第七章:聖母の吸命と過剰摂取(オーバーフロー)
王都の石畳を、かつてない地鳴りが揺らしていた。
それは、これまで支配される側でしかなかった「奉仕種」たちが、初めて自らの足で刻む反逆の足音だった。
九条蓮は、数百人の若者たちの先頭に立っていた。右手の紋章は、もはや九条一人の魔力を示すものではない。背後の若者たち一人一人と、目に見えない「介護の導線」で繋がり、彼らの静かな怒りを集約する巨大なネットワークのハブと化していた。
「九条……見えるか。あの女の魔力が、王都全体の生命力を掻き集めて……肥大化している」
隣を歩くゼノが、吊った右腕を庇いながら鋭い視線を大聖堂へ向ける。
聖華大聖堂の周囲には、王都直属の親衛隊――禁忌の薬物で全盛期の筋力を維持し続ける「狂老」たちが壁を成していた。
「奉仕種どもが! 聖母様の御前に、その汚れた足を運ぶな!」
狂老たちが一斉に抜剣し、超人的な速さで突進してくる。
かつての九条なら、一人でそれを迎え撃ち、その身体的欠陥を突いていただろう。だが、今の彼は違う。
「――第一陣、『面会制限』。奴らの重心を奪え」
九条の号令とともに、最前列の若者たちが一糸乱れぬ動きで展開した。
一人の老人の突進に対し、三人の若者が「三角形」の陣形で取り囲む。一人が杖を払い、二人が脇に潜り込んで支点を作る。
九条がスラムの三日間で叩き込んだ『集団トランスファー(移乗技術)』の応用だ。
「な、なんだと!? 力が……入らん! 重心が浮いている!?」
「数で勝る俺たちが、あんたたちの『支持基底面』を奪えば、どんな剛腕もただの棒切れだ。……そのまま寝てろ。あんたたちの『夜勤』はもう終わりだ」
暴力的な破壊ではない。流れるような連携によって、最強を誇った親衛隊は、文字通り「赤子をあやす」かのように無力化され、石畳に組み伏せられていく。
九条たちは、その阿鼻叫喚の壁を突き破り、ついに『慈愛の間』の扉を蹴破った。
大聖堂の内部は、以前にも増して「甘い腐敗臭」が濃くなっていた。
玉座に座る聖母エレナは、侵入者たちの数を見て、わずかに眉をひそめたが、すぐにその冷酷な慈悲の笑みを戻した。
「……あら。あんな汚泥の中に捨てたのに、まだ這い上がってきたのね。しかも、そんなにたくさんのゴミを引き連れて。……九条蓮、忘れたの? 私の前では、あらゆる意志は無に帰す。この子たちが何百人いようと、私にとっては『あやすべき赤子』が増えただけに過ぎないわ」
エレナが両手を広げる。
次の瞬間、あの絶望的な『聖母の揺り籠』が発動した。
若者たちの全身から力が抜け、数人がその場に泣き崩れそうになる。九条の脳内にも、全てを投げ出したくなるような、暴力的なほどの安らぎが流れ込む。
「……ぐ、ぅ……。……伊藤さん、準備はいいか」
「……ああ。……いつでも、始められる」
九条は、震える手で背後の若者たちの肩に触れた。
「エレナ……あんたは言ったな。俺たちの意志を『赤子の産声』として吸収するって。……なら、教えてやる。……一人なら産声だが、数百人集まれば、それはあんたの鼓膜を破る『絶叫』に変わるんだよ!!」
【スキル発動:『地域包括的叛逆』】
【ネットワーク接続:接続数 342名……魔力同期、開始】
九条を中継点として、数百人の若者たちの「記憶」と「苦痛」が、一つの奔流となってエレナへと逆流し始めた。
エレナが吸い上げようとする「甘い魔力」に混じり、若者たちが泥を啜った記憶、親を殺された怒り、爪を剥がれるほどの労働の痛みが、純度の高い「毒」となって彼女の体内へ注ぎ込まれる。
「な……なに、これ……!? 苦しい……汚い……! 私の慈愛が、汚されていく……ッ!!」
「あんたの『全肯定』の器には、容量があるはずだ。……数百人の人生の重みを、その細い体で受け止めきれるか!? 判定してやるよ、エレナ。……あんたの容量、もう限界だ!!」
【レベル、限界突破:85→92……98!!】
【スキル:『多職種連携・看取り執行』】
エレナの白い肌が、内側からボコボコと不気味に隆起し始めた。
吸い込みすぎた負の感情が、彼女の精神的浮腫を極限まで悪化させ、心臓に壊滅的な過負荷をかける。
「やめて……! 来ないで! 汚い……触らないでぇッ!!」
「いいや、離さないぞ。……あんたが望んだ『密着介護』だ。……地獄まで付き合ってやる!!」
九条の拳が、エレナの胸骨の正中を捉える。
「スキル――『強制終末期移行』!!」
ドォォォォォン!!
エレナの身体から、奪い尽くされた数千人分の生命力が、真っ黒な汚泥となって噴出した。
彼女の美しい容姿は一瞬にして崩壊し、数百年の「老い」が一度に押し寄せる。彼女は、自身が吐き出した汚泥の中に沈み、ただの枯れ木のような老婆となって痙攣した。
【レベル上昇:98→99(カンスト到達)】
【四天王、全滅を確認】
【リワード:『聖母の権能』を完全解体……スキル『全領域アセスメント』へ昇華】
静まり返った大聖堂。
若者たちの荒い息遣いだけが響く中、最奥の扉がゆっくりと、不気味な音を立てて開いた。
「……見事だ、九条蓮。……期待していた通り、君は『世界』という名の末期患者を看取るにふさわしい、最高の死神に成長した」
そこに立っていたのは、少年の姿をした老王オズワルド。
そして、その傍らで不敵に微笑むサキュバスだった




