【騎士兄妹の談笑】
気が付くと、ガリアード邸の玄関に立っていました。
私はどうやって帰って来たのでしょうか。全く記憶がありません。馬車から降りたので、きっと馬車に乗ったのでしょう。
「お帰りなさいませ、フェリシエ様」
玄関の扉が開き、老齢の執事であるハンスが出迎えてくれたので屋敷へ入り、手に持っている花束を「預かっていて」と渡します。
そこが、もう限界でした。
私の体は膝から崩れ落ちて、無様に床に手を付きます。
「ふえぇぇぇぇぇ!! ……死ぬ! 死んでしまいます!! うぅわぁあぁぁ……ッ!」
私の奇行に、ハンスは何も言いません。殿下の護衛に就いたばかりの頃は毎日こうでしたから、『またですか……』と言いたそうに立っているだけです。
だって! だってしょうがないでしょう!! 今日は色々ありすぎたのです! 殿下を抱っこしてしまうし、一緒にお喋りしてしまうし、あんな風に花束を頂いてしまうなんてッ!! 殿下がただそこにいらっしゃるだけで心が満たされて幸せなのに!! 耐えられる訳がないでしょう!?
「ふえぇぇ……ひえぇぇぇ……」と息も絶え絶えなところに、入って来たばかりの玄関扉から声がかかりました。
「最近大人しかったのにどうした。邪魔だぞ、フェリシエ」
「にいさま、むりです、たてません、すておいてください」
「ハッ」と鼻で笑うような声が落ちると、私の体がひょいと浮いて力強いその人の肩に担がれました。
「ガリアードの騎士たるもの、地面に這いつくばるなど許されないぞ」
「もうしわけございません……」
私を担いでいるとは思えない速さで長い脚が進んで行き、リビングに置かれたソファの前で止まりました。ポイっと私の体がソファに落ち、担いでくれたその人が隣に座って背中をトントンと叩いてくれます。
「どうどうどう」
「私、馬ではありません」
「あぁ、猪だったな」
ムッとして一発殴ろうとした拳をひらりと避けて、その人は向かいのソファに足を組んで座りました。
私と同じ黒い騎士服に、左肩に部隊長の証である金の刺繍が入った赤い片側マントを纏う、ガリアード家の特徴たる黒髪黒瞳の色を持つ体格の良い男性。フェルディナンド兄様です。
こちらを見つめるその顔は、何を考えているのか分からないと言われる無表情ですが、妹である私にはからかいの色が浮かんでいるのが分かります。更にムッとして睨み返したら、無表情のまま鼻で笑われました。無駄に器用。
「兄様は表情筋を鍛えるべきです」
「鍛えた結果がコレだ。諦めて別の個所を鍛えることにしている」
「そんなだからお嫁さんが見つからないのですよ」
「肩書には自信がある。問題ない」
“公爵家嫡男、魔獣討伐部隊隊長、次期騎士団長候補、国内有数の剣の腕前、無表情の冷血漢”……などなど、確かにありますけど。妹としてはどんな形の結婚であれ、兄様を大事にしてくれる方に来て頂きたいのに。
そんな話をしていると、ゆっくりと追い付いて来たハンスがローテーブルに花束を置いて、お茶を用意して注ぎ――…飛びかけたカップを兄様が一早く掴んで、そのまま差し出して注いでもらっています。流石兄様、反応が速い。出遅れてしまいました。
「それで? 帰りが遅かったみたいだが、何かあったのか?」
「……殿下が体調を崩して熱を出されたのです」
原因は夜間ずっと鎧を着用されているせいであることを伝えると、兄様は「一か月以上ずっとか。意外と根性があるんだな」と良く分からないところで感心しています。
「そんなこと言っている場合ではありません! ……兄様。兄様にもお立場があると分かっていますが、殿下の護衛に就いて頂けませんか? 二人居れば一日中お守りできます。毎日は難しいでしょうから、殿下のご健康を損なわないくらいの頻度で――」
「理解していないな、フェリシエ」
私の言葉を遮って、兄様が呆れたように溜息を吐きました。
「我らガリアード家は“国を守る騎士”だ。“王族を守る”のは近衛の役目。何故、近衛の団長が“頭を下げて”お前を派遣要請したのか、もう一度よく考えろ」
「……でも、それでは殿下が……」
「近衛には近衛の誇りがある。何か言われるまで黙っておけ」
……兄様がそう仰るのなら、きっとそうするのが正しいのでしょう。でも、殿下の命が危ないのだから、こんな時くらい積極的に協力すればいいのにと思わずにはいられない。
モヤモヤとした気持ちを抱えて落ち込んだ私に、兄様が続けて尋ねます。
「あれから“異物”は飛んで来ていないか?」
これは、殿下の専属護衛騎士の私への質問。気持ちを切り替え、背筋を伸ばして答えます。
「はい、飛んで来ていません。もっとも、殿下はあれ以来お庭には出ていませんから、仕掛け自体は施されている可能性があります」
殿下の護衛をする中で、一度だけおかしな物が飛んで来たことがありました。
