8話 少年
その子供は、屋上口から対角隅の位置にいた。広告の看板で死角になっていたみたいだ。フェンスをよじ登ったのか、気持ちよさそうに風を受けながら両足を宙にぶらつかせている。
一歩一歩音を立てず近づくにつれ、子供がいるフェンス付近まで残り一メートルまで接近していた。
「ふーーふふーふー……」
鼻歌が止まりくるっと子供の頭が望の方向へ。お互い視界に入る。その瞬間ピタっと望はその場に硬直した。言葉すらでない。話かけるべきかまだ思考していた。先に声をかけたのは子供だった。
「え?」
「え?」
望は思わず復唱してしまった。二人の第一声が「え?」という間抜けなものであった。しばらく沈黙したのち、子供が切りだす。
「ボクの姿が見えているのか少年?」
望は緊張が解ける。どうやらいきなり襲いかかるような攻撃性がない事と、言葉が通じるという安堵。
「……うん、見えてるけど……」
「どうやら、ボクの声が聞こえてるから本当みたいだ……」
声が聞こえたら見えている。理屈が理解できないで黙っている望に対して更に子供は云う。
「めずらしい人間だ。どのような背景でそうなるんだ」
このセリフに背筋が凍る。子供は望を人間と言い切った。それは自分が人間ではないという意味も含んでいる。勿論、人間で相手を人間と発言する人もいるかもしれない。望は確認する。
「えーと……君は人間じゃないのかな?」
「人間ではない。ボクはボクだ」
意味不明な発言だったが、望は未知なる生物だと即座に理解する。子供も望の存在は不気味であった。だがこの人間には敵意がないのを認識していた。敵意が僅かでもあればこの場を離れていただろう。
「そ、そうなんだ……それで君は何で……その……他の人には見えないんだろうという疑問があって……えっと……僕が見えて……」
子供は二メートルはあるフェンスを、ぴょんと飛び越え望の目の前に来る。
「少年。落ち着け。しどろもどろだぞ?」
「いっ!!」
人間じゃないと理解していても、人間離れした行動に腰を抜かす。帰ればよかったと後悔先に立たず。
「おお、悪い悪い。驚かせてしまったか少年。――ボクに敵意はない。安心しろ」
真意なんて確認のしようがない。敵意がないならと望は疑問をぶつける。
「……うん、わかった。どうして君は他人には見えないの?」
「見えない存在だから。……そうでもないか……説明すると長くなる。一問一答を交互にしようか少年」
「そ、そうだね。それじゃあ次は君の番で……」
「少年はなぜボクが見える?」
確信の質問すぎて望はまた沈黙する。ここで蟲目を伝えていいのか迷うのであった。理由は簡単で子供には蟲目が見えていないだろうからだ。見えていれば人間と断言しないだろうし、目の疑問が先にくるだとうという望の解釈であった。
「……わからない」
嘘ではなかった。蟲についての知識など少なく断言はできない。
「そうか。では少年の番だ」
子供は疑念を抱く感じではなく、無表情で落ち着いた様子であった。
「さっき、『見えない存在』って言ったけど、そうでもないって意味は?」
「誰でも見えるようにもできる。ボクの最後の質問。何を隠している?」
またしても確信を突く質問であった。しかも最後の質問と言い切った。この後どういった展開か読めない望は、涼加の言葉を思い出しストレートをぶつける。
「蟲目」
「蟲目?」
子供は怪訝に復唱した。
「……うん。僕もなんなのかわからない。この蟲を調べていくうちに君に辿り着いた」
「蟲か……詳しくないな。それは目に寄生しているのか?」
「わからない……昔にそうなって……多分この影響で君が見えていると思う」
「ふぅん。少年。相手がボクでよかったな」
理解できない望に対し、子供は安易に他言してはならないと忠告した。運が悪いと稀少なものとして目を抉りだす輩もいると。
「それは……君なら大丈夫と感じたから……悪いやつには見えなかったから……」
ハハハハッと大笑いする子供。少し蔑むニュアンスを含めていた。
「いやー。愉快。良いやつに見えたか。だから日本は面白い。……まあいい。その蟲目は片目なのだろ? どっちだ?」
望は疑問の山であった。なぜ大笑い。なぜ日本が面白いのか。なぜ片目と断言できるのか。望は様々な疑問を一旦置いて答える。
「右眼が蟲目だよ」
「なるほど。それでは右眼で見るとボクが見えて、左目だと見えないのか」
「なんでわかったの?」
「長く生きているとわかる。それだけだ少年」
どうみても十歳くらいだが、年齢より気になる現象が目の前で行われていた。子供の髪が伸びだし、顔つきが若干変わっていくのだ。
「え? なっ!! なになになになに!? なにこれ!?」
望は後ずさり尻餅をついた。子供が少年から少女にメタモルフォーゼしたのだ。
「はじめまして。ワタシを左目で見たら驚くよ?」
声も変化していた。左目で見るより先に、この現象が一番驚いた望だった。