One Sweet Dream<天使のジェラート>
アンが経営しているジェラートショップ『ポピーナ』のお話です。
それは可能性のひとつ。
とある惑星上の物語。
イケブクロ西口でひっそりと営業しているそのジェラート屋さんは、最近の私のお気に入りだ。
学校帰りで時間がある時には、ついついイケブクロで途中下車してその店に足が向いてしまう。
ニホンのファーストフードでは珍しい重厚な店構えは、オーニングテントと両開きドアがイタリアのジェラートショップの様な小洒落た雰囲気を醸し出している。
雑誌のアイスクリーム特集には決して掲載されないその店は、口コミのみで静かに常連を増やしているようだ。初めて訪れたときよりも、客数が地道に増えているような気がする。
かくいう私も、ジェラート愛好家の友達に教えてもらうまでこの店の存在を知らなかったのだが。
「お客様いつも有り難う御座います。ニューフレーバーの味は如何ですか?」
店内の小さな椅子に腰かけてキャンディーコーンを味わっている私に声をかけて来たのは、店頭で良く見かける同年代らしい可愛らしい女性だ。
アルバイトなのだろうか?この店ならば、出来れば私も雇って欲しい位なのだが。
「えっ……はい、とても美味しいです」
ちょっと人見知りの傾向がある私は、日本人離れした彼女の容姿に気後れして小さな声で応える。
「ジェラート、本当にお好きなんですね」
「はいっ。あの、お菓子やパンは自分でも色々と作るんですけど、これだけ美味しいジェラートは自分では作れないのでつい足が向いて……」
「もしご迷惑でなければ、ご自分で作ってみませんか?」
「はひっ?」
☆
「いらっしゃい!」
「お邪魔します」
出迎えてくれたのは、私が頻繁に訪れるようになった、ここCongohという会社の社員さんだ。
彼女は私より年上のまるでモデルのような美人さんだが、実は凄腕の料理人で夕食を何度もご馳走になっている。
ジェラートショップから歩いていける距離にあるこの会社は、オフィスらしい設備は何も無く豪華な内装の民家としか思えない変わった場所である。
「作業を始める前に、お茶でも如何ですか?」
「あ、はい。いただきます」
リビングルームには一般家庭に設置するのは大きすぎる、業務用のエスプレッソマシンが鎮座している。
彼女が手際よくスタンパーを使ってコーヒー豆をセットすると、煎れたての濃いコーヒーの香りが漂ってくる。
本格ドリップの美味しいエスプレッソと見た目も美しい日替わりのデザートは、私がここを訪問する大きな楽しみの一つでもある。
「今日のタルトのお味は如何ですか?」
「はいっ大変美味しいです。あのご馳走していただける度に、入っているフルーツが少しづつ違うんですね」
「毎日同じだと飽きちゃいますから。ところで、今日入っている果物はわかります?」
「ラ・フランス、ブラックベリー、ラズベリー、とちおとめ、スウィーティオ・パイン、キヨミタンゴールでしょうか」
「なるほど、銘柄まで正確に言い当てるとは。味覚の鋭さは、アンちゃんが言っていた通り素晴らしいですね」
「ええっと、恐縮です」
「何か材料のリクエストがあれば、遠慮無く言って下さいね。
アンちゃんからも、できるだけお手伝いするように言われていますから」
「ありがとうございます。今のところは用意していただいた材料と、持参した分で何とか」
キッチンに行くと、いつものメモがコールド・テーブルの上に載っていた。
「ホワイトベースは大変美味しいと思いますが、出来上がりでは口当たりがちょっとザラザラします。
フリージングモードの設定と果物の攪拌方法を見直してみたらどうでしょうか」
メモを読み終えると、分解洗浄してあるアイスクリームマシンを食品機械用グリースを使いながら組み立てていく。
ジェラートショップの関係者(オーナー?)であるアンという少女が費用負担してくれたジェラート製造機の講習会に参加した後、ここのキッチンと材料を自由に使うように勧められたのである。
アルバイトとして採用される為の大掛かりなOJTと言えなくも無いが、興味がありながら費用のために手が届かなかったジェラート作りの技術を習得出来るこのチャンスを無駄にするつもりは無い。
一回数万円はするだろう高価な材料と業務用マシンを無制限に使用できる替りに、出来上がったジェラートは製造日とラベルを付けてキッチンのハウス型冷凍庫に収納するように言われている。
勿論家族へのお土産として持ち帰るのはOKだが、多忙を極める私の両親はほとんど家に居ないので味わって貰うのは難しいだろう。
気がつくと、プラチナ色の髪をした現実離れした美少女がキッチンに入ってきた。
確か皆にマリーと呼ばれていた女の子だ。
ボタンを殆ど留めていないデニムワンピース一枚というラフな格好だが、スリムな容姿はまるで妖精のようで生身の人間とは思えない。
「いつもアイスを作ってくれてる人?」
「あ、はいっ」
「美味しく食べてる……ありがと」
「えっ、バルクで作ったのを全部?」
訪れるたびにバルク数個になる試作品は、いつの間にか冷凍庫から無くなっているので、どうやって消費しているのか疑問だったのであるが。あの量を本当に彼女一人で食べているのだろうか?
