第十二章:永遠の消灯(ライト・オフ)、そして帰還への扉
神経の階段を降り切った先にあったのは、不気味な魔導回路の輝きではなく、あまりにも静かで、あまりにも寒々しい「六畳一間」の和室だった。
この世界の王都の地下深く、システムの核に、九条蓮が前世で何度も目にした「孤独死の現場」と瓜二つの空間が広がっていた。
部屋の中央、古びた布団の中に、一人の老人が横たわっている。
彼こそが、この世界『カナン』を創造し、永遠の生を呪いとして抱え続けた神――創造主の本体だった。
「……誰、だ……。また……延命の……魔力を……持ってきたのか……?」
老人の声は、枯れ葉が擦れ合うような絶望に満ちていた。
サキュバスが、静かにその傍らに膝をつく。
「いいえ、お父様。……今日は、貴方がずっと待ち望んでいた『専門家』を連れてきたわ」
九条蓮が、一歩前へ出る。レベル∞(ムゲン)の輝きは、今や穏やかな「常夜灯」のような光となって、老人の枕元を照らしていた。
「……あんたが、この世界の『主』か。ひどい褥瘡だ。心も、身体も、もうボロボロじゃないか」
「ふふ……。笑うがいい。……死ねぬ……。ワシが作った『老いなき世界』のせいで……ワシ自身が、永遠に朽ち果てることさえ許されぬ……。これが……神への……刑罰か……」
老人が力なく手を伸ばす。その指先は、実体を持たない情報の澱となって崩れかけていた。九条は、その震える手を、プロの介護士として、温かく、力強く握りしめた。
「……安心しろ。……俺は、あんたを助けに来たんじゃない。……あんたを、終わらせに来たんだ」
九条の背後に、ゼノが並ぶ。
「オズワルドも、サキュバスも、あんたをどうにかしようとして失敗した。……それは、あんたを『神』として扱ったからだ。……だが、俺の目は誤魔化せない。……あんたは、ただの『寂しくて死にたい老人』だ」
九条の右手の紋章が、世界そのものを書き換えるコマンドを打ち込み始める。
「スキル発動――『最終カンファレンス:運命の同意』」
空間に、膨大な光の文字が浮かび上がる。
それは、この世界の物理法則を全消去し、新たな理を上書きするための設計図。そして、その設計図の最後には、異物である自分たちの「登録抹消」が含まれていた。
「創造主。……あんたの望みは、死ぬことじゃない。……『誰かに見守られて、終わること』だろ。……だったら、俺がその責任を取ってやる。……この世界も、俺たちの役割も、全部ここで終わりだ」
九条はゼノと視線を交わした。ゼノは、自らの身体が透け始めていることに気づきながらも、不敵に笑った。
「……へっ、ようやく帰れるってわけか。地獄のような夜勤明けだな、九条」
「……ああ。……行くぞ。俺たちの生き方は、俺たちが決める」
九条蓮が、空に向かって、そして世界そのものに向かって、その技の名を叫んだ。
「――究極奥義:『終末期ケアプラン:自由への離脱』!!」
閃光が走った。
世界中に張り巡らされた「吸命の根」が、一瞬にして「慈雨の粒子」へと変わり、乾いた大地に降り注ぐ。神という名の老人は、九条の腕の中で、数千年の時を経て初めて、柔らかな笑みを浮かべて静かに霧散していった。
「……お疲れ様でした。……ゆっくり、お休みください。……消灯です」
老人の消失と共に、世界の核が激しく振動し、足元から現実が剥がれ落ちていく。
サキュバスが、遠ざかる九条とゼノに向かって、最後の手を振った。
「……ありがとう、最高の介護士さん。……貴方たちの世界でも、良い『お看取り』を」
九条とゼノの視界が真っ白に染まる。
重力が逆転し、意識が数千光年の彼方へと引き戻される感覚。
次に目を開けた時、そこにあったのは、冷たいコンクリートの感触と、鳴り止まないナースコールの音だった。
深夜の特別養護老人ホーム。
九条蓮は、あの「加藤老人」に刺されたはずの床に倒れていた。
だが、傷はない。血も流れていない。ただ、右手の甲には、あの異世界で刻まれた紋章の跡が、薄い火傷のような痕跡として残っているだけだった。
「……九条君! 大丈夫!? 急に倒れるからびっくりしたわよ!」
先輩介護士の声が響く。九条はゆっくりと上体を起こし、自分の手を見つめた。
レベル∞の力も、神を殺す武器もない。
ただの、人手不足に悩む介護職員の自分。
「……いえ、大丈夫です。……ただの、長い夜勤明けの幻覚ですよ」
九条は小さく笑い、ナースコールが鳴り響く廊下へと、再び一歩を踏み出した。
「……さあ、判定を始めようか」




