I Will Remember You<1967インドシナから>
Cry & Fight ! [ヴァルキリーは料理がお好き?]のエピソード0(ゼロ)に当たる短編です。
戦争中の航空母艦でのお話ですので、登場人物が殆ど男性なので色気が全く無いお話です(笑)
空母や航空機に関する専門用語が沢山出てきますが、煩わしい解説無しでも問題無く読めるようにはしているつもりです。
それは可能性のひとつ。
とある惑星上の物語。
1967年インドシナ近海。
米帝海軍空母Milkyway所属のジョン・マイヤーは、ハイスクールを出たばかりの新米整備兵だ。
幼さが残る顔立ちだが、体つきはミドル級のボクサーの様にがっしりしていてひ弱さは全く感じさせない。インドシナで勃発した代理戦争は母国に徴兵制度を復活させたが、アルバイトで生計を立てながらハイスクールに通っていた彼にとって反戦運動など他人事でしかなかった。学業と目の前の仕事をこなすだけで彼の生活は精一杯だったし、戦争の善悪など考えた事も無く興味も無かったのである。
だが戦況が泥沼化している現状で陸軍に徴兵され、ジャングルで朽ち果てるのは愛国心がある彼にとっても好ましい事ではなかった。迷ったあげく彼は、保護者である叔父の薦めもあり海軍に志願する事にした。泳ぎは苦手ではなかったし、何より空母から離発着するジェット戦闘機に強い憧れがあったからだ。
新兵教育のブート・キャンプを難なく終了した彼は、艦上勤務を希望し大型空母に無事配属された。
海上での生活には直ぐに適合する事が出来たが、配属された整備部門の仕事についてはそう簡単にはいかなかった。
彼が配属されたのは特殊な研究機を実戦でテストするペンタゴン直属のチームで、整備を担当する人員も秘密保持のため極端に少ない。
おまけに通常ならばショップと呼ばれる各分野で分担されている、機体やエンジン、電子装備の整備をほぼ一括して行う複雑な業務内容なのである。
周囲も本人も怪訝に思っていたが、本来なら習熟したベテラン整備兵が配属されるべき部署に、ジョンのような新兵が配属されるのは珍しい。
ジョンは他の新兵が雑務に駆けずり回っている中、整備チーフ直接の指示で各ショップで整備実務を優先的に学んでいた。
「お前、親戚に海軍の偉い人でもいるんか?」
エンジン・ショップに所属する古参の整備兵が、ジョンに遠慮無い口調で尋ねる。
「いえ、そのような事は全くありません」
ここで特別扱いされている事にようやく気が付いたジョンは、困惑を隠す事なく正直に答える。
「何でも上の命令で、直前に配属先が変更になったって噂だぞ」
「……」
⁎⁎⁎⁎⁎⁎
当初色眼鏡で見られていたジョンだが、わずか数日で様子が変ってきた。
他の新兵が工具の名称や使い方を覚えるのに四苦八苦している中で、ジョンは長期に渡る自動車整備の経験があり様々な工具の扱いや機械の基本メカニズムに習熟していたからだ。
また複雑な組み立ての工程を再現できる記憶力と、粘り強く作業続けられる高い集中力は整備チーフを含む周囲を驚かせた。
艦載機F−4Bの通常整備を各ショップで修行しベテラン整備兵並みにこなせるようになったジョンは、なにかと目を掛けてくれる部隊の責任者から最新技術のレクチャーを受けながら仕事の範囲を広げていった。
本来ならば技術士官が行うべきF−4研究機の整備マニュアル作成を、手探りで彼が始めたのは自らの必要に迫られたからである。
電子制御の装舵系や複数ある特殊なレーダーの整備については、電装担当ショップのベテランに聞いても先進的過ぎてお手上げ状態でありジョン自らが現場で試行錯誤を繰り返す必要があった。
機体の詳細設計書や仕様書を手に部隊の責任者が説明してくれても、簡単には理解出来ないジョンとしては自分のレベルで作業を記録する必要があった。
