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Blue Sky<空への帰還>

Cry & Fight ! [ヴァルキリーは料理がお好き?]本編の13話までを、短編としてこちらへ移動しました。内容は若干修正していますが、ストリー展開は変えていません。

 それは可能性のひとつ。

 とある惑星上の物語。



 『心に浮かぶのは、いつでもあの突き抜けるような青い空』



 真っ白でスリムなグライダーの機体、遮るものが無い明るいコックピット。

 傾斜した操縦席はゆったりと広く、大きなキャノピーから周囲の様子がしっかりと見える。


 目の前の計器盤には、丸くて小さなアナログ・ダイヤルが3つだけ。

 細くて頼りないスティックを持つ(てのひら)が、緊張で汗ばんでいるのがわかる。


 「Are You Ready?」

 

 無線の合図と共にワイヤーロープが高速で巻き取られ、機体が急角度で上昇する。

 バリオ・メーターの針が、くるくると勢いよく回る。

 高速エレベーターに乗ったような急激な上昇と共に、カチンという金属音でワイヤーが切り離された。

 キャノピーのてっぺんに付けられているヨースト・リングが、ヒラヒラと動く。



 静寂の中、風を切る音だけが大きく聞こえる。

 キャノピーを通して差し込んで来る、まばゆい陽の光。

 機体を旋回させると、稜線の緑がゆっくりと流れていく。

 自然と一体になったような忘我の瞬間。



(((繰り返し何度も見ている光景なのに、何で……)))



 ここでコックピットの様子がいきなり変った。


 ジーンズとTシャツの軽装は窮屈なGスーツに変わり、低くて鈍いエンジンの振動が左手のスロットルを通して伝わってくる。

 右手のスティックにはゴツゴツしたスイッチと、人差し指に微かに触れるトリガーの感触。

 圧倒的な武装(Fire Power)を手にしている高揚感が、普段の自分には欠けている強い闘争心をもたらしてくれる。


 現在飛んでいる空域は太平洋上、米帝空軍との合同演習エリア。


 F-2コックピットの多機能表示装置(MFDS)には、戦術データリンクから提供されているリアルタイムの情報が流れるように表示されている。


『TARGET DRONE TAKE OFF』


 簡素な文字列とともに、標的機の位置情報が流れてくる。


 航空防衛隊としては滅多に無い、実弾射撃による統合演習。

 空対空ミサイル発射時の不要なトラブルを避けるために僚機との距離を取ったユウのF-2には、僚機はおろか近接した他の機影も無い。

 残りの部隊機はかなり距離を取って、上空待機をしている筈だ。



 リラックスしてレーダーのサーチレンジを調整していると、突然コックピット内に喧しいロックオン・アラートが鳴り響いた。


(((演習中にロックオンするなんて、ずいぶんとたちが悪い冗談(Joke)だな!)))


『ATTENTION FOX3 LAUNCHED』


(((これは冗談(Joke)じゃなくて、現実(Real)だ!)))


 データリンク経由で表示されている真っ赤なゴシック体の文字列は、直ぐに回避行動を取らなければ自分自身の死刑宣告になる!

 コックピットに鳴り響く警告音も、メッセージが表示された後ミサイル・アラートに変っている!


 現状を深く考える余裕も無く、一瞬にしてアドレナリンが体内を駆け巡る!

 ヘルメットを揺らしながら視野を一杯に使って策敵すると、ロケットモーターの排気煙が尾翼の先に小さく見えた。


(((One、Two、Three……)))


 頭の中でロケットモーターの燃焼時間をカウントしながら、現在の飛行ポジションから瞬時にブレイクする。

 推進力があるミサイルをかわすのは難しいが、回避運動を続けてロケットモーターが止まれば何とかなる!


 急角度に水平旋回しながら、右手のスティックの根元に付いているECMの小さなボタンを押しこむ。

 旋回中の機体後部から喧しい音とともにフレアが続けて放出されたが……役立たず!効果が無いじゃないか!


 フレア発射後の白煙を通して、コックピットの隅にロケットモーターの軌跡がまだ目視できる。


『FOX3 LAUNCHED……』


『FOX3 L……』


 溢れるように発射警告が出ていたデータリンクのテキスト表示が突然途絶えた。


 キャノピーから次弾を確認する余裕は無いが、離れたエリアで同じように回避機動をしている僚機が豆粒のように小さく見える。

 喧しく聞こえていた無線のエマージェンシー・コールも、今やジャミングのためか全く聞き取れない。


(((くそっ、友軍機は無事なのか?一体何が起こってるんだ!)))



 機体が軋む180度ロールをしながら降下しなんとか方向転換すると、ロケットモーターの燃焼が止まった最初のAMRAAMが明後日の方向へ飛んでいく。

 やったぞ!初弾は何とか回避出来た!

 だが、コックピットに鳴り響くミサイル・アラートは依然として止む気配が無い。

 

(((こんちくしょう(BULLSHIT)!)))


 悪態をつきながら、視野を一杯に使って再び策敵を繰り返す。

 フライトヘルメットがキャノピーにこすれて傷が付くが、今は自分の命の方が優先なんだよ!

 ジャミングされてレーダー画面が役に立たないこの状況では、情けないが目視でミサイルを発見するしか方法が無い!


『ドォン!!!』


 その時、機体後部で鈍い衝撃音が起こる。

 垂直尾翼のそばで、見逃したAMRAAMの近接信管が作動した!

 エンジンノズルが破損し、エンジン本体もキュイーンと甲高い悲鳴のような音を立てて急停止する。


 ありとあらゆる警告音が鳴り響き、推力を失った機体の後部がバラバラと少しずつ分解していく。

 操縦不能の機体がおかしな方向へヨーイングを起こし、コックピットではLCDが一つ、また一つと消えてコックピットが急に薄暗くなる。


 メリーゴーランドのように横回転するコックピットの中、体がシートに押し付けられる。

 思考停止した状態の中、右手がそろそろと勝手に動きイジェクションレバーを引き絞った!

 キャノピーのロックが爆破され、空に向けて吹っ飛んでいく。

 一瞬のタイムラグの後、ロケットモーターが点火し座席が飛び出す!


 シートがジャイロ・ゴマの様にくるくる回転し、地平線の位置がつかめない……

 ヒラヒラと飛んでいるキャノピーが再び目の前をかすめる。


 ……シートと体が分離され、パラシュートが開く。

 体が重力に逆らって引っ張られ、パラシュートのハーネスで肩と背中に鋭い痛みが走る。


 薄暗い海面に……


 バタン!!


 ベットから落ちて、ここで目が覚めた。



                 ☆




 ここはチバのはずれにある防衛隊官舎の一室。


 家族向けの部屋割りでかなり余裕がある広さだが、ダブルベットとテレビ以外の私物が何も無い殺風景な部屋である。

 台所にはシンプルなシステムキッチンが備え付けられているが、ガス台を置くスペースも空いたままで生活感は全く感じられない。

 もっとも荷物の殆どはミサワからの慌ただしい引っ越しの後、空き部屋に放り込まれたまま開梱されていないのであるが。


 ベットサイドにうつ伏せに倒れて、荒い呼吸をしているユウは身長170cm。

 めくれたTシャツから覗く締まった上腕やウエストには鍛えられた筋肉の存在を感じさせるが、過剰なアスリート体形では無いあくまでも女性らしい体つきである。


 短めのボブスタイルにカットされた黒髪は寝癖で乱れてはいるがつややかに輝き、その表情はニホン人の血を感じさせる清楚な美しさを持っている。

 もっとも倒れこんでいる今の彼女は眼の下に薄っすらとクマが出来ていて、その美貌が若干損なわれてはいるが。


 日の出前の窓の外はまだ暗く、新聞配達のバイクの音が遠くに聞こえる。

 デジタル表示の時計の時間をうつ伏せの姿勢のまま確認したユウは、小さい声で気合を入れるとようやく立ち上がる。

 このまま二度寝すると遅刻は確実なので、汗を吸って湿ったTシャツとショーツを洗濯機に放り込み全裸で風呂場へ向かう。


 窓から漏れる街灯に照らされるその後姿は、悪夢で目が覚めた後であっても暗闇を跋扈(ばっこ)する猫のようなスムースな動きである。

 長い年月で身についた身体制御の意識は、多少自堕落(じだらく)な生活を送っても失われることはないのであろう。


 風呂釜に付属している旧式の給湯機はなかなか温度が上がらないが、何とか熱いシャワーで目を覚ます事に成功し吸水タオルで髪を乱暴に拭き取る。


 スポーツタイプに近い動きを阻害しないブラジャーとスラックスに影が映らない小さなビキニ・ショーツを着用し、白いボタンダウンシャツのクリーニング袋を破く。

 濃紺のスーツはまるでTVドラマに出てくる女性SPそのものの格好だが、自衛省の職員には細かいドレスコードが存在するので好き嫌いは言えない。


 目の下に出来たクマは化粧では無くOAKLEYのメタルグラスで隠し、頭の片隅でまだループされている悪夢を振り切って駐車場へ向かう。


 もう数ヶ月は洗車をしていない古びたミアータに乗り込むと、彼女は都内に向けてゆっくりと走り出したのであった。


 ……


 連日の悪夢に辟易(へきえき)しているからと言って、進んで診療内科を受診するほどユウは世慣れていない訳では無い。

 航空身体検査の基準は非常にシビアであり、撃墜されたトラウマがあるからといってその基準が緩和される事はあり得ないからだ。

 現時点では飛行隊から移動させられているだけだが、精神的に不安定だと判断されるとその時点でウイングマークまで取り上げられてしまう可能性もある。


 イチガヤ庁舎の厳重なセキュリティゲートを通り、駐車場の片隅にミアータを留めるとユウは小走りで厚生棟へ向かう。

 事務職の登庁時間までまだかなり余裕があるが、早朝から利用できる厚生食堂は一般隊員の利用もありとても混んでいるからだ。


 この食堂のメニューは地味な定番メニューが殆どだが、後味の悪い化学調味料やインスタント出汁が殆ど使われていないのがユウが気に入っている点である。

 以前は『戦闘糧食』の余剰品がメニューに流用され決して美味しいとは言えなかったらしいが、現在では委託運営している会社が入札によって変わり食材もかなり良くなったらしい。

 ユウは入り口の自販機で大量の食券を買い揃えると、行列になっている定食カウンターへ真っ直ぐに向かう。


「おばちゃん、おはよう!」

 料理に関する雑談で早々に顔見知りになった、年配の配膳係にいつもの挨拶をする。


「あらっ、ユウちゃん!いつもの盛り付け方で良い?」

 ユウから受け取った大量の食券を手際よくカウンターに並べながら、彼女は愛想良くユウに訪ねる。


「うん、宜しく!」

 てんこ盛りされたご飯、ラーメン丼に入った具が溢れんばかりの豚汁、小鉢数個分の納豆、山盛りの炒めたウインナーと目玉焼き、ドレッシングが掛かった大量の生野菜がトレイに並べられる。

 複数の食券は別皿で並ぶのが当たり前なのだが、ユウは頼み込んで大きな器にまとめて盛り付けて貰っているのである。

 

 育ち盛りの運動部に所属する男子学生なら兎も角、女性一人分の朝食としては桁外れのボリュームである。

 ユウの後に並んでいた陸防の制服姿の女性が、両目を見開いてカオス状態のトレイに驚いている。


 その斬新な盛り付けとボリュームで周囲から注目を浴びているような気もするが、ユウは此処での朝食を文句無しに気に入っているので何とか我慢出来る範囲なのだろう。

 特に山盛りになっている薄皮ウインナーはOBである生産者手作りの逸品で、昔からのホットドック好きであるユウにとっては外す事が出来ないお気に入りなのである。


 今日も米粒一つ残さず完食し食堂を後にするが、もちろん隣接している外資系コーヒー店に立ち寄るのを忘れたりしない。

 持ち帰りグランデとデザート数個を注文し、郵便室で朝刊の分厚い束を受け取ると両手は荷物で一杯である。


 ユウは中央エレベーターに乗って自分の所属部署に向かうが、ドアが自動で閉まったのを確認してからエレベーターの大きな階数ボタンを器用に伸ばしたつま先で押し込む。

 それはヴァレリーナの優美な姿にも似た完璧なバランスであるが、人に見られてしまうと単なる横着な奴と言われてしまうに違いない。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 到着した最下層のフロアは省エネのため照明がついておらず真っ暗だが、一歩踏み出すと体温を感知したLED灯がゆっくりと点灯し通路を照らしてくれる。


