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Gift With A Golden Gun<矛と盾>

Cry & Fight ! [ヴァルキリーは料理がお好き?]本編の14話から33話までを、短編としてこちらへ移動しました。内容は若干修正していますが、ストリー展開は変えていません。

 それは可能性のひとつ。

 とある惑星上の物語。



 トーキョー某所某日。


「ポリポリ……ふむふむ、やっぱりこんなもんか」


 計測された数値をモニターで見ながら、白衣の女性が小さく呟く。

 彼女の手には米帝製プレッツェルの大袋が抱えられていて、独り言を呟きながらも口はモグモグと忙しく動いている。


 通常の病院では、どんなに忙しくても検査技師がスナックをつまみながら診断を行うことはあり得ないだろう。そう、ここは一般的な医療法人では無く、Congoh傘下の生化学研究所なのである。


 ちなみにプレッツェルの荒塩の結晶が付いた指先のおかげで、高価そうな機器のパネルや高細密モニターはベトベトになっている。


「……はぁっ」


 久しぶりの再会でブラジャーはおろかショーツまで脱がされた上に、怪しげな酸素カプセルのような機器に押し込まれたユウは実験動物にでもなった気分だ。

 全裸の身体の上をレーザー光が流れているのは何かの計測を行っているのだろうが、見られている相手が知り合いの生化学者だとしても羞恥心が無くなる訳では無い。

 ちなみにこの場所でCTスキャンを撮影した時には全裸にされなかったし、短期間だが入院加療していた時も同様である。

 その上で計測結果にガッカリされてもユウ本人にはどうする事も出来ないし、いい加減にしてくれという怒りが沸いてくるのは仕方が無いであろう。


「ポリポリ……筋張らない柔らかボディは男好きするだろうけど、もうちょっとオッパイが大きいと良いよね!

 アイの遺伝子のこの部分の発現は……」


「ちょっ……これってそういう検査なんですか?

 ヴィルトス能力も、一緒にチェックするっていうから来たのに!」

 ユウはカプセルの中で、胸をおさえながら身悶えする。


「ポリポリ……そうだっけ?

 まぁランチを抜いて最優先で検査してあげたんだから、大目に見てよ。

 ははははっ」


「それよりナナさん、もう服を着て良いですか?」

 カプセルから(ようや)く脱出したユウは、不機嫌な声で白衣の女性へ声を上げる。


 良く見ると、白衣はクリーニングしたばかりでプレスがしっかりと効いているが、下に来ている私服はだらしがなくヨレヨレである。

 年齢不詳の整った容姿は化粧っ気が皆無で、寝癖のついたショートカットはほとんど寝起きのような雰囲気である。


(何であんなに大味で激マズのプレッツェルを、大量に食べれるんだ?この人もしかして味覚障害?)

 ユウの不機嫌な原因は、彼女が食べているス●イダーズの大袋にも原因がある様だ。


「ポリポリ……もともと全部脱ぐ必要は無いんだけどね」


 この一言で、アンの母親に対する日頃の罵詈雑言が違和感無く納得できたユウなのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「防衛隊の時の怪我は、全く問題無いみたいだね。

 傷跡も全く残ってないし、綺麗に直ってる」


「お陰様で、痛みも違和感も全くありません」


「それでヴィルトス能力の数値なんだけど、君は母親の遺伝因子が強いから存在能力は高いんだけどね。

 現状ではアンが2才の頃と同じかなぁ。この数値だと実用上は殆ど役に立たないって感じ?」


「2才って……」


 ユウは差し出されたスノーボールのようなガラス?の球体を受け取る。

 球体の中には透明な液体が充填されているが、金色に輝く粉末のようなものが大量に混ぜられている。


「2才の頃はねぇ、アンもホントに可愛かったんだよ」


「……」


「それがいつの間にか、あんなに小生意気な娘に育っちゃって」


「ええっと、これは?」


「幼児用のヴィルトス訓練器具。

 ボールに意識を集中して、何かイメージを思い浮かべて」


「はい」


 ユウは両手で持ったボールに意識を集中すると、一瞬フラッシュのようにボールが光り内部にパチンコ玉サイズの小さな球体が形成される。


「へぇっ、発動はスムースに出来るじゃない。よほど集中力が高いんだろうね」


「はぁ……」

 2歳児レヴェルという評価を引きずって、思わず溜息を漏らしてしまうユウなのである。


「拳銃弾は10mm弾位ならかろうじてパージできるかも知れないけど、ブレードは結合力不足で全く使えないかな。まぁ何年かすれば、今のアンと同じ位には使えるようになると思うよ。

 それまでは荒事の時には、誰かにバックアップしてもらうのを忘れないことだね」


 溜息しか出ないユウだが、少しでも有意義な情報を得るために質問をしてみる。

「現在の能力でメタリは、どの位の質量なら扱えますか?」


「5グラム未満……うんパチンコ玉は無理だから、まぁ5円玉位の薄いメダル状のものを飛ばせれば実用になるかも。

 メタリは気体分子を分解しながら直進するから、小銭を投げるちょんまげヒーローみたいで格好良いじゃん!」

 彼女はテーブルの上に散らかっていた、プレッツェルを投げる仕草をする。


「うっ……ちょっと考えてみます」


 ヴィルトスというのは『メトセラの遺伝子継承者』に与えられた先天的な能力で、本来は攻撃を回避したり拘束から逃れるための切り札的な能力だったらしい。

 当初その現実離れした能力について話半分に聞き流していたユウだが、直接目撃した事で自分にも使える可能性があるその能力について少しだけ興味を持つようになったのである。


 ハワイベースから帰国後にイチガヤでの退職にまつわる一悶着をなんとか収束させたユウは、以前怪我をした経過をチェックする為にこの施設を訪れたのである。


「仲間の背中を守れるようになるのが一番だけど、まずは自分を守れないと話にならない」

 フウが言う処のセルフディフェンスの精神はユウにとって当たり前の事実ではあるが、一般市民の武器所有を厳しく制限しているニホンでは中々厳しいのが現状である。


 駐車場に留めてある和光技研のHV車に乗り込みながら、ユウはメダルを投擲する自分の姿を想像してみる。

 ニホンの文化に疎いユウでも小銭を投げる時代劇ヒーローについては少しは知識があったが、小さなメダルを的めがけて連続して投擲する技の習得は簡単ではなさそうだ。


(ニホンの銃刀法がもうちょっと緩ければ、護身のためのハンドガンを持ち歩けて簡単だったのに。

 このささやかな能力をセルフディフェンスに使うには、いろいろとハードルが高いなぁ)


 エンジンをスタートさせながら、ユウの思案は続いている。

 駐車場の隣のスペースに収まっているポルシェ911は、スピード狂で有名なナナのものなのだろう。


(メダルの替りになるものは、玉、ベアリング……、そういえばサバイバルゲームに圧縮ガスでペイント弾を撃つのがあったなぁ。

 ああいうデバイスって、ニホンでは手に入るのかな)


 ユウが米帝に居た頃、彼女はIPSCと呼ばれるコンバットシューティングの試合に参加していた。

 母親の命令で参加させられた空軍予備役教練プログラムで『生まれ持っての常識外れの射撃能力』が露呈した彼女は、周囲のオリンピックも狙える逸材という騒ぎをよそに射撃という競技に全く興味を持てなかった。

 彼女にとっては幼少の頃父親に手ほどきを受けた『撃ったらかならず満点』の簡単な射撃など興味の対象外だったし、当時はグライダーやセスナで飛行技術を学ぶのが人生最大の目的だったからだ。

 しかし地元のガンショップがスポンサーになってくれるという好条件もあって、装備に多額の費用がかかるアクションシューティングの試合に結局彼女は参加するようになった。

 スポーツで不用意に目立ってはいけないと幼少からうるさかった母親も何故か射撃競技に関しては文句を言わなかったし、身体能力に加えて コース攻略に知力が必要なアクション・シューティングにユウも徐々に興味を持つようになっていたからだ。


 ニホンに帰国して入学した防衛隊学校時代には、米帝での経歴は口外せずに射撃訓練では本気を出さないように苦労した。おかげで注目を受けるのを免れたユウだが、射撃能力については全く衰えていないのをTokyoオフィスの地下射場で確認済みである。


(そうそう、アリゾナの洲大会で知り合った、あのニホン人ライターの人に聞いてみようかな)

 思いついたユウは、胸もとのコミュニケーター経由でSIDに質問する。


「SID、ニホンの銃関連月刊誌にリポートを書いていた、ケン・ヤザワという人の連絡先を調べてくれる?」


 SIDの探索能力のお陰で簡単に連絡が取れたケン・ヤザワ氏は、数年前にアリゾナで会ったユウの事を覚えていてくれた。

 ニホンの法律に抵触するためペイントガンは手に入らない事を説明してくれた彼は、ペイントガンは手に入らないがガス圧でBB弾を発射するトイガンが此処ではサバイバルゲームで使われていること。それを大量に扱っているマニア向けショップについての情報を、ユウに教えてくれた。


 丁寧にお礼をし、そのうち雑誌レポートのモデルをやるという口約束をして会話を切ったユウは思案する。

(これからオフだし、アカバネにあるそのショップに行ってみようかな)


 ユウは和光技研のHV車を、(ようや)く駐車場からスタートさせたのであった。



                 ☆



 アカバネにあるその専門店に到着し店内を見渡した瞬間、ユウは本気で驚いていた。


(カオス……っていうのはこういう状態を言うんだろうな)


 銃型の玩具を主体に扱うその店は、拡張を繰り返したらしく横長の店舗が何軒か繋がっている。

 溢れるような商品が所狭しと詰め込まれた感じはアメ横の雰囲気そのままだが、そこに置かれている商品の数が半端では無い。

 天井以外の場所には商品が飾られ、置かれ、貼り付けられ、壁の隙間が見えないという状態である。

 米国の薄暗く商品が殆ど置いていないガンショップしか知らないユウにとって、カルチャーショックと言って良い驚きである。


 混沌とした店内で頭痛が起きそうなユウは自分で探すのを諦めて、若いアルバイトらしき店員さんにゲームで使える実用的なハンド・ガンが欲しいと尋ねてみる。


「スライドは動かなくて良いんでしょうか?」

 付け焼刃の知識で、モデル・ガンとしての機能は必要無いので頑丈で実用的なモノが欲しいとユウは答えた。

 かなりマニア度が高そうな店員さんが腕を組んで思案の後、ショーケースに入った箱を取り出して来てユウに説明を始めた。

 詳細な商品説明に納得したユウは、そのお勧めの製品とチューニング用に薦められた複数のパーツ、沢山の種類のBB弾を購入して店を出たのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 Congohトーキョー支社に戻ってきたユウは、地下のシューティングレンジに来ていた。

 ここは大使館の敷地なので治外法権でありニホンの法律は関係無いが、ユウが持ち込んだガスガンはそもそも玩具なので銃刀法とは全く関係無い。


 ガスガンの形状はガバメントと呼ばれるM1911をモデルにしているようで、厚みもグリップパネルの感じもユウには違和感が無い。

 店員さんの説明によると、本物用のホルスターやグリップパネルを流用できるように正確に同サイズに作られているとの事。

 リアサイトの窪みのエッジすらしっかりと直角にエンドミル加工されていて、流石マニア向け製品の拘りとユウは変な所に関心したのである。


 スライドレールのクリップに小さめのマンターゲットを取り付け5メートルの至近距離にセットしたユウは、購入してきたガスガンにフロンガスとBB弾を装填しサイトを使わずに試射してみる。


 タン!タン!タン!


 タブルアクションのトリガープルは若干重いが、マズルからBB弾がかろうじて視認できるスピードで飛び出した。

 サイトを使わずに勘で撃ったのにも関わらず、ターゲットのXエリアにBB弾はすべて着弾している。


(へー、結構精度があるんだね玩具なのに。

 BB弾を調達できれば、これはもしかして護身用として使えるかも)

 

 研究所からずっと険しかったユウの表情が、ここで若干だが綻んだのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 それからの数日間、ユウは日常業務の合間に時間をやり繰りして積極的に作業を進めた。

 ユウは現役のパイロットなので機械工学や物理科学については大学院レヴェルの知識を持っているが、エンジニアとしての実務経験が不足している。

 だが彼女には何より、ハイスクールに通わず研鑽を積んだ料理人としての長年の経験がある。

 物事を実現するための段取りや、道具や材料の調達、そして調整作業。これらは目指す味を追求する料理と全く同じなのである。


 BB弾はCongohと取引のある特殊素材の得意なベアリング工場に試作を依頼し、インナーバレルはSID制御の3Dスキャナを使ってデータ化し地下の工房にある超精密CNCマシンでメタリから削り出した。

 トリガープルについては市販のチューニング・パーツを加工して、銃器全般に詳しいフウのアドバイスを参考に実用に耐える感触に調整することが出来た。


 数日後、組み上がったガス・ガンを手にユウは地下のシューティングレンジに立っていた。

 彼女の後方には、細長いジュラルミンケースを持ったフウが興味深そうにユウを眺めている。

 ガスガンを両手を使ったナチュラルハンドで構えたユウは、15ヤードを離れたスティール製のシルエットターゲットにポイントする。

 通常のガス・ガンならばBB弾はかろうじて届くだろうが、弾道は放物線を描き精度は全く期待出来ない距離である。


 ユウは両手にヴィルトスの発動を意識しながら、ダブルタップでBB弾を発射した。


 タタン!タタン!


 小さな発射音と共に、ターゲットの中心部分には小さなグルーピングで4つの弾痕が付けられた。

 だが飛んでいるBB弾は、おじぎをする事こそ無いがスピードが遅く肉眼で目視できる程度の初速しか出ていない。

 続けて10発ほど連射し終えると、ユウはマガジンを抜いてガス・ガンを射撃台の上にそっと置いた。

 勿論銃口(マズル)はターゲット側に向いている。


 ユウとフウがターゲットの鉄板を真近でチェックすると、分厚い鉄板には、まとまったグルーピングで弾痕が刻まれていた。

 穴のエッジは滑らかで、まるで放電加工器で開けたようだ。


「BB弾の材質は?」

 フウが弾痕を指でなぞりながら、ユウに尋ねる。


「粉末にしたメタリを50%含有したエンプラです。

 私のヴィルトス能力が足りないので重量は0.2グラムですが、もっと重くするのも可能ですね」


「セルフディフェンス用としての威力や精度は問題ないが、課題はBB弾のコストと初速があまりにも遅いという点だな」


「ええ、この初速だと動いている相手には使えませんし……バレルの形状も工夫してみたんですが弾速が殆ど変らなくて」


「銃身の中でヴィルトスだけで加速するのは、弾丸の質量が軽くても限界があるからな。だがその問題は、これで解決だろう」

 フウが手にしていたジュラルミンケースの鍵を開け、厳重に密封されていた中身を取り出した。

 外見は金色と銀色が交互に表れる縞模様になっている細い棒のようなものだが、美術品の様な装飾が施され根元には半円形の小さなカップが付いている。


「プロメテウス本国の保管倉庫から取り寄せたモノで、今日やっと到着した」


「???」


「まぁ見ていろ」

 フウは使っていないメタリ含有のBB弾を小さなカップ部分に差し込むと、半円のカップを口に当て先程のターゲットに向き合う。


「吹き矢?」

 シュッという空気の音がすると同時に、ターゲットが小さく振動した。

 発射されたBB弾は高速で肉眼では捉える事が出来なかったが、ターゲットには先程のグルーピングとは別の箇所に小さな穴が開いている。

 同じBB弾を使いながら弾速はユウが発射したものより明らかに速く、また威力も高いように見える。


「吹き矢なのに、なんでこんな威力が?」


「これはプロメテウス本国の資料庫から取り寄せた、ケラウノスと呼ばれていた古代(いにしえ)の武具だ。

 簡単に言うとヴィルトスが流れる伝導コイルで、メタリの質量体を加速して飛ばす吹き矢だな」


「なんでこんなテクノロジーがお蔵入りしていたんでしょうか?これを利用してハンド・ガンを作るなんて誰でも思いつきそうですけど」


「百年程前には、Congohでも研究はされていたらしい。

 実用化出来なかった理由は、弾道が安定せずに絶望的に当たらないんだそうだ。

 スムースバレルのままだと命中精度が悪くて実用にならない、ライフリングを入れると反動が発生するので普通の銃器と変らなくなる。

 要するに、ヴィルトスを使う意味が改良すると相殺されるという事だな」


「なるほど」


「だが、お前が使うなら話は別だ。

 別に量産装備品にならなくても、お前の『常識外れの射撃能力』があればスムースバレルでも十二分に実用になると私は踏んでいる。

 幸いハンドガンに流用できる伝導コイルの製造方法は残っているし、現在の技術で生産は可能だそうだ」



                  ☆



 Congohトーキョー支社の広いリビングルームは、現在朝食の時間帯である。

 リビングの壁面全体を覆った超大型ディスプレイには、名物司会者が喧しいワイドショーが流れている。


 誰も見ていないと思いきや、マリーが食後のデザート?である巨大サイズのシュークリームを頬張りながら画面をじっと見ている。

 一個がホールケーキほどの大きさがある巨大なシュークリームだが、マリーは手づかみでシューをつまみながら形を崩さずに綺麗に食べ続けている。

 固めの岩のようなシューの断面にはクリームがぎっしりと詰め込まれているので、定期配送便で取り寄せた逸品なのだろう。

 

 ソファではフウを訪ねて来たキャスパーが、ワイドショーの繁華街に謎の生物出現?という話題を聞きながら寛いでいた。

 キャスパーはマリーの食べているシュークリームに時折目を奪われているが、意思の力でなんとか我慢している様子である。


「はぁっ、射撃大会って……何だそれ?」

 朝は苦手なフウが、珍しく大きな声を上げる。


「あの黒服の方々も失策続きで悔しいんでしょうね。

 たまには自分達のフィールドで勝負して、鬱憤を晴らしたいみたいですよ。

 来月トレーニング施設で行う大会に招待するから、選手を出せって案内が来てるんです」


 キャスパーが申し訳なさそうに応えるが、またしても目線はマリーのシュークリームに向いている。


「そっちにも一応、実動部隊が居るだろ?」


「フウさんもご存知の通り、あの愚連隊2人を米帝軍の施設に送り込むのはやっぱり(まず)いでしょう?