部隊の責任者から最新式の電子タイプライターとポラロイドカメラを調達したジョンは、整備ハンガーでポラロイド撮影と拙いタイプライティングを毎日の様に繰り返した。
タイプライティングの音が徐々に高速になり整備ハンガーの日常の光景になった頃、彼は異例の早さで新兵からE-3への昇進を果たす事になる。整備チーフから新兵なのに使える奴という稀有な評価を与えられたのは、一重に彼の手抜きが出来ない性格故なのであろう。
☆
場所は変って、空母Milkywayで一番大きな一般食堂。
夕食の喧騒がひと段落した時間帯だが、ローテーション勤務の空母では食堂の明かりが消える事は無い。
広々としたスペースには横長の大テーブルが規則正しく並んでいるが、食事中の水兵は疎らで閑散としている。
「で、細かく切った玉葱、セロリ、人参を良く炒めるんだ。
これが旨みの成分になるから丁寧にね」
食堂のバックヤードでは、ミッション終了後のパイロットがミートボール・ソースのレシピを伝授している。顔なじみの炊事兵が数名、大型の電気コンロを前にしたレイを取り囲んで調理の様子を見ている。
レイ・オールマン。
ペンタゴンから特命を受けて分遣された、空軍大佐である。
飛び級を繰り返し進学した大学で航空物理学と電子工学を専攻した彼は、卒業後に自ら米帝空軍に志願しパイロットになった変り種である。
パイロットとして従軍している傍らエンジン制御や空力設計プログラムの開発で手腕を発揮した彼は、戦闘機の技術的進歩を一気に50年は短縮した天才と言われている。
現在DARPAで自由裁量の開発プロジェクトを立ち上げている彼は、空戦の多い環境を求めてこの空母へやってきたのである。
痩せているというよりも締まった体形の中肉中背、焦げ茶色の短髪。
日焼けした精悍な顔立ちはデスクワークが多いエンジニアには到底見えないし、階級章が付いていないくすんだ色のオーバーオールのお陰で艦内では整備兵と間違われる事も多い。
おまけに今はエプロンまでしているので、周りの炊事兵と共にキッチンの雰囲気に溶け込んでいる。
レイは艦長と同階級の大佐だが、堅苦しいのは苦手な性分らしく着任当初から士官食堂を敬遠していた。
気さくに炊事兵達に声をかけて一般食堂のチーフと仲良くなった彼は、プロ顔負けの料理の腕を披露し今やメニューにアドバイスするまでになっている。
おかげでここの料理が旨くなったという評判で、艦長も士官食堂に行かず頻繁にここを利用するようになってきたらしい。
「牛挽肉は、適度の大きさの固まりになるように鍋をいじらないで。
焦げ目も旨みになるからね」
「レイ、こんなやり方何処で覚えたんだい?
イタリア風のソースじゃこんな作り方はしないだろ?」
フランス料理の技法に関心した食堂のチーフが、メモを取りながら言う。
打ち解けた食堂のスタッフ達は、レイの事を自然にファーストネームで呼んでいる。
「うーん、育ててくれた人が料理をしてるのを見て覚えたのかなぁ。
うちは変った家庭で、子供の頃から食事の支度は自分で出来るように躾けられたから」
鍋に赤ワインを注ぎ込み、手馴れた様子でフランベをしながらレイは言う。
「ところで週末は何人か誕生日があるから、パーティバンドの演奏を頼めるかな?」
「アラートが掛からなければ大丈夫」
パチパチ音がする寸胴鍋に、レイはざく切りにした水煮のホールトマトを大量に放り込む。
木べらで大まかに掻き回しながら、味見をして塩黒胡椒で味を整える。
「これで完成だね。
コクが足りなければ、バターを足せばオッケーかな。
あと、ここでコンソメを入れちゃうと、折角の野菜の旨みが消えちゃうからね」
「今日はもうミッションはないんだろ?
