ただひとつの目的のために
格好良い完璧な王子様を目指しつつ、フェリシエ嬢がどんな人間に好感を抱くのか探ろうとして気が付いた。
――僕たち、会話する時間なんて皆無じゃないか?
彼女と朝の挨拶を交わした後は鎧を脱いで執務室へ直行。執務中、彼女は護衛の特性上すぐ隣に立っているが当然会話は無く、書類内容を見ないようにするためか視線すら合わない。時折飛んで来る物だけが彼女を動かしている。
様子を見て会話しようと試みたものの、そもそも優秀な周りの足を引っ張らないことで精一杯な僕に、彼女と会話する余裕なんてなかった。
ならばと思い切って昼食に誘ってみた。
昨日までは彼女も休憩できるように傍を離れていてもらったが、昼食を共にするなら会話もできるはず! ……と思ったのだが、ギュッと目に力を入れて口を結んだ彼女にキッパリと断られた。「殿下と昼食を共にするなど恐れ多いので辞退させて頂きます。大変申し訳ございません」と。
……まぁ、そうだよな。僕だって仕事中に貴族たちや他国の王族と食事したいとは思わない。絶対に面倒な話が始まるに決まっている。
午後からは引き続き執務や会議、予定の打ち合わせに参加したりで、また会話する余裕がない。
部屋から部屋への移動中ならどうだ! と意気込んでみれば、この移動中が一番物が飛んで来るので彼女の方がそれどころではない。会話でうっかり気が散ってしまったらお互いに危ないし、僕に何かあれば彼女の責任にされてしまう。とてもじゃないが話しかけられない。
僕の仕事が終わって自室へ戻れば、彼女の業務も終了だ。『お疲れ様。ありがとう。明日もよろしく』と定型文のような別れの挨拶をして終わり。
――…今日も全く会話できなかった。
夜の自室、鎧の中で独り頭を抱えて落ち込んだ。
会話ができなかったこともだが、昼食を共にするのを断られたダメージがデカい。あの時、もの凄く睨まれていた気がする。もしかして嫌われているのだろうか。中身が平凡人間なのがバレて呆れているとか。それを判断するためにも、もっと彼女と話してみたいのに……
あぁ、もし彼女に嫌われているのなら、僕は潔く身を引いて、彼女がいつでも最高の塩バタークッキーを食べられるように生産流通網を整え、我が国の一大産業にしてみせよう。彼女がどこかで幸せそうにクッキーを食べているのなら、それだけで幸せだ。
……いやいやダメだ。情報も出揃っていないのに悲観的になるな。早計な判断は何事においても良くない! 彼女が僕のことを何とも思ってない可能性だってまだある。
まずは会話! 情報収集!
とまぁ、話はそこに戻るわけだが。
話せる隙があるとすれば、やはり昼食時。だが今日の反応を見てまたすぐ誘う勇気はない。しつこい男は嫌われると聞くし、一旦保留としよう。
ならば日頃のお礼を込めたお茶の席を用意するのはどうだろう。……いや、それは昼食に誘うのと変わりないな。あの時は突然だったから仕方なく同席してくれただけだ。
……そういえば、あの時は外に居たにもかかわらず彼女と会話出来ていた。近衛騎士たちが防御魔法を使っていてくれたから――そうだ、“防御魔法”! 彼女の負担を減らせれば、会話できる時間が増えるのでは!