 2人とも腕前はダントツですが、過去の経緯(いきさつ)があるので揉め事を起こす可能性が限りなく高いですから」


「それで?」


「ええと、嘱託扱いで品行方正なメンバーを貸していただけないかなぁと。

 出来ればハンドガンの腕前が優秀な方が良いです」

 キャスパーが視線をユウに一瞬向けてから、両手を合わせて拝むニホン風ジェスチャーをしながらフウにお願いする。


 二人の話が聞こえていないようで、ユウがここで席を立ってキッチンへ向かって歩いていく。


「人選に私情は入ってないよな?」


「勿論です。

 それにユウさんは昔、IPSCのステイツ・チャンピオンになった事があると聞いてますから」


「それで会場は?」


「アリゾナです」


 ここでトレイを手にしたユウが、リビングに戻ってくる。

 彼女はジャンボシュークリームとジャスミンティーが載ったトレイをキャスパーの前にそっと置くと、さっきまで座っていた席に戻っていく。

 どうやらユウはキャスパーの拝み倒すポーズを、シュークリームのリクエストと勘違いしてしまったようだ。


 キャスパーは一瞬唖然とした表情をしていたが、食べたかったのは事実なので唇のジェスチャーでユウに感謝(ありがとう)を伝えている。


「ユウ、ちょっとだけ里帰りできるみたいだぞ。

 それで参加を了承したとして、こっちから一点だけ条件を出させて欲しいんだが?」

 フウが意味ありげな笑みを浮かべながら、シュークリームに手を伸ばしていたキャスパーに告げたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数日後デビスモンサン空軍基地内の特設会場。


 まぶし過ぎる日差しの中で「IN-N-OUT」の黄色い矢印マークのついた紙袋を持ちながら、マリーは幸せそうにハンバーガーを頬張っている。

「こらマリー、包装紙はちゃんとゴミ箱に入れるんだ。

 ぽろぽろフレンチフライもこぼすなよ」


「湿度が無いにしても、このザラザラは……」

 こちらもマリー用に購入した大きなハンバーガー入りのショッピングバックを(かか)えながら、アンは小声で呟く。


「文句を言うな。留守番は嫌だというから連れてきたのに」


 リラックスした様子のユウは、競技のスタートポジションから横目でギャラリー席を眺めて苦笑いしている。

 本来ならば競技がスタートする前の緊張する瞬間なのだが、ユウは生まれ育った土地の空気を満喫しているのか緊張の欠片も感じられない余裕の表情である。


「Are you Ready? Stand by!」


 スタートの合図のブザーと共にユウは振り向きざまスムースな動きでホルスターからヴィルトス・ガンをドロゥする。

 フウが参加に当たって出した条件はただ一点、ユウに開発中のハンドガンを使用させろという単純なものだ。

 大会側としてはIPSCと違ってパワーファクターの計測も無いので、この条件は簡単にクリアされたのであった。


 チチッ、チチッ

 トリガーを4回引いた音は、屋外では射手であるユウにも聞き取れない小さな音だ。


 まるで光線銃を撃っているように発射音も反動も無いが、『紡錘状』の弾丸は眼に見えない高速でターゲットに向かう。

 課題だった弾速の問題は、Congoh(いにしえ)の秘匿技術であるアクセルレーターコイルによって直ぐに解決を見たが、その後も地道に改良は続けられていた。

メタリ含有のBB弾が無くても、バレルに付着したメタル粉が弾丸のように固体化して発射されるのに気がついたフウがアイデアを出し、高圧ガスにメタリの粒子を混入することでBB弾とそれをローディングする機構一切が不要になった。

 また高圧ガスを噴霧制御する技術は、和光技研の燃料噴射の専門家にアドバイスを受け弾頭の形状が安定し信頼性も著しく向上した。

 外見は当初のエアソフト・ガンの外装パーツを流用したものと殆ど変らないが、今や内部は銃というより高精度で作られた噴霧器のようなものに変化しているのである。


 高速にターゲットをポイントするとラクタングルやスティール製のマンターゲットが音を立てて反応しペッパーポッパーも勢いよく倒れるが、ユウの手許では反動が無く発射音もしないし薬莢も排出されない。

 コースを取り囲んだギャラリーが、発射音も無く次々にターゲットをなぎ倒していくユウを唖然とした表情で眺めている。


 マガジンチェンジが通常必要な20発を超えるステージも、弾数など気にした様子も無くスイスイとユウは通過していく。

 何せメタリ含有の高圧ガスは千発近くの弾丸を形成できるのだから、マン・デッドリー・リロード制限の無いコースで残弾数など些細な事を気にする必要も無い。

 銃自体のポテンシャルが全く違う上にコース攻略に手抜きをしていない事もあって、総合成績はユウのダントツの結果となったのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 ほぼ競技が終了しようとする時間帯、Congohトーキョー一行はレンジ脇の休憩スペースで寛いでいた。

 大型テント内には複数のテーブルセットが置かれ、周囲には砂除けのキャンパスが貼られている快適なスペースだ。

 レンジの中には散発的に発射音が轟くが、終了間際の選手はあまり技量が高くない様で発射音のリズムも乱れがちで危なっかしい。


 ユウの見せた圧倒的なパフォーマンスと不思議なハンドガンは話題になっていたが、特に友好的では無いニホンの政府関係者という事で話しかけて来る人間は居ない。

 ただ参加登録書にフウが冗談交じりで記入した『ケラウノス』という銃器の名前は、その常識はずれの特徴のためか会場の中でも相当な話題になっている様だ。


 マリーから分けて貰ったダブルバーガーをアンがおいしそうに頬張るリラックスした雰囲気の中、背後から突然ダブルタップでは無い散発的な発射音が響いた。

(落したハンドガンの暴発!?)

 過剰にチューニングを施した競技用オートマティックは、トリガーが軽いだけでは無く回転サイクルを制御するシアも滑りやすくなっている。

 地面に落下した衝撃で、トリガーが引かれた状態で回転し続けるダブルカラムマガジンのハンドガンは、マシンガンと同様の凶器そのものだ。


 テーブル上にリグ(装備)一式を置いてリラックスしていたユウは、キャンバスを貫通した兆弾が跳ね回るテントの中、瞬時に手に取ったヴィルトス・ガンのトリガーを発射音の方向へ連続して引き絞る。

 破れたキャンバス越しに見えた地面で飛び跳ねていたハンドガンは、ユウの連続して放った弾幕によって瞬時に破壊され沈黙した。


 座ったままでヴィルトスを発動しなかったフウは、引き千切られたキャンバス地の方を一瞥しただけで満足そうにユウに笑みを返した。

 ハンバーガーを頬張ったままのアンは、何が起こったのか判らずに目を白黒させている。


 ユウは手にしていたヴィルトス・ガンを再びテーブルの上に静かに置くと、何事もなかったようにドクターペッパーの缶を手に取りぐいっと飲み干した。

 照れ隠しなのか表情は硬いままだが、口許がほんの微かに緩んでいるように見えたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数時間後のレンジがある空軍基地の滑走路、Congohプライベートジェットの機内。


「コース以外で発砲したから失格なんて、まぁ良く言えたものですわね。

 大体コースの安全管理が……」

 アンはコックピットで離陸準備をしながら、ブツブツと文句を言っている。


「まぁIPSCの安全ルールなら当然かもね。

 でも久々にアリゾナに来れて嬉しかったし、『ケラウノス』の改良も進んで良い訓練になったから」

 コパイシートでユウは航路設定を確認しながら、屈託の無い笑顔で答える。


「砂漠もたまには気分転換になったなぁ」

 客席でユウが用意したオールド・フォレスターのオンザロックを傾けながら、フウは呟く。


「ハンバーガー美味しかった」

 懐にかかえたジェリー・ビーンズの大袋から、リスのように『ゼリー粒』を頬張りながらマリーは小さく呟いたのであった。



                 ☆



 ハンドガンを包丁に持ち替えて、Congohトーキョーでの日常が落ち着きはじめた頃。

 朝食の席で、ユウはフウから新たな業務命令を受けていた。


「愚連隊って……入国管理局直轄の部隊なんですよね?」


「ああそれは通称で、実際にはもっともらしい名前があるみたいだな」

 フウはユウが作った朝食メニューの出し巻き卵を美味しそうに頬張って、相好を崩している。


「で、そこに顔を出すってどういう事でしょう?」


「お前の出向先としては縁が切れたが、顔つなぎは必要だ。

 今後も何かと連携して、事に当たることも多いだろうからな。

 ところでユウ、卵焼きのお替りはあるか?」


(そういえば、ハワイでもフウさんは卵焼きの握りばっかり食べてたなぁ。

 きっとすり身の入った甘めの卵焼きが好きなんだ……メモメモっと)


 ユウから別皿に盛られた卵焼きを受け取ると、表情を引き締めてフウは話を続ける。


「それに現行メンバーとはいろんな因縁があって、ウチとは交流が少なくてな。

 感情的なしこりが無いお前なら、あいつらと友好的に振舞えるだろ?」


「どうしてそこまで仲が悪いんでしょうか?」


「仲が悪いっていうのとはちょっと違うんだが、待遇の差が大きいからな」


「?」


「実働部隊の割りには、彼らは人手と予算が無くて苦労してるからな。

 業務を委託しているこちらは高額なギャラを貰っているから、向こうが快く思ってないのは当然なんだろう」


「……はぁ。それで同行先は何処なんでしょう?」


「特に目立った事件は起きてないから、通常のデブリ捜索だろうな」


「ああ、あの資料映像にあった『DDディメンション・デブリ』って奴ですね」


「そうだ。地道な作業だが最近捜索に難儀してるらしい」


「?」


「本来ならニホンに駐在していない筈の黒服の連中に先回りされて、回収率がかなり落ちているみたいだな。まぁその辺の現状も、ついでに調べてくれるとありがたいかな」


「了解です」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数日後。


 ドライバーズシートで、ユウは運転を志願したのを後悔していた。

 航空防衛隊に所属していた時にも度々運転していたアイチ自動車の大型クルーザーだが、長距離運転ではシートが硬く乗り心地があまり良くない。


 勿論パイロットシートと比べれば広くて快適なのだが、ジェット戦闘機は連続して6時間も乗り続けることは無いので比較の対象にはならないだろう。

 後付でつけられたGPSユニットは大画面でしかも高性能だが、軍用のためにナビゲーション機能は無くあくまでも道順は自分で判断しなければならない。

 おまけにCongohトーキョー以外のメンバーの前で、大っぴらにSIDの助けを借りると反感がありそうで怖いのである。


 装備の不足は根性で補えという防衛隊時代の恐ろしい格言を思い出しながら、広いセンターコンソールに置いた地図とGPSユニットを交互に見ながらユウはハンドルを切り続ける。

 静かな溜息とともにユウは助手席をチラリと見たが、離れた助手席に座る責任者の「ケイ」と呼ばれている女性は腕組みをして目を閉じ運転を替わってくれる気配は全く無い。


 バックミラーから見える広い後席には、同行しているメンバーが2人。


 一人はポニーテイルで髪を纏めている少女で、チューイング・ガムを膨らます度にパチパチ音を立てている。

 「ベック」という変った愛称で呼ばれていた彼女は、表情が険しくイライラしているように見える。

 もう一人は、対照的に安らかな表情で眠っている「パピ」と呼ばれていたショートカットの女性。

 彼女はユウとほぼ同じ位の年齢だろうか、膝の上にはCogoh製の電子ペーパー端末が無造作に置かれている。


(愚連隊っていうからむさ苦しいメンバーかと思ったら、隊長さんを含めて容姿端麗な人ばっかりだよね)


 ユウは頭の中で呟きながら、インターチェンジを降りて一般道へ合流して行く。

 土地勘が無い街だが、目的の座標は市街地からかなり離れた場所にある様だ。


「道順は無視して良い。GPSの座標に接近するのだけを意識してくれ」

 いつの間にか目覚めていた、助手席のケイから指示が入る。


「了解」

 余計な会話を出来る雰囲気では無いので、軍隊口調で短く返答をしてハンドルを切り続ける。

 GPSのターゲット座標まで数キロの地点で、舗装道路はいつの間にか山道になり民間キャンプ場の大きな看板が見える。

 キャンプ場の利用者に用意された広場でユウはやっと車を停車し、目標座標にほぼ到達しているのをGPSの表示で再確認する。


 その時、大型ヘリの飛行音が車内に微かに響いた。


 ユウが聞きなれた、特徴的なブラックホークのローター音である。

 市街地では滅多に耳にしないその音に、近くに米帝や防衛隊の基地があるのだろうかとユウは怪訝な表情を浮かべる。


「よし、軽く昼休憩をしてから捜索を始めよう」

 寝起きでローター音に気がつかなかったのか、ケイは急かせる事も無く小休憩を宣言する。


「ねぇケイ、あの不味い防衛隊レーションとか味気ないエナジーメイトは嫌だよ」

 パピと呼ばれていたメンバーが、子供のような口調で文句を言う。


「じゃぁ近場のコンビニで弁当でも調達するか?往復で一時間位かかるだろうが」


「うっ……お腹すいた」


 パピが発した普段聞きなれている『お腹すいた』という台詞にユウは思わず吹き出しそうになったが、緩む口許を意識して引き締めながら口を開く。

「あの……カツサンドを持ってきたんですけど、皆さん食べますか?」


「えっ、カツサンド!!食べるたべるタベル!!」

 一瞬にしてパピのテンションが異常に上がった。


「用意が良いな」


「いえ、フウさんが差し入れを必ず持っていけと言っていたので」

 簡易クーラーボックスから取り出した複数のカツサンドの白い小箱を、メンバーに配りながらユウは言った。

 不機嫌な表情だったベックも、目を輝かせているのは不思議な感じだ。


「マンセイのカツサンドみたいだけど、こっちの方がカツもソースも美味しい!」

 かなりの食いしん坊なのか、パピが早速味の評価をしている。


「カツの衣がソースの旨みを引き立ててるな。豚肉も適度な歯ごたえで脂が甘く感じる……これはどこで手に入れたんだ?」


「えっと、今朝自分で作りました」


「これが手作りって……味もそうだが容器も売り物みたいな完成度だな?」


「ああ、それは紙パッケージを作ってる業者さんから分けて貰ってます」


 バックシートの二人が競うように食べ続けたので、用意した15箱のカツサンドは、あっという間に無くなった。

 助手席のケイも、好物なのか早々に2箱を確保して黙々と食べ続けている。


「ねぇ、もしかしてユウって料理が得意なの?」

 餌付け効果か?急にフレンドリーな口調になったパピが尋ねてくる。

 彼女の手には、これもユウが持参したセブンアップの350ml缶が握られている。


「ええと、私以外のメンバーも殆ど同じような腕前かと思いますけど」


「ねぇ、今度ご飯を食べに行ってイイ?トーキョーオフィスに居るんでしょ?」


「ええ、是非いらして下さい。金曜日はカレーの日でお客さんも沢山来てますよ」


「おおっ、久しぶりにやる気が出てきた~!」


「寿司の日は、来月になっちゃいますけどね」


「「ええっ」」

 今度はケイも口を揃えて驚きを表明する。


「そんな日もあるのっ?

 今官舎の周辺には回転寿司すらなくて、お寿司も暫く食べてないんだよ!」

 パピが目を輝かせて、ユウの方へ身を乗り出して尋ねる。


「ええ、握るのは自分ですけど」


「「今度行ってもイイ?」」

 パピとケイ、メンバー二人の声が、しっかりとユニゾンで車内に響いたのであった。

 

(Tokyoオフィスとは不仲だって聞いてたんだけど、それってフウさんの誤解?それとも食欲が感情を凌駕したのかな?)