パスタも茹で上がるから、一緒に食事をしてきなよ」
「サンキュー、喜んでご馳走になるよ」
大好評のミートボール・スパゲティを皆で堪能した後、レイは食堂の壁に掛けてあったカラマズーのアコースティック・ギターを手に取った。
パーティではバンド演奏にエレクトリック・ギターで参加するレイだが、普段でもアコギを手にすると彼の周りにはいつの間にか大勢の人が集まる。
今もコーラの瓶を手に持った数名が、歌声に耳を傾けてリラックスした雰囲気だ。
♪Ramblin’ on my mind♪
擦り切れたようなギターの音色、語りかけるような優しい歌声。
オリジナルの泥臭い歌い方とは違うが、コピーではないその澄んだ声色の歌唱は聞いている者の心を揺さぶる。
歌声を聴きつけてやってきた非番のパイロット達も、炊事兵も皆目を潤ませて聞き入っている。
曲が終わると、誰からとも無く大きな拍手が送られた。
「ねぇ、レイさんの演奏ってスローでキーが低めでとても落ち着くんだけど。
レコードだともっとキーが高くてテンポも早いよね」
ブルーズ好きで、日頃からレイと親しい炊事兵がしみじみと言う。
「ああ、R.JのSP盤を再録した奴だよね。
テンポを上げてレコード盤にしてるからあんな感じになってるんじゃない?」
ギターのペグを微調整しながらレイは答えた。
廉価なショートスケール・ギターで、オープン・チューニングは難しい。
「僕にギターを教えてくれた師匠は、生で演奏を聴いた事があったらしくて
こんな感じって教えてくれたんだ」
「レイさんの育った環境の中に、そんな人が居たの?」
ヨーロッパ系の顔立ちで育ちが良さそうなレイの印象から、疑問を抱いた水兵は無遠慮にレイに尋ねる。
「子供の頃から音楽が好きで、近所のクラブとかに一人で出入りしてたんだ。
だからツアーに来た大物ミュージシャンとも、何人か会った事があるよ」
リラックスした雰囲気の中、雑談は続く。
「おっと、もうこんな時間か。
ハンガーに行かなきゃ……そこの余ってるチキンサンド、内緒で貰っていい?」
「夜食?
あっ、ラップかけるからちょっと待って。」
艦内の規則で食堂からの食事の持ち出しは厳重に禁止されているのだが、馴染みのレイに頼まれた水兵はもちろん断れない。
「ありがとう。
育ちざかりの部下がいるもんで助かるよ。
それじゃぁみんな、お先に」
くだけた感じの手首を回す敬礼をしながら、レイは食堂を離れたのであった。
☆
かすかに潮の香りが漂うハンガーデッキは、昼間と違って整備中のF−4BやF−8に埋め尽くされていた。
出撃後の通常整備のために、ジョンは自分のショップで担当する機体が来るのを待っている。
時間を無駄に使う事は勿体無いとの整備チーフの方針で、交換する必要がある部材や工具は全て準備済みである。
暫くしてフライトデッキと直結したエレベーターが下降し、漆黒に塗装されたファントムが牽引車でハンガーデッキにやって来る。
青いジャージを着ている牽引車のドライバーに小さく挨拶して、ジョンは機体を専用の金具で固定し作業に入る。
幸いな事に推力や降着系統は通常のF−4Bと同じなので、この部分の整備は他のショップで修行した通りに行う事が出来る。
部隊秘になる電子装備や操舵系は、このチームの責任者であるパイロットを兼任している大佐の指示待ちだ。
手際良くエンジンと降着系統のB整備を終えたジョンが、最後にアレスティングフックのアクチュエーター動作を確認し始めたがここで彼は妙な違和感を感じたようだ。
この感覚は彼の自動車整備の経験でもお馴染みのもので、隠れた問題点があるのを示唆している。
納得できずにチョコバーを囓りながら何度も繰り返し確認していると、 彼に声を掛けてくるオーバーオールを着た人物が目に入った。
「やぁジョン」
「サー」
「おい、ハンガーでは名前で呼べっていっただろ。
やり直し」
「は、はいっ……レイさん」
「内緒でチキンサンド貰ってきたけど、食べるかい?」
「は、はいっ。ありがとうございます」
食べかけのチョコバーを慌ててポケットに押し込んで、ジョンは器材を載せたカートを押しているレイをチラリと見る。
彼は初対面の時からフレンドリーにジョンの面倒を見てくれるが、本来ならば新兵のジョンが気楽に口を訊けるような相手では無い。
当初もしかして特殊な趣味の人かと心配したジョンだが、遠まわしに尋ねた一言にレイは大笑いで否定を返した。
なんでも女系の大家族で窮屈に育った彼は、男ばかりの空母の中は本当にリラックスできると嬉しそうに笑う。
確かに彼が空母に来てからは誰に対してもフランクで、階級を名乗った事はおろか敬礼をしたのも見た事が無い。
