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エレオノーレが去ってすぐに、ドクシアディスが宿に帰ってきた。
と、いうか、入るにはいれずに宿の入り口で足止めされてたってのが本音だろう。まあ、盗み聞きとは、随分と趣味が良いことだが。
頭を斜めに傾けて、軽く睨みつける。
しかし、ドクシアディスは特に怯みもせずに軽く肩を竦めて見せただけだった。
――ッチ。面白くない反応に、軽く舌打ちしてから、ふとさっきのこと――エレオノーレとの遣り取りではなく、市場でのドクシアディスの態度――を思い出し、こちらからからかう視線で訊ねてみた。
「なんだ? 結局奴隷を買ったって話か?」
「いや、そうじゃないんだが……その、大将、分かっていてやってるのか?」
言い難そうにしながらも聞き返してきたドクシアディス。しかし……。
「なにがだ?」
問われていることの意味が上手く理解出来なくて、答えようが無かった。
微かに嘆息して言ったドクシアディス。
「多分、姉御は大将の近くにいたいだけだよ」
「ああ、まあ、これまではそうだったからな。なんだ? 女衆でも、エレオノーレの扱いに困っているのか?」
なんの気なしに答える俺だったが、ドクシアディスは、額を押さえてしまった。
「すまん。なんか、もう、率直に言った方が良さそうなので言うが、大将は姉御と結婚しないのか? まあ、年齢的にアレだって言うなら、婚約だけでも――」
予想だにしなかったことを言われ、目を瞬かせてドクシアディスを見る。
コイツは、なにを言ってるんだ?
冗談を言ったわけではなさそうだが……。
「なぜ?」
率直に訊き返すと、ドクシアディスは露骨に驚いてみせた。
「は、はぁ!? なぜって、なぜ?」
しどろもどろになっているドクシアディスを宥めながら、ゆっくりと噛んで含めるように俺は言い聞かせた。
「落ち着けよ。お前等、誤解していないか? ああ、キルクスも似たようなことを少し前に聞いてきたが……。ったく、俺は、アイツの保護を約束しているだけで、別に結婚相手として連れ歩いてたわけじゃねえよ」
説明を聞き終えたにも拘らず、あんぐりと口を開けたままのドクシアディス。意外と……でもないか、元々そういう毛があったが、血の巡りが随分と良くないようだ。
ようやく口にした言葉も。
「姉御とそういう話は?」
なんて疑問だったし。
「多分、ずっと昔にした。ついてきて欲しいって言われて、同意したからな。守ってやるって契約だろ? 面倒な事態でもちゃんと守り抜いてきたし、危険を遠ざけるように努力もしている。アイツが、それを反故するような行動をしているので、若干イラつく時はあるがな」
「すまん。大将、俺の認識が甘かったって言うか……。あー。姉御達と、一度しっかりと相談してから来るが、大将は、もう少しそういう意味で考えてくれよ」
「そういう意味?」
はっきり物を言え、と、睨めば、諦めたような様子でドクシアディスが口を開いた。
「大将は姉御が嫌いか?」
「部分的には」
問われて即答すると、ぶっと、ドクシアディスが噴き出した。
「え? な?」
「精神的に甘い部分と、余計なことに顔を突っ込んで、大局を見れない部分が嫌いだ」
ああ、と、どこかしみじみと頷いた後、ドクシアディスが慌てた様子で更に問いかけて来た。
「好きな部分はないのか?」
視線を斜め上に逃がし、口元に左手を当てる。
長い瞬きのようにゆっくりと目を閉じる。
雨の中……。
お互いの体温と気配。
魂が強く結びついたような、そんな瞬間のこと。
目を見開き、二呼吸の間の後、俺は返事をした。
「いや、それなりには認めているぞ? そうじゃなきゃ、俺は近くに置かないのは知ってるだろ?」
ん――、と、ドクシアディスは長いこと唸っていたが最終確認のつもりなのか、真剣な表情で再度尋ねてきた。
「大将は、姉御と結婚するのは嫌なのか?」
「結婚? 考えたことも無かったが……。なんだ? 集団の頭として、結婚の有無が問題視されているのか? 場合によっては、政略結婚の為に席を空けて置けといわれるかとも思っていたんだが」
「すまん。どうも、オレの手には負えないかもしれない。出直してくる」
肩を落としてエレオノーレが向かったのと同じほうへと向かって歩き出したドクシアディス。
慰めって訳でもないが、どちららかといえば釘をさす意味で俺はその背中に向かって投げ掛けた。
「ああ、まあ、本業に支障の無い範囲でな」
しかし……。
なんか、妙だな。
ここでは、ラケルデモンとは婚姻のしきたりが違うのかもしれない。あの国では、監督官に決められた相手と結婚するのが普通だし。自発的にするっていうのは、なんだか違和感を感じてしまう。
……いや、だからといって、この前のキルクスのように愛情の問題って言われても、なぁ?
少年隊は男だけ集めて鍛えるし、青年隊も似たようなもので、市民になって始めて結婚適齢期の女と顔を合わせる。場合によっては、気に入った相手が違うヤツと結婚されることもあるだろうが、愛情の問題と結婚生活は別の問題と聞かされていたしな。
それを間違ってると言われても、正直、今更だ。
いつでも死地に赴けるように、好きな相手は想うだけにしておく。それは、ある種の一般教養として既に身についている。そういう神話も聞かされるし、演劇での主要な演目にもなっていた。
他国では違うんだろうか?
まあ、違うんだろうな。今のこの集団では子供は夫婦で育てるし、夫婦も一緒に住んでいる。子供は三つで少年隊へと入って、青年隊を出ると同時に結婚、嫁の元へは軍事拠点から通うってのがラケルデモンでの一般的な生活様式だったのとくらべれば、その差は歴然だ。
文化の違い、か。
中々難しいものだな。
そもそもの……。
愛情の問題にしたって、あの国へと軍勢を駆って攻め上り、クソだった人生に復讐したい俺と、過去を忘れて皆仲良く穏やかに暮らしたいってエレオノーレでは、絶対に釣り合いが取れるはずなんて無いのに……。
キルクスといい、ドクシアディスといい、どうもそれを分かってくれる人間は、ここには少なそうだな……。