一流の魔法士であっても大きく速い物ほど防ぐのが難しいとはいえ、これまで飛んで来た物は四十センチ前後の物が多かった。僕でも頑張れば防げるかもしれない。幸い防御魔法は幼い頃から一番叩き込まれてきたおかげで、他の魔法よりちょっと得意だ。
そうと決めたなら早速練習しよう。
防御魔法に関する教本を箱から引っ張り出し、改めて読み直して基礎を復習。これだけだと足りないから明日の空き時間に図書室へ……は行かない方がいいな。本が片っ端から飛んで来そうだ。司書に言付けを頼んで基礎と応用と研究論文を六冊くらい用意して貰おう。
とりあえず今夜は基礎を学び返して――…気付いたらまた朝だった。
まぁ、朝になってしまったのは仕方がないので、いつも通りの朝を迎えて昨日と代り映えしない一日を過ごした。ちなみに今日も会話はゼロだった。
頼んでいた本が部屋に届いていたので、片っ端から読み漁る。長年司書を務めている人物だけあって、今知りたいことが書いてあるとても良い本が揃っていた。あの短い伝言から、僕の求めることをこんなにも察してくれるとは流石だ。お礼の手紙を出しておこう。
本を読み、重要事項をノートに書きだして、実際に練習して、追加で本を頼み、それを読み込んで、書き出して、防御魔法を維持するための魔力向上訓練をして、防御常時展開はとてもじゃないが無理なので魔力を節約する方法を模索して、それでも足りないので補助できるような魔道具を探して、いやこれは無理だと諦め、別の方法を模索して、追加で本を頼んで読み込んで、この方法は使えるのか試してみて――…
そんな風に夜は勉強、昼は執務をこなす日々を何日か過ごした頃、朝食後の席で母上が言った。
「ねぇ、アルバン。貴方大丈夫? 顔色が悪いわ……」
「僕は元気ですよ、母上。鎧の中だからそう見えるのではないですか?」
「本当に? ちゃんと眠れているの?」
そういえば最近、気が付けば朝であまり寝てない気がする。最後に寝たのはいつだったか……でも実際元気だし大丈夫だ。むしろまだまだ行ける。
「確かに最近睡眠時間が短いですが、防御魔法を改めて勉強していて少々夢中になってしまっているだけです。何も問題ありません」
「……体調が悪いと感じたら、すぐに休むのですよ」
「そうだぞ、アルバン。体調管理も大事な仕事だ」
「ふふ、母上も父上も心配性ですね」
なんだかもの凄く心配してくれる両親に笑い返して和やかに会話を終え、防御魔法の本を読みながら彼女が来るのを待った。
勉強し直して改めて認識したが、防御魔法と一言で纏められているものの実際は防御対象や展開方法によって細分化されていて、実に面倒――奥深くて面白い。僕の呪いに対抗するにはどの方法が一番良いのか、答えのないパズルを何通りも組み合わせるようで本当に大変だ。偉大な先達が残した著書がなかったら放り投げていたと思う。
十八冊程読み込んだ末にようやく実際に使えそうな方法が纏まったので、今日は少し時間を作って実践で試してみて、飛来物の先輩としてフェリシエ嬢にも改善点の意見を貰おう。そこから自然に会話へ持っていけば完璧だ。
……ふふふ、今日はフェリシエ嬢と沢山会話出来るに違いない。
鎧の中で独りほくそ笑んでいると、いつも通りに彼女がやって来た。
簡単な挨拶をした後は侍女の手を借りて鎧を脱いで、そのまま執務室へ向かう。楽しみがあるからだろうか、足が軽くてふわふわしている。気を引き締めないとダメだな。
えぇと、今日の仕事の予定は西で発生した魔獣被害による河川堤防の――
「殿下ッ!!」
え、と思う間もなく体が傾いた。
踏むはずだった床がない。目の前は下り階段だ。
……あぁ、やってしまった。
やって来るであろう痛みに目を閉じるも、訪れたのは力強くも優しくて柔らかい、そしてほんのりと甘い香りを感じる、背中への軽い衝撃。
「ご無事ですか殿下ッ!」
フェリシエ嬢の焦ったような声が至近距離から聞こえてきて驚きに目を開ければ、目の前に心配そうに眉を寄せる彼女の顔。僕の体は彼女の腕の中に抜群の安心感を伴ってすっぽりと収まっている。
――…お、お姫様抱っこされているッ!! 王子様がッ!? なんでだ!? 僕が彼女にやりたかったのに!!
僕の口から言葉にならない声があわあわと零れ落ち、ドドドドと狂い跳ねる心臓のせいで体温が一気に上昇して顔が熱くなる。
「殿下?」
「……み、見ないでくれ……」
なにがなんだかもう訳が分からなすぎて涙が出てしまい、両手両腕まで使って懸命に顔を隠すけれど、至近距離の彼女には見えてしまっているのか、もの凄く視線を感じる。……こんな格好悪い僕を見ないで欲しい。
「……かわ――」
彼女の小さな呟きが騒々しい足音に掻き消されていく。一緒に付いて来ていた近衛騎士、近くに居た侍女や侍従たちが口々に「殿下!」と声を上げながら集まって来る。
ああああああ!! 止めてくれ! なんでもないから来ないでくれ!!