伝統的に空軍に対して対抗意識のある海軍の空母に居ながらも、妙に馴染んでいるのは彼の気さくな人柄による所が大きいのかも知れない。
また薄汚れたオーバーオールのお陰で、彼を古参の整備兵と勘違いしている乗員も多い。
「何か問題があったかな?」
操縦系統への外部電源の接続を確認して、コックピットに乗り込むレイが尋ねる。
言いづらそうな表情を見て、レイが再度ジョンに問いかけて彼も重い口を開いた。
「アレスティングフックのアクチュエーターの動作が自己診断装置のチェックは通るんですが、動き出しの動作が鈍いような気がします。
まだ耐用時間内ですが出来れば交換したいんですが……」
「そいつはフレームまでばらさないと交換できないし、これからC整備をすると明日のミッションに間に合わないか。交換は次回じゃ駄目かな?」
過去にも不良箇所をジョンが直感で発見した事があるので、レイも彼の一言を軽く見てはいない。
耐用時間が明確になるマニュアルが揃っていない環境では、実際に機体を触っている整備兵の直感がとても重要なのである。
ましてや戦闘機の場合ほんの小さな部分の故障でも、パイロットの生死に直接関わってくる。
「……了解ですが、離発艦の時のインジケーター表示に特に注意をお願いします。それからゼネラル・エレクトリックから荷物が来てますけど?」
手許の作業リストにチェック完了のマーキングとコメントを記載しながら、ジョンは言った。
「ああ、改良型の赤外線シーカーだね。
あとでAOショップに持っていってくれるかな?
いつも通り新パーツを取り付けたサイドワインダーは、別管理するのを忘れないように言っておいて」
レイはコックピットから操舵装置の動作確認をしている様だ。
「了解です。
ついでに機関砲の弾貰ってきます。
あと食堂のチーフが、週末のライブはどうしますかって言ってましたけど?」
台車に厳重に梱包された木箱を積みながらジョンは尋ねる。
「ああ、さっき食堂で会ったときに話をしたよ。
いつも週末は作戦が無いと良いのにね」
コックピットから這い出たレイは、主翼の点検口を開いて油圧の調整を始めている。
まるで整備が本業の様に振舞っているが、彼はペンタゴン直結のこの部門の責任者でありテスト・パイロットでもある。
実際に今日も作戦に参加し、友軍機を守って多大な戦果を挙げたとジョンも聞いている。
作戦で疲れている筈の彼が遅くまで整備ハンガーに詰めているのはおかしな事だし、ジョンのような新兵の面倒を親身に見ているのも軍隊の常識からかなり外れている。
また食堂でフライパンを振るって腕前を披露するなど、言うまでも無く士官がやる事では無い。
軍隊の枠に収まらない『生粋の自由人』だが階級が高すぎる上に優秀過ぎて誰も文句を付けられない、それがレイと仕事をしている皆の共通した認識であろう。
「ジョン、この間書いて貰ったレポート良く出来てたね。
操舵系の整備レポートもそのうち書いてもらおうかな」
「ありがとうございます。
大佐、自分はひとつ質問したい事があるのですが宜しいでしょうか?」
「だからぁ、そういう形式ばった言い方は時間の無駄だって。
聞きたい事があるなら、すぐに聞くこと」
「はい。
それではレイさん、この電子制御の操舵系というのはどういう意味があるんでしょうか?
自分はパイロットでは無いので今ひとつピンと来ないんですが」
「現状ではそれ程軽く出来ないし動作も怪しい部分があるけど、多分今開発中の『海軍の可変翼機』以降の機体には必ず採用される技術じゃないかな。
操舵全体を電子制御で行うと、機体に対する限界値の設定やより安定した操縦が可能になる筈。
未来の戦闘機は今よりもっと操縦し易くなるし、もっと簡単に敵を撃墜できるようになると思うよ」
「未来の戦闘機ですか?」
「そう。その開発にかかる期間を短縮できる可能性があるからこそ、僕はここに居るんだ。
実戦を通して鍛え上げた技術は、エンジニアが机上で考えたそれに比べると価値が全然違うからね。
幸いにペンタゴンからのお墨付きも貰ってるから、空中戦がある限りここでテストできるし」
「それに……」
今度はレイがジョンを見ながら言った。
「新しい技術と一緒で、人を育てるのも経験が一番だからね」
ジョンに向かってウインクしてから、レイはにこやかに笑った。
「おおっ、そいは新しい誘導装置だべ!
おめーのサイドワインダーだけ特別なんてずっこいぞ!」
通りがかった、ジョギング中?の恰幅の良いパイロットが酷い訛りで言った。
「デューク、なんなら君も試して見るかい?
