2話 対話
望は蟲目になったことが不幸だとか不運だとは思っていない。全て自分が起因であると受け入れる。分析すればわかるであろう事柄。そこから分散できる責任。自己負担を少しでも減らそうはとしない。そういった思念は呪縛に囚われている。土筆という精神的呪縛。蟲という異物的呪縛。――その思考が涼加と出会い、徐々に変化していくのであった。
◇ ◇
初対面の人物から、意表を突く的確な質問に思考は硬直するも声だけは自然と発した。
「え!?」
「いやー素直だなー、ビックリだよ」
涼加は背筋をピンと伸ばし、若干満足げな顔つきであった。
望は想定していた会話と違い、冷静さを欠けていた。他愛もない会話しか想像していない。経験上、このようなことは一度もない。冷や汗がこめかみから伝ってくる。対応と呼べるのかわからない沈黙が続く。
「もう黙らないでよ。ごめんごめん。もうしないから」
「…………しないってなにをですか?」
「対話遊びだよ。対話遊び」
涼加は――対話遊びと言い放った。
「対話遊び? 冗談や、からかいのたぐいですか?」
「冗談でもからかったのも違うのだけど。対話だよ対話」
まったく理解できない望の視線は不安定になり、焦点が定まらない。
「やっぱりわかんないか……私の趣味みたいなもの。対話を楽しんでいるだけ。なんか混乱してそうだけど大丈夫?」
望は涼加の一言一言に胸打たれる。「全部知っているんだぞ」という恐怖心。蟲目は誰にも見えないはずで他人からそれらしい指摘など一度もない。
「いや、女の子と二人きりなので緊張してるだけです……」
それらしい嘘を安易についた望だが逆効果であった。
「なんで嘘つくの? 本当に大丈夫?」
安直すぎたにせよ、この見抜きようを望は異様に感じる。そんな望に一つ浮かぶものがあった。恐る恐る訊いてみる。
「……読心術でもやっているんですか?」
「そうゆうの習ってないし、勉強もしたことないよ。やっている自覚もないけど……たまにそう言われる。不愉快にさせてたらごめんね……もうしないから」
他人と接しない望にここまで介入してくる人物が、少年時代以降はいなかった。一気に安堵すると同時に疑問の閃きが浮かび上がる。
――なぜばれたら駄目なのか?
もしも、知見できない蟲目に気づく人がいれば、問題を解決する糸口なのではないかという逆転の発想。解決しなくとも蟲の情報を聞きだせるかもしれない。望は危険を含む可能性も承知しているが、応用力を身につければもしかすると……目から蟲ならぬ、目から鱗だと思った。
「虚心さん!!」
「ひゃん!」
ビクつく涼加。椅子に座っていた尻が一瞬、浮き上がる。望は椅子から立ち上がり、スポーツドリンクの厚めなアルミ缶を強く握りしめへこませた。
「あっ……い、いやぁ……はい……なんでもないです……」
恥ずかしそうに椅子に座りなおす。涼加はどうしたのと訊くも、その後の望は曖昧な返答を繰り返し濁す。
――望は可能性に興奮していた。
しかし、望のいう蟲目に気づく人というのが、今までの人生でいなかった。いたとしても、有無も言わさず実験室行きというベタなオチ――などの思考は今はなく気づかない。
望本人が気づいてないことは沢山あった。
――ストレス。蟲との共存生活で、常に不安定な精神状態。なのにほとんどストレスは溜まっていないのである。
――怒りの感情。起因が自分にしろ理不尽さを感じれば僅かでもあるはずだ。しかし、蟲目になってから怒った記憶がないのだ。
これらの一因で冷静さを保っているのもあった。
気づけないとは別にやりようもあった。蟲目の観察である。望本人なら鏡ごしに視認できるので日々、記録を残すなりできた。蟲目が騒いだ時の状況分析などもできた。夏休みの定番である蝉の観察日記。望に置き換えれば蟲目の観察日記だ。
望は基本的に物事を受身で捉え思考する。そこに確信めいた刺激を与えた涼加。
友達や親しい人をもたず、他人とはなるべく接点をとらなかった。一人だけの独特な世界観に、確信めいた発言で進入してきた来訪者。望は他人から初めて影響を受ける。
望の個人的事情と涼加の個人的趣味がうまく嵌ったのだ。
その後、望は難なく初仕事を集中してこなした。時刻はバイト終了時間の二十二時になっていた。
「お疲れ様でした」
望がタイムカードを押すと、涼加も同じあがり時間であった。
「お疲れ様、最善くん。どうだったレジ? すごく集中してやってた感じ受けたけど」
「安心してできました。ありがとうございます」
安心という言葉に違和感をもった涼加だが、そのあとお礼の言葉で、指導してもらいという意味だと解釈する。
望からの指導とは、レジの指導であり、蟲目に関わる糸口である指導の両方であった。あとは集中して精神が安心という意味も含めての――安心してできました。この発言の変化に望本人は無意識。他人に、しかも初対面に対して言う台詞ではなかった。望は無意識だが涼加の対話遊びに期待していた。
「そりゃよかった。最善くんは電車で来てるの?」
微笑む涼加。彼女も彼との出会いによって、変化するものがあった。
「はい。三駅目の万丈駅です」
「なんだ、私二駅目の官寺駅だよ。路線も方向も一緒だね。だったら一緒に帰ろうよ?」
嫌です。と答える人はいるのだろうかと感じた望だが、「はい」と単調に答え、二人で駅に向かうのであった。