 『情報本部 統合情報部特務班』と書かれたスティール扉の前でユウは立ち止り、ドア横のセキュリティロックのテンキーを操作する。

 流石にボタンが小さく足では操作不可能なので、新聞の束はいったん床に置いている。

 ドアのセキュリティは無駄に立派だが、薄暗い照明の室内に置かれた事務机や備品はかなり年季が入っている。上座にあるデスクとユウが腰掛けた机以外には内線電話機すら置かれておらず、その寂れた感じに拍車をかけている。


 第8飛行隊からの移動先であるこの部署でユウが毎日行っているのは、大量の新聞や資料を読む事だけである。まれに外出する事もあるが、それらは荷物持ち等の雑用に限られているのである。


 ユウが数紙目のスポーツ新聞を広げながら好物のデビルズ・ケーキをはむはむと頬張っていると、ドアのロックが解除される音と共に上官が出勤して来た。

 ゴールドの眼鏡フレームが冷たい印象を与える航空防衛隊制服姿の上官は、胸にしっかりとウイングマークを付けている元イーグル・ドライバーだ。


「おはようございます!」

 チョコレートの欠片を頬につけたままのユウの挨拶に無言で頷くと、彼は自分のデスクに腰掛ける事なくユウに透明なバインダーを手渡す。


「早速ですが、明日から研修のために入国管理局へ出向して貰う事になりました」


 ユウはバインダーを受け取りながら、表情が強張っていくのが判る。

 早朝から好物のケーキを食べて盛り上げた気分が、一瞬にして台無しである。


 現役の三尉である彼女は、防衛隊学校で長期間に渡る士官教育を受けている。

 だが防衛隊という大きな組織に対しての帰属意識が低い彼女は、繰り返される理不尽な命令に無条件に服従できるほど恭順では無い。

 あの事件?以外には目立った不祥事は起こしていないが、実際には記録に残らない命令無視を数えきれないほど繰り返しているのだから。


 ユウの全身から立ち上る負のオーラから目を逸らさずに、上官は小さく咳払いして話しを続ける。


「本年度分の規定飛行時間はすでにクリアしていますから、半年程度の出向なら問題無いでしょう。

 君の私物はまとめて出向先の宿舎に転送する手筈になっているので、今日はこのまま退庁して荷造りをしておくように。

 明日は身一つで退寮して、その書類の指定した場所へ出頭して下さい」


「……」

 もはや不遜な態度を取り繕う気も無くなったユウは、返答せずに不満げな表情で黙っている。


「優秀なパイロットである君が飛行隊から外されたのは、私個人としても本当に残念に思っています。

 しかし現状では適材適所と言える移動ですから、今は無き第8飛行隊の矜持を忘れずに頑張って下さい」


 一瞬の沈黙の後に、上官は言葉を続ける。


「それと……これはオフレコですが、第8飛行隊の件はパイロットの操作ミスやアビオニクスの故障で片付けられるほど単純なものではありません。

 米帝とニホンの防衛体制に関わる重要案件ですので、マスコミに対する不用意なコンタクトは秘密情報保護法に抵触する事を警告しておきます」


 さりげなく内部情報を暴露した一言に驚きの表情を見せたユウだが、その脳裏には飛行隊のメンバーの懐かしい顔が浮かんでいた。


(今ここで異議を申し立てて辞めたら、皆はどんな顔をするかな……)


 彼女がミサワ基地で苦労して得た居場所は、一瞬にして消え去りその残滓(ざんし)すら残っていない。

 ユウ以外のパイロットが全員『作戦中死亡(KIA)』した第8飛行隊は直後に解散し、地上班のメンバーはすべて同じ航空団内に分散配置されたと聞いている。

 ユウ自身も病院から退院後に無条件で転籍させられ、おまけに合同部隊葬にすら参加を許されなかった。


 唯一の生存者ながら事情聴取さえ行われずに飛行隊から隔離され、今度は防衛隊の外部へ出向しろという突然の業務命令である。

 度重なる理不尽に対して辞表を叩きつけて出て行くという選択肢もあるが、民間のライセンスを持っているとはいえユウを雇ってくれる航空会社は簡単には見つからないだろう。


「もし自らの進退について考える所があるのなら、出向先で暫く頭を冷やしてから決めても遅くはないでしょう」

 複雑な表情をしているユウを制し、意味深な一言を残して彼は退出していった。


 ユウのイチガヤでの最後の一日は、こうしてあっけなく幕を閉じたのであった。



                 ☆



 翌日ユウはトーキョー入国管理局に、最寄駅からの地図を見ながら到着した。

 近くに流れる運河にはコサギの群れが川面に浮かんでいて、久しぶりの潮の香りがとても心地よく感じる。


 正面入り口に来ると、特徴的な十字架型の本庁舎以外にも、敷地の中には小さな建物が点在しているのが目に入る。

 指定された時間までかなり余裕があったが、本庁舎の総合受付に向かったユウは地階のオフィスへ直接行くようにエレベーター番号を案内される。

 出迎えなしに直接オフィスまで行けというのは、出向者としてはかなりぞんざいに扱われている気がしないでも無い。


(おまけにまた地下のオフィスかぁ……やっぱり来なきゃよかったかな)


 地階深くにあるオフィスというだけで、ユウはイチガヤでの酷い扱いを思い出し自虐的な連想をしてしまう。ちなみに昨夜の荷造りの後、用意した辞表はスーツの内ポケットにしっかりと収まっている。


 エレベーターで到着した最下層はユウの予想に反して明るい通路と、複雑そうな入退室装置が付いたドアが並んでいるフロアだった。少なくともイチガヤのような、姥捨て山的な雰囲気は微塵も感じられない。


 天井には複数のカメラが死角が無いように取り付けられ、セキュリティの厳重さが判る。

 ユウが指定されたセクション番号のオフィスに到着すると、天井のモニタで監視でもしていたのかドアが音も無く開かれる。

 一瞬の躊躇の後に入室すると、そこには大勢の職員が配置され忙しそうに業務をしているのが目に入る。


(とりあえずイチガヤの最下層と違って、ちゃんと仕事がある部署なんだ)


 広い室内は官庁に付き物のグレーの事務机が並んだ窮屈な感じは無く、背の高いパーティションでゆったりとスペースが区切られている。

 殆どのスペースにはマルチディスプレイと複数のキーボードが配置されていて、まるでIT系企業の研究開発部門の様な雰囲気だ。

 地図画像や文字列が表示されているスクリーンの画像はどれも頻繁にリフレッシュされ、複雑な作業をしているのが見て取れる。


「ああ、うん。それで宜しく」

 ここで(ようや)く、内線PHSで通話中の女性が『招きネコ』のような仕草でユウを呼んでいるのが目に入る。


 大型モニターを前にして上座のデスクに掛けている彼女からもれ聞こえてくる会話は流暢なニホン語だが、彼女の容姿は典型的なニホン人とは大きくかけ離れている。

 くすんだプラチナブロンドのショートカットと煌き輝く大きな目、そして均整が取れたスリムな肢体。

 まるで海外のファッションショーで見かけるような、日常からかけ離れた容貌だ。


 ユウはその手招きする姿に強いデジャブ(既視感)を感じていたが、似たようなモデルか女優さんが居たかなぁと脳裏に浮かんだ引っかかりを無視して彼女の前へと歩いていく。


 ユウに開いている席にかけるように促した彼女は、内線PHSで会話を続けながら事務封筒をデスク越しにユウに差し出して中身を開けるようにジェスチャーする。

 ユウは目の前の女性のしゃべる声色に気を取られて目線が宙を泳いでいたが、ジェスチャーにようやく気がつき封筒を開ける。

 中には、カードケースに収まったユウ名義のIDカードが入っていた。

 通話を続けながら立ち上がった彼女は、またしてもユウについてくるように促し室外に向かう。


 地下駐車場に到着した彼女はようやく通話を終え、車に乗り込んだ。ユウも彼女に習い助手席に腰掛けシートベルトを装着する。

「ごめんなさいね。慌しくて」


「いえ」


「私は特別課で色々とやっているキャスパーです。今後とも宜しくね」

 胸元から器用に名刺を取り出しユウに手渡すと、タイヤを鳴らしながら車をスタートさせる。


「あの……不躾ですが、以前どこかでお会いした事はありませんか?」


「ふふふっ、昔ながらのナンパの台詞みたい!

 残念ながら、初対面だと思いますよ」

 その花が咲いたような鮮やかな印象の笑顔は、同性のユウですら心臓の鼓動が早くなりそうな破壊力である。


「それでこの『Congohコーポレーション』のIDカードはどういう事でしょうか?」

 ユウは何故か彼女の横顔に見入ってしまい、不躾だと分かっていながらも目を離す事が出来ない。

 どこかで会った事があるという既視感は一向に無くならず、短い間にもその印象が更に強くなっているように思える。


(う~ん、思い出せない。

 米帝のご近所さんや大学、バイト先の常連さんにも、こんな桁外れの美人さんは居なかったよね)


「ああ、うちの課は慢性的に忙しくて局内で教育する人手が足りないのよ。

 それで研修で暫く民間会社に貴方をお世話して貰う手筈になっているから、そこのIDカードってわけ」

 初対面に関わらず彼女の態度はとてもフレンドリーで、まるで長年の知り合いとお喋りしているような感じだ。


「……おかしな資料を局内で整理するのから開放されたと思ったら、今度はたらい回しとリストラ強要って奴ですか?」

 ユウも思わずくだけた口調で返答する。


「ええっ?そんな事あるわけないじゃない!

 縁がある貴重な人材だから是非お世話したいというのも、先方の企業さんからの要望だし」


「先方の企業って……このIDカードのCongohって言えば、世界最古の複合企業体でパテント保有で有名な所ですよね?

 そんな超一流企業と一介の公務員の私が、少しのご縁があるとも思えませんが?」


「そうか知らないんだ……じゃぁその辺りの事情は直接先方に聞いてみて。

 オフィスと居住スペースは、プロメテウス大使館の敷地内にあってもう直ぐ到着するから」


(プロメテウスって……)

 イタリアに隣接するその小さな国の名前は、何故かユウには幼少時から馴染みがある国名だった。

 母親と何度かヨーロッパ旅行した際にもイタリアの横にある小さな彼の国に立ち寄り、石畳の町並みを歩いた記憶がぼんやりと残っている。


「大使館の中に、オフィス以外にも居住スペースがあるんですか?変ってますね」


「ええ、Congohという会社は、プロメテウス唯一の国営企業だから」


 車は10分程で、IDカードの支社が併設されている大使館の敷地内に入った。


「うん、しっかりと昔の面影があるな」

 出迎えのために駐車場まで来て到着を待っていた美麗な長身の女性が、ユウを見て小声で呟いた。



               ☆



 場所は変わって、Congohトーキョー支社内のリビングルーム。

 キャスパーはユウに意味ありげなウインクを残して出て行ったので、此処にはもう居ない。


「私はCongohトーキョー支社マネージャーのフローラだ。フウと呼んでくれて構わない」

 小紋柄の上品なワンピース姿の女性が、ほっそりとした右手を差し出しながらニホン語でユウに挨拶する。

 ぎりぎりビジネス・カジュアルと言えなくは無いその服装だが、不思議とこの場では違和感は無い。


 ユウが握手をしながら自己紹介をしようと口を開くが、それを遮るように彼女は続ける。

「君の経歴はこちらで全て把握しているので、自己紹介は必要無い。

 米帝生まれで、防衛隊ミサワ第8飛行隊のエース・パイロットだろ?」


 相手を見透かすような自信に満ちた語り口と、軍隊の上官のような無言のプレッシャーを醸し出すその態度。それらは上品なワンピースとはかなりのミスマッチだが、ユウは此処暫く会っていない母親の事を即座に思い出していた。

 フェミニンな服装とは裏腹に、握った(てのひら)は肉体労働をしている職人のような固さで、しかも爪は整えられてはいるがかなり短い。

 フウと名乗った女性は雰囲気だけでは無く、容姿も含めて彼女の母親にとても良く似ているのである。


「残念ながら、自分の場合パイロットの前に『元』という但し書きが付きますが」

 母親に対するのと同じく思わず堅い軍隊口調で答えてしまったが、フウは無言で小さく頷いた。


「ところでCongohについてはどの程度知っているかな?」


「正直なところ殆ど知識がありません。世界最古の複合企業で、パテント保有で有名位としか。

 プロメテウス共和国との関係も知りませんでしたし……」


「ああ、その部分はネットでも情報統制しているから知らなくても当然だろう」


(ネットで情報統制って……?)