まだ実戦テストしてないから、急反転して自分の機体に向かってくるかも知れないけどね」
レイは笑いながら答えたのであった。
☆
トンキン湾上空。
デュークと呼ばれるカニンガム大尉は、誰もが認める優秀なパイロットだ。
豪快で飾り気の無い人柄は誰からも好かれている上に、対地攻撃では部隊の誰よりも優秀なスコアを出しおまけにミグ・キラーの称号まで持っている。
そんな彼も今回の任務では、かなりの窮地に陥っていた。
精密爆撃によってSAM施設に対しては戦果を挙げたが、帰路で想定外のMiG−21部隊と遭遇してしまったのだ。
自機のスパローは近距離にも関わらずにすべて外れサイドワインダーも全て撃ちつくし、現在は武装解除された状態でMiG−21から逃げ回る羽目になっている。
MiG装備の空対空ミサイルは射程が短いので怖くはないが、相手側には機銃があるのでドッグファイトでは分が悪いのである。
必死に逃げ回っているデュークに、お馴染みのゆったりとした声が無線から聞こえてくる。
「こちらLYCHEE ONE。
お~いデューク、手助けは要るかい?」
「おおっ、さっさと何とかしてくれ!!」
「了解。これから例の特別製を撃つからちゃんと逃げろよ!
カウント、3、2、1、FOX2!」
例の特別製という一言で背筋に冷たいものを感じながら、デュークは僚機同士がいつもやるサイドワインダー回避手順で合図と共にMiGから急速反転する。
数秒後コックピットをかすめていた敵機からの曳光弾が、突然止まった。
轟音と共に、視界の隅に機体後部が分解しながら落ちていくMiGが写った。
脱出したパイロットの落下傘も見える。
「今度冷蔵庫を買い換える時には、使って安心のゼネラル・エレクトリック製にしてね!」
無線から冗談めかしたレイの声が響いた。
☆
ミッション終了後、燃料がごく僅かになった機体でレイは着艦体制に入ろうとしていた。
僚機は全て着艦済みで、残ったのはレイの機体だけである。
「LYCHEE ONE、アプローチする」
ランディング・ギアを降ろしアレスティング・フックをセットするレバーに触れた瞬間、滑らかだったレイの動作が一瞬止まった。
確認のランプが点灯しないという事は、フックが所定の位置に降りていないという事だ。
数回スイッチの開閉を繰り返してみるが、アクチュエイターが動作する気配も無い。
「Milkyway、こちらLYCHEE ONE。
テイル・フックに問題発生。アプローチを中止して上空待機する。
再アプローチするから、バリケードネットを用意してくれ」
「LYCHEE ONE了解。準備が出来次第アプローチを許可するので、上空待機をして下さい」
通信士が無線に応答した後に、副長が急いでフライトデッキにネットを張るように伝令する。
数分後。
「飛行長、バリケードネット用の支柱が故障しているとフライトデッキから連絡がありました!」
副長は、かなり焦った様子で飛行長に伝達する。
「周辺に、当艦以外に着艦可能な空母は?」
「ありません」
一瞬考え込んだ表情を浮かべたが、飛行長は即座に副長に伝達する。
「救援ヘリをスタンバイ、用意が出来次第発艦させろ!」
「LYCHEE ONE,こちらMilkyway。
当艦では現在バリケード・ネットが使用不可能。また周辺に着艦可能な代替の空母も無い。
救援ヘリを用意するので、タイミングを計って機体を放棄し脱出せよ」
飛行長は直接マイクを取ると、緊急脱出の指示を伝達する。
「Milkeyway、こちらLYCHEE ONE。
NEGATIVE。この機体の重要性から、放棄して脱出は出来ない。
飛行長、うちのジョンを呼び出してくれるかな?彼と直接話がしたい」
「副長、艦内緊急放送で整備兵のジョン・マイヤーを呼び出せ!大至急だ」
トラブルが起きたとアイランドにいきなり呼び出されたジョンは、アビオニクスの概要設計書を手にヘッドセットでレイと会話する。
「ジョン、既にレーダーや無線の電源はカットしてみたけどアクチュエーターは動いてくれない。何かアイデアはあるかな?」
「大佐、設計書のフローチャートを見ると非常時のシステム再起動後はアビオニクスはバックアップ系に切り替わると記載があります。