気分転換にとお庭に出られたあの時に飛んで来た“鉄柵の破片”
柵というのは基本的に劣化により弱った部分から折れて飛んで来ます。ですが、あの破片の断面は凹凸もなく滑らかで、明らかに人の手が加わっていました。
近衛騎士の方に調べてもらったところ、誰かが柵の一部に切れ込みを入れてそのまま放置しておいた可能性が高いと。一見無意味に見えるそれは、“殿下の呪いは死をもたらすもの”“その真実は限られた者しか知らない”“よく足を運ばれていたお庭”“あえて鋭利に作られた断面”と状況が揃えば、確かな悪意が見えてきます。
呪いをかけた者と同一犯とみて、間違いないでしょう。
「城内には入り込まれていないのか、単に様子を伺っているのか。……その上で言うべきことがある。王都治安部隊が、例の組織の拠点らしきものを見つけた」
「母様の部隊ですか? つまり、王都に拠点があったと!?」
「あぁ、あくまでそのうちの一つだろうが。思いの外、近くに居たな」
殿下に呪いをかけた犯人。
突然目の前に現れたという手口から、周辺国を騒がせている犯罪組織が疑われています。我が国でも彼らの犯行と思われる被害が数件出ていますが、彼らは高性能な転位の魔道具を持っており、人間をかなり正確に特定の場所へ送れるのだとか。
こちらは殿下の呪いのこともあり、王国騎士と近衛騎士が共同で捜査をして追っていて、その中に王都治安部隊副隊長である母様も居ます。
まさか、こんな近くまで潜り込まれていたなんて……
「中はもぬけの殻だったらしいが、まだ王都に潜伏していて直接手を出してくる可能性もある。『警戒を怠らず、もし会敵した場合は殿下の安全を最優先としてその場を離脱すること』と、団長からのご命令だ」
「かしこまりました」
団長からの指示に、一層身を引き締めます。
今、殿下はご無事でしょうか? ……えぇ、きっと大丈夫です。力強く頷いて下さった近衛騎士の方々がいらっしゃるのだから、必ず殿下を守って下さいます。
「ところで。ずっと気になっていたんだが、その花束は何だ」
「……ッ、で、殿下に、頂いたのです」
頂いた時のあれやこれやを思い出して、一気に心拍数が上がります。閉じた瞼の裏にあの嬉しそうなお顔が焼き付いていて――…ひぐぐぅッ、こ、今晩は眠れないかもしれませんッ!! 明日のためにしっかり休まないといけないのに!
「憧れの君との婚約を父上に進言してやろうか?」
「こッ!! こん、こんにゃッ!? な、なにを言っているのですかッ!」
「命を守って差し上げている褒美に強請ればすぐに通るぞ」
「そのような不敬は絶対にしませんッ!! 殿下にはその身に相応しいご令嬢が沢山いらっしゃるのですから!」
「ハッ、そうだな。お前みたいな猪に王妃は無理だな」
「兄様のそういうところ本当嫌いですッ!! 馬鹿馬鹿ぁッ!」
思わず投げ付けたクッションをそのまま投げ返されて受け止めると、その隙に兄様は私の頭をグルグルと力強く撫でまわして「お前のそういうところが可愛いよ」と言い残して部屋を出て行きました。
妹をからかって遊ぶ兄! 最低です!
「大変仲がよろしくて良いですね」と嬉しそうなハンスに一言否定の言葉を言って、殿下の花束と一緒に私の部屋に向かいます。
部屋に着いて侍女が来るまでの間に、ハンスが花束を花瓶に活けてくれました。花瓶と言っても、飛んでしまわないように壁に固定された枠に水鉢を嵌める、手先が器用なハンスが作ってくれた特製の壁掛け花瓶です。
――…そうです! この花瓶なら殿下もお花が飾れます!
花束を頂いたお礼にこれを差し上げようと思い、花瓶に近付いて構造を観察します。枠は釘で打ち付けてあるだけですから、引っ張れば抜けるかも。と、手を伸ばすとハンスが言いました。
「フェリシエ様、花瓶は予備が倉庫にございます。お持ち致しますので、こちらは引っこ抜かれませんよう、お願い申し上げます」
「そ、そんな野蛮な真似はしません」
「えぇ、もちろん分かっておりますとも」
ニコニコと朗らかな笑顔を浮かべたハンスが、しばらくした後に花瓶を持って来てくれました。……ダメよ、フェリシエ。そんなだから兄様に“猪”なんて言われてしまうのよ。
その心根を鍛え直そうと溜息を吐いて、箱に入れられた花瓶を見つめます。
……お花が飾れるようになれば、殿下は喜んで下さるでしょうか?
まだ見ぬ殿下の笑顔を想うだけで、私の胸は高鳴って幸せで一杯になる。本当に、本当に殿下は凄いお方なのです。
……そんな殿下を傷付けようとする輩は、何であろうと、誰であろうと許さない。私が全て叩き潰す。もし、殿下に危害を加えた不届き者が直接やって来るのなら、その両手足切り落として報いを受けさせましょう。
殿下の幸せは、私が必ず守り抜いて見せます。