「ファブレスではあるが電子部品の開発や製造も主要業務で、民生用から特殊な軍事用途の製品まで幅広く販売している。

 その会社の事業内容から言ってあまり表に出ない情報も沢山入ってきているんだが……君は安全保障や機密保持のために酷い目に会ったな。他人事では無く同情したくなるよ」


「……」


「これはオフレコの情報だが、君の部隊を攻撃したのはハッキングされた米帝第3航空団所属の機体だ」


「第3航空団っていうと、演習に参加していたF-22ですか?」

 戦術ネットワークと搭載アビオニクスについては、彼女自身も現役の戦闘機パイロットとしてそれなりの知識を持っている。

 だが最新である主力戦闘機のアビオニクスがハッキングされるという異常事態は、過去に聞いたことはもちろん想像した事も無い。


「使用されたAMRAAMは最新型で、有効射程も長いし策敵能力も高い。

 君の高い操縦技能があったから、直撃を回避して生還出来たんだろうな」


「撃墜された事には変りありませんので……」


 追加で何か言おうと口を開いたユウだが、彼女が座っているソファに向かって、フローリングの床を黒い影が音も無く近づいて来た。

 彼女がその気配に気がつく前に、膝上にいきなり重みのある黒い生き物がのしかかる。

「えっ、えっ?」


「ミヤァ」

 いきなり現れた大柄な黒猫は、ユウの膝の上に収まったまま甘えるように(からだ)をユウにこすりつけてくる。

 真向かいのソファーに座るフウはシリアスな会話を中断されたにも関わらず、微笑を浮かべながらユウと黒猫の様子を眺めている。


「随分と人懐っこい子ですね」

 ユウは膝上で甘えている黒猫に慣れた動作で手を伸ばし、機嫌を伺いながら耳の後ろや背中を優しくマッサージする。

 黒猫は初対面の筈のユウに触られても嫌がる様子を見せず、喉を鳴らしながら甘い声を上げ続けている。


 その姿は、ユウが眼が開かない子猫の頃から育て上げた懐かしい黒猫の姿を思い出させる。

 ハインラインの名作からユウの母が命名したピートというその黒猫は、防衛隊学校に入学する為に米国を離れるまでいつもユウの傍に居た大切な家族だった。

 目の前の黒猫は(からだ)のサイズがユウの記憶よりは大柄に感じるが、黒猫には珍しい深みのある青い瞳とスリムな(からだ)は彼女が知っているピートととても良く似ているのである。


「いや、この子は此処に来て一月程になるが、気難しくて他人にこんなに甘えているのを見たことがないよ」


「ええ、本当に。こんな様子は初めてですわ」

 応接セットのローテーブルに素晴らしい香りがするエスプレッソを運んできた少女も、フウの言葉に同意を表明する。


「ユウさん、よろしければこの子のお世話を担当していただけると助かるのですが。

 私もこの子の事は大好きなのですが、ネコを飼った経験が殆ど無くてグルーミングの事が良くわからなくて」

 アンと名乗った少女は、気さくにユウに語りかける。


「おおっ、それは良い考えだ。随分と猫の扱いに慣れてるみたいだし、頼んで良いかな?」

 フウはエスプレッソ・カップにブラウンシュガーを大量に入れながらユウに言う。


「了解です。ところでこの子は何という名前なのでしょうか?」


「名前は付け直してくれと言われてるんだが、まだ決まっていなくてね。

 よかったら君が付けてくれないか?」


「?」


「候補は沢山あったんだが、どの名前で呼びかけても反応が無くってね。こちらとしても困ってたんだよ」


 ユウもイタリア式に砂糖を大量に入れたエスプレッソを味わいながら、雑談は続く。

 黒猫はユウに甘える事に満足したのか膝の上から降りてソファでうたた寝をしていてるが、ユウの太ももにぴったりと寄り添って彼女から離れる気配が無い。


「到着して早々で申し訳無いですけど、ユウさん後で爪切りをお願いできますか?今までは近所のペットショップから人を呼んだりして大変でしたの」

 グルーミング用のセット一式が入っているのだろうか、ちいさなコンテナのようなモノを持ってきたアンが言った。


「了解です。今は機嫌が良さそうなので早速やってみましょうか。いきなり嫌われて暴れないと良いんですが……」

 ソファからそっと離れ道具箱からネコ用の爪切りを取り出すと、ソファの上で寝ている黒猫に向けて一瞬の躊躇の後に低い声で呼び掛ける。


「ピート、おいで!」


 その一言で黒猫は目をパッチリと開けて、床に胡坐をかいたユウの膝の上に一目散にやってくる。

 爪を切るために腕を回して抱きかかえると、(からだ)をユウに預けきって脱力し暴れる様子は全く無い。

 肉球と足を優しく押さえて爪を露出させると、パチンパチンと爪の先端を手馴れた様子でカットしていく。

 全ての爪をあっという間に切り終えると、室外に出ることは殆どないという事なので先端のとがった爪の切り口を専用のヤスリで綺麗に丸めていく。


「へぇ~っ、ペットショップのお姉さんでもこんなに手際が良くなかったぞ」

 フウがその様子を見て感嘆の声を上げる。

 爪を切った後に続けてグルーミング用のブラシで全身を漉いていくと、喉をならしてリラックスしブラッシングを続けるように?ユウに催促をする。


「呼びかけにも直ぐ反応したし、まるで長年お世話をしているような息が合った感じですわね」


「ええ昔飼っていた黒猫にそっくりなので、私も驚いています。……ところでこの子はどこから来たんでしょうか?」


「う~ん……古い知り合いから頼まれて断れなかったんだが、君が来てくれたお陰で一安心かな。

 じゃぁ歓迎会の前に君の私室と建物の中を案内するから、付いて来てくれる?」

 立ち上がったフウに並んで歩き出した黒猫は、時折後ろを振り向きユウについて来るように目線を投げてくる。


(具体的な業務は何も聞いてないのに……これじゃあ、まるでネコの世話をするために呼ばれたみたいだな)


 苦笑いを浮かべるユウだったが、その表情はここ最近無かった程にリラックスしているように見えたのだった。



                 ☆



 翌朝。

 眠りが深かった為か、ユウは悪夢にうなされる事も無く爽快に目が覚めた。

 部屋に備え付けの大きなダブルベットはユウが経験した事が無い寝心地の良さで、しっかりと熟睡出来たようだ。


 昨夜はおぼろげではあるが、幼少時に飼っていた黒猫の夢を見ていたような気がする。

 いつの間にかユウの枕元にやってきた黒猫は、大きなベットの枕元で弛緩しただらしない姿勢で熟睡している。

 伸ばした大きな前足がユウの顔面に届き、柔らかい肉球がユウの頬にかすかに触れている。

(この子が枕元に居たからあんな夢を見たのかな)

 ユウは無防備な姿をユウの前で晒している黒猫の背中をそっと撫でながら、朝日が昇る前の早朝にそんな事を考えていた。


 ……


 昨晩は夕食を兼ねた歓迎会で近所の焼き鳥屋に繰り出した一行だが、店内では日本人離れした一行に奇異な目が向けられる事も無くユウは馴染みの店のような居心地の良さを感じていた。

 席にかけたフウが発した「とりあえず生4つ」の一声も手馴れていて、まるでネイディブと変らない流暢な会話と共にニホンの細かい習慣にもしっかりと馴染んでいるのが見て取れる。


 美味しそうにジョッキで生ビールを飲んでいるアンはまだ17才なのでニホンでは法律違反だが、堂々とした飲みっぷりとイタリアではビール飲酒可能な年齢ですという意味不明な一言でユウもそれ以上突っ込む事ができなかった。

 ニホン食を日常的に食べて育ったユウにも馴染みのないような『きんかん』や『かんむり』のような珍味も並んでいたが、フウやアンはそれらも違和感無く美味しそうに味わっている。


 その横では華奢で可愛らしいマリーという少女?が、巨大なドンブリに盛られた親子丼をレンゲを使ってもの凄い勢いでかきこんでいた。

 一旦炭火で焼かれた香ばしい鶏肉を使い半熟玉子が(とろ)けているその丼は、横に座っているユウの食欲をも刺激する破壊力抜群の出来栄えだ。

 マリーの目の前には開きどんぶりがすでに5、6枚重ねられているが、店員さんを含めてユウ以外には誰もその食事量には注意を払っていないようだ。


 子供の頃からハイスクールの登校を免除され集団生活に無縁だったユウにとって、初対面の相手は今でも苦手でどうしても緊張してしまう。

 防衛隊学校やミサワ基地での集団生活を経験し幾分は慣れてきてはいるが、相手がリラックスしていてもユウはどうしても距離を置いてしまいフレンドリーに振舞う事がいまだに難しい。

 それにも関わらず初対面でこれだけリラックスして過ごせているのは、酒席とは言えユウ本人にも不思議な感覚だったのである。


(ニホン人じゃないメンバーだからかな。それとも年が近い親戚同士って、もしかしてこんな感じなのかも)


 絶える事なく続く会話は殆どが好きな食べ物や他愛の無い日常の話題で、ユウは気兼ねせずに楽しい時間を過ごす事が出来たのであった。 



                 ☆



 ユウが目覚めたこの部屋には引越し業者からの荷物は搬入していないが、昨日案内された時点で日常生活に必要な物品はあらかじめ用意されていたのは驚きだった。

 備え付けのキャビネットにはユウ好みのワードローブが多数と、どこからサイズを調べたのかサイズがぴったりなアンダーウエアまでもがしっかりと用意されていたのである。


「歓迎されているというより、用意周到すぎて逆に怖い位だな」

 クローゼットの中を見ながら、ユウが思わず呟く。


 部屋にはシャワーユニットのみでバスタブは無いが、1Fにジャグジーまで完備された大浴場があるのは昨日案内を受けている。

 朝食は当番が用意し全員でまとまって食べるのが習慣らしいが、昼食や夕食は希望者のみが厨房と食材を自由に使ってローテーションで調理するらしい。

 また洗濯モノについては備え付けのランドリー・ボックスから家事を担当している『ロボット(和光技研製アイザック)』によって回収され、外部業者がクリーニング後にキャビネットに戻されるというホテルのような贅沢なシステムだ。


 大容量の埋め込み収納とダブルベット以外に何も無い部屋にはテレビセットが見当たらなかったが、置かれていた多機能リモコンを操作して見ると壁面ほぼ全面に埋め込まれた液晶画面が点灯し巨大画面が現れる。

 まるでホームシアターのようなサイズでしかも高細密な画面には、ケーブルテレビ以外にもネットやCongoh独自ライブラリも表示可能らしい。


(まるでホテル並みの居心地の良さ。この生活に慣れちゃうと堕落しそう……)

 早朝のテレビ画面に表示される時刻はまだ5時だが、しっかりと覚醒してしまったので2度寝するのは危険過ぎる。


 壁面にあるコミュニケーション・ユニットを見て昨日の説明を思い出したユウは、ユニットに向けて小さな咳払いの後に言葉を発した。

「え~とSID?トレーニングルームは今使えるかな?」


「おはようございますユウさん、もちろん使用可能です。

 フウさんとアンさんが既に室内でトレーニング中です」


(すごいAIだな。まるで生身の人間の反応と変らないじゃないか)