非常用のバックアップボードは最低限の動作しか行いませんから更に消費電力は抑えられる筈です」
「飛行中に再起動した場合の問題点は?」
「瞬断ですからエンジンはストールしませんし、他に影響は無い筈です。高度を稼いでから試してみて下さい」
ジョンの語り口は数ヶ月前まで新兵だったとは思えない自信に満ちていて、見守っている飛行長が感嘆の表情を浮かべている。
「了解、残存燃料が少ないから試せるのは一回だけかな。LYCHEE ONE上昇する」
☆
「ところでよ」
ミッション終了後の整備ハンガー。いつもの様にジョギング中に立ち寄ったデュークが、珍しく厳しい表情でレイと会話している。
「うちの冷蔵庫は、もちろんゼネラル・エレクトリック製だよ」
レイはニッコリと笑って言う。
「うんにゃ、そうじゃなくて。
なして大佐が撃墜した数が公式記録にのってねーの?おめーっち、もう20機近く落としてるだろ。えれー勿体無いし不公平だべ」
いつもと違いデュークの表情は真剣で、ちょっと怒っているようにも見える。
「うちのチームはペンタゴン所属の非公式部隊だから、撃墜記録は残せないんだ。
それに実戦テストが主目的だから、残した戦果はまぁ参考程度だね」
「参考って?
うんにゃ、おいを含めておめーに助けられた連中はそうは思ってないずら」
「それは光栄だけど……」
微笑を浮かべながら、レイは遠慮がちに答える。
「僕が此処にいるのは近代戦闘機の技術革新を行うためで、戦闘に参加しているのもヒーローになるためじゃなくてテストの為だからね。
もちろん友軍機を助けるのは当然だけど、危ない状況から生き残れるかは今日のデュークみたいに本人次第じゃないかな?
絶望しそうな状況でも決して諦めない人には、活路が開けると僕はいつでも信じているよ」
「ましてや戦果を上げて部下を一人でも多く生きて帰れるようにするのは、上官の当たり前の義務だからね。もしかして僕を大佐だと思ってないでしょ?」
レイは階級章などもちろん付いていない薄汚れたカバーオールの襟の部分をひらひらと持ち上げて、デュークに見せる仕草をする。
「それに今日無事に帰等出来たのは、優秀な部下のお陰だしお互い様って所かな」
レイはジョンに向き直って、小さくウインクをした。
今ひとつ納得していない表情でデュークが去っていった後、ジョンは小声で作業中のレイに話しかける。
「レイさん、何故自分をアイランドまで呼びつけたんですか?
自分にわざわざ聞くまでも無く答えはお解かりだったと思うんですが」
「僕がこの艦を離れた後、ジョンのキャリアがマイナスになると困るからね。
有能なところを飛行長にもプレゼンしておけば、別のショップでも活躍できるだろう?」
「……」
「ところでジョン、自己診断装置以上に機械の調子が判るというのは誰にでもできる事じゃないんだ。
電子装備を含めて機械と対話できるというのは、技術の習熟じゃなくて才能の部分だから」
「対話……ですか?でも今回は偶々運が良かったんだと」
「いや、偶然とか運では無いよ。
君の自動車整備工場での仕事ぶりも叔父さんから聞いているし、覚えてないかも知れないけど僕のシェベルの修理も見事だったしね」
一瞬何の事だか判らなかったジョンだったが、数ヶ月前の出来事を思い出し驚きの声を上げる。
叔父の知り合いから持ち込まれた、厄介なV6エンジンの事を思い出したからだ。
純正ディーラーのベテラン・エンジニアもお手上げだった気難しいエンジンを、苦労して調整したのは達成感と共に鮮明な記憶としてジョンは覚えていた。
「……あれはレイさんだったんですね」
破格のチップを渡そうとするサングラス姿の客に断りを入れた時も、ジョンはエンジンの調子が気になってその顔を良く見もせずにそっけない返事を返したのである。
「うん。空母に分遣されるのが決まってから、頭が柔らかい有能な部下が欲しくて君の事を思い出したんだ。
君の叔父さんから海軍に志願する事も聞いていたしね。もっともあの時の借りはぜんぜん返せていないし、溜まる一方だけど」
「いえ、そんな事は無いです!街で働くのは嫌ではなかったですけど、ここに来れて……何ていうか毎日がとても充実しているように思います」
