げる作業だ」

 右手を視線の高さまで上げ――、手の皺を一瞥してから、強く握る。

「勇気、忠誠心、情熱、功名心……戦場での殺しを肯定する感情だ。が、それだけか? それだけで戦闘に、戦争に勝てるのか?」

「なにを……言っている?」

「俺には、熱意があった。それでも、負け続けた。しかし、ここに居る」

 ラケルデモンの王位継承権を奪われ、国からは逃げ延びたが、それはラケルデモンが戦争準備中だったからで、俺の実力だけに依るとは言えない。私兵部隊を組織したが、連れ出した女を御しきれずに分裂させ、最後には模擬戦で王太子に打ちのめされて……。

 にも拘らず、ヘタイロイとして抱え上げられた。

 人生とは運が全てなのか? なら、俺達がこうして飽きもせずに毎日鍛えているのはなんのためだ?

「お前は、どうする?」

 同じ疑問と矛盾を感じないか? こんな、家畜と変わらない最低の生活の中で。

 言外に、問い掛ければ、男は俺から視線を逃がした。

「負け続けた人間が学ぶのは、どんな場所でも生きていけるということだ。恥にまみれようが、悪事に手を染めようが……な。誇りを捨てれば、なんだって出来るさ。しかし、それは、死んでいないだけだ。……どん底を、身を以って知った。そうだな?」

 男は、無言で頷いた。堅い寝台に腰掛け、項垂れるように顔を地面に向けている。

 細かく降り積もっていく毎日なら無視できていた、惨めさや憤り、悲しさや虚しさ、そうした渇望の山を直視させる。目の前の男ひとりでは、どう足掻いたって突き崩せないほどの大きな山だ。

 息遣い、腕の筋肉の動き、足の緊張、細かな兆候を注意深く観察し……。俺は意図して造った面のような表情を崩し、少しだけ口角を下げた。

「では、もう一度お前に訊こう。俺の命令で、人を殺せ、手を汚し続けろ。結果に見合った報酬を出す。どうする?」

「危険、なんだろ?」

 親を捜す子供のような声だと思った。

 だから、俺は、救いを求めて伸ばされたその手を、突き放した。

「安全な戦場がどこにある。もしその時が来たら、国のため、仲間のために潔く死ね。逃げて、再び、誰にも顧みられず、死んだら舌打ちひとつで城壁外に放り捨てられるだけの生活に戻りたいのか? 同じ死ぬにしても、仲間に担がれた盾で帰還し、惜しまれながら弔われたくは無いのか? いつか必ず死ぬというのに、命を惜しむだけの生で良いのか?」

「命令か?」

 口振りから、ようやくこちらが軍人だと気付いたのか――そんな確認をしてきたので、俺は肩を竦め、先ほどよりは随分と軽い調子で答えた。

「いや、お前が選べ。無理矢理連れてって役に立つなら、最初からそうする。俺は数合わせの兵隊なら要らないんだ。自分には無理だと思うなら、そう言え。お前の性根がもうどうあがいても直らんようなら、どうせ途中で脱落する。二度手間は面倒だ」

 そもそも、普通に募集を掛けても定数以上は集まるんだからな。形だけ整えるなら、わざわざこうして、癖が強く一芸のある人間を訪ねたりはしない。


 二呼吸の間が空き、男は伏礼した。

「トニと申します」

「おう、よろしくな。顔を上げろ、立て、次に行くぞ、まだまだ回るところはあるんだからな」

 アンティゴノスはいつも通りのニヤニヤ笑いで、プトレマイオスは文句の二つ三つ飲み込んだような顔で頷き――まあ、及第点ぐらいは貰えただろうな――、俺に先立って家を出ようと……。

「あの……アンタ等は?」

 トニが、プトレマイオスが怒りそうな雑な口調で訊きあがった。

 やれやれ、俺の軍に編成するなら、早いうちに、口の利き方も覚えさせないといけないな。

「アンティゴノスだ」

 怒っているわけでも、容認しているわけでもない、独特の重さのある声。そして――。

「……プトレマイオス」

 露骨に不機嫌な声。

「ヘタイロイの……。じゃあ、アンタは――、外から来たって言う」

「アーベルだ。喜べよ、お前が俺の最初の兵隊だ」

 前の連中は、俺のではなくエレオノーレのなので、数に含めない。とっとと吐いて来い、と、手招きして家を出る。トニは――まあ、無産階級や奴隷では珍しくないが――素足で付いてきて、どうも一言多いのは性分らしく、家を出ると同時に俺に対する噂? について話してきた。

「破天荒な男だと聞いていた」

 噂と違ったか? と、視線で問えば、噂以上だという顔を返されたので俺は肩を竦めて軽口を返した。

「そうか、素敵な上官で感動したのか。徹底的に鍛え上げてやるから、感謝しろよ」

 目を細めて「……口の利き方と、礼節に関しても、な」と、付け加えれば、先を歩くプトレマイオスにお前もな、とか、余計なことを言われたので、寝ている犬を起こす間違いをしない内に、俺は前の二人と並び――。

「さて、次はどいつだったかね」

 と、顎に手をやったアンティゴノスに「ここの向かいの三軒先だ」と、答え、再び先頭に立って歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