 発言の内容を正確に理解し、適切な反応が直ぐに返ってきたのでユウは驚いた表情を隠すことが出来ない。


(最近運動不足気味だから、ちょっとトレーニングルームに行ってみるか)

 キャビネットにあったサイズもぴったりのトレーニングウエアとシューズを身に着けると、大型の荷物用エレベーターで昨日案内された地階にあるトレーニングルームへと向かう。


 車で到着した時には想像も出来なかったが、建物と不釣合いなほど広い大使館敷地の地下にはショッピングセンターのような巨大な空間が隠されていた。

 フウの説明によると、過去の大戦の際に防空本部として使用するために作られた地下壕を、Congohが独自技術で改修して活用しているとの事。

 ちなみに施設全体が大使館の敷地であり、ニホンの法律の治外法権が適用されているそうだ。


(米帝大使館の中って地下通路やシェルターがあるって聞いた事があるけど、この規模の大使館の地下にこんな施設があるなんて誰も想像できないだろうな)


 地階深くのトレーニングルームに入室すると、既にフウとアンが大型のトレッドミルをかなりの速度で軽快に走っている。

 ミサワでは毎朝のランを習慣にしていたユウも、小声で挨拶をしながら開いているマシンを中速に設定をして走り出す。


 身体能力については自信があるユウだが、並んで走っている二人は明らかに自分よりハードなトレーニングを涼しい顔でこなしている。

 10分後、暫くトレーニングをさぼっていたユウはかなりの汗をかいていたが、並んで走っている二人のペースは高速のままで余裕の表情を見せている。


「ユウさん、7時から朝食なので食堂に来てくださいね」

 トレッドミルから降りたアンは、涼しい顔でユウに言った。


「アン……ちゃん、ちょっと聞きたいんだけど良い?」

 息も絶え絶えの様子のユウは、遠慮がちにアンに尋ねる。


「はい?」


「ピートのご飯って、どうしたら良いんだろう?」

 昨日、ユウが呼び慣れた名前を付けた黒猫は、名付け親の責任は兎も角として飼育担当として知らん振りは出来ないだろう。


「ああ、ピート用に配合されたフードをアイザックが給餌しますから特に心配は不要ですわ。

 ユウさんが余裕があるときには、手作りご飯を作ってあげると喜ぶと思いますけど」


「ピート用って?」


「彼女はかなりのグルメなので、市販のキャットフードは食べてくれなくて特注品が用意されていますの」


「……了解。ぼちぼちやってみます」


 ……


 自室でシャワーを浴びてから広い食堂兼リビングルームに入ってきたユウは、食卓に並んでいるメニューに意表をつかれて思わず声をあげる。

「和朝食なんだ」


 焼き鮭と味噌汁、小鉢が並んだお膳がテープルに並んでいる。

 昨晩の歓迎会の様子からニホン食好きだろうと想像はできたが、その様子はまるで観光客ご一行が旅館の朝ごはんを食べているように見えなくも無い。


「ええ、トーキョー支社では朝はいつもこんな感じですわ。朝食は私の担当ですから、リクエストがあれば大抵のモノはご用意出来ますので仰ってくださいね」

 ユウの汁椀にホテルで見るような保温容器から味噌汁を注ぎながら、アンは言った。


 遅れて現れたフウがアンに向かって言う。

「今日の味噌汁の具は?」


「今日はワカメと豆腐ですわ。

 ユウさん冷めないうちにどうぞ」


「はい、いただきます。あれっ、この味噌汁の味って?」


「お口に合いませんか?」


「いやとても美味しいです。なんか食べ慣れた味だから驚いちゃって」


「和食については、私の料理の師匠から教えて貰ってますから。

 そのうちユウさんもお会いする機会があると思いますわ」


「おいアン、余計なお喋りが過ぎるぞ」

 含み笑いをしながら、フウが言う。


「はぁ~い。ユウさんご飯のお代わりは、このお櫃からどうぞ」


 かなり巨大なサイズのお櫃の横にあった、小さめのお櫃をアンは指差した。


「この大きいのは?」


「それはマリーさん専用ですので」


 大量の納豆が掛かったどんぶりご飯をレンゲで頬張りながら、横で子供のような仕草でマリーがサムアップをしている。


 お膳に並んでいる焼き鮭は、塩気よりも旨みを強く感じる上品な味わいだ。

 普通の鮭よりも脂の旨みが強いような気がするので、かなりの高級品なのだろう。

 ユウも自分で塩引きをして焼き鮭を幾度と無く作ってきたが、アリゾナで手に入る鮭とは素材の鮮度が違うのかここまで美味しく仕上げられた事は無い。

 ご飯を数回お代わりしてシンプルながらも味わい深い朝食に満足したユウは、テーブルの中央に置かれているニホンの食卓ではとても珍しいものに気がつく。


「このケーキドームは?」


「デザートは生活の潤いですから、朝食では必ず用意しています。

 無くならない内にどうぞ」


 季節のフルーツが大量に載ったタルトは、表面が艶やかにゼラチン?でコーティングされていて実に美味しそうに見える。


「これもアンちゃんお手製?」


「いいえ、手作りですが私では無く馴染みの店から取り寄せたものです」

 アンはタルトを頬張りながら、甘いもの好きな女性特有の幸せそうな笑顔で言う。


 ケーキドームから取り皿にカットを取り分けたユウは、口にすると思わず一言。

「うん、美味しい!」

 様々なフルーツの酸味や甘みと濃厚なマスカルポーネ・チーズの組み合わせは、ユウが食べ慣れている母親が作ったイタリア風のタルトととても良く似ている。


「でしょでしょ?コーヒーはそこにドリップマシンがありますからご自分でどうぞ。

 手動のエスプレッソのドリップのやり方は、フウさんに訊けば詳しくご教授いただけますわ」


 リビングの隅に設置してある業務用エスプレッソマシンを指しながらアンは言った。


 米帝の自宅に同じようなドリップマシンがあったユウはスタンパーを使った手動ドリップの方法も熟知していたが、カプセル式の大型ドリップマシンが隣にあるので無難なそれを使用する事にする。

 エスプレッソカップにドリップした濃い目のコーヒーにブラウンシュガーを入れ、ユウは美味しいデザートと共に久しぶりの『家族団欒の空気』を満喫していたのであった。



                 ☆



 朝食後、無線式のヘッドマウントディスプレイを装着したユウは、リビングのソファでさっそく本題の研修を開始していた。


 ここはCongohトーキョー支社という名称だが、実際には受付すら存在せずデスクが並んだオフィス設備などどこにも存在しない。

 会議室に押し込まれた窮屈な座学を想像していたユウには肩透かしだが、VR画面は鮮明で知識が直接脳に送られるので効率的なのだそうだ。


 様々な情報が目の前で提示されるにつけ、ここ数ヶ月おかしな資料や新聞を地下室でひたすら読み込んでいた理由がユウにもはっきりとして来た。

(これって、まるで『Xファイ●』か『MI●』じゃないか……)


 2時間後、頭を抱える仕草と共にユウはソファの上で脱力していた。

 膝の上には何時の間にか現れたのかピートと命名したばかりの黒猫が当然のように鎮座している。

 辛そうな口調でユウは、近くの応接セットでいつものエスプレッソを美味しそうに飲んでいるフウに尋ねる。


「これって……何かの冗談、Candid Cameraですか?」


 フウは無言で首を横に振り、ユウにもエスプレッソを飲むようにうながす。

 微かに震える手でブラウンシュガーをカップに入れると、ユウは動揺を隠すかのように慌しくスプーンでかき混ぜる。

 甘みと苦味がバランス良く調和したコーヒーの味で、頭にしっかりと定着してしまった浮遊感を振り切って再びユウは尋ねる。


「えっと……どこまでが現実なんでしょうか?」


「ぜんぶ」


「…………???」


「そんなに深刻に考えなくても大丈夫だよ。モノリスみたいな象徴的なモノは無くてもこの惑星を舞台にした恒星間戦争は起きないし、資源や生命を搾取される事も無いという単純な事なんだから。

 それに『プロヴィデンス』の事を深く考える場合は、専門家に尋ねるのが一番だしね」


「……」


「ただしこの惑星に潜入している一部のヒューマノイドは、『プロヴィデンス』の眼の届かない所で巧妙にけしからん事をやっているけどね」


「けしからん事って、一体何ですか?」


「それが昨日のハッキングの話に繋がるんだ」


「そんな悪ふざけみたいな事をしても、この惑星が守られているならば何のメリットも無いと思いますが?」


「他の惑星の内政に干渉したり資源を持ち出す事は不可能だが、簡単に持ち出せるものが一種類だけある。

 それはドキュメンタリーの記録映像だ」


「……」


「ドキュメンタリーの中でも、最も好まれるのはリアルな戦闘の映像だ。特に航空機同士の空中戦は最も人気があるそうだ」


「……」


「ただし現実のドッグファイトは、近代戦では滅多に見られなくなっている。

 そこで惑星上のテクノロジーだけを巧妙に使って、無理矢理状況を発生させる」


「話の大筋は理解できましたけど、それがこの会社の業務とどう繋がるんでしょうか?

 それに私の出向との関連は?」


「米帝には黒服連中の『機関』という奴があるし、ニホンにも小規模ながら『入国管理局』内に同様な組織が存在する。

 そこで手に負えない案件が、ここCongohに委託業務として持ち込まれるんだ。

 まぁ実際に作戦を行うのは、プロメテウス義勇軍のメンバーだが」


「ニホン政府は『入国管理局』ではトラブル対応を含めた業務を捌ききれていない現状から、ニホン国内にも『機関』に相当する直属の組織を編成するつもりだろう」


「……」


「君は自分が思っている以上に、上層部から注目されていたらしい。飛行部隊から追い出されたというよりも、有能だから要員確保のために引き抜かれたんだろうな」


「……」


「内容で頭が沸騰しそうだろ?ちょっと体を動かして気分転換しようか」

 フウはソファから立ち上がると、ユウの返答を待たずにリビングからエレベーターへと向かう。


 ユウは冷めかけたエスプレッソを急いで飲み干してフウの後を追う。

 大型の貨物用エレベーターで到着したのは、細長いトンネルが並んでいる射撃場である。

 奥の2つのレンジは50ヤード付近にバックストップがあるが、手前のトンネルのようなレンジは奥行きまでの距離が遠すぎて分からない。


「随分と奥行きがありますね?」


「見てのとおりライフルのゼロインも出来るレンジだ。ここは大使館敷地内だから法的にも問題無い」


「Congohって会社は、武器とかも扱ってるんでしょうか?」


「いや、そのものは扱っていない。ここはさっき説明したプロメテウス義勇軍専用のトレーニング施設だな」


「義勇軍って?」


「まぁ細かい事は兎も角、まずは防衛隊仕込みの君の能力を見せて貰おうか」

 フウが大型のガンロッカーから取り出したハンドガン一式を、ユウの目の前に置きながら言う。


「まず一番奥のレンジにセットされている、20ヤードと50ヤードのターゲットをそれぞれ撃ってみてくれるかな」


 ユウはマガジンが入っていないK●mberを手に取ると、軽い動作でスライドを引きチャンバーが空なのを確認する。

 続けてスライドを指をかけたままゆっくりとリリースし、ハンマーに指をかけながらトリガーを静かに引きシアが外れるタイミングを確認する。


「かなりチューニングされてますね」

 マガジンを装填し、スライドを引きながらユウはポツリと呟く。

 スライドは氷の上を滑るようにスムースに動き、マガジンリップからフィーディングランプを抵抗無くセミホロウ弾がチャンバーに送られる。


 実のところユウは航空防衛隊では、ハンドガンはおろか89式ですら定期訓練で数発しか撃ったことが無い。彼女が持っている熟練した銃器に関する扱いは、生まれ育ったアリゾナのシューティング・レンジで鍛えられたものである。