「そう言って貰えると嬉しいな。
これからも今のまま地道に頑張れば、きっとこの艦一番の整備兵になれると思うよ」
レイのこの一言は、気さくな感謝の言葉とともにジョンの脳裡に深く刻み込まれたのであった。
☆
レイが空母を離れペンタゴンへ戻った後も、ジョンは空母勤務を延長し続けMilkywayに留まった。
レイの教えと共に働いた経験を踏まえて、睡眠時間を削り怠惰の誘惑を振り切り彼はコツコツと努力を重ねて行った。
レイから薦められた工学関連の夜学講座を毎年受講し、Aスクールにも積極的に参加して、自分の担当分野以外の技術や知識を貪欲に吸収し続けた。
機械との対話が本当に出来ているかどうかは本人にもさっぱり判らなかったが、いつの間にか彼の整備技能の高さはCVW−5の中でも群を抜くものとなっていた。
嫌な上司や同僚、鼻持ちならないパイロットの横暴とも言える注文、そんな中でも彼の整備に対する姿勢は変らない。
彼が扱っているのは敵の命を刈り取る兵器であると同時に、味方の命を守る大事な盾でもある事を彼は片時も忘れた事は無かった。
数年に一度訪れる長期休暇では、レイと会って近況を報告しアドバイスを受けた。
Milkywayに留まり続け好きな整備業務を存分に続ける事が出来たのは、軍の上層部に強い影響力があるレイのお陰だったかも知れない。
☆
1992年ヨコスカ。
今日、ジョン・マイヤーは海軍退役(予備役就任)の日を迎える。
空母Milkywayの廃艦が決まり、艦と共に長かった海軍生活にジョンもピリオドを打つ事にしたのであった。
肩書き上は予備役になるので中東で戦争でも始まれば呼び戻される可能性はあるが、艦自体が退役するのでその可能性はかなり低いだろうとジョンは考えていた。
顔付きは今でも童顔で若々しさを感じさせるが、その表情には重ねてきた歳月の重さが垣間見える。
彼の階級はE-9。
下士官の最上位マスターチーフであり、整備部門の総責任者である彼は五十歳を前にして誰からも畏敬を持って見られる人物になっていた。
停泊中のMilkywayのハンガーデッキは人が疎らで、置かれている機体もC整備中のものに限られている。
退役前の最後にハンガーデッキの中をゆっくりと歩くジョンの目に、艦長と連れ立って歩く空軍の制服姿の人物が目に付いた。
豪華な略綬が並んだ胸元とは違って、その若々しい表情はどうみても20代にしか見えない。
艦長と空軍士官に向かって、ジョンは生真面目に敬礼する。
「サー」
「マスターチーフ、こちらは国務省DARPAからの視察で……」
「艦長、ジョンの事は良く知っています。今日来たのは彼の退役を見届ける為ですから」
艦長の驚きの表情を見ながら、空軍士官服姿のレイはニッコリと笑った。
☆
2012年オワフ島。
Congohハワイベースの整備ハンガーで、ジョンはいつもの様に整備をしている。
軽やかに作業をするその姿は控えめに見ても40代半ばといった所で、表情は実に若々しく精気に満ちているのがわかる。
現役時代触ることができなかった海軍以外の機体や、多くのモスボールからレストアを行う作業。
デスクワークが苦手な訳では無いが、整備が天職とも言える彼にとってやりがいのある仕事は幾らでもある。
ある種の偶然が人生の道筋になったことを、彼は僅かでも後悔したことが無い。
多くの幸運な出会いが彼という人間を創り、そして今がある。
Congoh社員に提供されている世界最高水準の医療技術は易々と彼の加齢を押しとどめ、蓄積された豊富な経験そのままに仕事を継続するのを可能にした。
数年前に結婚して出来た娘は、ハワイの穏やかな環境の中で元気に育っている。
そして今日は久しぶりに彼の恩師とも呼べる人物が、トーキョーから訪ねてくるらしい。
工具を手にした袖口で汗を拭いながら、ジョンは整備ハンガーの大きな天窓越しに青い空を見上げる。
ヒッカム基地所属のF−16が、アフターバーナーの轟音と共に飛行機雲を残しながら去っていく。
陸の上の仕事も悪くない、彼は心からそう思ったのであった。
お読みいただきありがとうございます。