Everything Your Heart Desires<魂の還る場所>
音楽寄りのお話なので楽器リペアや音楽に関する専門用語が多いですが、煩わしい解説は全て省いています。楽曲の記載に関してはガイドラインに沿って著作権に抵触しないように配慮していますが、ディープな音楽ファン以外には意味不明な部分が多いかも知れません。
それは可能性のひとつ。
とある惑星上の物語。
ここはカナガワのはずれにある住宅街。
その工房はシンプルな作りというよりは、かなり古めかしい粗末なプレハブである。
工房と同じ敷地に建っているのが重量鉄筋の立派な倉庫なので、比べるとかなり貧相に見えてしまう。
大型のエアコン室外機が唸るような音を立て、機械が動作する低くて鈍い音が建物の外にも漏れている。
レイが入り口らしき引き戸に手を掛けるが、扉は素直に動いてくれない。
こじ開けるように力を入れると扉がやっと開き、削りたての木の香りとニトロ・セルロース塗料の匂いが扉の隙間から漂ってくる。
室内は外見の印象とは大きく違い綺麗に清掃されているが、モノの多さから雑然とした印象を受ける。
大型の3次元NCマシンが2台と汎用の2次元NCマシンが1台。
PLEKマシーンや、紫外線乾燥用の塗装ブースなど、大手の楽器メーカーでも滅多に見れない最新の設備で室内は溢れている。
レイに同行して初めてこの工房を訪れたシンは、自分の知っている楽器工房と余りに印象が違うのに驚いていた。
外見は兎も角、手作業を地味に行っている工房というよりは、自動化が進んだ先端工場や研究室といった雰囲気なのである。
現在工房の中には中肉中背の男性がただ一人、NCマシンの扉の前でエンドミルが木を削るのをじっと見ている。
レイが入室した時に挨拶に応えて右手をヒラヒラさせたのは見えたが、振り返りもせずに作業に没頭している様だ。
エンドミルが切削のシークエンスを終了し、男性が扉を開き加工していた木材を取り出す。
それはフ●ンダースタイルのデタッチャブルネックで、メイプルにぶ厚いローズウッドのスラブ指板が貼り付けられている。
木屑をエアブロワーで飛ばした後、ネックを素手で撫で回し何度かコツコツと打刻して音を確かめた男性は、相好を崩して振り返りもせずにレイにネックを手渡す。
受け取ったレイも左手でネックを握り締めポジションを移動させると、満足げに頷き男性にネックを返す。
「この子が電話の?」
「ええ、マツさんに紹介しておこうと思って」
「ちょっと手を見せてくれる?」
「はい」
戸惑っていたシンであるが、掌をマツと呼ばれた男性に無防備に預けている。
「ふぅ~ん、ちゃんと仕事をしてる手だな。学生さんなんだろ?」
「はい。でも料理や家事をやる機会も多くて」
「ちょっとこれを弾いてみて」
壁面の展示ケースを開いて14フレットジョイントの小柄なアコースティックギターを取り出すと、工房主は気軽にシンにギターを手渡す。
ボディのいたるところにはクラックが入り塗装が薄く曇っている年季の入ったギターだが、フレットは新しくペグの巻き上げもスムースだ。
手早くチューニングを済ませると、シンは簡単なコード進行のブルーズを弾き始める。
ギターのくたびれた外見と違って豊かな中低音と鈴が鳴るような高音が鳴り響き、シンは普段使いのカーボン・ギターとの音色の差にビックリしてしまう。
外見はくたびれているがネックは掌に吸い付くようにフィットし、ボディからは心地よい振動が密着した腹部や二の腕にずんずんと響いてくる。
「うわぁ、こんな音が良くてしっくり来るギター初めて弾きましたよ。これってヴィンテージって奴ですか?」
シンは指を止めずにギターを奏で続けながら、正直な驚きを表現する。
「うん、80年位前に作られたギターだね」
「へぇ~、そんなに長い間使われてるなんて、幸せな奴なんですね」
「うん……まぁこのギターは複雑な事情があって此処に置いて貰ってるんだけどね」
ハイポジションを滑らかなフィンガリングで指が動き、印象的なメロディが奏でられていく。
グリッサンドした単音も途切れることなく、伸びやかなロングトーンがサウンドホールから飛び出してくる。
「レイさん、この子気に入ったよ」
「そりゃぁ良かった。連れてきた甲斐があったね」
「シン君、ここはオーダーされた楽器を作る工房だけど、依頼主の要望は殆ど通らないんだ。
指定できるのは指板の種類と色位かな」
「ネックはこれで良いだろう?……それで色は?」
「メタリックブルーでお願いします」
「即答だな」
「自分はギターのメカニックには詳しくないので、希望はボディの色だけです」
シンは恥ずかしそうに答える。
「ああ、正直だな。ますます気に入ったよ」
☆
数日後、ボディの色見本を見るためにシンは昼時に工房を訪れた。
手ぶらで行くのは失礼かとちょっと考えた上、Congohトーキョーのキッチンでレシピをユウに教わったサンドイッチを作って持参している。
ボディ色は色見本を見ながら直ぐに決まったので、シンは持参した包みを広げながら工房主に声を掛ける。
「マツさん、カツサンド作ってきたんですけど、食べます?」
「お~、俺がカツサンド好きだって誰かに聞いたのか?」
「いえ、でもこの間マンセイのカツサンドの空箱が置いてあったから」
「どれどれ、おっすげー旨いじゃないか!」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
「このトンカツ、すげーうまいな!