「品質は悪くないが所詮はマスプロだからな。多少は手を入れないと」


 ユウは備え付けのイヤマフとシューティンググラスを装着し、リラックスした姿勢のツーハンドでターゲットをポイントする。


 ユウは発射音がまるでシングル・ショットにしか聞こえないダブル・タップの5連射で、まずは20ヤードのターゲットを一瞬にして撃ち終えた。

 手馴れた様子でマガジンを交換し、50ヤードの小さく見えるターゲットには今度はゆっくりと狙って一秒毎に10発を撃ち込む。フウはイヤマフを装着せずに、指を耳栓代わりにしてじっとユウの姿を見ている。シューティンググラスから覗けるユウの眼は、発射時にも瞬き一つせずターゲットを捉え続けていた。


 指定の弾数を撃ち終えたユウは、流れるような動作でマガジンを取り外しスライドを引いてチャンバーを空にする。エジェクターから弾き飛ばされた弾丸を左手で器用に受け止めると、そのまま抜いたマガジンのリップに押し込んだ。


 フウが電動レールを操作すると、殆ど同じ状態の2枚のターゲットが手許に戻ってくる。

 いずれもXゾーンの中央に固まって、非常に小さなグルーピングが作られている。


「サイト調整も無しに撃った50ヤードのグルーピングがこれか。

 これだけの腕前があったら、防衛隊学校時代の射撃訓練で大騒ぎになったろ?」


「航空要員以外の進路は興味がありませんでしたので、微妙にグルーピングを散らして誤魔化しました」


 ユウが米国でハイスクールに通う年齢になった頃、彼女はIPSCと呼ばれるコンバット・シューティングの試合に参加していた。

 母親に何故か参加を強制されていた予備役教練で『生まれ持っての常識外れの射撃能力』が露呈した彼女は、周囲のオリンピックも狙える逸材という騒ぎをよそに射撃という競技に全く興味を持てなかった。

 彼女にとっては幼少の頃父親に手ほどきを受けた『撃ったらかならず満点』の射撃など興味の対象外だったし、当時はグライダーやセスナで飛行技術を学ぶのが人生最大の目的だったからだ。


 しかし人との偶然の出会いが重なって地元のガンショップがスポンサーになってくれるという好条件もあり、装備に多額の費用がかかるアクション・シューティングの試合に彼女は参加するようになった。

 スポーツで不用意に目立ってはいけないと幼少からうるさかった母親も何故か射撃競技に関しては文句を言わなかったし、身体能力に加えて コース攻略に知力が必要なアクション・シューティングにユウも徐々に興味を持つようになっていたからだ。


「ふぅ~ん。

 あっもうそろそろ昼か。今日はピッザなんてどうだ?」


「もちろん大好物ですけど、商店街にそんな店ってありましたっけ?」


「いや、ピッザはわざわざ外では食べないな。生地は仕込んであるからキッチンへ行こう」



                 ☆



 ユウが初めて足を踏み入れたCongohトーキョーのキッチンは信じられない位に広く、様々な厨房機器が並んでいた。

 米帝の大使館には頻繁に開かれるパーティの為に大きな厨房があると聞いた事があるが、見た目が小さな大使館にこれだけの規模の設備があるのは予想外である。


 ユウにとっては見慣れた熱価の高い業務用のガス台は勿論だが、奥火型の巨大なピザ釜やアイスクリームマシン、大型フライヤーまでもが整然と並んでいる様子はまるでリゾートホテルの厨房の様である。

 壁際にはステンレス扉の業務用冷凍冷蔵庫が並んでいるが、その奥にはハウス冷蔵庫らしき大きなドアも見える。

 また中央の作業をするコールドテーブルがとても大きく、複数人がテーブル代わりに使用しても必要充分なスペースが確保されている。


 入り口の手指洗浄機で入念に硝煙を落したユウだが、ピッザの調理に関しては知識も経験も皆無である。

 てきぱきと調理器具と空調の電源を投入していくフウに気後れしながらも、彼女の後を付いていく。


 フウはコールドテーブルの冷蔵ドロワーからラップに包まれたボール状の生地を取り出すと、打ち粉をしながら生地を伸ばしていく。

「こういう風に生地を伸ばして、そうそうそんな感じ」

 見よう見まねで生地を触っているユウだが、過去に蕎麦やうどん打ちを習った経験があるので無難に円盤型に整形する事が出来ている。


「フウさんは、手並みが鮮やかですね」


「ああ、昔ポピーナで毎日やってたからな。

 SID、マリーが部屋に居るなら呼んでくれ」

 トマトソースを大きなスプーンで生地に塗りつけながら、壁面に設置されているコミュニケーターに向かってフウは言う。


「了解です」


 次から次へと生地を作り、トマトソースと手でちぎったフレッシュチーズや様々なトッピングを載せていく。


「こんな沢山仕込んで、食べ切れますか?」


「いや、マリーが来るから問題無いだろう」


「なるほど」

 ユウは昨夜の重ねられた空どんぶりの数を思い出し、即座に納得する。


 専用釜はかなり熱量が高いようで、あっと言う間にクラストに焼き色が付き溶けたモッツァレッラ・チーズの香りが漂ってくる。

 またピッザを専用釜で焼いている間に、油の温度が上がった業務用のフライヤーで冷凍フライドポテトを大量に揚げ始める。


「このフレンチフライって、ファーストフードの店で売ってるのと同じ半冷凍のものですよね?」


「ああ、ラセットバーバンク種の既製品の方が手作りより旨いからな。

 もっともフライ油は成分調整したラードを使っているけどな」


 いつの間にかキッチンに現れていたマリーが、満面の笑みを浮かべてピザの大皿が並べられているコールド・テーブルの上を見ている。

 フウは新しいグラスにワインを注ぐと、手づかみで食べ始めそうな勢いのマリーにナイフとフォークを渡して尋ねる。

「あと何枚焼けば良い?」


「お腹空いてるから、いっぱい」


「ん、了解」

 フウは自分はピッザを口にせずに、生地を追加で伸ばし始める。ユウもピッザを時折頬張りながら、トッピングを手伝っている。

 仕込んであった生地が無くなった時点で、コールドテーブルの上は焼かれたピッザ皿の山になりフウも手を休めて漸く食べ始める。


 基本はトマトソースとモッツァレッラ・チーズ、生バジルが載っているシンプルなマルゲリータだが、数枚はアンチョビやイタリアンソーセージ等の具材が加えられていて飽きてしまわないように工夫されている。付け合せに山盛りにされた揚げたてのポテトも、適度な塩加減でとても美味しい。


 他のピッザと違う焼き方で作られた厚手のマルゲリータをラップして冷蔵庫に仕舞いながら、フウが口を開いた。

「キッチンで出来たてを腹いっぱい食べるのも良いだろ?店だと運ばれてくるまでに時間がかかったり、冷めたりするからな」

 ボトルの白ワインから生ビールに切り替えたフウは、大きめのジョッキをぐいぐい飲みながらピッザをつまんでいる。


「はい。焼きたての生地がクリスピーでとっても美味しいです」

 ユウも小さめのジョッキに自分でサーバーから注いだ生ビールで、喉を潤しながら答える。


(冷蔵庫や倉庫にビールが置いて無いのは、備え付けの業務用サーバーがあるからなんだね)


「米帝のチェーン店のやつは、もっと生地が厚いだろ?」


「ええ、でもこの厚さだと飽きずに沢山食べられて良いですね。

 さっき冷蔵庫に仕舞ったのはアンちゃんの分ですか?」


「ああ、あいつはミラノ風の丸型で焼いた厚手のフライド・ピザが好物なんだ。一枚は取っておかないと臍を曲げかねないからな。

 もう一枚焼いた奴がそこにあるから、興味があるなら食べてみると良いよ」


 手許のピッザを食べ終えたユウは、アルミ鋳物の丸型に乗っている大きく生地が膨らんだマルゲリータを手に取った。

 丸型の底には油が浸透し、裏側が香ばしい感じにザラザラしている。

 開いている皿に型から外した熱々のピッザを移したユウは、大きくナイフでカットして最初の一口を頬張る。


「あっ、美味しい!米帝のパンピッザより、生地が香ばしいこっちの方が遥かに良いですね」


「この丸型を手に入れるのは、本当に苦労したな。それに焼き加減がちょっと難しいから、他のピッザと一緒に焼くのは無理があるんだけどな」


「それにしてもこの厨房はすごいですね。これだけの機器が揃っていると、何でも作れそうな気がします」


「食べることは、生きることの基本だからな」


「あっ、同じことをうちの母が口癖のように言ってました。それにしても納豆製造機まであるなんて」


「ほう、良く知ってるな。ところでニホン料理は相当な腕前だって聞いてるけど?」


「えっ、どこからそれを?」

 ミサワ基地の隊員食堂を内密に手伝ったことはあるが、その情報は部隊内の同僚ですら知っている者はごく少数しか居ない。


「ああ、まぁ風の便りかな……ははは」

 歯切れの悪いフウの物言いに違和感を覚えたユウだが、怪訝に思いながらも会話を続ける。


「私はハイスクール入学時から授業は免除されてましたので、その時間で近所の和食店で修行をしてましたから」



                 ☆



 数日後のナリタ空港、ワコージェット機内。


 機体後部の荷物スペースへ積み込みを終わらせたユウは、仕切りのないコックピットから声を掛けられる。


「ユウさん、コパイシートへどうぞ!」


 フウは既に客席シートに収まってリラックスし、氷の入ったバーボンのグラスを傾けている。

 膝の上にピートを乗せたマリーは、チョコ掛けのプレッツェルを複数足許に並べて準備万端の様だ。

 ピートはユウの傍に行きたそうに小さく啼くが、ユウは喉元を一撫でした後コックピットに入り右側のコパイのシートに腰掛ける。


 アンは目の前のタッチパネルを操作し、離陸前の機体チェック中である。

 大型の高細密液晶パネルが使用された汎用のグラスコックピットはG●rmin社製だが、和光技研製ジェット標準の操縦舵では無くオプションのエアバス風サイドスティックになっている。

 ユウがコパイの席に収まり置かれていたフライトプランに目を通すと、どうやらオワフ島が目的地らしい。


(ちょっと遠出をすると言われて同行したら、いきなりプライベートジェットって。

 このサイズでもニホンじゃ駐機させておくだけで、凄いコストがかかるんだよね)


 官制と流暢な英語でやり取りしながら、アンはエンジンをスタートしタキシングと離陸準備をスムースに進めていく。


 ここ数日の言動から彼女が年相応の高校生では無いのは理解していたが、キャプテンシートでの落ち着いた振る舞いを見ているとやはり驚きは隠せない。

 プロメテウス義勇軍?での階級は中尉だという彼女のコックピットでの様子は、他人が操縦している機体なのに不思議な安心感をユウに与えていた。


 スムースな離陸の後、規定の航路を確認したアンは満面の笑顔でユウを見ながら宣言する。

「それではお手並みを拝見しましょう、You have Control!」


 米帝育ちのユウは『乗りツッコミ』は苦手だが、悲しいかな身についている習慣でスティックに手を伸ばしてしまう。

「I have Control」


 大型LCDには通常必要とされる計器は全て表示されているし、飛ばすだけならグライダーと同程度にコンパクトな機体なので何の問題も無い。

しかも右手で操作するスティックの感触が、扱い慣れたF-2のものと反応が似ていて操縦には全く違和感が無い。

 また懸念していた操縦に対する恐怖心も、広いコックピットのせいかまるで感じない。


「ユウさん、そろそろ高度を上げて下さい」


「了解」


 結局オワフ島までのルートは、オート・パイロットを併用しながらもユウが殆どコパイ・シートで操縦する事になった。

 キャプテン・シートでアンは航路チェックをする以外には口を出さず彼女の操縦を見守っていたが、無事に高度が確保できると遂には客席に引っ込んでしまった。ただチャートに決められた航路をゆったりと飛ばしているだけだが、ユウにとっては事故以来の久しぶりのフライトである。