 車内でカツサンドの空き箱を片付けながら、思わず考え込んでしまうユウなのであった。



                 ☆

                 


「さぁ、さっさとデブリを見つけて引き上げよう」


「へ~い!」

 バックドアから装備を取り出しながら、パピが軽い口調で応える。

 周囲と話しながらも、MP5やハンドガンを扱うパピの手並みはスムースで、身体に染み付いている動作なのが見て取れる。

 ユウと年齢は変わらないようだが、キャリアを積んでいる歩兵としての能力が立ち振る舞いから否が応でも解ってしまう。


「君は周囲を警戒して貰えないか?周辺に高い建物は無いが、用心に越したことはない」


「了解」

 差し入れと共に持っていくように言われたライフルケースをバックスペースから取り出しながら、ユウは応えた。

 歩兵としての実戦経験が殆ど無いユウは、後ろからおまけのように付いていくのが無難だろうと自分で納得する。


 既にユウ以外のメンバーは、ストックを折り畳んだMP5を手に取って歩き始めていた。

 本来のデブリの回収だけなら大袈裟な武装は必要無いのだが、ここ最近先回りされている気配が濃厚なので用心に越したことは無い。

 他のメンバーと少し距離が離れたので、ライフルをスリングで背負いながら小声で胸元に囁く。


「SID?」


「はい、ユウさん」


「周辺の狙撃可能ポイントは見える?」


「高圧線の鉄塔がありますが、直線距離で500メートルはありますね」


「映像は見えてる?」


「メンテナンス用のカメラはありますが、死角が多くてチェック漏れが多いです。衛星は監視ポイントの軌道上に無いので、どこかに自前のカメラを設置して下さい」


「了解」


 ユウはゴルフボールより若干大きい球体をポケットから取り出し、ケイ達の目が無いのを確認してから立ち木の天辺に向けて放り投げた。ユウの筋力で投擲された球体が楽々と頂点に接近すると、音も無く球体からワイヤーが射出され高い位置で木立に球体が固定される。

「どう?これで死角はある?」


「視野を確保しました。これで問題ありません」


 更にメンバーが歩き出して数分後……


「ユウさん、北東方向の鉄塔に人影を発見。武装しています」


『Get Down!!』


 さすがに場慣れしているメンバーはユウの一言に反応して瞬時に身を伏せ、周囲を索敵し始める。

 かなり反応が遅れたベックは周りの様子に驚きながら、ワンテンポ遅れてようやく身を伏せている。


「SID、武装の種類は?」


「シルエットから判断すると一般的なM40スタイルのスナイパーライフルです。高倍率のスコープが付いています」


 滑らかな動きで匍匐前進してきたケイが、ユウに尋ねる。

「何を見つけた?」


「北東方向高圧線の鉄塔にスナイパーが居ます。距離500メートル」

 バイポットを伸ばしたライフルを伏射のポジションで肩付けしながら、ユウが応える。

 ライフル・スリングは巻きつけた肩からしっかりと張られて、バイポットとともに銃全体の振動を抑えて安定させている。


「ズーム・イン」

 アイレリーフの長いスコープを覗きながら、ユウは音声認識のコマンドを囁く。

 光学映像のズームを更に電子的に補完した映像が接眼部分一杯に広がる。

 更にスコープを見ていない左目を使って射線を調整し、ターゲットに対する位置を微調整する。


 グレーの明るい迷彩服姿の射手は、鉄塔の狭いメンテナンスエリアで銃身をレストしながら射撃体勢に入っている。

 実際に狙撃する気が無いにしても、突然姿が見えなくなった一行をズームスコープを使って探しているのかも知れない。

 また射手は自分が発見される事など微塵も考えていないのか、警戒心も無くとてもリラックスしているように見える。


「ケイさん、スナイパーは自分が発見されるなんて微塵も考えてないみたいですよ。

 威嚇で何発か撃っちゃいましょうか?」


「うん、直接当てないならOK。でも撃ち上げで500メートルの距離じゃキツイだろ?」

 ケイは手持ちの荷物から、大型のデジタル双眼鏡を取り出しながら言った。


 前触れ無しにユウのケラウノス・ライフルが、サプレッサーが付いているような小さな音で発射される。

 コールドショットの後に、小さなボルトレバーを操作してユウは2射目も続けざまに発射した。

 この間に時間は一秒もかかっていないだろう。


 ケイはデジタル双眼鏡で、遠方の狙撃手の姿を捉えていた。

 発射音が小さいので自分が狙われたのを意識するまでも無く、狙撃手の傍に立てかけてあったライフルケースがいきなり破裂するようにバラバラになった。

 狙撃手は身を隠す術も無くパニックを起こし、ライフルを背中にかけてメンテナンス梯子を降りようと動き出すが、今度は背中の合成樹脂で出来たライフルストックがバラバラになって吹っ飛んだ。スリングの留め金を固定する部分も爆散して、スコープが付いたアクション部分が鉄塔の骨組みにバウンドしながら落下して行くのが見える。


 スコープ越しに様子を見ていたユウが、ケイに冷静な口調で尋ねる。

「追いかけて身柄を確保しますか?」


「いや、拘束した後が面倒だ。放っておけば、自分で撤退するだろ」


「その感じだと、相手に心当たりがあるんですか?」


「ああ、先回りしていた黒服の連中が、現場に残って監視してたんだろうな

 おそらく海兵隊出身のスナイパーだろう」


「SID、まだ周囲に問題はある?」

 ケイに聞かれるのを承知の上で、ユウは胸元にささやく。


「いえ、現状では狙撃可能なポイントに人影はありません。

 先程のターゲットは撤退したようですが、逃走車両は引き続きトレースしています」


「よし引き続き周囲の警戒を頼む。先回りされたということはDDの回収は難しいだろうが、一通りエリアを巡回してから帰還しよう」

 ユウの胸元から聞こえてきたSIDとの会話を意図的に無視して、ケイは静かに言った。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 入国管理局に現地から報告を行った後、ユウを含めたメンバーはサイタマのとある場所に向かっていた。


 差し入れのカツサンドとスナイパーへの反撃効果もあり、帰路の車内でユウがメンバーと打ち解けるのにそれほどの時間は掛からなかった。

 なんと隊長のケイは、ニホン生まれで防衛隊大学校のユウの先輩に当たるそうだ。

 パピという愛称の食欲旺盛な女性は、可愛らしい容姿からは想像できないが米帝海兵隊出身だと言う。

 もう一人の若い女の子とは経歴に関する話しはできなかったが、結局3人ともメトセラにゆかりがある血筋であることが判明した。


「ええ、そうです。スナイパーはケイさんの指示もあって、確保しませんでした。

 暫く協力を頼みたいと言われてますが……了解です」


「……」


「ケイさん、しばらくこっちに留まって協力しなさいと言われました」

 トーキョーオフィスに報告を終えたユウは、先に降車してバックドアから荷物を取り出していたケイに声を掛ける。


「おお、それは助かるよ。私の二人部屋はベットが空いてるから、そこを使って貰えるか?」


「ここって、アサカの陸防の隊員寮ですよね?」

 集合住宅が連なっている敷地の案内板を見ながらユウは言った。


「ああ、一棟をまるまる借り受けて使ってるんだ。男性隊員は居ないから、基本的には相部屋だけどな」


「食事はどうなってるんですか?」


「アサカ駐屯地の隊員食堂も使えるが、女性隊員が少なくて居心地が悪くてね。

 毎日殆ど外食かな」


「じゃぁ、自分が居る間は何か作りますよ」


「それは嬉しいな。近場にあるのはファミレス一軒とコンビニだけで、メニューも食べ飽きた処なんだ」


 荷物を運び込んだ後、近所のスーパーで食材を大量に仕入れたユウは夕食の準備に入る。

 厨房にある道具類は炊飯ジャーを含めて殆ど新品で、誰も料理をしていないのが一目で分かる状態だ。


 カツサンドが好評だったという事は、ボリュームがあるガッツリ系のメニューなら問題ないだろうと考えて、メニューはシンプルな生姜焼きとコロッケの盛り合わせに決めた。

 生姜焼き用には値引きシールが付いていた三元豚を大量に購入し、その一部を豚汁の具材にする。


 ふだん生姜焼きの味付けに使う昆布出汁や生姜も既製品の濃縮品やチューブで済ませるが、出来上がりにはそれほど差が出ていないだろう。

 コロッケはメークインを電子レンジで蒸かしてから荒めに潰し、塩胡椒で味付けしてから市販品の生パン粉を使って揚げる。

 凝った具材は入っていないが、揚げ立てならば既製品とは比べものにならないだろう。

 出汁の関係で味噌汁では無く大量に作った豚汁は、野菜もたっぷり入っていて明日の朝食にも流用するつもりだ。


 ファミレスのメニューというよりは運動部ご用達の定食というボリューム満点に出来上がった夕食に、メンバーはご飯と豚汁のお代わりを繰り返してしっかりと満足してくれた様だ。

 なんと夕食にはキャスパーもちゃっかりと顔を出して、翌日用に仕込んであったもち粉チキンをユウに揚げてもらって満足そうに食事をしてから帰って行ったのであった。


                 ☆



 夕食後、持参したハワイ土産のミックス・ナッツを齧りながら、ユウはケイと一緒にグラスを傾けていた。

 近所のディスカウントストアにはユウ好みのバーボンの銘柄が無かったので、グラスを満たしているのは癖が少なく飲みやすいアーリータイムズのブラウンラベルだ。

 ユウが防衛隊大学校の後輩という事が分かって、ケイもかなり打ち解けた様子で話をしてくれている。


「いやぁ、久しぶりにまともな食事を摂った気がするよ。

 トーキョーオフィスのメンバーが、かなり羨ましいな」


「いえ、自分以外のメンバーも料理が上手な子がいますし、商店街の居酒屋での外食も多いですよ」


「うちのメンバーはメトセラにしては、珍しく料理が苦手なメンバーばかりが集まっていてね。

 おまけに酒飲みも私だけだから、居酒屋で夕食っていう訳にもいかなくてね」


「ところで、今日みたいな待ち伏せに会う事は多いんですか?」


「ああ、最近は先回りされる事が多くておかしな事になってる。

 事前に捜索地点の座標が漏れてるのかも」


「……」


「それに最近はDDの発現地域が、何故かニホン国内に集中していてね。

 うちの研究者連中は『質量保存の法則』があって、環太平洋地域に発現が集中するのではないかと言っている。

 おかげで米帝本土でDDを収集出来なくなった黒服のDD回収班が、ニホンに常駐するようになったんだろうな」


「米帝の連中は、安全保障条約を盾にして駐屯地経由でヘリを飛ばして現地に行ってるからな。

 リアルタイムで位置情報を得られれば、うちらよりも早く現地に行けるのは当然だろう」


(ああ、つまりマリーの『エフリクト』が原因って事なのかな)

 ユウは質量保存という一言で、先日の衛星デブリの事を思い出していた。


「今日はユウが反撃してくれたから、メンバー全員が溜飲を下げる思いだったよ

 ドンパチがある時は防衛隊の輸送機やヘリを無制限に使えるが、ゴミ拾いの時は移動の費用すらケチらないといけないんだ。装備も警察の特殊部隊や、陸防の余剰品の寄せ集めだしな」


「ケイさん、ちょっと込み入ったことを聞いて良いですか?」


「ああ、何でも聞いて貰って構わない」


「皆さん、何でCongohの方へ来ないんですか?メンバー全員プロメテウスの国籍もお持ちですよね?」


「う~ん、考えはそれぞれ違うと思うが私はニホンという国に対する愛着かな。ユウは米帝育ちなんだろ?」


「ええ。愛国心というのはかなり怪しいと思いますが、ニホンよりは米帝に愛着があるかも知れませんね」


「でも空防に入ったんだろ?」


「ええ、米帝空軍からも誘いはありましたけど、父の件がありましたから」


「私の場合は、より愛着があったのがニホンという事になるかな。

 ユウと一緒で私の父親も普通のニホン人だったし、私の容姿もニホン人寄りで自分の出自に悩んだ事も殆ど無かったしな」


「それじゃぁ、運動とか学業成績でかなり注目されたのでは?」


「ああ、高校生の頃陸上競技でオリンピック強化選手に選ばれたんだが、結局辞退したよ。

 防衛隊大学校に進学するつもりだったからな」


「あの……自分にも経験がありますけど、能力を隠して生活をしていてジレンマはありませんでしたか?」


「そこまでストレスを感じた事はなかったが、防衛隊に入って救われた部分はあるだろうな」


「ああ、なるほど」


「ユウも経験しているだろう?実働部隊ではとにかく実戦で役に立つメンバーが優遇されるって。

 レンジャー課程や第一空挺の訓練では、三味線を弾く必要も無いし全力を出しても誰からも文句は言わないしな」


「結局入国管理局に出向になったが、他に適任が居ないと世話になった上官に説得されてな。

 おまけに空防から有能な隊員の補充があると喜んでいたら、横やりがあって取られてしまうし」


 普段は酒席に同席してくれるメンバーが居ない事もあって、それからもケイの愚痴は延々と続いた。

 既にボトルが一本空になり、さらに新しいボトルの封も切られている。


(うわぁ、ストレス溜まってるなぁ。時々こっちに来てケイさんのガス抜きしないと不味いかも)

 絡み酒の相手をしながら、ユウのアサカの夜はこうして更けていくのであった。



                 ☆



「今日は出動の翌日だから通常ならば非番なんだが、ちょっと訓練に付き合ってくれないか?」

 ユウが用意した朝食を平らげた後、ケイがちょっと照れくさそうな表情で言う。


 アイチ自動車の大型クルーザーには、ケイと一緒にベックと呼ばれた口数の少ない少女も同乗している。

 上背はユウと殆ど同じの彼女は、長い黒髪をポニーテイルに纏め細身ながら鍛えられた上腕や腹筋が目立つワイルドな服装だ。

 彼女は朝食でも旺盛な食欲を見せていたにも関わらず、相変わらず口数が少なくユウをまだ警戒?しているのかも知れない。


「君が使ってるケラウノスに興味があってね。機会があったら見せて貰いたいと思ってたんだ」


「えっと、今日自分が持参しているのは専用のデバイスなので、汎用品とはちょっと違いますけど?」


「ああ、それでも参考になると思うから構わないよ」


 官舎から数分の距離にあるアサカ射場は、人気が無く静まり返っている。

 勿論ライフルの発射音もしなければ、野戦服姿の陸防隊員の姿も無い。


 受付をケイの顔パスで通過した一行は、短距離用レンジに向かう。

 今日は防衛隊の訓練や一般への貸し出しが無い日で、ほぼ貸切状態の様である。

 50ヤードレンジには通常使われている複合ターゲットでは無く、ケイのリクエストなのかクラッシックスタイルのマンターゲットがセットされている。


「今日は陸防の連中は来ないから、見られる心配は無いよ。

 いきなりで悪いが、まず50ヤードで撃ってもらえるかい?」


「了解」

 ユウはインサイドホルスターからケラウノスを抜き出し、無造作なツーハンドのスタンディングポジションで撃ち始める。


 チッ、チッ、チッ


 発射音は屋外なので殆ど聞こえないし、反動も全く起きないが、動かない金色のスライドがぼんやりと発光しているように見える。

 十発を撃ち終えると、ユウは手許の架台にケラウノスを置いて、スポッティング・スコープを覗いているケイとベックに向き直る。


「どうです?」


 ケイはスポッティング・スコープから目を離し、吃驚した表情でユウに表情を向けた。

「すごいな。50ヤードで全弾Xに命中だ」


 横に居るベックはスコープから目を離せずに、口をあんぐりと開いてフリーズ状態である。


 ハンドガンでの50ヤード射撃は、特別なチューニングを施した競技専用モデルを使ってもかなり難しい。

 ましてユウの手にあるケラウノスは、近距離用の簡易サイトが付いたちょっと細身の1911にしか見えないからだ。


「発射音もなければ、反動も無い。まるでSFに出てくる未来の武器みたいだな」


「汎用品のケラウノスはライフリングがあるので反動がありますが、発射音は静かでグルーピングもほぼ軍用のハンドガンと同程度ですかね」


「チャージ無しで相当の数を撃てるのは素晴らしいメリットだな。

 ところで、このユウ専用のケラウノスを私が撃つのは可能だろうか?」


「ええ、ヴィルトス能力が2歳児相当の私でも使えるので、発射は問題無くできると思いますが……」


「あの……自分に撃たせて貰えませんか?」

 ケイの目配せにユウは小さく頷いて、自分のケラウノスをベックの目の前の架台に置いた。

 ベックにサムセフティについてだけを簡単に説明して、好きに撃たせてみる。


 チッ、チッ、チッ……

 反動が大きなハンドガンを撃ち慣れているほど、無反動で命中精度の低いケラウノスを扱うのは難しい。

 何度もフリンチングを起こして、ターゲット前の地面に繰り返し着弾しているのが遠目から見てもわかる。


「……マンターゲットに当たったのは一発も無いな。やはり専用デバイスということか」

 スポッティング・スコープから覗きながら、ケイが小声で呟く。


「ええ、フウさんでも50ヤードではターゲットに入れるのがやっとだと仰っていましたから」

 ベックは落胆したのか、がっくりと肩を落して地面を見つめている。

 表情は険しく、目許が潤んでいまにも涙がこぼれそうだ。


「ユウ、追加で頼みがあるんだが」


「はい何でしょう?」


「ベック、お前のベレッタをちょっと貸してくれ。

 これを50ヤードで撃ってみてくれないか?」


「……はい」

 ケイの意図を察したユウはマガジンが入ったままのベレッタを手に取ると、マガジンを取り外し軽い動作でスライドを引いてチャンバーが空なのを確認する。

 続けてスライドをリリースし、コッキングされたハンマーに指をかけながらトリガーを静かに引きシアが外れるタイミングを確認する。

 シアが切れるタイミングが粘るので、ほとんど内部はストックパーツのままで未調整であり簡単に暴発する事は無いだろうと判断する。


 マガジンを装填し直しスライドを引いてチャンバーに弾を送ったユウは、ツーハンドで自然に構えてバランスを確認するようにターゲットに向けて初弾を発射する。


 スライドの質量が大きくしかもアルミフレームのベレッタはユウの好みでは無いが、ノーマルの9mmモデルの反動はマイルドで撃ち易い。

 続けて一発にしか聞こえないダブルタップを早いサイクルで繰り返し、マガジンをあっという間に空にしたユウはスライドオープンしたベレッタからマガジンを抜いて手許の架台に静かに置いた。


 50ヤード先のターゲットには、先程ケラウノスで作ったのと全く同じX部分のみの小さなグルーピングが作られていた。

 ユウの直ぐ横でスポッティング・スコープを覗いていたベックが、小さく唸り声を上げる。

 彼女は自分の腕前の不甲斐なさで、瞼には涙が溢れていまにも零れ落ちそうである。


「ユウ、トーキョーオフィスには50ヤード射場があるよな?

