7話:過去の幻影
さて、他の、人(でいいのか?)と契約しようとも考えたが、今のところは、やめておきたいと思い、今日は帰ることとなった。
家に着き、ベッドで眠りにつく寸前、契約の時の、キスの部分だけが何度も何度もリピートされて眠れなかったのは言うまでもない。
翌日、眠い目を何度もこすりながら、ふらついて、あちこちよろけながらも教室にたどり着いた。たどり着くなり、俺は、机に突っ伏した。眠すぎる。
「よお、なに寝てんだ、フウキ」
「眠いから寝てんだよ。安眠妨害で訴えんぞ、後藤」
そんなくだらないやり取りをしていると銀朱の煌きが目に入った。
なんだ、シリウスか……。
そう思い、再び机に伏したところで、
「し、シリウスさん、何やってるんですぅぅ!」
と言う声が響いた。
「うるせぇっ痛ぇ!」
うるさいから怒鳴りながら顔を上げたら何かに頭を打った。
「きゃっ」
どうやらぶつかったのはシリウスらしい。
「痛ぇな~。んだよ、何してたんだ?」
シリウスに聞く。
「マイマスター、私は、ただ、一緒に……」
尻尾をぶんぶん振り回し、身体をくねくねとし、頬に手を当てて、……何やってんの?
「はあ、とりあえず、学校でマスターとか言うな。色々と面倒だ」
と小声で、伝えてそのまま席に着かせる。席に着いたあとも、ちらちらこっちを見ては、可愛らしく笑っている。
そんな様子に耐えかねたのは、俺ではなく後藤だった。
「おい、おいおい、おいおいおい!どういうことだ。何があったんだよ。ありえねぇ……」
何を言っているんだ、この阿保は。
「五月蝿いぞ、黙れ。そんなんだからお前は……」
そこで、どうしても眠くなって欠伸をする。んで、何だっけ?
「そんなんだから、何!?めっちゃ気になるんだが!」
「いや、何言おうとしたのか忘れた……」
はあ、全く……。どうでもいいが、後藤は、この学校では、珍しく、俺と同じ中学の出身だ。ほとんどの生徒が別の学校へ行く中、俺は、適当に決めたこの高校に入ったのだが、何故か、後藤もついて来た。だからか、いつもふざけたやり取りが出来る掛け替えのない(こともない) 悪友だ。
「全く、お前ってやつは…。それで、ホントにどうしたんだよ。お前が女に興味持つとは……」
「どうも、しねえよ…」
俺は、中学の時、彼女がいたのだ。それを知っている奴だからこその言葉だろう。あいつと俺の最後を知っている奴だからこそ、そんな言葉が出てくるのだ。
「俺は、別に、コイツとそんな関係じゃないんだ……。ただ……」
なんとなく、ほっておけない。
あどけなさ過ぎて、純真過ぎて、美しすぎて、それでいて壊れやすそうで。
そして、そんなよく分からない気持ちを抱えたまま、ホームルームに突入してしまう。そして、話もろくに聞かないまま、授業、昼休みと時間が過ぎて行ったのだ。
しかし、不意に、昨日と同じ、頭が躑躅色に塗りつぶされる感覚に襲われる。な、なんだ……。ま、まさか、獣人が襲ってきたのか?そう思い、顔を横へ向ける。だけれど、シリウスは、ただ、一生懸命に授業を受けているだけだった。じゃあ、コレは一体……。
―――……キ。……ウキ。……フウキ。聞こえるかしら……。
とくんとくんと心音が聞こえる。
この感じ、この気配、この声、この匂い。
すぐに分かる。分かってしまう。
何故か?それは愛しいからだ。
「八雲……」
俺の声に、世界が完全に躑躅色に塗りつぶされた。
そして、目の前にいるのは、三縞八雲。
まるで夜の空のように黒い髪と宵闇の如き黒い瞳。
健康的な色の肌。
全体的に整った顔立ちの少女。
そう、シリウスほどではないが、十分に美少女と形容できる少女。
そして、俺が愛した少女。
「フウキ、久しぶり、ね」
綺麗な、そして艶美な唇から声が発せられた。
「ごめんなさいね、あの時は。わたしにも、使命があったから。でも、今はもう、その使命も潰えたの……。貴方のせいでね」
あの時とは、きっと、去年の三月の末日、彼女が、俺の元を去った時の事だろう。
あの時、俺は、まさに愛し合っていた。でも、彼女は急に、「ゴメンね……。フウキ」とだけ言って俺の元を去った。それから、一度たりとも会っていない。
使命、そう言った。その使命とは一体、何なのだろうか。コイツは、一体何をしているのだろうか……。
そこで、ふと、顔を上げた。すると、目の前に広がっていたのは、先ほどと変らない光景。一生懸命勉強しているシリウス。完全に寝ている後藤。その他、全てが先ほどと変らない教室の風景だった。
気のせいだったのか……?そう思った俺の耳の奥で、さっきの「貴方のせいでね」という部分が何度も繰り返されるのであった。