 高度一万メートルの景色の中で、連日の悪夢で蓄積していた心のモヤモヤが徐々に消えていくような気がしたユウなのであった。



                 ☆



 オワフ島のはずれにあるCongoh私有地。


 ハワイベースと呼ばれているこの施設は、頑丈な金網と有刺鉄線に囲まれてまるで軍隊の駐屯地のような雰囲気である。

 公道に面したゲートは常に閉められたままで、『Congoh私用地』という素っ気無いプレートが表示されている以外には看板らしきものは何も無い。

 敷地内の長い滑走路はタキシング用の走路と合わせて上空から車のテストサーキットに見えるように偽装されているが、ヒッカム空軍基地には当然その存在を知られている。

 偽装は民間機や監視衛星対策であり、米帝とは空域の使用について緊密に打ち合わせをしているので問題は無い。


 敷地内には最上階に管制塔が設置されたホテルを思わせるような建物と、大型の航空機用ハンガーが滑走路脇に整然と並んでいる。

 扉がフルオープンのハンガーでは、到着したばかりの和光ジェットが駐機されているのが見える。


 到着後、ユウは紹介された整備主任という中年の男性に敷地内を案内して貰っていたが、別の整備ハンガーで漆黒の大柄な機体を見て思わず声を上げてしまう。

「これはドラゴン・レディ!……おまけに複座型!」


「うん、AMARGからモスボールされた機体を引っ張って来たんだ」


「良くこんなレアな機体を……ああ、ということはデビスモンサンからですね」


「うん。良く知ってるね」


「ええ、すぐ近所に住んでいましたから。

 それにしても古いとは言え偵察機なんて、良く払い下げ出来ましたね?」


「うん、Congohは米帝空軍とは太いパイプがあるから。

 それに武装があるFナンバーの機体よりは、入手は簡単だったよ」


「何に使うんですか?こんなのを米帝の空域内で飛ばせるとは思いませんけど」


「いや、正式に許可を貰って飛ばしているよ。

 なんせ彼らからの依頼を実行するための機体だからね」


「?」


「はい、これが機体マニュアル。あとこれが与圧服のマニュアルね」


「??」


「グライダーの経験があるって聞いてるから、多分操縦は大丈夫じゃないかな?あとはアンちゃんからレクチャーを受けてね」

 反射的に分厚いマニュアルを受け取ってしまったユウだが、オワフ島に来た理由も何一つ聞いておらず首をかしげるばかりなのであった。



                 ☆



「いきなりで申し訳ありませんけど、トーキョーブランチの正規メンバーがまだ出張から帰りませんのでパイロットの頭数が足りなくて」

 Congohトーキョーより若干広いリビングルームでは、応接セットでアンとユウが早速ミーティングをしている。


「へぇ、まだ会った事が無いメンバーが居るんだ?」


「ええ、ユウさんにお会いできるのをすごく楽しみにしてましたのよ」


「飛ばせて貰えるのは大歓迎だけど、これって操縦が難しいんでしょ?」

 分厚いマニュアルをペラペラと捲りながらユウが言う。


「アビオニクスを入れ替えて後期型より大幅に改良されていますから、操縦自体はとても簡単ですわ。

 翼脚が無いので着陸は神経を使いますけど、その辺りの感覚はグライダーと全く同じなので。

 ただし高高度飛行は経験が無いと操縦感覚が違いますし、与圧服も慣れが必要ですけど」


「複座だけど後席は?」


「このオペレーションではマリーの指定席ですわ。

 彼女は何度も後ろに乗っているので、与圧服にも慣れてますから心配は不要です」


「今ひとつこのオペレーションの意味が判らないんだけど……後席でマリーが受け持つ役割って何?」


「静止軌道に存在するデブリの掃除ですわ」


「えっ……?」


「彼女は特殊な能力を持っていて、物体を別の空間に転移させる事ができますのよ」


「それって、ジャンプっていう超能力?」


「いえ、マリーの保持している『ヴィルトス アノマリア』は物質を違う空間にジャンプさせて質量を消滅させる『エフリクト』という能力なのですわ。

 成層圏ギリギリの限界高度まで昇るのは、高倍率の光学望遠鏡で目視出来る上限まで行く必要があるからですの」


「アンちゃんがこの機体を操縦しないのは何故?」


「私は護衛機として途中までエスコートして、その後は1万メートルで上空待機ですわ」


「その役は私でも良くない?」


「ユウさん、F-16初期ブロックの飛行経験はお持ちですか?」


「グアムの合同演習でちょっと乗ったことがあるけど、滞空時間は2時間位かなぁ」


「でしたらU-2の操縦をお任せしたほうが無難でしょう。それに高高度飛行は是非経験してもらいなさいとフウさんも仰っていましたから。今後も使うF-16の慣熟飛行は、その後にしましょうね」


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎



 翌早朝。


 与圧服姿のユウはドラゴン・レディのコックピットに収まっていた。

 アフターバーナーが無いターボファン・エンジンだが、アイドリングの音がコックピット内に低く鈍く響いている。


「マリー、離陸するよ」


了解(ラジャ)

 子供が戦争ごっこでするような、無邪気な返答がインカム越しに聞こえる。

 大型のデジタル双眼鏡を与圧服の首から下げたマリーは独立したキャノピーの後部席に居るので姿は見えないが、その愛らしい敬礼姿を思い出しユウは思わず頬を緩める。

 思わぬタイミングで緊張がほぐれたユウは、管制のフウに向けてリラックスした口調でアナウンスする。


「イエローピタヤ、ネットワーク接続確認。

 離陸する」

 

「こちらハワイベース管制塔、離陸を許可する。成層圏をしっかりと楽しんできてくれ」


 スロットルを開けた機体は、滑走路でどんどん加速していく。


「V1……VR」


 主翼の両先端に付いていた補助輪が外れ、コロコロと滑走路を転がっていく。

 パワー全開になったターボファンエンジンの唸る様な騒音が、コックピット内に更に大きく響く。


「V2、テイクオフ……」

 かなり長い距離を必要としたが、機体はふわりと滑走路を離れる。


(思ったよりパワーがあるね)

久々のU字型の操縦輪を握り締めた掌が、グローブの下でかなり汗ばんでいるのが分かる。


(相棒、このまま機嫌良く飛んでくれよ)

 ユウは座標を入力してある自動操縦装置をオンにして、操縦輪に入れていた力を抜く。

 機体は指定されたコースを、滑らかな機動でゆっくりと上昇していく。


 数分後。


 操縦席のキャノピーのシェードを動かして、身動きが窮屈なヘルメット越しにユウは空を見上げる。

 太陽光線が強くコックピットに差し込んでくるが、与圧服のヘルメット・バイザーのお陰で眩しさは感じない。

 高度が1万メートルに到達すると、雲海を見下ろしたお馴染みの光景が目に入ってくる。

 コックピットの中はエンジンの鈍い稼動音以外は、何も聞こえない。


 戦術ネットワークはアンの搭乗しているF-16とリンクを行い、周辺のレーダー画像を表示しているが認識できる機影は見当たらない。

 ヒッカム基地が、こちらの作戦開始時間を見越して配慮をしてくれたようだ


「SID、何か音楽を流してくれる?できればNieal Larsenのインスト曲が良いな」


了解(ラジャ)

 先程のマリーの口調を真似て、SIDが応える。


♪High Gear♪


 ギターとシンセのユニゾンのメロディが、タイトなリズムの中に溶けていく。

 メロディがブレイクした瞬間のピアノの旋律が、エンジン音が微かに聞こえる高高度のコックピットの中に静かに響く。

 メロディと共にキャノピーから見上げる空の色が段々と濃くなり、気が付くと頭上は漆黒の闇。

 湾曲した地平線と大気圏の境目がはっきりと見える光景に、ユウは思わず眼を見張る。


「マリー、まもなく目標ポイントです。キャノピー右側仰角45度」

 SIDからの指示が音声で入った。


「ターゲット確認……ユウ終わった」

 ヘルメット越しにデジタル双眼鏡を見ていたマリーがインカム越しにユウに言った。

 予期していた閃光などの派手な光景は無く、空は静まり返ったままのように見える。


「えっ、もう?」


「お腹が空いたから、急いで帰ろう」


「ターゲット消滅確認、ユウさん急いで帰等しましょう」


「了解」

 自動操縦装置をオフにして、ユウは操縦輪を握りなおしたのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 作戦終了後のロッカールーム。


 与圧服の下で、ユウは大量の汗をかいていた。

 フライトスーツ姿のアンに手伝って貰い装備を外していくが、特殊なアンダーウエアでも吸収しきれなかった汗が上腕やウエストの辺りに玉のように流れている。


「与圧服を着ると、私の場合は一回で3kgくらい体重が落ちますわ」


「ちょっとしたダイエットだね」


 脱水症状を防ぐために、備え付け冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクを口にしながらユウは明るい口調で言った。