「うん。アンのお店に行くとちょっとしか食べれないから。
いつも美味しいフルーツ味のアイスが、いっぱい食べれるのは幸せ!」
「もっと、もっと美味しいのを作ってね!」
眩しい笑顔を見せながら、彼女はキッチンから出て行ったのであった。
☆
「すっかりこの場所に馴染んだね」
作業が遅くなった時間帯にお呼ばれした夕食の席で、レイさんという男性が私に声を掛けてくれる。
ここの夕食は美味しいだけでは無くバラエティに富んでいて何というか……そう、とても素晴らしい。
今日のメニューはロースカツの盛り合わせで、メインのカツはもちろん、付け合せの小鉢まで文句の付けようが無い美味しさである。
「皆さんとても親切ですし。それに、こうしてご馳走になるご飯はいつでも美味しいです」
この場所に出入りするようになって、私はその雰囲気にとても感銘を受けていた。
つかず離れずというのか、そんな独特の空気感がここには存在する。
外見は日本人とは全く違うメンバーが殆どだが、私を見守る眼差しはとても優しく自分の知らない家族の団欒とはこういうモノだと思わず感じてしまう。
私の両親は幼少の頃から仕事で忙しく一緒に食卓を囲むという経験が殆ど無かったので、こういった雰囲気に憧れていたというのもあるかも知れない。
「クリハラさん、来年以降の進路は決まっていますか?」
メインの食事を済ませて、ケーキドームへ手を伸ばしたアンさんが私に尋ねてくる。
ケーキサーバーを使って取り皿にカットしたチーズケーキを載せると、席を立ち私に皿を手渡ししてくれる。
「食べ物関係の業種に就きたいので、その関連の短大に入るつもりです」
立ち上がってデザート皿を受け取り会釈しながら、私は真剣な表情の彼女に言葉を返した。
皿に乗っているチーズケーキは、切り口がみっしりと詰まっていて見るからに濃厚そうで涎が出そうだ。
「唐突ですが、うちの会社に来ませんか?」
「はいっ?」
思わずデザートフォークを落としそうになりながら、私は声を上げる。
「いままでキッチンをお貸ししていたのは、お気づきだと思いますがジェラート作りの研修のようなものです。
当面はポピーナで勤務していただく事になると思いますが、もし他にやりたい事が出てきたらその時も全面的に支援できると思います」
「アルバイトでは無くて、就職ですか?」
「ええ、ご存知無いかも知れませんがあの店では基本的に臨時雇用はしません。
食品を自家製造して提供する責任のある仕事ですから、店舗に居るのは全員Congoh社員だけなんです」
「でも私は商売は素人ですし、お役に立てるかどうか……」
「マネージメントは勿論勉強して貰いますが、あの店の理念は美味しくて安心な商品を提供するという単純なものです。
現状でも原価率が高くて採算はギリギリですけど、店に来てくれた子供達には喜んで貰っていると思います。
初めて食べたジェラートの美味しさを覚えていますか?口にすると思わず笑顔になる食べ物を提供する……こんな夢がある仕事は中々無いと思いますが?」
「大変嬉しいお話なんですが……まず両親、いや父が了承してくれるかどうか。
保守的な公務員の上に結構頑固なので」
「ああ、それなら僕から連絡しておくよ。今は市ヶ谷に居るんだっけ?」
「えっ、父の事をご存じなんですか?」
私は驚きのあまり、大きく見開いた目でレイさんを見てしまう。
「ああ、20年以上前からの付き合いだから良く知ってるよ。
昔、僕に会いにわざわざ米国まで来てくれた事もあったし」
「それじゃぁ、私のことは事前に知っていて声を掛けてくれたんですか?」
「それが……正直に言いますけど、これが本当に偶然なんですの。
有望な人材をスカウトしようとしたら、店頭で熱心にメモを取りながら味わっている貴方のお顔が真っ先に目に浮かんだのですが、まさかご縁のある方だとは思わなくて。
最近になって、お兄様が貴方のファミリーネームと容姿から気が付きましたの」
あり得ない偶然……こういうのはセレンディピティって言うのだろうか。
もっと驚いたのが、私を良くお世話してくれるユウさんの亡くなったお父さんが、私の父の親友だったという事実。
見せて貰ったユウさんの部屋に飾られている写真には、私の父が若い頃のパイロットスーツ姿でしっかりと写っているのである。
ただ一つ疑問に思ってしまったのは、一緒に写っているレイさんが今の姿と全く変わらないように見えることだ。身近で見る現在のレイさんは、肌艶も若々しくてどう見ても20代中頃にしか見えないし一体どうなってるんだろう?
「防衛隊を退職した時の上司がお父さんでね……捻くれた私の事を見えないところで一生懸命フォローしてくれてたみたいなんだ。父の縁があって知り合えた貴方が一緒に働いてくれるなら、とっても嬉しいのだけれど」
「ユウさん……」
感激した私は思わず目頭が熱くなったが、感動的なシーンなのに何故か隣に居たユウさんの上司の女性が肩を小さく震わせて笑いを堪えている。
「ほう、一緒に働くか……今確かにそう言ったな。アン聞いてたよな?」
「ええフウさん、確かに聞きました。SID、今の発言は記録できてますわよね?」
「はい。消去できない音声ファイルとして保存しました」
「ふふふ、やっとアンと二人で選んだあの制服のお披露目の時がくるぞ!」
「げっ!あの……そういう意味では……」
ここでリビングルームの壁面を占める大画面に、フリルが贅沢に使われたドレス風の制服を着たユウさんの姿が表示された。
ジェラートショップの制服としてはちょっと大袈裟だが、ユウさんが着ていると髪に付けた小さなティアラと相まって北欧のプリンセスの様に見える。
もっとも頬を赤く染めて恥じらっている表情は、プリンセスには相応しくは無いかも知れないが。
「ユウさん専用に選んだのでクリハラさんが着ることはありませんから、安心して下さいね」
私に小声で告げるアンさんの声も、笑いを堪えているように弾んでいる。
「か、勘弁してくれ~」
リビングルームに響き渡ったユウさんの心の叫びが、それほど嫌そうに聞こえなかったのは私だけの感想という事にしておこうと思う。うん、きっとそうに違いない!
お読みいただきありがとうございます。