それに付け合せのピクルスまで、なんでこんなに旨いんだ?」
「レイさんの所の冷蔵庫から拝借してトンカツを揚げてみたんですけど。なんかブランド豚みたいですよ」
「こんなに料理の腕があるなら、将来はコックになれるんじゃないか?」
「それがですね……僕の周りはこの位料理ができるのが当たり前なんで」
「ふ~ん、やっぱり音楽も料理もセンスって奴があるんだろうなぁ」
☆
「このネックの原材料は、80年以上前に伐採された木材なんだ。
世界中のいろんな経路で、楽器に適したデッドストックされていた木材がここにやって来るんだぜ」
「なるほど」
「隣に立派な倉庫があったろ?あそこは言うならば人類遺産予備軍の専用倉庫なんだよ」
「この工房って、一般の人には殆ど知られていないですよね」
「ああ、オーナーのレイさんの経営方針でね。
宣伝とかのプロモーション活動は、一切やってないよ」
「特に楽器の木材を提供する相手に関しては、金銭は別にしてシビアに選別させて貰ってる」
「マツさん、僕の場合はすごくあっさりと決めてたような気がするんですけど?」
「うんにゃ、お前はしっかりと試練を突破しているよ」
微妙な含み笑いをしながら彼は言う。
「ギターを作る場合材料を提供するかどうかは、俺じゃなくてお前が抱えてるそのギターが決めるんだ。
お前は初対面で気に入られた珍しい奴だからな」
「はぁ?ギターが決めるって……」
「そのギターは弾く奴を選ぶんだ。気に入らない奴が抱えると臍を曲げてチューニングが狂ってまともに弾けないし、意識を失う場合もある」
「……」
「米帝のポーンショップで昔レイさんが手に入れたギターなんだが、いわくつきの呪いのギターと言われて長い間買い手が付かなかったという代物だ」
「良くそんなのを手許に置いてますね」
「おまえ、このギターが不吉な代物に見えるか?」
「う~ん、全然。こんなに良いギター、貰えるなら喜んで手許に置きたい位ですよ」
「ああ、俺もリペアしてるときにそう思ったからな。
呪いの話は、レイさんが大分後になって教えてくれたんだよ」
その時、入り口の引き戸がガラリと音を立てて開いた。
シンとほぼ同じ背丈の、シャープな顔立ちのその男性にシンは見覚えがあった。
最近ヒットチャートにも良く登場する、ニホンでは超有名なロックバンドのメンバーである。
「またお前か?遠い所に良く来るな」
「舐められたまま、諦めるのは嫌いだから」
「シン、そのギターを奴に渡してやってくれ」
意図を直ぐに察したシンは、弾いていたギターをその若い男性に手渡した。
シンを敵意のある目線で睨み付けながら、念入りにチューニングして彼は弾き始める。
だが、すぐに弦の張力が変化しチューニングが乱れてしまう。
流麗なフィンガリングからもかなりの腕前なのは判るが、これでは音楽以前の問題であろう。
「やっぱりギターがおかしいとしか、俺には思えない!」
「おい、シンちょっと弾いて見せてみろ」
再度シンがチューニングしたギターは、艶のある美しい音を奏でる。
ブルーノートのシンプルな単音も、まるでリバーブが掛かったような美しい音色である。
「なんで……?どんなトリックなんだよ」
「お前、ステージでギターを投げたり雑に扱うだろ?」
「道具だろ!所詮は。なんでそんなに大切にしなきゃいけない?」
「木材で出来た楽器はちょっと違う。お前の何倍も生きてこの場所に辿り着いて、この形になっているんだ。お前はわずか70年生きて死んでも灰になるだけだが、楽器は大事に使えばお前よりも遥かに長持ちする」
「……」
「お前がステージで放り投げたギターは、確かにお前に付いている腕っこきのローディなら直す事は出来るかもしれないが、それが格好良いとでも思ってるのか?」
「……」
「今日はオフなんだろ?レイさんが呼んでるみたいだから、ちょっと勉強して来いよ」
☆
レイの不定期セッションが行われている都内の某ライブハウス。
「それでは本日の特別ゲストです」
ギターの腕前は定評があるが、その尖った態度からミュージシャンとしては人望が無い彼の登場に客席から驚きの声が上がる。
さすがにディープな音楽ファンが多い客席なので野次は飛ばないが、アウエイの雰囲気を彼も強く感じているだろう。
ステージに登場する前にレイからいきなり手渡された真新しいストラトは、フェンダーのヴィンテージ・アンプに直結されている。
ボリュームをフルテンにすると長い年月で乾燥しているキャビネットが鳴り響きドライブサウンドになるが、あくまでも歪の量は少なく心地よい音色である。
♪CROSSROAD♪
繰り返されるリフ、お馴染みのメロディ。
演奏しているミュージシャン達は、顔見知りの超ヴェテランの面々。
いつもはビジネスに徹して真面目な表情をしている彼らも、しっかりとリラックスしてこの場の雰囲気を楽しんでいる様だ。
渡されたギターを抱えた彼がいつもの調子でフィンガリングしようと左手を滑らせるが、間奏のメロディにかぶせようとした瞬間なぜかその動きが止まる。
(もっとリラックスしようよ!)