 初めて体験した高々度飛行の経験は、予想以上の高揚感をユウにもたらした様だ。


 同じように与圧服を着ていたマリーは、殆ど汗をかいていない。

「慣れてるから」の一言で片づけたマリーだが、気密服を脱ぐのももどかしい様子で用意してあったゼリー状のハイカロリー飲料を手にしている。

 容器のキャップを次から次へと開けてパウチ容器を凄い勢いで空にしていくのは、喉が渇いたというレヴェルでは無く飢餓感に囚われている遭難者の様である。


「トーキョー支社みたいに大浴場はありませんが、大型のジャグジーがありますから皆で入りましょう」

 ユウとマリーが着ていた与圧服を専用の乾燥脱臭ロッカーに仕舞いながら、アンが言う。


 アンは自分のフライトスーツと下着を勢いよくランドリーボックスに放り込み、全裸のまま恥ずかしがる様子も無くスリッパ一つで廊下を歩いていく。

 身長はユウと同じ位だが、アンの全身はスリムながらもしなやかな筋肉に覆われている。

 胸は成長過程なのでユウよりも小さいが、桜色の先端は小さめで綺麗なお椀型の乳房は歩いても形が崩れずにしっかりと張りがあるのがわかる。

 ユウもアンダーウエアを脱ぎ捨てると、殆ど体毛の無い幼児体型のマリーと一緒にジャグジーへ向かう。

 航空防衛隊では女性隊員はマイノリティーで大浴場すら使えなかったので、大きな風呂に入るのは本当に久しぶりだ。


「ふわぁ~気持ちイイ」


 普段のお嬢様風口調のニホン語では無いアンが、ジャグジーの水流の中で大きく背伸びをする。

 米語で話している彼女は、ニホン語を話している時よりもフランクに感じるのが不思議である。


「ユウの身体、とっても柔らかくてすべすべ」


「ちょ、マリーくすぐったいって」

 マリーにお湯の中で抱きつかれたユウは、小さな手で身体をくすぐられて嬌声を上げる。


 円形のジャグジーはかなりの大型サイズなので、手をのばして背伸びしても全く問題無い。

 ユウも大きく伸びをすると、顔だけを湯面から出してプカリと浮かんでいる。


「黒猫ちゃんに続いて、マリーにも気に入られましたわね。

 それにしても初めてお会いした時と違って、表情がリラックスしていて別人みたいですわよ」

 アンは水中で器用にストレッチをしながら、ユウに話しかける。


「そんなに酷い顔をしてたかなぁ……」

 水中で大きく開脚しデリケートな場所があらわになっているアンのポーズから目をそらしながら、ユウは答える。


「さっさと防衛隊を辞めて、うちの正規の職員になって欲しいとフウさんは仰ってますわよ」


「……」


「ユウさんのお父様は防衛隊のパイロットだったと伺いましたけど、もしかしてその辺りに拘りがありますの?」


「ううん、私は米帝で育ったから祖国を守るっていう意識は無いかな。

 父さんも愛国心は強かったけど、そんなに所属先には拘って無かったし。

 まぁ防衛隊のファイターパイロットとして、空対空ミサイルで撃墜された伝説を作れたからね」

 ユウは声のトーンを落して自嘲気味に呟く。


「ユウさん、自分を卑下しては駄目ですわ。

 友軍機の皆さんの事を悪く言うつもりはありませんが、最新型のAMRAAMに追尾されて生還できたのは凄い事なのですから」


「……今でも父さんならどう対処したか考えてみる事があるんだ。

 多分父さんならミサイルから逃げずに相対して迎撃出来たんじゃないかって。

 もっと冷静に対処できたなら、友軍機も少しは助ける事が出来たかも知れないんだ」


「空戦で、『もし』を言っていたらきりがありませんわね」


「まぁ……そうかも知れないね」


「後悔があるなら、腕を磨くべきでしょう?ハワイベースに滞在中は、ACMI(空戦機動計測装置)を使った訓練も出来ますし」


「えっ、さっきのアンちゃんのF-16以外にも、乗れるファイター・ジェットがあるの?」


「もちろん。ここは一応Cogohの空軍基地でもありますから。

 地下のハンガーにはCongoh改修のF-16ブロック1が複数隠してありますわ。

 明後日は米帝と調整した空域開放の日ですから、ぜひ訓練しましょう」


「それは楽しみだね!」

 ジャグジーの泡にまみれリラックスしながらも、ユウの最後の一言には漲った強い意志が感じられたのであった。



                ☆



 作戦前の朝食は飲み物とマラサダだけで済ませたメンバーは、早めの昼食のために食堂兼リビングに集合していた。


「これもニホン料理って言えるのか?まるで色の濃いシチューみたいだが」

 ポータブルコンロで加熱されている寸胴鍋の中身を見ながら、フウが疑問の声を上げる。

 スパイスの香りは確かにインド風ではあるが、これだけ濃度があるニホン風のカレーは見た事がないのだろう。


「ええ、ニホンの家庭料理では代表的なモノですね」

 寸胴に入っているカレーを、大きなお玉でかき混ぜながらユウは言う。


 業務用の大型炊飯ジャー2台も既に炊き上がり、追加で急遽用意した揚げたてのトンカツもアルミバットに並べられ準備万端だ。

 またカレールウと一緒に食料倉庫で見つけた、福神漬けとラッキョーのピクルスもテーブルに並べられている。


「それにしてもいつの間に作ったんだ?昨日はブリーフィングとフライトの準備で忙しかっただろうに」


「家庭料理なので、作るのは簡単ですから。

 それにこのニホン式のカレーは、一晩置いた方が味が馴染んで美味しいんですよ」

 深さのある平皿にライスをしゃもじで盛り付け、カットしたトンカツを置いてカレーソースを手際よく掛けて行く。


 ニホンの料理にも馴染んでいるCongohトーキョーのメンバーだが、家庭料理としてのカレーは意外にも未体験だったようだ。

 そう言えば近所の商店街にもインド料理店はあってもニホン式のカレー屋がなかったのをユウはふと思い出していた。


「市販のカレールウを複数ブレンドして、隠し味を色々と入れるんですよ」

 メンバーの前にカレーを配膳しながらユウは言う。


「うちの母親はこのニホン式カレーが嫌いで『美味しいけど、これは料理としてはインスタントで邪道だ』なんて言ってましたけど」

 米帝の自宅では決して母親が作らなかったメニューだが、ユウはニホン料理店のまかないとして頻繁にこのニホン式カレーを作っていたので手馴れているのだ。


「おかわり」

 マリーがあっという間に食べ終え、空き皿をユウに向けて差し出す。

 任務終了後のマリーには出来るだけカロリーが高いメニューが必要というリクエストがあったので、手早く作ったトンカツを載せてカツカレーにしたのだがマリーはとても気に入っている様だ。


「後からフライを追加するなんてジャンクな料理だと思ったが、この堅めのフライの衣がカレー・ソースと一緒になると独特の旨さになるんだな」

 フウはスプーンを進めながら、関心した口調で言う。


「このニホンメーカーの中濃ソースを掛けても、味が変って美味しいですよ」


「赤いピクルスとの組み合わせも、口の中がさっぱりして良いですわね」

 福神漬けを頬張りながら、アンも関心しているようだ。


「久しぶりの料理だったけど、気に入ってもらえて何よりです」

 マリーのおかわりを皿に盛り付けながら、ユウは明るい口調で言ったのであった。


 ⁎⁎⁎⁎⁎⁎


 ハワイベースの広い敷地は基本的に部外秘の軍事施設であり、滑走路もデジタル迷彩が施されて上空から認識出来ないようになっている。

 ただし敷地の一部であるプライベートビーチは施設全体のカモフラージュの意味を含めて目立つコテージが設置され、福利厚生施設として積極的に利用されている。


 前日に行ったフライトで主要任務は終了との事で、翌日は自由行動になったユウは居住施設から歩いて数分のビーチまで一人で来ていた。

 砂浜は清掃ロボットが自動巡回している為か、まるで風景画のような綺麗な状態に保たれている。


 ビーチには当然の事ながら泳いでいる人の姿は見られないが、大きなパラソルの下でビーチ・チェアに横たわる水着姿のグラマラスな女性の姿が目に入った。

 女性にしては肩幅があり、水着に重ね着したカーキ色のタンクトップから見える鍛え上げられた感じは、どうみても民間人には見えないであろう。


 前日のジャグジーでの雑談でイタリアから休暇で来ている職員が居ると聞いていたので、遠慮がちに近づき挨拶を交わす。

 ユウはイタリア語は挨拶程度しか出来ないので、当然ながら現地語である米帝語である。

 ゾーイと名乗った女性は、意外にもイタリア訛りがある米帝語でユウに積極的に話しかけて来た。


「昨日のフライトで、U-2を飛ばしていたのは君か?」


「はい」

 ビーチパラソルの日陰に膝を抱えて座りながら、ユウは質問に応える。


「ぶっつけ本番だと聞いていたが、離陸も着陸も見事だったな。フライト時間はどれ位だ?」


「5千位かと思いますが」


「ほう、防衛隊ではスクランブルもやっていたのか?」


「はい。防衛隊の業務を良くご存知ですね。あなたももしかしてパイロットなんですか?」


「ああ、カーメリという小さな空軍基地に常駐している。

 昔その基地に研修に来ていた防衛隊のパイロットと、DACTをする機会があってね。

 それ以来、航空防衛隊には興味を持っているんだ」


 ユウは研修に来ていたというニホンのパイロットに心辺りがあったが、あえて突っ込まずに会話を続けていく。

 静かに響く波の音と、他愛の無い会話で時間がゆったりと流れていく。


「ところで昨日は、ニホン式カレーを作っていたそうだが?」


「はいっ?」


「香りで気がついた時には売り切れで、食べれなかったのが残念だった。

 君は料理が得意なんだろ?」


「人並みには出来ると思いますが……」


「いや折角オワフに居るのだから、旨いサシミが食べたいんだが自分で捌くのはちょっと難しくてな。

 もしかして君なら魚を捌くのも得意かなと思ってね」


「刺身ですか?調理は出来ますけど、魚の鮮度次第ですね。

 お好きなんですか?」


「ああ、大好物なんだがイタリアの田舎に居るから滅多に食べられなくてね。

 そこのコテージの冷蔵庫にさっき配達された生マグロがあるから、良かったら状態を見てくれないか?」


 ビーチチェアから急かすように立ち上がって歩き出したゾーイに、ユウも苦笑しながらも一緒に建物へ向かう。

 まるで相手が拒否する事など考えてない振る舞いに、またしても自分の母親の事を思い出したからだ。


「へぇ〜綺麗なメバチですね。このサイズだと、刺身だと食べきれない位出来ますよ。

 とりあえず半身だけ捌いておきましょうか?他の料理にも使えますから」

 冷蔵庫にかろうじて収まっていた大きなマグロを見て、ユウは嬉しそうに言った。

 コテージ備え付けのキッチンはトーキョー支社ほどでは無いが、かなり広く設備も食材のストックもそれなりに揃っている様だ。


「じゃぁ、後学のためにここで見学させて貰って良いかな?」


「ええ、どうぞ」


 ユウは先に米を洗って炊飯器をスタートさせると、備え付けの立派な和包丁を手早く砥石で研いでゆく。

 数ヶ月ぶりに握った木製の柄が付いた和包丁は、ビジネスジェットのスティックと同じ位ユウの気分を高揚させている。


 まずマグロ特有の表面の硬い部分を削り取り、中骨を切って頭を簡単に外してしまう。

 そのまま腹の部分に切り込みを入れ、慣れた手付きでマグロを解体していく。

 内臓と血合いを掃除すると、色合いも綺麗でかなり鮮度は高そうだ。

 背びれも外し手際よく解体を続け二枚おろしが出来上がると、背骨のついたままの身と頭は痛まないように吸滴スポンジとラップフィルムで空気を遮断しそのまま冷蔵庫に戻しておく。