 フウさんにはこちらから正式に許可を貰うから、ときどきこいつのトレーニングに付き合って貰えるかな?」


「自分は教えるのが下手ですけど、それで良ければ」


「こいつの場合、腕前が上がらないのはトレーニング量の問題だろう。

 多分一緒にレンジに居れば、そのうちフウさんの強制指導も入るだろうから」


「トレーニングに来た時には美味しいご飯を出してあげるから、遠慮せずにおいでよ……ね?」

 ユウがベックの耳元で小さく囁きウインクすると、ベックは目を輝かせてようやく笑顔を見せたのであった。


 

                 ☆



 一週間後、入国管理局の手伝いを一旦終了してユウはCongohトーキョーに戻っていた。


 当初の目的であるメンバーとの親睦は良好で、愛想が悪かったベックも繰り返した餌付け効果かユウにしっかりと懐いている。

 ちなみにアサカに滞在中にDD捜索には2回同行していたが、いずれも成果が無かったのは先回りされていると考えるのが自然なのだろう。


「SID、デブリ発現の位置情報ってどうやって取得してるの?」

 夕食前にメンバーが揃ったリビングで、ユウが真剣な表情でコミュニケーターに尋ねている。

 現場で無駄足を繰り返したので、Tokyoオフィスの他のメンバーよりも当事者意識が高くなっているのであろう。


「天候庁の設置している定点観測所に、デブリ観測機器が一緒に設置されています。

 主に重力変動とオゾン濃度の変化を計測するものです。

 それらの分布データと、入国管理局が数箇所に設置した大型観測機器のデータ両方からスパコンが計算して算出しています」


「位置情報データが漏洩(ろうえい)している可能性は?」


「最近まで関係各所に暗号強度が低い形式で算出したデータが送られていたので、インタラプトできれば割と簡単に情報を取得できたでしょうね」


「暗号強度を上げる対策は実行済みなの?」


「はい。ただし米帝政府が使っている高レヴェル暗号強度では無いので、やはり解読はされてしまうと思います」


「じゃぁ解析した位置情報を送信するシステム全体を刷新しないと駄目かな」


「それを含めて、現地回収までの作業フローの見直しは絶対に必要ですね。

 あとは実働メンバーが足りないという大きな問題があります」


「こちらから人手を出すのも可能だが、ギャラの問題が大きいんだよ。

 ここのメンバーが出動した場合のギャラは、キャスパーの部署じゃ負担出来ない金額だからな。

 今回のユウみたいに、こちらが費用負担する研修名目という訳にもいかないし……」


「……」


「とりあえず、実働部隊を増やして霍乱する必要があるかな。

 近い将来には、雫谷の学生アルバイト班を確保するつもりだが」

 フウは頬杖を付きながら、シリアスな表情で応える。


「黒服を相手にさせて、学生じゃ危険じゃありませんか?」


「ああ、私の甥っ子が居るからな。戦闘力ならマリーに匹敵するから問題は無いだろう。

 ただしあと数ヶ月先になりそうだから、それまではうちのメンバーもコストに目を瞑って協力する必要があるだろう。

 まぁ、うちらはニホンには特別な思い入れがある訳じゃないから、空防OBのユウが中心になって手伝ってくれると嬉しいかな」


「ええ、今回で顔繋ぎは出来ましたし」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数日後。


「飛び切り大きい反応があったんだって?」

 食堂で凄いスピードで大量の握り飯を作っているユウを見ながら、フウが言った。

 寿司を握っている姿と同じその手際の良さは、いかにも作りなれている弁当工場の従業員の様である。


「ええ、米帝で過去にあった最大の反応に匹敵するそうです」

 米粒を手のひらに残さずに、次から次へと白米のお握りが大皿に並べられていく。

 海苔を包むのも一瞬の手際で、ラップに包んだ大量の握り飯がバスケットにどんどん詰められていく。


「愚連隊の連中って、こんなに食べるのか?」

 ユウが用意している握り飯は、到底4人前とは思えない炊き出しと言ってよい分量になっている。


「ええ、食事を作っても米粒一つ余ったことが無いですから。マリーが複数人居る感じですかね」

 付け合せのお新香のタッパのフタを綴じながら、ユウは笑顔で言った。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 今回は愚連隊メンバーと現地合流する事になったので、Congohの社用車に乗ったユウはSIDのナビゲーションで現地へ向かっている。

 足も普段乗りなれている和光技研のHV車なので、ストレスも無く長距離運転も楽チンだ。


 Tokyoオフィスから目的のポイントに到着したユウは、メンバーが乗ってきただろう大型クルーザーの横に車を停車させた。

 クルーザーの中にはメンバーが誰も居ないので、すでに調査を開始しているようだ。


「あれっ、こんなの持ってきてたっけ?間違って積んじゃったかな」

 ライフルケースを慌しくハッチバックから下ろしている最中に、右足にぶつかったカーキ色の小さなケースを見ながらユウは言った。


「急いでたからバスケットと一緒に詰んじゃったのかなぁ……。まぁ仕方が無い、手榴弾だったりしたら放置もできないしね」

 ちょっと重量感があるケースを荷物スペースに戻すと、メンバーと合流するためにユウはケラウノス・ライフルを担いで歩き出した。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「今回は先回りされた形跡はないのに、成果無しだったな」

 周囲の調査を一通り終えたメンバーは、合流したユウと一緒に大型クルーザーの中で休憩していた。


「反応が大きくても、見つからない事もあるんですね」


「いや、今までは無かったな。

 余程見つかりにくい場所にあるのかも知れないが」


「まぁ気を落とさずに。急いで来たのでカツサンドは用意できませんでしたが、握り飯を作ってきたので食べませんか?」

 ユウが持参して来た巨大なバスケットを開くと、中には大量の握り飯が詰め込まれている。


「忙しいのにいつも済まないなぁ……で中身は?」


「冷蔵庫にあった余り食材色々です……松坂牛のしぐれ煮と、鮭児のほぐし身と、桐箱に入っていた博多の明太子とか」


「「どこが余り食材なんだ!!」」

 ケイとパピのいつもの突っ込みが入るが、ベックは空腹なのか涎をたらしそうな表情でバスケットの中身を凝視している。


「Congohトーキョーのメンバーは皆ニホン食好きですけど、さすがに佃煮とかほぐし身は食べ方が分からないらしくて余っちゃうみたいですね」


「ユウ姉さん、どれもおいしい!」

「具は勿論だけど、お米も海苔も美味しいね!」

 ベックもパピも争うように頬張っているので、バスケットの中身がどんどん減っていく。


「忙しいのに用意するのも大変だったろ?」

 ケイも気に入ったのか、辛子明太が溢れるように大量に入ったおにぎりを美味しそうに頬張っている。


「いえ、逆に料理で忙しいのは気分転換になって楽しいですよ。

 空防ではスクランブルのローテーションに入ってるパイロットが、隊員食堂の手伝いをしてると怒られちゃいますからね」


「にしても、こんなに贅沢なものばかり食べていて、Congohトーキョーの食費はどうなってるんだ?」


「それがですねぇ……調べてみるとこれが意外に少ないんですよね」


「はあっ?冗談だろ?」


「食材は質と価格のバランスが取れたのを、拠点分をまとめて入手してますからかなり仕入れが安いんだそうで。

 傷みやすい葉物野菜なんかは、現地のスーパーで調達する事になってますし。

 ときどき贅沢な鰻弁当とかを特注するんですが、なんかイタリア支部とかも便乗して大量購入するみたいでかなりディスカウントされるみたいですね」


「イタリア支部が鰻弁当だと?」

 ケイが呆れたという声を上げる。


「なんか日本食好きな人が結構居るみたいで、この間スカウトされそうになりましたよ」


「まぁユウの腕前なら、納得できるかな」


「特にTokyo支社は食材のロス率が限りなくゼロに近いんで、お褒めの言葉をいただいているみたいですよ」



 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 ユウはケイから支給された陸防の野戦服のままCongohトーキョーに戻ると、私室で着替えを行っていた。

 ライフルケースは先に装備室のロッカーに収納済みだが、正体不明?の弾薬箱風ケースは戻す場所が不明なのでベットの足下に置いたままである。


 備え付けのシャワー室から出てくると、何故かコミュニケーターからSIDが話しかけてくる。


「ユウさん、室内のオゾン濃度がちょっと高くなっているので強制換気をします。

 暫く空調が煩いですが、ご了承下さい」


「了解。オゾン濃度って、外で野戦服になんか付いたのかな?……ところでSID、今日はフウさんって不在なの?」

 ユウはパジャマ替わりにしている大きなTシャツと、ショーツを身に着けながら問い掛ける。


「ええ、明日まで帰らない予定ですね」


「う~ん、どうしようかな」


「何かお困りの点でも?緊急なら連絡を取りましょうか?」


「ねぇSID、これって何か分かるかな?」


「弾薬箱ですか?……義勇軍のものと似ていますが、パートナンバーやバーコードの記載が無いですね」


「そうなんだよ。間違って積んじゃったと思ったんだけど、倉庫に同じ在庫も無いし。

 もしかしてフウさんお得意の、秘匿デバイスかなぁと思ってね」


 特に取り扱い注意のマークも無かったので、不思議な形状のラッチを開放してユウは中身を取り出していた。

 細長い形状のマガジンのようなものが複数入っていたが、そのうちの一つを手に取っても何のデバイスなのかユウには見当も付かなかったのである。


「無線タグの反応も無いみたいですね。どっちにしてもフウさんがお帰りにならないと分からないですね」


「じゃぁ、これは放っておいて寝ちゃおうかな」


「ユウさん、ナイトキャップはほどほどにして下さいね」


「ははは、最近ケイさんの晩酌に付き合って飲みすぎだから、ちょっと引っ掛けたらすぐに寝るよ」

 ユウはショットグラスに入ったオールドフォレスターを一息で煽ると、ベットに倒れこむ。


「はい、お休みなさい」


 ユウは捜索の疲れもあって正体不明の弾薬箱?をそのままに、直ぐに眠りについてしまったのである。



                 ☆



「SID、此処は何処?」


「ユウさん……アリゾナ、フェニックスです」

 一瞬の間が空いて、コミュニケーターから返答がある。


「これは夢の中……私はまだ寝てるのかな」


「いえ、現実です。ユウさんの位置情報と衛星からの画像で確認しました。どうやってそこまで移動したのですか?」


「わからない。気がついたら此処に居たんだ」


(もしかして、プロヴィデンスって奴にジャンプさせられたのか??)


 近所の商店街へ買い物にいくつもりで、大使館のゲートを出たらいつの間にかこの場所に立っていたのである。

 ニホンとは全く違う刺すような日差しの中で、見慣れた黄色い矢印マークのついた看板が鮮やかに目の前に見える。


(あれっ、もしかしてここのハンバーガーの事を考えていたから??)


「ユウさん、自力でトーキョーまで戻れますか?駄目なら手配しますけれど」


「ああ、コミュニケーターと財布をちゃんと持っていてラッキーかも。

 クレジットカードもあるから何とかなるでしょ」

 INーN-OUTの店内に入りながら、ユウはちょっとずれた返答を胸元に囁く。


 特に不思議な顔をされずに持ち帰りの大量注文をカウンターで済ませたユウは、以前両替したまま財布の中にあった20ドル札数枚を使って会計を済ませる。

 両手に大きな紙袋をぶら下げて店を出たユウは、周囲を見渡して人目が無いのを確認した後、意識を集中する。


(もし自力でジャンプしたなら、問題なく戻れるような気がするな)


 Cogohトーキョーの敷地の光景を強く意識した瞬間、建物の玄関ドアの前にユウは立っていた。

 特に運動の後のような疲労感や、ヴィルトスを多用した時に起こる倦怠感も全く無い。


(戻れた!……でもなんでこんな能力が自分に?)


 リビングに向かうと、ユウの両手の紙袋のロゴマークを見たフウが怪訝な表情をする。


「知らない間に、トーキョーに支店でも出来たのか?」


「えっと……その話は後ほど相談させて下さい。

 SID、マリーが部屋に居るなら呼んでくれるかな?」


 ユウが黙ってレシートをフウに差し出すと、フウは店名を確認し目を見開いて驚いた表情を見せる。

「おい、一体どういう冗談だ?」


 リビングにやってきたマリーは、袋の出所には全く関心が無いようで


「まだ暖かい。出来立ては嬉しい♪」

と小声で呟くと、満面の笑顔で取り出したダブルバーガーにかぶりついたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 前日のDD捜索に遡って、ユウはフウに説明を始めた。

 ジャンプに関しては動かぬ証拠であるハンバーガーとレシートがあるのでフウも否応無く納得するしかなかったが、積み間違えた弾薬箱?についての説明になると考え込むような表情になる。


「これがその弾薬箱?です」


「う~ん、この箱どこかで見た事があるような気がするんだが。

 SID、本国の資料庫画像一覧から照合してみてくれるかな」


「フウさん、類似の画像が一点見つかりました。スクリーンに出します」

 リビングの巨大画面に、高細密の画像が表示される。


「ああ、やっぱりこいつか……」


 スクリーンに出ている説明のテキストデータには『取得時期、用途不明。内部は空』としっかり表示されている。


「なんでこんなものがDD出現ポイントに?」


「いや、もっとシンプルに考えた方が良いだろう」

 ラッチとレバーを組み合わせた変ったロックを外して中を覗き込んだフウは、複数の長方形のユニット?が中に整然と並んでいるを見て顔を(しか)める。


「??」


「これがDDなんだろうな。

 つまりメトセラ由来のオブジェクトが、DDとして出現したという事になるな」


「このサイズで最大の反応というのは、釈然としませんけど。

 それで今までこんな完全な形で見つかったDDって、あるんですか?」


「秘匿されている分があるだろうから、皆無とは言い切れないな」


「SID、このユニットを持ち込んだ後のユウの私室の動画を再生してくれ」


 ユウがショットグラスを傾けているシーンから、ふと思い出したようにケースの細長い中身を眺めている姿が逆再生される。

 グラスとケースの中身をサイド・テーブルに置いてユウの呼吸音が静かになると、照明がSIDによって調光され画像が暗くなる。


「このケースの隙間から考えると、中身のユニットが一個足りないように見えるな。

 中身を取り出した時の事を覚えているか?」


「ええっと……確かあまり隙間が無くて中身を取り出すのに苦労した覚えが。

 取り出したマガジンみたいな細長い奴は、サイド・テーブルに置いたまま寝ちゃったと思います」


「そのテーブルに置いたのは、どこにある?」


「あれっ……そう言えば見当たらなかったですね」


「SID、今朝ユウが目覚めた時の画像を確認してくれ」


 室内の画像が表示されるが、サイドテーブルには空のグラスだけがあって、細長いオブジェクトは見当たらない。


「床とベットの下にもありませんね」

 SIDがユウの私室をレーザーで走査を行って、確認する。


「これはもしかして、アクティベーションが成功すると見えなくなる類なのかな……」


「??」


                 ☆



「アリゾナにジャンプした時には、身一つだったよな?」


「……はい」


「マリーの様な『アノマリア』でも、空間ジャンプ能力者は居ない。

 だからやはり先程の現象は、あのユニット由来の能力なんだろう。

 特に意識しないで動作したならユウと同調しているのは間違いないだろうが、そのユニットは今一体何処にある?」


「体内に取り入れられたのか、それとも見えない形で何処かに存在するのか……」


「ユウ、出来立てですごく美味しかった!また買ってきてね」

 大量の包装紙を残し、ショッピングバック2つ分のハンバーガーを食べ終えたマリーが満面の笑顔で言った。


「このまま入国管理局に黙っているのも不義理だからな、事後報告になるが連絡しないと」


「残りのユニットはニホン政府に提出するんですか?」


「いや。メトセラ由来なのは証拠もあって明らかだから、これまでのDDとは違ってそれは無理だろう。

 キャスパーには詳細を説明しておくが、ニホン政府には出来れば内密に済ませたいな。

 下手に詳細が明らかになると、ユニットを使えたお前を防衛隊に戻せなんて言いかねないからな」


 フウが真剣な表情で呟いた。


                 ☆



「フウさん、移動中のキャスパーさんからコードAの緊急信号です」

 DDについて直接相談したいというフウの電話連絡を受けて、Congohトーキョーへ向かっていたキャスパーに何らかのトラブルが発生した様だ。


「非常信号は発信開始直後にジャミングされましたが、街道監視カメラと街頭カメラで監視を続けています」


「現状は?」


「前後にYナンバーの重量車両で挟まれて、キャスパーさんの車は強制誘導されています。

 方向的にはヨコタ基地に向かっている様です」


「Yナンバーか。黒服の連中に、内線PHSの電波を傍受されたな。

 DDの件で、身柄を確保しておいて交渉材料に使うつもりだろう」



『身柄を確保』というフウの一言を聞いた途端、ユウの脳裏には美術館のロビーから連れ去られる少女の光景がフラッシュバックされていた。

 大きな瞳を潤ませて、ユウをじっと見つめる現実離れした美少女の面差し……そして黒いスーツ姿の見慣れた人物の姿。


(これは……過去の記憶?なぜこんな出来事を忘れていたんだ?)