誰かにそう言われたように感じた彼は、思わず周りを見渡すがレイを含めた誰も彼を見ては居ない。
(???)
抱えている真新しいストラトのネックは薄い塗装が手に吸い付くように滑らかで、まるで女性の柔肌を触っているような優しい感触だ。
熟練した技術で処理されたフレットは、手を伸ばした女性の鎖骨のように彼に存在をアピールしてくる。
オフホワイトのボディカラーと分厚いローズ指板のストラトは、どの楽器店にも置いてあるような平凡な外見で彼の嗜好とは大きく違っている。
だがベースやバスドラの音にさえ微妙に振動するボディの反応の良さ、抱えていると身体にフィットする一体感はいつもは攻撃的な彼の精神状態に大きな変化をもたらした。
なぜか心が穏やかになって、周りの音がいつもよりもしっかりと聞こえてくる様な気がする。
突然演奏をやめたゲストに客席から小さなざわめきが起きたが、険しかった表情がほどけて雰囲気がいきなり柔らかくなったのを驚いている客も居るのだろう。
彼はフルテンだったストラトのボリュームを半分程に絞ると、リフのメロディに参加し弾き始める。
ハイハットの重なる甲高い衝撃音や、ベースのグリッサンドで弦をすべらす音色、いつもならリズム以外には気を留めない音の洪水。
(ああ、なんか良い気分だな)
普段は見せない柔らかい表情で、いつもならテクニックを誇示するように勝手に動く指が、ひたすらメロディーを追いかけてスムースにロングトーンを奏でる。
レイとの間奏の掛け合いはブレークするまで何度も繰り返され、客はその息の合った様子に目が釘付けになっている。
♪~♪
ゲスト参加の筈だった彼の演奏は結局終盤まで続き、その控え目ながらも印象的なプレイのみで惜しみない拍手が客席から送られたのであった。
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
演奏後の打ち上げが行われている客席。
彼は演奏に使ったギターを片時も手放さずに、リラックスした表情で少しづつグラスを傾けている。いつもの尖った態度とは正反対の、まるで憑き物が落ちたような柔らかい雰囲気が感じられる。
「どうだいそのギターは?」
打ち上げの時間に合わせて登場したマツが、彼に尋ねてくる。
「ああ、すごく良いギターだね!!
音だけじゃなくて、なんかもう片時も手放したくないピッタリする感じだよ」
「そうか気に入ったか。これはエリック・ジョナサンがオーダーして来たやつなんだが……」
「えっ!」
尊敬するギタリストがオーダーした一品だと知って、彼は驚きの表情を浮かべている。
マツの工房は極秘裏に有名ギタリストからオーダーを受けているが、ヘッドストックに貼り付けられているのはほとんどが契約先有名メーカーのロゴなのである。
「あいつ材からピックアップまでこと細かく指定したきた癖に、出来上がったら音は良いが色が気に入らないなんて返品してきてな」
「……」
「リペイントすると音がまた変るから、今度は作り直せって。ほんと我侭な奴だよな」
「……」
「という訳で、このギターはお前さんが使っても誰からも文句は出ないって訳だ。
請求書は事務所のお前宛に送っておくから……大切に扱って絶対に投げるなよ!」
「ああ、大切にさせて貰うよ。マツさん、ありがとう」
抱えたギターに頬ずりする彼の姿は、まるで初めてギターを手にしたばかりの少年の様に見えたのであった。
お読みいただきありがとうございます。