「すごいな。イタリアのブツ切りしか出来ない魚屋に見せてやりたい鮮やかな手並みだ」


「ははは、まぁ小さい頃からやってますから」


 話しかけられても集中力を切らすことなく、体に染み付いている庖丁捌きを当たり前の様に披露する。

 かつら剥きした大根で糸のようなツマを作り、腹骨と血合いを取り除いた半身の皮を鮮やかに取り去り小さく切り出したサクを柳刃包丁で刺身にしていく。

 ピッザを載せるようなサイズの平皿に並べた刺身は、エッジが立った綺麗な形で均等の大きさに盛り付けられている。

 刺身だけでは飽きてしまうだろうと一緒に作った和風のカルパッチョと、Congohトーキョーのキッチンにも常備されていた本醸造醤油の小皿もテーブルに並べる。


 ゾーイは自分で冷蔵庫から出してきたニホン製のビールをユウにも勧め、慣れた箸使いで刺身を食べ始める。

「ああ、旨い!やっぱり料理人の腕前でこんなにも味が違うのか!」


「刺身を食べてる間に、他に何か作りましょうか?脂がのってるので和風ステーキなんかも美味しそうですよ」

 ユウはビールで喉をうるおしながら、ゾーイに満足気に答える。


「いやせっかく米を炊いてるなら、スシが食べたいな。イタリアでは本格的な奴は殆ど食べれないし」


「米酢や海苔もあるから基本的なものは出来ますけど……ネタの種類が少なくなりますけど良いですか?」

 冷蔵庫には他に新鮮なイカと、これも大きめのアンバージャック(かんぱち)が入っている。

 さすがに山葵はニホン製のチューブのものしか在庫していないが、大量に使わないならば問題無いだろう。


「ああ、マグロだけでも充分美味しそうだし、巻物を作ってくれるともっと嬉しいが」


「さすがに材料が足りないので手の込んだのは出来ませんけど、あり合わせで良ければ作りますよ」


「ぜひお願いしたいな。あっトーキョー・オフィスのメンバーにも声を掛けておこうか」


「ええ握り寿司だと食べきれない位の量になっちゃいますからね。マリーが居れば大丈夫でしょう」


 米が炊けるまで鮮やかにイカの皮むきをしアンバージャックを捌いていく手際を見て、刺身をつまんでいたゾーイの目がさらに大きく見開かれる。

「ニホン料理については私は全くの素人だが、君の包丁の技術が凄いのはわかるよ」


 大きな耐熱ボウルで酢飯を作り、目にもとまらぬスピードで大皿に作った握りを並べていく。

 手並みが鮮やかなのは、ユウにとって握りずしは父親の大好物であり料理の師匠からも特に熱心に教えを請うた得意料理でもあるからだ。

 巻物は一手間かけて海苔を裏巻きにし表面に白ゴマや鰡子(からすみ)の粉末で飾りつけをしているのは、海苔の黒い色合いが苦手な西欧人向けの技術である。


 その時Congohトーキョーのメンバーと、ハワイベースの数人がコテージに入ってきた。


 ニホンの寿司は好きだが、近所の回転寿司店数店で出入り禁止になっているマリーが目を輝かせて大皿を凝視している。

 マリーが来たので、ユウは安心して寿司を大皿に盛り付けていく。


 後から持ち込んだ日本酒を堪能しながら、ユウの作る様々なニホン食を囲んでパーティは夜半まで延々と続いていったのであった。


 ……



 照明を消した管制塔の中から、ユウはガラス越しに見える夜空を見上げていた。

 ハワイベースはオワフ島の市街地からかなり離れているので、空を埋め尽くす星々がくっきりと見えている。

 ミサワの滑走路から見る夜空も綺麗だったが、市街地や基地の照明が邪魔をしてこれほどまでの満天の星空を見ることは難しいだろう。


 ユウの作るニホン料理を堪能したメンバー達は、すでに自室で熟睡している筈である。

 電源が入っている大型のレーダースクリーンには時折ヒッカム基地所属の機影が映るが、無線はカットしているので室内の静寂は保たれている。


 氷が入った大きめのグラスには、ユウが昨日食料倉庫で見つけた古いラベルのオールドフォレスターがたっぷりと注がれている。

 ミサワ基地ではPX経由で安く手に入れた新しいボトルを愛飲していたが、古いボトルは気のせいか味が柔らかく感じる。


『ユウさん、今日はお疲れさまでした。何か音楽を流しましょうか?』

 SIDがコミュニケーターから、遠慮がちに話しかけて来る。


「うん、この風景に合った静かな曲が良いかな」


♪Stars♪


タイトなリズムのピアノをバックに流れるボーカル。ブレイクした後に静かに奏でるギターのアルペジオ……。


「ここは良い所だね。

 以前合同演習で来た時には、慌ただしくて分からなかったけど」


『観光地ですからね、見所のある場所が沢山ありますよ。

 本島の山頂にある天文台も、Congohのコネが通用しますから見学も可能です』


「へぇ~」

 ユウは地元産らしいヘーゼルナッツをつまみながら、グラスを傾ける。


『ここ数日、Congohトーキョーの一員として過ごしてみてどうでした?』


「うん、航空防衛隊とはまるっきり正反対の環境だから、戸惑う事が多かったかな」

 空になったグラスにバーボンを注ぎながら、ユウは応える。


『正反対とは?』


「情報は作戦直前には末端までしっかりと流れてくるし、個人の力量を信頼して任せてくれる。

 こんな組織は世界中探しても他には無いだろうね。

 ところでSID、フウさんに直接聞き難い事があるんだけど?」


「ああ、作戦に参加しているユウさんの身分についてですね」


「うん……防衛隊から出向している自分が、こんな軍事行動をやってて大丈夫なのかな」


『米帝からの依頼についての作戦に、ユウさんが参加するのは全く問題ありませんのでご心配無く。

 あくまでもCongohトーキョーから派遣された業務委託という扱いですから』


「ただし明日は、米帝空軍とスケジュール調整したプロメテウス義勇軍の演習ですから他言は無用です。

 ユウさん、明日に備えてその辺で……」


 ロックグラスを美味しそうに飲み干したユウに、SIDがAIとは思えないお小言を投げてくる。


「うん、これでお開きにするよ」

 少し呂律があやしい日本語で答えながら、ユウの表情はとても柔らかくリラックスしているように見えたのであった。



                 ☆



 今日は米帝空軍が周辺空域を訓練で使わないので、Congohのパイロットが飛行訓練を行うことが出来る貴重な一日である。


 普段は地下ハンガーに隠されているF-16が2機、早朝から滑走路をタクシングしている。

 F-16に搭乗するのは殆ど初めてのユウだが、複座の練習機は此処にはありませんと言うアンの説明でいきなり実機に搭乗する事になった。

 勿論双方の機体にはCongoh特製の空戦機動計測装置(ACMI)が取り付けられていて、フライト内容はすべてSIDによってモニターされている。


「やっとファイターパイロットとしての実力拝見だな。料理並みの腕前が拝めると良いが」


「無理矢理休暇を取ってまで、イタリアから見に来たのは誰なのかな?」

 フウが含み笑いをしながら応える。


 管制塔ではフウとゾーイが、ソフトドリンクを片手に空戦機動計測装置(ACMI)の制御画面を見ていた。


「初めて乗った機体なのに、切り返しの反応が早いな。

 機銃のサイティングも、アビオニクスを全く使わずに早い。……おい、フウちょっと相談だが?」


「引き抜きは駄目だぞ。

 それにまだ本人が進路をはっきりと決めていないし」


「料理の腕前だけでもこっちに引っ張りたい位なんだが。

 こんな優秀なエイビエイターが、地上に張り付いてるなんて宝の持ち腐れだと思わないか?

 トーキョーでは、作戦で飛ぶことは全く無いんだろ?」


「いやCQCやコンバットシューティングの腕前も抜群だから、彼女は歩兵としても超優秀なんだよ。

 研修に行かせるのは異存は無いが、所属変更は駄目だ。もっとも本人が強く希望するならば考えない事もないけどな」


「それにユウはヨーロッパで暮らした経験が無いから、イタリア語は出来ないと思うぞ」


「スペイン語が出来るなら、直ぐに覚えるんじゃないか」


『フウさん、ご歓談中すいませんがヒッカム基地から緊急連絡です』


 ……


「アン、ユウ君、エマージェンシーだ。

 米帝から緊急連絡で、誤射された巡航ミサイルの処理依頼が来ている」


「ずいぶんと変った訓練シチュエーションですね?」

 ユウが冗談めかした口調で呟く。


「いやこれは訓練では無くて、本番(リアル)だ。

 目標は自爆コマンドを受け付けない状態で、ヒッカムからのスクランブルも時間的に間に合わない。

 米帝の基地や艦艇の迎撃ミサイルは、サーチレンジの関係で確実に撃墜できる保障が無い。

 接触予定時間は現在より4分後。武装は通常弾頭だが、搭載量が大きいのでハワイ本島に落下すると周辺被害がかなり大きい。

 ハワイベースからミサイルを目視出来ないのでマリーが処理する事も難しいし、これからマリーを連れて現場に向かっても間に合わない。状況は以上だ」


 早口で状況説明を行ったフウの切迫感が、機上の二人にもしっかりと伝わってくる。

 どうやらこれは冗談では無く、非常事態が本当に起きている様だ。


「今演習中で丸腰ですよ。どうやって?」


「バルカン砲だけは実弾装填済みなので、演習用の空戦機動計測装置(ACMI)をドロップすれば直ぐに使える。

 それでシュートダウンするしかない。

 残り時間180秒、今すぐ迎撃可能かどうか判断してくれ」


「私は機関砲は下手糞ですから、ユウさん次第です」


「了解。回り込む時間が無いので相対して正面から撃ちます……ACMI投棄。

 バルカン砲、発射可能ステータスを確認。

 SID、真正面に来るように進路を精密誘導してくれる?」


 一切の無駄口を叩かずに、ユウは必要な操作を優先して行う。

 アドレナリンが過剰に分泌されて、体に力が漲っているのが自覚できる。


『……I have control、進路を自動セットします』

 Conogoh独自の戦術ネット経由で機体の自動操縦装置をオーバーライドしたSIDが、レーダー画像から機体の位置を精密に調整する。

 機体は海面すれすれまで急降下し、大きな波が機体にかぶりそうな高度だ。


「ユウさん、接触まであと10秒、コントロールを返します。You have control!」

 コックピットから見える巡航ミサイルは小さな点にしか見えないが、それが徐所に大きくなっていく。


 ヘッドアップディスプレイのレティクルに意識を集中しているユウに、ターゲットと右手のトリガーが繋がったようないつもの感覚が訪れる。

 ユウは躊躇することなくトリガーを短いタイミングで引き絞ると、発射後急速旋回をしてターゲットの軸線上から離脱上昇する。


 ユウの機体から発射された数発の20mm弾頭は、回避機動を取ろうとした巡航ミサイルのエアダクトにスムースに吸い込まれた。

 着弾した瞬間、異音と共にエンジン・ストールを起こしたミサイルは、推力を徐々に失い洋上にあっけなく着水する。


「ターゲット・シュートダウン。着水ポイントをヒッカムに連絡お願いします」


「了解、位置を確認した。速やかに帰等せよ」


「ブラックキャット、了解」


                 ☆



 翌日のハワイベースの朝食では、ゲストが来る予定との事で用意したお膳の数が一つ多かった。

 和食を希望という声に応えて朝食当番になっていたユウが、厨房からワゴンを転がしてリビングに来ると見慣れた顔が応接セットに座っている。


「へえ、案外元気そうじゃない?」


「えっ?母さん、何で?」


 ユウが運んで来たワゴンの御櫃をちらりと見ると、ユウに咎めるような口調で話しかける。


「ユウ、せっかく倉庫に配送された香り米があるのだから不精しないで使いなさい。

 何度も教えてるから、使い方が分からないとは言わせないわよ」


 いつの間にか彼女の足許に体をこすり付け甘い鳴声を上げている黒猫を優しく抱き上げ、頬ずりしながらユウの母親は言った。


「はいご免なさ……じゃなかった、どういう事?」

 フウとアンの二人はいまにも笑い出しそうな表情で、ユウと黒猫を抱き上げている彼女の母親を交互に見ている。


「私が此処に来た時点で、説明は要らないのではなくて。

 ねぇピート?」


「ミヤァ」


(えっ、ピートって?……やっぱり)


 そう、母親から言われるまでも無く、ユウはTokyoオフィスでメンバーと初対面の時点で気が付いていた。

 このピートに不自然なほど良く似た黒猫と、彼女の母親と同じ雰囲気を纏った人たちが居るこの組織が自分と無関係である筈が無いと。

 メトセラのコミュニティから離れて育てられたユウではあるが、母親は彼女の出自を秘密にしていた訳では無いからだ。


「姉妹同然のアイから相談を受けてな。

 Tokyoオフィスでも増員を考えていたから、渡りに船とお前をここに引っ張って来たという訳だ。

 私もアンも、元々お前とは親戚みたいなもんだからな。初日からリラックスできただろう?」


「……」


「それにお前とは実は初対面じゃなくて、米帝に居た頃にも何度か会う機会があったしな」


「??」


「プロメテウス共和国は母系主義だから、アイの娘であるお前には自動的にプロメテウス国籍が与えられている。防衛隊に所属して居たのと同じ位に、お前が此処に居るのは当たり前の事だからな」


「じゃぁこれは、全部母さんの差し金なんですか?」


「私は何もしてないわ。

 ただ古いお友達から連絡があったから、出向を強要された貴方を此処へ送るように助言しただけ」


「メトセラのコミュニティで育ったアイは、自分の出自に子供の頃から違和感を持っていたんだろう。

 自分の子供は普通の社会の中で立派に育てて見せると、口癖のように言っていたよ。

 お前が自分の意思で防衛隊に入ったのも誇らしげに話していたし、その目論見はまぁうまく行ったんだろうな」


「……」


「だが今回の件でお前が窮地に陥っているのを、母親としてはただ黙って見ている事が出来なくなったんだろう」


「この程度じゃ窮地とは言えないでしょ?まぁ自分の娘が冷遇されているのを黙って見てるほど、私は酷い母親ではないわよ。

 ユウ、クリハラさんによると防衛隊では貴方を飛行隊に戻すつもりは微塵もないわよ。

 周りに余計な心配をかけないで、進退についてはさっさと決断なさい」


「……はい」


「よろしい。でこの鮭の焼き方なんだけど……」

 配膳された朝食を食べながらも調理に対して細かい駄目出しを繰り返すユウの母親を見て、アンは俯きながら肩を揺らして笑いを堪えている。


「良かった。これで浮いていたユウのギャラの扱いが楽になったな」


「??」


「プロメテウス義勇軍所属のCongoh職員には、米帝からの依頼の場合ギャラの配分があるんだ。

 給料明細を見て気絶しないように気をつけろよ」


「??」

 この時点では大袈裟な冗談だと思っていたユウだが、後日明細を見た時には気絶こそしなかったが本当に絶句する事になった。


「ところで、ヒッカムの回収班が殆ど無傷のミサイルを見て驚いていたぞ。あの小さい空気取り入れ口を狙ったのか?」


「ええ、相対すれば狙える自信がありましたので」


「あの事件を土壇場で教訓にしたのか!

 全く航空防衛隊の奴らはこんなスーパーパイロットを手放して、後悔する事になるだろうな」


 ハワイ・ベース最終日の朝食の時間は、こうして穏やかに過ぎて行ったのであった。

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