「ユウ、どうした?」

 蒼白な表情をして立ち尽くすユウを見て、フウがユニットの影響?を心配して声を掛ける。


「……フウさん、昔自分と会った事があると仰いましたよね?

 今おぼろげに黒いスーツ姿のフウさんの姿が見えたような気がするんですが?」

 ユウがたった今白昼夢から戻ったように、小さく首を振りながらフウに尋ねる。


「ああ、やっぱりニューラライザーの記憶操作は不完全だな。そう、昔キャスパーの護衛任務でお前に会った事がある。

 まだ小さかったお前が、オートマティックを乱射して誘拐グループを一網打尽にした光景は今もしっかりと覚えているよ」


「誘拐グループって……ああやっぱり彼女とは初対面じゃなかったんですね。

 そうだ!あの時キャスパーと……」


 次の瞬間、ユウの姿はリビングから消えていた。

 フウは会話中にいきなり瞬間移動したユウの行動に苦笑しながらも、壁面のコミュニケーターに指示を出す。


「SID、ユウはヨコタ基地の何処かへ移動した筈だ。

 コミュニケーターから現在位置を特定してフォローしてやってくれ。あとケイの所へ事情説明を宜しく」


「了解です」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 会話中にヨコタ基地の光景を強く意識した瞬間、ユウはフードコートの裏側にある従業員通路に立っていた。

 防衛隊在籍時に複数回訪れた経験があるので、土地勘がある目立たない場所へジャンプしてしまったのだろう。

 裏口から正面側にあるガラス張りの店舗の前をそっと通ると、自分の姿が全く写らず高度な空間迷彩がしっかりと機能しているのが分る。


(意識せずに必要な機能が起動するって、このユニットって装着者の考えてる事が解るのかな)


「ユウさん、すごいですね。複数の種類の違うセンサーでもユウさんの姿を捕捉できません。

 温度分布も外気と均一化してカモフラージュする機能もあるみたいですね」

 ユウの胸元に挿してあるコミュニケーターからSIDの声は問題無く聞こえているので、現状ではユニットは外からの電波を遮断していない様である。


 敷地内にある複数の監視カメラには捉えられないと確認したユウは、通行人とぶつからないように注意しながら敷地の外れにある小さな建物へと向かう。

 建物のすぐ傍には、Yナンバーの黒塗りハマーが2台鎮座しているが入国管理局の公用車は見当たらない。


 正面入り口には武装した歩哨が一人だらしない姿勢で立っているが、米帝基地の中にある拠点が外部から襲撃される事態など全く想定していないのだろう。

 

「SID、キャスパーが居るとしたら建物のどこだろう?」


「熱探知の映像だと、人が居るのは上層階だけですね。屋上から接近するのが良いかも知れません」


(飛び跳ねたら、一瞬で屋上まで行けたりしてね)


 軽く膝を曲げて試しに小さく跳躍したつもりのユウは、重力を無視した挙動で体が浮き上がるのを感じた。

 そのまま体は滑らかに宙を舞い、音も無く屋上に着地を行う。


(至近距離の場合は、重力コントロールがアシストするのか。この調子だと天井に大穴を開ける位は簡単に出来たりして)


 軽量鉄骨で強度が無さそうな屋上の床面にしゃがみ込んだユウは、両手の手のひらを床面に押し付ける。

 手のひらから建物に圧力を掛けるイメージを思い浮かべると、コンクリートボードから軋んだような音が聞こえてきた。


(これは……出来るかも知れない!)

 ここでユウは手応えを残した状態で、ちゃぶ台をひっくり返すイメージで両腕を振り上げる。


 確かな手ごたえをユウの両腕に残して、風を切る轟音と共に天井の一部が吹き飛んでいった。

 瓦礫が建物の傍に駐車中のハマーに降り注ぎ、頑丈なボディを押しつぶすような鈍い音が周囲に響き渡る。

 建物自体も大きく振動し、まるでミサイルの着弾で天井が崩壊したように見えるだろう。


 天井が剥ぎ取られた部分は細い鉄骨も一緒に毟り取られ、部屋の中にはホコリが充満し視界が遮られている。

 咳き込んでいる黒服の面々から離れた場所で、ユウはキャスパーがハンカチで口を押さえているシルエットをはっきりと認識した。


(よしっ、このタイミングなら!)


 ユウは天井の大穴から室内に音も無く着地すると、キャスパーを背後から抱きかかえて再び跳躍する。

 もし目撃者が居るならば、キャスパーが自力でジャンプして天井から飛び出して来たように見えるだろう。


 ユウがアクティベートしたユニットは本人以外は瞬間移動出来ないようで、キャスパーを抱えたユウは地面に滑らかに着地した。

 キャスパーは全く慌てる様子も無く、自分の胸周りに回された見えないユウの腕の感触を確認している。

 小声で「もうちょっと我慢していて」とキャスパーに囁くと、今度は正面ゲートからブラインドになった鉄条網を小さな軌跡で飛び越える。


 基地の敷地外へ出ると、キャスパーの体から離れたユウの姿が光学迷彩が解除されて突然現れる。

 途端に無表情だったキャスパーの顔に満面の笑顔が浮かび、ユウに飛びつくように抱きつくと頬を嬉々としてユウの顔にこすりつける。


 興奮して離れないキャスパーを持て余しながら、ユウは基地ゲート前に通りがかったタクシーに急いで手を挙げた。

 基地内にはパイロット関係者のユウの知り合いが大勢居るので、このタイミングでキャスパーと一緒に居るユウの姿を見られてしまってはまずい事になりかねない。

 敷地内は建物の派手な破壊で、外部から攻撃を受けたと誤認したのか、警戒音が鳴り止まず大変な騒ぎになっている。


 すぐにタクシーに乗り込んだユウは、トーキョーオフィスの大雑把な住所を運転手に伝えるとようやくリラックスした表情でキャスパーに向き合う。

 後部座席から振り返って見ても、こちらに注目している基地内の人間は居ないようでようやくユウの緊張も解けていく。


「何も酷い事はされてないよね?」


「うん大丈夫。

 後始末が大変そうだけど……とりあえず、ユウありがとう」


「あぁ、子供の頃の約束が守れて良かったよ」

 親しげな口調と、自分を見るユウの目線が先日とは明らかに違うのにキャスパーは直ぐに気が付いた。


「もしかして、昔の記憶を思い出したの?」


「うん、部分的に」


「良かったぁ、これで遠慮なくユウにベタベタできるわね」


「ちょっ、キャスパー!」

 ユウに抱きつくキャスパーは意外と力が強く、引き剥がす事が出来ない。


「この間の夕食メニューで、記憶が戻ってるんじゃないかとビックリしたけど」


「ああ、もち粉チキンね。あれはキャスパーが最初に食べてくれた料理だから、今でも大切なレパートリーだよ」


「久しぶりのユウの料理、美味しくて泣きそうになっちゃった」

 甘えた口調で目を潤ませながら話すキャスパーの姿は、同性に対しても破壊力は抜群だ。


「ねぇ、私の出向を計画したのはキャスパーの差し金?」


「うん、出来れば愚連隊に出向して貰って将来の組織改編に備えて欲しかったけど。

 でも出向のままじゃCongohとはギャラが全然違うから難しいよね」


「……」


「でもCongohに居てくれれば、いつでも会えるから所属は何処でも良いんだ」

 ピッタリとユウに密着したまま、甘えた口調でキャスパーはユウの耳許に囁いたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 Congohトーキョーオフィスに到着すると、フウが正門の前で待機していた。

 想定外の邪魔が入ったとは言え、緊急にミーティングが必要な状況であるのは変らない。


 ユウの私室でシャワーを浴びてすっきりしたキャスパーは、ユウの手持ちのワードローブに着替えていた。

 背格好は殆ど同じなのでシャツは胸周りが若干窮屈そうに見えるが、それほどの違和感は無い。

 彼女はカプセルマシンでドリップしたジャスミン・ティーを手に、ソファに深く腰掛けて寛いでいる。

 リビングのソファにはマリーも腰掛けていて、ユウの母親なら顔を(しか)めそうなハリボのミックスグミをはむはむと食べている。


 普段地上波を流している大型モニターには、コミュニケーターのカメラで記録されたキャスパーを奪還するまでの一連の映像が流されていた。

 重力制御を使いユウがゆっくりと屋上まで昇っていく様子を見て、フウが呟く。


「メトセラ由来なのが間違いなければ、この能力は非メトセラのヒューマノイドには使えない筈だが。

 ただこのユニットが米帝に渡った時の事を考えると、これは秘匿するしかないかな……」

 いつものエスプレッソを飲みながら、フウはかなり重たい口調である。


「ええ、入国管理局側から言わせていただければ、こんなパワーバランスを崩してしまう厄介な代物は無かった事にしていただけると助かります」

 ユウが天井を乱暴に破壊するシーンを見ながら、当事者であるキャスパーもフウの意見に同意する。

 

「まぁ米帝の技術でも解析は多分無理だと思うが。なんせ既存のどのセンサーでも、内部構造が透視できないからな」


「それで、残りのユニットの処置はどうしましょうか?」

 第一発見者であるユウが、ここでようやく発言する。


「とりあえずここの最下層の金庫室で厳重に保管するしかないかな。

 スイスにあるCongohの秘匿倉庫にクエリーを使って送ると、輸送中に不慮の事故が起こりそうだし」


「うちのメンバーが使える可能性があるにしても、スーパーヒーローは沢山は要らないだろ?

 それにインストラクションも何も無い現状で、ユウ以外にこのユニットをアクティベーションしたいという猛者は出てこないと思うけどな」


「キャスパーさん、正面玄関にクルーザーが来てますよ」

 SIDがスクリーンの映像を切り替えると、大使館の外門前に到着したアイチ自動車のクルーザーが写っている。


「ああ、ウチの連中が到着したみたいですね。

 それでは彼らに護衛して貰って、とりあえず帰省します。ユウ、また後で連絡するね」


「ああ、気をつけて。ケイさんに宜しく」


 数日後キャスパーと黒服機関の交渉で、ニホン国内で収集されたDDに関しては干渉しないという覚え書きが締結されていた。

 これは厳重なセキュリティのヨコタ基地を混乱に(おとしい)れたデモンストレーションによって、入国管理局の実力?が見直された影響が大きかったのであろう。



 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


「どう?」


「うん、来て良かったかな」


「でしょでしょ?」


 久しぶりの休日、ユウはキャスパーと一緒に都内にある公立美術館を訪ねていた。

 米帝との交渉が纏まったのでケイ達の護衛は付いていないが、ユウは用心の為にインサイドホルスターに収納したケラウノスを持参している。


「オランダに行かずに現物が見れるなんてラッキーだね」

 小声でユウの耳元に囁きながら、キャスパーは展示室をバレリーナのような足取りで滑らかに歩いていく。

 その優雅な立ち振る舞いと現実離れした美貌は、展示されている人類遺産級の絵画よりも人目を惹いてしまっている。

 現に展示物を見るのを忘れて、絵を眺めているキャスパーから目を離せなくなっている若い女性が数名見受けられる。

 

「ねぇユウ、これからも末永く仲良くしてくれる?」

 美術館を出て歩いているユウに、キャスパーは上目遣いで尋ねる。


「えっ、なんで今そんな事を聞くの?」


「だって約束したのは10年以上も前だから。ユウの気が変わっていても仕方が無いでしょ」


「ああ、それは無いな。私の始めて出来た友達はキャスパーだし、それは未来永劫変らないよ。

 今はお互いの距離も近くなったし、こちらこそ仲良くしてくれると嬉しいな」


「ええっ、それってプロポーズ?」


「いや、そういう意味では……」


「ふふん、この間のお礼だよ」

 満面の笑みを浮かべるキャスパーは、ユウの懐にするりと入り込んで頬に軽く唇を押しつける。

 ユウはキャスパーの突然の行動に全く対応できずに、視線を真正面に向けたままフリーズしている。


「さぁ、何か食べよう。お腹すいちゃった」

 キャスパーの催促に頷くことでやっと静止状態から回復したユウの表情は、展示室で見た『真珠の耳飾りの少女』のように口許に微かな笑みをたたえているようにも見えたのであった。


 

                 ☆



 ここはCongohトーキョー支社にあるユウの居室。


 かなり広めのワンルームだが、巨大なダブルベット以外の家具や私物が殆ど無い殺風景な部屋である。

 天井がとても高く壁面には100インチを超えるサイズの大型スクリーンが埋め込まれている贅沢な作りだが、これは全ての居室共通の設備でありユウの私室だけが特別な訳では無い。


 頻度は少なくなったが、お馴染みの悪夢で跳ね起きたユウは荒い呼吸をしている。

 暗闇の中、大柄な黒猫の瞳がきらりと光った。ユウの枕元で一緒に寝ていたピートが、ミャアという小さな泣き声とともに頭をユウの頬の辺りにこすり付けてくる。

 うめき声とともに突然ベットから跳ね起きた彼女を、心配しているのだろう。


「ごめんね、いつも騒がしくて」

 ユウはベットに倒れこんだまま手を伸ばし、ピートの背中を優しく撫で上げる。

 ユウの無事を確認できたピートは、もう一度ユウの方を見ると自動ドアから早朝の散歩へと出て行った。

 悪夢で眼を覚まし同衾しているピートに心配される、ユウのいつもの一日がこうして始まる。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 朝食の後、ユウはCongoh社用車でイケブクロ方面に向かっていた。

 助手席には普段から一緒に行動する事が多くなっている、アンが座っている。

 

 アンは雫谷学園に在籍中の17才。

 Congohでの身分は既に正規の職員であり、インターンでは無い。

 身長はユウと殆ど同じで並んで歩いていると姉妹に間違われる事も多いが、大和撫子がミックスされた風貌のユウと違ってアンはより国籍不明なシャープな顔立ちをしている。


 目立たないオフホワイトのHV車を黄色い看板の駅前駐車場に留めて、二人は朝靄のかかった西口公園の中を歩いていく。

 まだ通勤ラッシュが始まる前の早朝と呼べる時間帯なので、近隣の店舗はシャッターが閉まったまま営業をしていない。

 人通りが疎らなのは当たり前だが、いつもなら飲食店が出した生ゴミに群がるカラスが全く見当たらないのが不思議だ。


 広場を突っ切って大手ファーストフード店の隣にある目的の店に到着すると、アンは準備中の札が下がる両開きドアを勝手に開けて中へ入っていく。

 POPINA(ポピーナ)と小さく店頭の日よけに書いてあるお洒落な外観のその店は、間口は小さめだが奥行きのある作りになっている。


 大きめのアイスクリームケースは開店前なのでフレイバーが揃っておらず隙間が目立つが、全部揃った場合は20種類ほどになりそうだ。

 店内にはワッフル・ コーンを焼いているのだろうか、甘く香ばしい匂いが漂っている。


 ここで店の奥から、アンの到着を察知したようにモノトーンの制服を着た金髪ショートボブの女性が現れた。

 奥の4人掛けのテーブルに腰掛けていた、ユウとアンに会釈をする。


「この店の臨時マネージャーのサラさんです。今日はユウさんに、ご意見を伺う為にご足労頂きました」


「あっ、英語の方が良いですか?私はイタリア語やフランス語は殆ど出来ませんので」

 ヨーロッパの雰囲気がする美麗な女性に、ユウは躊躇いがちに英語で尋ねる。


「Congohの社内規定通り、ニホン語で大丈夫ですよ」

 流暢で綺麗なイントネーションで、彼女は応える。


「ええっと、この香ばしい匂いは、自家製のコーンですか?」


「ええ、店の奥で今焼いています。

 早速ですが味を見ていただけますか?ショーケースには入っていないフレーバーもメニュー通り揃っていますので」


「それじゃぁ、バナナと洋ナシをワッフルコーンでお願いします」

 壁に表示されているフレーバー一覧の表示を見ながら、ユウがリクエストを入れる。

 カウンターの中に下がったサラは、手早く焼きたてのワッフルコーンにスパチュラでユウの注文を盛り付けていく。


「お味は如何でしょう?」

 コーンに盛られたジェラートをユウが味わっている姿は、傍で見ていても美味しそうだ。


「バナナは水っぽさが全然無くて、粘り気が強く高級品のバナナそのものを食べてるみたいですね。

 ペアー(洋なし)はちょっと風味が弱い感じがしますけど、こちらもギュッと詰まった感じで味はとても良いです」


「ワッフルコーンもとても美味しいですが、ちょっと子供が食べる場合には硬すぎるかも」


「あっ、ライチもあるんですね。レイさんが喜びそうだなぁ」


「ライチについては、お兄様の強いリクエストでメニューに入れました」

 なぜかアンのこの一言が、ユウには自慢げに聞こえたのは気の所為だろうか。


「もう一個食べたいのがあるんですが、良いですか?

 あの、ノッチョーラをワッフルコーンで下さい」


 ダブルをあっという間に平らげたユウが、追加でリクエストをする。

 たおやかで細身の外見と違って、実はユウはマリーほどでは無いがかなりの大食漢なのである。


「ノッチョーラを選ぶなんて、ユウさんイタリアに行った事が?」


「うん、子供の頃にあるみたいだけど殆ど記憶に残ってないんだ。

 だけどこの味だけは、しっかりと覚えていてね。う~ん、やっぱり美味しい。ナッツの風味がサイコーだね」


「ユウさんは米帝にいらしたときにも、良くアイスクリームショップはご利用になっていたのでしょうか?」

 サラがメモを取りながら、かなり真剣な表情で尋ねる。


「うん、うちは母さんが料理の仕事をしていたから外食は殆ど無かったけど、アイスクリームやピッザだけは良く外で食べてたなぁ。

 近くのショッピングセンターにジェラート・ショップがあって、そこで短期間のバイトした事もあったよ」


「他に気がついた点がありましたら?」


「あとは制服かなぁ。モノクロの制服はコーヒーショップみたいで格好良いけど、子供にはちょっと威圧感があるかも知れない。

 あとイタリア語のフレーバー表示はスマートだけど、子供がもっと見やすい表示の方が良いかも」


「色々と貴重なアドバイス、有難うございました。また機会がありましたら、是非来店してご意見を聞かせて下さい」

 2個目もコーンまで残さず平らげたユウとアンはここで席を立った。見送ってくれたサラが丁寧に挨拶をする。


「サラさんって、ニホン語完璧だよね。敬語も上手に使ってたし。

 でも、私の意見なんて参考になるのかな?」

 駐車場までの帰路を歩きながら、ユウぽつりと呟く。


「ええ、とっても。プロのモニターさんは評価に偏りがあって、当たり前の所に気がつかないものですから。

 それに本来彼女は、もっと砕けたタイプの人なのですわ。今日は猫を被っていましたわね」


「ところでユウさん、先程の制服の件ですが」


「はひっ?」

 不穏な空気を察知したのか、ユウの返答の声が裏返っている。


「モデルでご協力をお願いしたいのですが、やっていただけますわよね」


「う……うん、出来る限りは」


「ヒラヒラのフリルのついたパステル調のワンピースなんて考えてますの」


「うそっ、ヒラヒラは、それだけは勘弁してっ!」


 通りを横切って芸術劇場の前を歩いていた二人だが、ここでユウの胸元から突然警告音が流れてきた。

 ユウが記憶している限り、外出先でコミュニケーターの警戒音を聞くのは初めてだ。

 笑顔でユウをからかっていたアンの表情が、一瞬にして険しくなる。

 

「周囲に微量な空間のゆらぎがあります。警戒して下さい」

 コミュニケーターからSIDの警告が流れると同時に、西口公園の上空から機械式タイプライターのような音が響く。


『カシャカシャカシャ』


 銃弾が空気を切り裂く音と共に、アンがヴィルトスでパージした弾頭が路面をコロコロと転がっていく。

 周囲に遮蔽物は殆ど無いので二人は目の前の立ち木の陰に素早く移動し、体の投影面積を小さくする。

 ユウはインサイド・ホルスターからケラウノスを既に抜き出し、アンも右手にメタリのスティックを握っている。


「ゆらぎが移動中、上空注意!」


「飛行デバイス?」

 ユウはニーリングの姿勢から、クレメント・ミードモアの巨大なオブジェの上に揺らめいて見える『何か』を見つけた。

 紫外線を遮るスポーツグラスが、想定外の場所で役に立ち視界をクリアにしてくれている。


『チチッ、チチッ、チチッ』

 仰角を全く計算せずに、ユウは見えない相手に目掛けて連射する。

 サプレッサーを付けている訳では無いが、ケラウノスの発射音は耳を澄ませても聞こえない位に小さい。


『カシャカシャカシャ、カシャカシャカシャ』


 オブジェの上部には、マズルフラッシュと発射煙がしっかりと見える。

 高性能の空間迷彩を以ってしても、全てを隠す事はやはり難しいのだろう。

 立ち木に弾幕の一部がめり込んでいるが、水分を豊富に含んだ生木は貫通力が低いのでしっかりと盾になっている。


「現在、ゆらぎはオブジェの上に停止中」

 SIDのアナウンスが流れる前に、アンは右手にブレードを瞬時に形成しスプリンターのように立ち木の影からダッシュする。

 形成されたブレードはビーム・サーベルのように鈍く煌いて見えるが、あくまでも実体がある刃物でありビームやプラズマでは無い。


『チチッ、チチッ、チチッ』

 ユウは阿吽(あうん)の呼吸でオブジェの上の空間に連射し、アンを援護する。

 鋼鉄製のアート作品に、フランスパンの気泡のような小さな穴が音も無く空けられていく。


 アンは垂直に切り立った鋼鉄製のオブジェに重力を無視した速度で駆け上がると、はっきりと目視できるゆらぎに対してブレードを振り下ろす。

 手ごたえ無くオブジェをかすめたブレードの勢いを空中で前転して相殺したアンは、オブジェの裏側の地面に軽々と着地する。振り向いてブレードを構えるが、その瞬間に分断されたオブジェの一部が地面に落下しガシャッと派手な音を立てる。


「ゆらぎ高度を上げて移動中……ロストしました」



 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



「街中でいきなり仕掛けてくるなんて、なんて無作法な」

 部分的に切り落とされ、穴だらけの無残な状態になっているオブジェを見ながらアンは呟く。

 形成されたブレードは既にアンの右手には無く、すでにスティック状に戻っている。


 朝靄と殆ど聞こえないサプレッサーのお陰で大事になっていないが、人が集まってくると厄介な事になりそうだ。


「SID、街頭カメラの記憶が残っていたら消去して引き続き警戒を宜しく。

 あと忘れずにフリルのついた可愛い制服を、何種類かユウさんのサイズで発注しておいてね」


「フリルって……頼むからヒラヒラだけは、それだけは勘弁して!」


 生まれてから一度も着た事が無いヒラヒラ・ドレスに憧れは無いとは言わないが、お姫様のコスプレだけは勘弁して欲しいユウなのであった。



                 ☆



 Congohトーキョー、夕食時のリビングルーム。


 大きなダイニング・テーブルの上には、老舗うなぎ店の弁当が大量に並べられている。

 これは先日放映されたグルメ番組を、涎を流さんばかりの表情で見ていたマリーのリクエストだ。

 彼女は積み上げられた弁当の山をハイペースで食べ続け、早くも空容器の数が二桁に達しようとする勢いである。


 Congohトーキョー支社は週2回の定期配送便で巨大なハウス冷蔵庫の中身を絶えず補充しているが、特にリクエストがあった市販の弁当やデザートなども一緒に配送することが出来る。

 殆どの料理は自前で調理できるメンバーが揃っているが、さすがに鰻やフグなどの専門性が高い料理や手間のかかるデザートは外部から調達しているのである。

 また現在Congohトーキョー支社にはマリーが在籍しているので、多少アバウトに発注した所で配送された品が無駄になる事は無い。


 鰻弁当の折り詰めを手に取ると、ユウはフウの真向かいに腰掛けて弁当の折を開く。

 ご飯が見えないほどに敷き詰められている鰻は普通のうな重と違って細かく切られていて、まるで混ぜる前のひつまぶしの様な状態だ。

 ユウは弁当折に入っていた鰻のタレだけをかけて食べ始めたが、小分けにして茶碗で食べているフウはすでに2杯目なのか、出汁と薬味をかけてお茶漬け風にしている。


「見られてるような気がする?」

 陶器のレンゲを使って出汁に浸った鰻を口に運びながら、フウはユウに鸚鵡返(おうむがえ)しする。


「ええ、先週辺りから特に強く視線を感じます」

 綺麗な箸使いで、鰻を口に運びながらユウは言った。

 

「イケブクロでちょっかいを掛けられたから、神経質になってるんじゃないか?」


「それも影響してると思いますが、なんか背中のあたりがムズムズしてるんですよね」


「SID,先週から特に変った事は?」

 フウが天井のコミュニケーターをチラリと見て問いかける。


「……ハワイ沖の隕石による岩礁消滅が起きてから、米帝の監視衛星のローテーションが変更されています。トーキョーも重点監視されているようです」


「……トーキョーの入国管理局に慌しい動きがあります。人と資材の出入りが通常の数倍になっています」


「……米帝空軍の極東方面支部について、部隊の大幅な増強が見受けられます」


「……あと、今週末に札幌へ注文していた特大プリンが100個入荷します」


 プリンという台詞が聞こえた瞬間マリーのスプーンが一瞬止まったが、またすぐに動き出す。

 彼女はダシも薬味も掛けずに、スプーンで大雑把にタレまぶした濃厚な味付けの鰻ごはんをひたすら口に運んでいる。


「SID、今朝の遺留品から何か判った?」


「弾頭やブラス、パウダー、プライマーは、世界中に流通しているマスプロ生産品なので追跡は難しいでしょう。

 発射音とライフリングから使われた銃はMP5系統であるのは確実ですが、こちらも世界中で使われているベストセラーSMGなので現時点で判明した事実はありません」


「光学迷彩の方は?」

 現場でその完璧な効果を自ら体験した、ユウが尋ねる。


「画像を分析するとDARPAやイスラエルでトライアル中のものに比べて、迷彩効果が高すぎます。

 今回は複数のカメラ映像の差分からゆらぎが判明しましたが、肉眼で発見するのは非常に困難なレヴェルです。

 まるで先日ユウさんが取得した『アンキレー』と同等の性能があるみたいですね」


「同じユニットだとしたら、入手先もそうだが……厄介な相手だな。

 SID、キャスパーに近々朝食に来るように連絡しておいて貰えるかな」


「了解しました。それとユウさん?」


「うん?」

 珍しくSIDから名指しされたユウが、不穏な空気を察したのかおかしな声で返答する。


「フリルのついた制服は光沢のあるピンクと白を発注しましたが、ティアラも一緒にご用意しましょうか?」


「えっ、SIDまでそんな意地悪を言うの?勘弁してよ」


「もちろんティアラは必要だ」

 悪乗りしたフウは『にやり』とした黒い表情で、即座に言い放ったのであった。



                 ☆



 ユウが覚えている最も古い記憶は、枕元で子守歌代わりにギターの弾き語りしてくれたレイの姿である。

 両親の強い意向で米国で生まれ育ったユウにとってレイは母方親戚の叔父さんというよりも、いつも身近で見守ってくれる父親のような存在だったのである。


 レイ・オールマンの米帝における現在の身分は、退役空軍少将(予備役)だ。

 戦闘機アビオニクス開発の天才として米帝空軍やNASA、そしてDARPAに長年に渡る貢献をしてきたレイだが、既に記録上は70代後半になっている。

 本来ならば少将として引退し悠々自適の生活を送っている筈なのであるが、人材不足で技術開発が遅延している米帝空軍は彼の完全なリタイアを認めるつもりは全く無い様だ。

 未だにアドバイザーとしての名目で、開発中のアビオニクスについての実務を懇願してくるのである。


 容姿と実年齢のギャップが大きくなった場合、一旦そのキャリアをリセットして『Secundum』を行使するのが本来のメトセラであり、プロメテウス共和国の戸籍には年齢リセットとエイリアス名に関する項目が存在する。

 ただし『Secundum』を行使してリセットを実行した場合には、プロメテウス共和国以外に取得していた国籍に関しては自動的に無効(死亡宣告)になってしまう。

 これらは当該国における混乱を避けるために行われる一般的な事務処理であり、例外はあり得ないのである。


 残念ながらレイの場合『Secundum』を実行した場合の影響が大きく、簡単には行使出来ない状況になっている。よって居住地を米帝から他国に移し、人目に触れないようにレイ・オールマンとしての存在を徐々にフェイド・アウトさせているのが彼の現状なのである。



 そして現在、レイはユウを連れてシンジュクの小さなライブハウスに来ていた。

 レイがロシアからの長期出張から戻って来た際には、事前に聞かされていなかったにも関わらずユウには殆ど驚きはなかった。

 彼が既に米帝に居住していないのは知っていたし、Congohの米帝空軍との強いコネクションはレイの存在が関係していると直感的に理解していたからだ。


 ステージのスポットライトが当たるセンターには、名だたるスタジオミュージシャンを脇に従えて古びたストラトキャスターを抱えたレイが立っている。

 ステージ脇でローディーとして待機しているユウの眼に映る彼の姿は、当然ながら幼少時代の記憶と少しも変らない。


 現在Congohトーキョーに在籍しながらフリーのカメラマンとして活動しているレイは、不定期ではあるが手弁当のライブ・セッションを行っている。

 本来なら撮影する側のレイが、なぜステージでプロミュージシャン達と一緒に演奏する様になったのだろうか?


 カメラマンとしてのレイはマルチリンガルの語学力を評価されて、来日した海外ミュージシャンの撮影を頻繁に依頼される売れっ子になっていた。

 ある時バックステージにあったギターを何気なく爪弾いていたのをきっかけにジャム・セッションが始まり、大物ミュージシャンがレイの演奏をえらく気に入ってしまったのである。

 ブルーズマニアであるその大物ミュージシャンは、レイが持っている米帝の音楽に対する深い造詣とその卓越した演奏能力を直ぐに見抜き、ツアーメンバーとして彼を参加させないと即座に帰国するとプロモーターに脅しをかけたのである。


 プロモーターに拝み倒され参加したそのツアーでの演奏が音楽関係者の間で高く評価され、レイは正体不明のギタリストとして俄然注目を浴びるようになった。

 もちろん頼まれてもスタジオ・ワークに参加する時間的な余裕はレイには無いが、仕事絡みの付き合いでジャム・セッションに参加するうちにレイの評判はミュージシャンの間で更に高くなっていった。そして仕舞いには親しくなったミュージシャン達からの要請を断りきれずに、不定期にライブ演奏を行う羽目になってしまったのである。


 ♪Little Wing♪


 ボーカルパートの無いSRV風のアレンジで、ギターのリードパートから曲が始まる。

 コード進行や大雑把なメロディはSIDが採譜して譜面として渡してあるが、腕っこきのメンバー達はそれを見ることも無い。

 なによりバンマスであるレイの気分で、ブレークや転調するパートは瞬時に変るのだ。


 レイの足許にはMXRサイズのエフェクター一つと、ワウペダルだけ。

 多彩でありながら艶っぽい音色が、レイが持ち込んだ古いF●nderのチューブ・アンプから飛び出してくる。


 ディレイやコーラスが掛かっているような音色も、彼の指先のわずかなタッチで生み出されているのを信じられないオーディエンスも居るだろう。

 印象的でありながら音数に無駄が無いフレーズ、譜面に書かれていない素晴らしい『音楽』が即興で彼のギターから溢れてくる。


 一緒にプレイしている強面のドラマーやベーシストも、モニターから流れてくる彼のギタープレイを聞きながら満面の笑みを浮かべている。


(うわぁ、やっぱりレイさんのギターは最高!)


 ギターの奏でる音色に没頭していると、ユウの脳裏に青空を自由自在に飛びまわるコックピットからの光景が見えた。

 単なるコピーの指癖やスケールをなぞったフレーズでは無くその場で紡ぎ出される『生きた音楽』は、オーディエンスはおろかプレイしているミュージシャン達にも別次元の感動を与える。そう彼のプレイは『音が見える』のである。

 初めて彼のプレイを耳にしたオーディエンスの中には、手にしたグラスを口許にかざしたままだったり、口に含んだ食べ物を咀嚼せずにフリーズしている様子も見える。


 その薄暗い客席の中に、ユウは最近ライブの度に頻繁に見かける馴染みの顔を見つけた。


 ナチュラルにカットされた焦げ茶のショートカットは、整った容姿と合わせてまるでヘアカットのモデルのような雰囲気だ。

 中肉中背の体形だが起伏が大きい女性らしいボディラインは、飾り気の無いジーンズと白いブラウスでも隠しきれていない。


 大きめのロックグラスを静かに傾けるその姿は、ユウの知っているある人にとても良く似ている。

(本人……では無いよね。それにしても口煩いあの人が、静かにお酒を飲んでいるとこんな感じなのかな)


 暗がりにも関わらずユウの目線を感じたのか、その女性はユウに向けてにっこりと笑う。

 確かに容姿は瓜二つだが、『ユウの知り合いのあの人』ならもっと捻くれた笑い方をする筈である。


 女性のテーブルの上にはユウもお気に入りのオールドフォレスターのボトルと、ス●イダーズのプレッツェル大袋が見える。

(げっ、不味くて販売終了になった塩味……しかも大袋ってナナさんの好物と一緒だよね)

 ユウも思わず小さく会釈を返したが、菓子袋に気を取られてそれ以上の細かい注意を払う事が出来なかったのである。



                 ☆



「レイさん、今日客席にナナさんにそっくりな人が来てませんでした?」

 タクシーから降りて、大使館最寄の商店街を歩きながらユウはレイに話しかける。


「ああ、最近良く居るね」

 レイがユウに対して、これだけ無愛想に返事をするのは珍しい。


「プレッツェルを食べてましたし、ご本人かと思ったんですが」


「いや幸いなことに、今彼女はトーキョーには居ないと思う」

 その強調した言い方から、アンほどでは無いがレイもやはり母親に対して屈折した感情を持っているように感じられる。


 その時、ユウのお腹がくうっと小さな音を立てる。

 普段のセッションの時には打ち上げがあるのだが、今日は参加者多数に夜間のスタジオワークがあるとの事で終演後すぐに解散になったのである。


「ラーメンで良いかな?」

 商店街の中程にある黄色い看板のラーメン店を見ながら、レイは言う。


「はい……でもレイさんは大丈夫ですか?」


「あそこは小盛りもあるからね。それに知り合いも丁度並んでいる事だし」


 列の最後尾に、いつものカジュアルな格好のマリーが並んでいる。

 可憐な金髪ショートカットの彼女は普段着には全く無頓着だが、それでも全身から滲み出るオーラで人目を惹いてしまうのは仕方が無いだろう。


「マリー、夜食?」

「……うん。ビストロで食べたけど量がぜんぜん足りなかった」


 レイが自分の小盛りラーメンと、ユウの為に大盛り豚ダブルの食券を券売機で購入すると、二人はマリーの後ろに並ぶ。

 マリーは食券を持っていないが、この店はユウが根回し済みのツケが効く飲食店なので問題無い。


 同じロットで食べれるようで席に案内されトッピングを聞かれるが、マリーは「いつもの」と慣れた様子で返答している。

 レイとユウは無難に追加トッピングは無しと答えている。


 まず最初にマリーの注文が運ばれてくる。


「麺増しトリプル豚トリプル野菜マシマシアブラカラメです」


 同系列のラーメン店では見たことが無い、巨大なドンブリに野菜と焼き豚がいわゆる『マンガ盛り』されている。

 ドンブリを持っている店員さんは余りの重さに手が震えているようだが、マリーは軽々とドンブリを受け取り満面の笑顔で食べ始める。

 マリーのドンブリを見た常連らしき男性が口を開けて驚きの表情でマリーを見ているが、マリーは注目の視線を特に気にした様子は無い。


 十数分後、ユウが食べ終えるとほぼ同時にマリーもドンブリを空にしていた。

 レイは早々に食べ終えて、二人を待たずに大使館に戻っている。

 カウンターに巨大ドンブリを戻しながら「美味しかった!また来るね」というマリーの一言に、普段は無表情の店員さん達がデレた笑顔を向ける。


「マリー、いつの間にあんなドンブリになってたの?」


「ん、この間から。

 複数のドンブリに麺が分かれてると食べにくいからって」


「おー、VIP待遇だね」


「うん」

 小さな手でマリーはVサインを出すと、くるっと方向転換をしてコンビニに向かう。


「寄ってくの?」


「うん、丁度夜間の配送車が来た時間だから」


 マリーが常連のコンビニは中サイズの店舗だが、一日の配送が3回もある繁盛店だ。

 もっとも配送が多くなった原因は、マリー本人(とCongohトーキョーの食いしんぼメンバー)にあるのだが本人は細かい事情は何も知らない。

 カゴに配送されたばかりの売れ筋ロールケーキを根こそぎ放り込んでいるマリーを見て、ユウはまた頭を抱えるポーズをしてしまう。


(この間の中華まんでルートは出来たから、また直接配送して貰おうかな)


 マリーが買い占めている売れ筋商品はCongohトーキョーのメンバーも一緒に味わっているので、彼女一人に責任を押しつけるのは到底無理な話なのである。

 こうしてユウの気苦労の種は、また増えていくのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 翌朝トーキョーオフィスのリビング。


「最近の情勢は……米帝が慌しくなってますね」

 ユウが作った特製マグロ丼をレンゲでかき込みながら、キャスパーが言った。

 稀に朝食にお呼ばれするキャスパーは、ここぞとばかりに好物をユウに特別注文(おねだり)する事が多い。


「ハワイで地図が変る大騒ぎが起きた後オワフ島で容疑者が見つかったようですが、神出鬼没で何度も黒服機関に包囲されながらも捕まっていない様です」

 SIDが詳細を補足する。


「地図が変るって……MOABでも使用したのか?ニュースにはなっていないみたいだが?」

 フウはこれもユウが焼いた、好物の卵焼きを口に放り込みながら言う。


「公式発表では隕石の落下という事になっていますが、実はCIAが秘密裏に保有していた重力兵器だと噂されています」

 SIDの解説は続く。


「神の杖か」


 その時リビングに自分で作ったパンケーキの大皿を持って、レイが入ってきた。

 実は料理の腕前が他のメンバーに匹敵するレイは、良く自分で朝食を準備している。


 パンケーキやイングリッシュ・マフィンの朝食は他のメンバーには需要が無いので、主に自分用だけに調理しているのだが。

 薄めに積み重ねたパンケーキにはカットした沢山のフルーツが彩り鮮やかにトッピングされ、ホイップした大量の生クリームは熱で溶けないようにパンケーキの横に離れて盛られている。

 テーブルにパンケーキを置いてレイはコーヒーメーカーに向かったが、マリーとキャスパーの熱い視線がテーブルに置かれたパンケーキの皿にロックオンされている。


「テスト用の小規模な衛星ですが、コントロールに問題があるので墓場軌道に放棄されていた筈なのですが」

 目線を無理やりパンケーキから外しながら、キャスパーは続ける。


「あれって、理論上はタングステン棒でも燃え尽きて使い物にならないと言われてなかったっけ?」


「テストヘッドの杖には、質量減少しないように耐熱コーティングがされているという話です。

 もっともとてつもなくコストがかかるので、テストだけで計画は中止された事になっています」


「低軌道か……マリーが処理可能な高度だな」

 隣席のレイに椅子ごとゴットンゴットンとにじり寄っていたマリーが、大きな口を開けてレイを物欲しげに見る。

 レイは苦笑いしながら、切り分けたパンケーキにクリームを山盛りにしてフォークをマリーの口に向ける。もぐもぐと咀嚼するマリーは、とても幸せそうな表情だ。


(うっ……納豆ご飯と生クリームの味が混ざっている気がするのは私だけ?)

 朝食をほぼ終えていたユウは、ケーキドームから切り分けたザッハトルテを手にしているが、納豆と一緒にパンケーキを頬張っているマリーを見てちょっと引き気味だ。

 

「ええ、米帝から処理依頼が来るのは時間の問題ですね」

 キャスパーは表情をキリリと引き締めて答えるが、ご飯粒の付いたレンゲを右手に握ったままなので締まりが無い光景になっている。


「それでうちのメンバーにちょっかいを掛けてきた相手なんだが」


「無関係、の訳はありませんよね。ただしオワフ島の騒ぎは収束していませんので、同一犯だと推定するのはちょっと無理があるかも」


「だが、アンキレーを使っているとしたら?」


「ええ。光学迷彩の件もそれなら納得できますね」

 SIDが間髪を置かずに同意する。

 

「少なくてもあと一つは、我々が与り知らない稼動中のユニットがあるという事か。

 SID、メトセラで現在消息不明の要注意人物は居るか?」


「短いスパンでは居ません。数百年単位ならば、数え切れないくらい沢山居ますが」


「そうすると身内では無くて、やっぱり『ラヴリュス』なんでしょうね」

 ここでキャスパーが緊張した口調で声を上げる。


「ああ、ここ数年暗躍してる奴はかなり優秀だからな」


「『ラヴリュス』って、アヴァターラボディで違法潜伏している宇宙人なんですよね?」

 ここで無言だったユウがようやく口を開く。


「ああ、メトセラの遺伝子が手に入れば、ボディは製造可能だからな」


「あの基本的な事なんですが、潜入している宇宙人が地形が変るような大騒ぎを起こして、その……プロヴィデンスから無事に居られるんですか?」


「まぁ言うならばグレーゾーンだな。

 未開惑星に対しての干渉はプロヴィデンスによって禁止されているが、その惑星に移住し世代を重ねながら文明の発達を影からサポートするメトセラと、そのメトセラに干渉するラヴリュスは存在を黙認されているからな。

 ラヴリュスはアヴァターラボディを纏った異星人だが、惑星外のテクノロジーを使用した攻撃がその惑星の住人に危害を加えない限り簡単にパージされる事はないし。

 神の杖もカテゴリーとしては、この惑星で製造された兵器だからな」


「じゃぁアンキレーはどうなるんでしょうか?」


「あれはDDに類するものだから、プロヴィデンスの関与できる範囲外だな。

 もっとも外宇宙から似たような装備を入手した場合には、あっという間にパージされて跡形も無くなるだろうが」


「もし神の杖が、トーキョーの中央部に落下して来たら……」


「いや、目視できるならマリーが居れば処理は可能だろう。状況も大型隕石の落下という名目で誤魔化せるだろうし」


「神の杖の処理依頼が来たら、どちらにしてもまたハワイ行きだな。

 だが通常のデブリ処理とはちょっと違って、それなりの規模の軍事作戦になるのは目に見えているが」


「やはり横槍が入ると?」

 ここでキャスパーが、あくまでも冷静な口調で指摘する。


「というより、その横槍をEOPで撮影するのが目的なんだろうな」


「あの……EOPとは何ですか?」

 ユウが知らない用語に、質問の声を上げる。


「EYE OF PROVIDENCE。

 プロヴィデンスとは直接関係無いが、惑星単位で特定座標の映像を記録するシステムだな。

 これが静止衛星に偽装されて、この惑星上を多数周回しているという噂がある」


「じゃぁ、見られているという感じはもしかして……」


「ああ、稼動中のEOPに撮影されているのかもな」


「干渉は許されないが、撮影はOKって事ですか?」


「この惑星のテレビ局が、アフリカの未開部族をドキュメンタリー撮影するのと同じという事なんだろうな」


「……」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 朝食ミーティングの翌日、さっそくキャスパーから業務連絡が入った。

 もちろん過去の苦い経験から、秘匿回線専用の固定電話からの連絡である。


「フウさん、米帝政府から正式な処理依頼が来ました。

 今回は特記事項があってターゲットの衛星から重力兵器が射出された場合には、地表に着弾する前に処理して欲しいとの事です。

 どちらにしても大掛かりな軍事作戦になるので、調整が必要になりますね」


「ああ、ハワイベースには機体整備を依頼済みだからこちらの準備は万全だが、米帝海軍とDARPAに頼みたいことがあるんだ」


「海軍とDARPAという事は……」


「そう。今実戦テストしている『近未来兵器』をちょっとだけ借用したいんだ。

 あの重力兵器衛星をこちらがデブリと同じ方法で処理するのは相手も予想しているだろうから、こちらにも奥の手が無いとな」


「揚陸艦に搭載していた分のテストは既に完了していると聞いてますから、交渉の余地はあると思いますが」


「ああ、レイからもDARPAには連絡済みだが、そちらからもプッシュを宜しく。作戦の成否は『あれ』を使えるかどうかに掛かっているから」


「了解です」


                 ☆



 ユウとマリーが民間の直行便でオワフ島に到着した翌朝。


 前回のハワイミッションとは違って、ユウは支援機になるF-16のコックピットに収まっていた。

 全世界で五千機近く生産されたこのベストセラー戦闘機は、リタイアした機体も多く余剰部品の入手も容易なのでプロメテウス義勇軍の標準機体として各拠点で活躍している。


 今回のミッションのドラゴンレディは、パイロットとしてキャリアが一番長いレイの担当だ。

 もし非武装の偵察機であるドラゴンレディが強襲を受けた場合、レイの臨機応変な対応が必要になるからである。

 現在レイは、先行して離陸したF-16と共に目標ポイントに向けて急速上昇中だ。


「ブラックキャット、ネットワーク接続確認、離陸する」


「こちら臨時管制、離陸を許可する。合流ポイントを間違えるなよ」

 米帝海軍所属の揚陸艦艦橋に居るフウから、無線の指示が入る。

 一足先にハワイに来ていたフウは、乗り込んでいる揚陸艦の装備についてSIDがコントロールできるように事前準備をしていたのである。


「V1……VR」

 アフターバーナー全開のターボファンエンジンの唸る様な騒音が、コックピット内に更に大きく響く。


「V2、テイクオフ!」

 機体は短い距離で地面を離れ、ランディングギアが素早く引き込まれる。

 急速上昇した機体は、通常の護衛任務では無く東域の海側へ進んでいく。

 戦術ネットワークはヒッカム基地の高感度レーダーとリンクを行い周辺を詳細に警戒しているが、認識できる機影は見当たらない。


(今回は機体は使わずに、アンキレーで直に現れるって本当かな)


 ハワイの空は抜けるように青く視界は非常に良好だが、アンキレーを装着している生身の人間を目視するのは非常に難しいだろう。

 また光学迷彩を展開しながら飛行していた場合、空間のゆらぎから発見するのは殆ど不可能だろう。


(結局は勘が頼りか……)


 ユウが呟いたタイミングで、コックピットのキャノピーの前にブレードを手にした女性が突如出現した!

 瞬間移動して来たような生身の相手を目の当たりにしたユウは、おとり役として予期していたとは言え驚愕に目を見開いてしまう。

 キャノピーの直前に立っているその姿は、相対速度をキャンセル出来ているのかまるで静止しているかのように見える。

 モスグリーンの戦闘服は風にたなびく事も無く、口許にははっきりと判る微笑を浮かべている。


(全身グリーンって、グレムリンでも気取ってるのかい!)

 頭の中で突っ込みを入れながらユウは機体を瞬時にロールさせるが、相手は根が生えたようにぴったりと機体に貼り付いて離れない。


「RAT IN A TRAP!」

 ユウは複雑な高G機動を行いながら、戦術ネット経由の音声で状況を報告する。


 その時、彼女は右手のほんのり光るブレードを無造作に振り下ろした!

 その一振りで、機体のレドームを含めた前部がまるで大根のようにストンと切り落とされる。

 抵抗無く分離されたレドームは跳ね回るように、地面に回転しながら落下していく。

 機体前面にあるアビオニクスボードも破壊され、コックピットの中が一瞬にしてブラックアウトしエンジンも異音を立ててストールする。

 推力と同時に機体のバランスを失った機体は、一瞬にして水平にスピンを起こしながら落下していく。


 主翼がまだ破損していないのでスピンは水平方向のみだが、機体からグレムリンもどきが離脱したのを確認しユウは射出座席のエジェクトレバーに苦労して手を延ばす。

 強烈なGが掛かっている機体は今にも分解しそうだが、何とか手が届きレバーを思いっ切り引き絞った。


(そんなに頻繁に射出させるなよって!)


 シートのロケットエンジンが点火される瞬間に、ユウの姿がパイロットシートから忽然と消えた。

 射出時のトラブルを避けるために、下見してあった予定の合流ポイントにアンキレーの能力でジャンプしたのである。



                 ☆



 揚陸艦の甲板の上にフライト・ヘルメットと飛行服一式の装備で忽然と出現したユウは、唖然としている回りの水兵達に敬礼をしながら艦橋へ向かって歩き出す。

 艦内に配備されている米帝海軍のMPはユウの事は事前に聞いていたようで、ユウに声を掛けて艦橋へ案内をしてくれる。


 艦橋に臨時で置かれた大型モニターには、上空からの衛星画像が映し出されている。

「ユウ、ご苦労さん」

 モニターから目線を外さずに、フウはユウに労いの言葉を掛ける。


 フウの隣では、リモート・コックピットを前にしたアンがモニターを見ながら慌ただしく操作をしている。

「フウさん、もうそろそろ機体強度も限界ですわ!」

 先ほどのユウの機体と同じように、コックピットの前に捕りついたグレムリンもどきを牽制する為にアンが過激な戦闘機動を繰り返している。

 機体にはダミーのパイロット人形が載せてあるのでリモート操縦の機体だとは一見わからないようになっているが、人間が操縦している限界を超えた起動で機体は悲鳴を上げているだろう。


「良し!軸線に乗った……SID、レーザー最大出力で照射!」

 艦橋に大音量の警告音が鳴り響く中、レーザー砲の対物レンズがぼんやりと光る。

 警告音が止むと、レーザー砲に電力を供給しているジェネレーターの唸る音が艦橋に響き渡る。


 モニターには白煙を上げて空中分解していく機体が映っているが、解像度が低いので細部までは分からない。


「ターゲットにヒット、海面に落ちました。座標確認」

 SIDの冷静な命中確認が、艦橋のモニターから聞こえる。


「よし!スタンバイ中の回収班、現場へ直行してくれ!」

 フウは戦術ネット経由の音声通話で周辺海域で待機中のヘリに命令を伝達する。


「相手が予想していないレーザー砲とは言え、随分とあっけないですね」

 ユウはフライト装備を外しながら、フウに疑問の声を掛ける。


「レーザーを防御するシールドの過負荷でダメージを与えられると踏んでいたが、こんなに上手くいくとはな。

 もしかしてジャンプして逃げられなかったのは、別の要因があるのかも知れないが」


「回収班にはナナさんが同行してるって、本当ですか?」

 ユウの一言で、艦橋に居るアンが露骨に嫌そうな表情をしている。


「ああ、こちらから依頼してないのにいきなりハワイベースを訪ねてきたからな」


「何か嫌な予感がするのは、私だけでしょうか?」

 ユウのさりげない一言に、アンは大きく頷いて同意を示すのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎

 

 海面に漂っていた彼女(グレムリンもどき)は程無く救助されたが、意識が無い昏睡状態だ。

 揚陸艦の飛行甲板まで海軍のレスキューヘリによって運ばれてくるが、バックボードに乗せられ頸椎を固定された状態でそれはピクリとも動かない。

 付き添っているナナと彼女(グレムリンもどき)が並んでいる姿はまるで合わせ鏡の様だが、ナナは普段から考えられないシリアスな表情をしている。


 レイのミッション完了報告を受けてから飛行甲板で待機していたフウが、ヘリが到着するとローターが止まるのを待たずに中腰で駆け寄りスライドドアを開けて乗り込んで来る。

「シールドがあったにしては、随分と弱っているな……海面に落ちた時のダメージなのか?」

 フウの後から覗き込んだアンは、バックボードに横たわっている彼女(グレムリンもどき)の母親そっくりの顔を見て絶句している。

 ユウはライブハウスの客席で見かけた、ナナそっくりの女性の姿を思い出していた。


「身体には、特に大きなダメージを受けていないよ」

 はだけた胸元にステートを当てて、心音を確認しながらナナが呟く。


「ナナ、とりあえずこのアヴァターラ・ボディについて知っている事を話してもらおうか」


「入っている中身については私は何も知らないけど、このボディについてはまぁ見てのとおり」


「遺伝子情報を提供したのはお前なのか」


「うん。接触してきたのは相手側からだけど、交換条件が良かったからね」

 ナナはユウの方に一瞬目線を向けながら、フウに答える。


「??」

 ユウは、ナナからの目配せの意味がわからない様子だ。


「それで、何で彼女(グレムリンもどき)はこんな状態なんだ?」


「やっぱり、中身が壊れちゃったんじゃない」


「中身って、ゴーストの事か?」


「精神マトリックスを入れ替えるアヴァターラ・ボディについては、我々は知識も経験も全く持っていないから。まして中身のメンテナンスをどうやって行っているのかなんて、想像も付かないからね」


「……」


「ただし長い間何のメンテナンスを行わないで、このボディに入っていたとしたら不具合が起きても不思議じゃないでしょ。

 とりあえず自発呼吸をしていて生命活動がいきなり停止する事は無さそうだけど、意識が戻る可能性は殆ど無いんじゃないかな」


「扱いが厄介だな……」


「ええ」


 その場で米帝の依頼主側へ連絡したフウだが、『神の杖』以外の後処理については当然の事ながらかなり紛糾することになった。

 一連の事件の加害者であるアヴァターラボディについて米帝は当然ながら引き渡しを要求して来たが、このボディは不本意ながらメトセラ由来であるとフウが押し切って引き渡しを拒否する事になんとか成功した。

 過去に締結されたメトセラの遺伝子については不正入手して研究利用をしないという協定があるので、フウの強硬な主張に米帝側は反論できなかったのである。


 結局アヴァターラボディは、ナナが付き添ったCongohのプライベートジェットで二ホン国内の研究施設へ運ばれる事になった。

 そのおかげでオーバーブッキングになってしまったユウは、アンキレーを使って自力で帰国する羽目になったのであるが。


 ちなみにフウの配慮でオワフ島での予定外の休暇を一日貰える事になったユウだが、急遽の帰国の為メンバーが買えなかったマラサダの紙箱を両手一杯に抱えてジャンプする羽目になったのはここだけの話である。



                 ☆



 ハワイ出張から数日後のCongohトーキョーの地階。


 ヒラヒラの制服を何着も試着させられて、ユウの羞恥心は殆ど限界レヴェルである。

 おまけに着替える度にスタジオと見紛う背景の中で、何枚もポージングさせられる恥ずかしい撮影を強要されている。


(確かに協力するとは言ったけど……これじゃまるでコスプレの撮影会みたいじゃない!)


「こっちのティアラの方が似合うな」


「それはこっちのブラウスと合わせた方が自然ですわ」


「ふむふむ」


「ユウさん、とっても似合っているのになんで嫌そうな表情なんですの?」


「ああ、スカートは勿論だけど、こういう服って殆ど着たことが無くってね。正直苦手なんだ」


「そうですか……こうして見ていると、北欧王室のプリンセスって言っても通用しますわよ」


「こういう服装とウイッグだと、アイと似てくるから不思議だよな」


 やっと撮影から解放されてラフな格好で一休みしているユウに、上機嫌のフウが話しかけてくる。

「ところでユウ、あのグレムリンもどきの後始末を頼みたいんだが?」


「後始末と言いますと?」


「どうも米帝に何か所か拠点があるらしいんだ。

 今SIDが場所を特定しているから、そこから目ぼしい遺留物をピックアップして来て欲しいんだ」


「了解です」


 ユウが偶然?手に入れてしまったアンキレーによって、彼女は既知の場所であれば地球の裏側でも一瞬で移動する事が出来る。

 だがジャンプ能力者の存在が一人も確認されていないこの惑星で、空間から突然出現するジャンプを繰り返せば偶然の目撃者は確実に増えていくだろう。


 よってフウによって、今現在ユウがジャンプして良い場所は出身地であるアリゾナとオワフ島に限定され、不特定多数に目撃される可能性があるジャンプは禁止されているのである。

 久しぶりに指定場所以外にジャンプ出来る許可を得て、ユウは瞬時に機嫌を直していたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数日後。


 SIDがここ数ヶ月の監視カメラ映像を解析した結果、グレムリンもどきの拠点がようやく判明した。

 世界中の監視カメラにアクセス可能なSIDだが、情報収集の過程でナナの怪しげな素行によって情報が攪乱され解析に予想以上の時間が掛かってしまったのである。


 ユウが現地での捜査依頼を受けたのは、マンハッタンにあるタワーマンションの上層階だ。

 ニューヨークには幼少時に何度か行った経験があるので、ユウは見知った場所を目標にしてジャンプを行う。SIDのアドバイスでセントラルパークの監視カメラの無いエリアに出現すると、土地勘がある市街地へ自前の足で歩いていく。


 道なりに美味しそうなケータリングカーが並んでいるが、街頭で食べるホットドックに目がないユウは横目で見るだけでぐっと我慢している。

 目的地のタワーマンションはマッハンタンの中央に位置し、高級なコンドミニアムだけあって入口やフロントには沢山の人が常駐していた。


 フウから預かった不動産エージェントのIDカードをフロントで提示したユウは、フウの見立てで作った高級そうなスーツと伊達メガネ姿だ。

 高額な物件を扱うエージェントとして違和感無い雰囲気のユウは、屈強なガードマンに止められる事無く上層階行きのエレベーターに乗り込む。


 目的のフロアでエレベータを降りたユウは、通路にある多数の監視カメラを意識しながらフウから指示された部屋に到着した。

 グレムリンもどきの遺留品にはルームキーが無かったので、目的の部屋のドアノブに手を掛けた状態でユウはドアの内側へジャンプする。

 遠距離からの見越しジャンプは安全装置が働くので不可能だが、目視できる範囲ならば見えない場所へのジャンプも可能になる場合が多いのである。

 この場合、監視カメラからは一瞬のブリンクでまるでドアから入室したように見える筈だ。


 ドアを通過すると、いきなりフローリングの大きな空間が出現する。

 FIX窓の開口部が大きなその部屋は、マッハンタンの街並みが一望できる素晴らしい眺望だ。

 室内にはユウの母親が好むような、デザイナー物の高級家具が多数設置してある。


 (家探しは得意じゃないんだけどね)


 ミネラルウォーターのボトルが隙間なく詰められた冷蔵庫や、スナイダーズのプレッツェル大袋が詰め込まれた食料品棚を横目で見ながらユウは室内を物色する。

 キッチンには備え付け以外の調理器具が一切無く、材料になるような食材も全く無い。

 また高級コンドミニアムに必ず備え付けられているパニックルームの内部も、潔いほどに空っぽである。


 結局遺留品と呼べる物は、メーカーロゴが無い小型のラップトップ一台とクレジットカードが数枚のみだった。

 念の為にプレッツエルの大袋とミネラルウォーターを脇に挟んで、ユウはCongohトーキョーのリビングへジャンプする。

 テーブルの上に運んだものを置くと、間を置かずに再びコンドミニアムへジャンプで戻る。

 ビルに入った外来者(ビジター)が出てこないと、カウントが合わずに大騒ぎになるのが目に見えているからだ。


 再度フロントを通って退出したユウは、小さく安堵の溜息を付くとマリーに頼まれていた『SHAKE SHACK』へハンバーガーの買い出しに向かったのであった。



                 ☆



 再び両手に大きなショッピングバックを抱えてCongohトーキョーのリビングに戻ると、先に運んだラップトップは既に地階でチェックが始められていた。


 リビングで待ち構えていたマリーに大きく膨らんだショッピングバックを渡すと、喜色満面の彼女はさっそく以前から食べてみたかったというベーコン入りバーガーの包みに手を伸ばす。

 スモークしたベーコンの香りと牛肉の香りが漂ってくるバーガーを、マリーは両手で抱えながら口いっぱいに頬張る。

 チェリーペッパーの酸っぱ辛い個性的なソースは万人受けしない味付けだと思うが、彼女の口には合ったようでとても嬉しそうな表情だ。


「マリー、こっちの小さい方のバックは食べないでね。皆へのお土産だから」

 念のためにマリーに言い聞かせてから、ユウはエレベーターで地階のある部屋へ向かう。


 危険物を処理する専用の部屋で、レイとフウは何やら作業中だ。

 既に大まかな構造はX-RayとCTScanで撮影済みで、引き続き内部のマザーボードを撮影済みのモニター画像で解析している様だ。


「内部はごく普通のパーソナルコンピュータですが、増設スロットに入っている通信モジュールの機能が不明です」

 SIDが撮影画像から解析結果について説明をしている。


「チップの特徴から、どこで製造されたか推定できるかな?」


「非破壊の検査ではそこまでは……チップを分解して電子顕微鏡でチェックすれば判明すると思われますが」


「外装も削りだしのジュラルミンとカーボンファイバーの補強とか。こんな手の込んだ一点物を作れる業者はそんなにないだろ?」


「分解してみれば製造者のサインとかが残っているかも知れませんが、マザーボードを含めて製品に関する記載がありませんね」


「ボードに載っているASICSとか、チップ部品はどうなんだ?」


「ニホンや米帝の大手メーカー製が殆どですね」


「出所が解らないように、周到に作られているのかな。

 起動させたらいきなり通信モジュールが立ち上がるとか?」


「この室内は厳重にシールドされ電波は漏れませんから、それは大丈夫でしょう。

 正体不明でも、惑星外テクノロジーの範疇には入っていないと思われます」


「これ以上は起動させないと分からないか……よし電源を入れてみるか」

 フウは無造作に電源スイッチを押し込む。


 起動させたラップトップの画面には、見慣れた米帝メーカーのOS起動画面が表示される。

 何とパスワード画面がスルーされて、いきなり初期画面が表示されたのでフウが怪訝な表情をしている。


「遊ばれたかな……」

 レイが引き続きタッチパットを操作して、内部のファイルを確認する。

 米帝ではありふれた統合ノートソフトと、高価なCADのソフトウエア、かなり沢山のPDFファイルがストレージ内に存在するのが分かる。

 いずれも暗号化されておらず、まったくセキュリティが掛かっていない状態だ。

 

 レイが統合ノートソフトを起動すると、ここにも多数の平文のテキストファイルが保存されていた。

 所々に画像が貼り付けられているが、内容からして業務報告か日記といった感じの内容だ。


「これは日記?……ホントに地球の文化に適応してたんだな」


「EOPっていうのがあれば、こんなの必要ないんじゃないですか?」

 後からやってきたユウが思わず声を上げる。


「いや、自分の私生活をEOPで撮影するなんて無駄な事はしないだろ。そんなの単なる覗き見みたいなもので、見ても面白くないだろうし」


「SID、内部データを吸い上げて調査を継続してくれ。あと日記は時系列で再生できるように、編集を宜しく」


「了解です」


 レイは画面をスクロールして、びっしりと書かれている日記の冒頭部分を集中して読んでいる。

 その表情が気のせいか深刻そうに見えたが、ユウは話しかけることができずにここで部屋を離れたのであった。


⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 数週間後。


 アヴァターラ・ボディの件で呼び出しを受けたメンバーは、以前ユウも検査に訪れた事がある研究所に来ていた。

 入り口で出迎えてくれたナナは、白衣の下は綺麗な白いブラウスとタイトスカートで妙にきちんとした格好をしている。

 また髪型も普段のぼさぼさでは無く綺麗にカットされ、かなり華やかな雰囲気だ。


「お前、ナナじゃないだろ?」

 フウが鋭い口調で断言する。


「解りますか?」


「ああ、ナナが白いブラウスを着てるのなんて久しく見てないぞ」


「このボディの件でご足労いただいたのですが、こんなに早く見破られるとは」


「えっ、その話し方はもしかしてSID?」

 ユウが驚いた表情で呟く。


「はい。ユウさんが収集した慰留品の中にボディと接続する為のマニュアルがありましたから。

 発声機能や細かい動きはまだ調整中ですが、アイザックと同じ程度にはコントロールできるようになっています」


「おー、みんな来てるね。こちらへどうぞ」

 同じ顔だがくたびれた外見のナナが横から顔を出し、一同を案内する。


 メンバーは研究所の中とは思えない雑然とした、ナナの研究室?へ入っていく。

 応接スペースにある高級なソファに一同は腰掛けるが、SIDにコントロールされたアヴァターラボディは同席せずにお茶を給仕している。

 動きには若干のぎこちなさが残っているが、パントマイムを思わせるようなアイザックの動きとは全く違う生身の人間の動作である。


「おいナナ、これは生命倫理的にどうなんだ?アヴァターラボディのこの使い方は、一寸、いやかなり拙いんじゃないのか?」


「ボディを使っていたゴーストの持ち主と、遺伝子の提供元が了承してるから大丈夫じゃない?」


「ゴーストの持ち主って……例のラップトップに遺言が残してあったとでも?」


「うん。レイから連絡があってね、こうなるのは本人も覚悟していたみたい。

 過去にオリジナルボディがパージされて、ゴーストのメンテナンスも出来ない状態で活動していたみたいだし」


「それって、レイが関与していたあの?」


「……」

 ナナは言葉を続けずに無言で頷く。


「そんな状態なら、任務を中断して帰還するのが当たり前じゃないのか?」


「それが出来ない状態にあったのか、そうしたくなかったのか……詳しくは日記を読んでいる当事者のレイに聞いてみて。

 それとこれからの研究次第だけど、将来的にはSIDがスタンドアローンでこのボディを使えるようにしたいと思ってるんだ」


「何と大それた事を……」


「いや、生体アンドロイドっていうのはテクノロジーが進んだ惑星では、それほど珍しく無いみたいだよ。

 それに何よりもボディの正当な所有者と、SIDが強く希望した事だから」


 ナナのこの一言で、SIDに強く依存しているCongohトーキョーのメンバーは誰一人として異論を挟む事が出来ない。

 こうしてアヴァターラボディは、トーキョーオフィスに備品としてでは無くメンバーの一人として所属する事になったのであった。


「本国に戸籍の作成を依頼しなきゃな。扱いはナナの娘で良いとして、名前はどうしようか?」

 帰りの車中でフウがポツリと呟く。


「このボディの時は『SORA(ソラ)』でお願いします」

 早速Tokyoオフィスへ同行しているアヴァターラボディ(SID)が、自らの口で要求をする。


「いきなり具体的な名前が出てきたけど、何か由来でもあるの?」


「ええ、個人的な理由ですがちょっと長い話になりますので、時間が十分にある時にでも聞いて下さい」


 この時のアヴァターラボディが浮かべた表情はあまりに儚げに見えて、車中の誰もが会話を続ける事ができなかったのであった。



                 ☆



 ソラがオフィスに居る事に当初違和感が大きかったのは、多分アンであろう。

 険悪な仲の母親と同じ容姿の人物が目の前に現れた事に彼女は生理的な嫌悪感を感じていたが、その感情は丸一日も持続しなかった。


 まずソラの浮かべている柔らかい微笑みは、捻くれた表情のナナとは印象が全く違う。

 日常生活に不慣れな点はユウが数日間付きっ切りで世話をしていたが、現在ではCongohトーキョーの雑用は何でもこなせるようになっている。


「子供の頃の、優しかった母親に会った不思議な気分ですわ」

 アンのこの一言は、メンバー全員が深く納得できるところであった。


「ユウさん、人間って大変ですね。シャワーを浴びただけで、こんなに手間がかかるなんて」

 リビングで一人水割りのグラスを傾けていたユウに、吸水タオルで髪を拭きながらソラが話しかけてくる。

 ソラが会話をすると当初コミュニケーターから出る音声とユニゾンしていたが、現在ではコミュニケーターからは音声が出ないように設定変更されている。


「ちゃんと手入れしないと、髪はどんどん痛むからね。お肌もベビーオイル位の手入れをしなきゃ駄目だよ」

 タオルを首にかけたショーカットの髪に、ダボダボのロングT一枚のソラの姿を眺めながらユウは言った。

 大きく盛り上がった胸がTシャツ越しにゆさゆさと見えてとても眼福な光景だが、このオフィスに男性は遺伝子上の血縁であるレイしか居ないから問題にはならないだろう。


「ユウさん、私もご相伴させて貰って良いですか?」


「えっ、飲んで大丈夫なの?」


「ええ、過度の量でなければ大丈夫と言われてます。

 それにこのボディは飲酒の習慣があったみたいで、何故か飲みたくなるんですよ」


「確かナナさんは酒が強いって聞いてたっけ。ところで味覚はどの程度理解できているの?」


「現状では殆ど解らないですね。味覚は数値分布として理解しているだけですから。

 それに感覚の一部をフィードバックしていても、美味しいとか不味いという味覚もわかりません。

 唯一わかるのはアルコールに酔ったという感覚でしょうか」


「酔いはわかるの?」

 ユウは新しいグラスに氷を入れて、オールド・フォレスターを注ぐ。

 グラスを渡されたソラは、躊躇うことなくグラスを傾けてオンザロックを舐めるように口にする。


「ええ、通信エラーとか誤動作が増えるのでわかります」


「それって、マズイんじゃないの?」


「ヒューマノイドの場合も、同じじゃないですか?」

 ソラは悪戯っ子のような愛らしい表情で、笑みを浮かべたのであった。

お読みいただきありがとうございます。

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