夜を明かして思案する
フェリシエ・ガリアード公爵令嬢。
代々国を守る騎士を輩出してきた名門ガリアード公爵家の生まれであり、現在十六歳。
父は王国騎士団の団長。その騎士団の王都治安部隊の副隊長を母、魔獣討伐部隊の隊長を兄が務めている。フェリシエ嬢は主に団長の秘書官として付き従い、時には魔獣討伐部隊と共に現場へ出るという、まさに騎士の中の騎士であるご令嬢だ。
そんな彼女の経歴を今一度ゆっくりと思い返して、ため息が零れた。
強い。経歴がもう強い。あの頼もしい強さは一体何処からきたのかと思っていたが、日頃から魔獣討伐で剣を振るっているのならば、僕の目では追えない素早くしなやかな身のこなしも納得だ。
凛々しい眼差しで前を見据えて、如何なる物もその身に届かせない。時には勇ましく短剣を振り、時には愛らしく花のように微笑んで――
――…あああああッ違う違う違う! 彼女の事ばかり考えるなッ!!
思えば彼女が微笑んだあの瞬間から、僕はおかしくなってしまったのだと思う。
少しでも目の前の事から意識を逸らすと彼女のことばかり考えている。昼間は執務に集中して平静を保っているが、夜間鎧の中で独りで居るとこの調子だ。
今だって、業務を終えた彼女と別れる際に塩バタークッキーの包みを渡した時の微笑みが、何度消そうとしても瞼の裏に浮かんできて仕方ない。
包みを渡した一瞬驚いて、おずおずと受け取ったそれを宝物のように大事に両手で包み込んで、「ありがとうございます」と蕾がほころぶようにゆっくりと、愛おしそうに微笑んだ顔が――
――…ああああああ!! だからッ考えるなってッ!!
頭を抱え込もうとしてゴツン、と鈍い音と額に痛み。
現在夜、ベッドの上で鎧の中。下手に動けば痛いのは当然である。鎧の中で暴れるとダメージがあるのはこのクソ鎧の欠点のひとつだ。
「……はぁ……」
痛みで少し落ち着いた。
心を掻き乱すこの感情を何というのか知らないほど、僕は無知じゃない。
――直撃したのは、“恋”だった。
……言っていて恥ずかしい。でも、間違いない。と、思う。恋に落ちると心臓を射抜かれるようだと聞いているし、実体験はないけれど、何冊か読んだ恋愛小説はこんな感じだった、はず。
認めよう、僕は、彼女が、……フェリシエ嬢が、好き、だ。
凛々しい騎士の彼女も、可愛い笑顔の彼女も、そんな両極端な彼女が好きだ。
僕の呪いが解けたとしても、その先もずっと、傍に居て欲しい。
でも、彼女の方はどうだろう? 婚約者は居なかったはずだが、想い人とか居るのだろうか。僕のことはどう見えているのだろう?
正直、彼女と出会ってから僕は格好良いと思えるようなところを見せられてない。クソ鎧の中でガチャガチャしてるか、何も出来ずに守られているだけだ。……好意を寄せてもらえる要素、全く無いな。たまに睨まれてるくらいだし。あ、ちょっと泣きたくなってきた。
そもそも僕に今まで婚約者が居なかったのは、僕の中身が平々凡々なのがバレるのが嫌で、適当な理由を付けて逃げていたからだ。
もし彼女と気持ちが通じ合ったとして、僕が凡人だとバレたら幻滅されるどころの話ではない。騙されたとぶっ飛ばされる可能性がある。
……今からでも、遅くないだろうか。
頑張って彼女に相応しい人間になれば、振り向いてもらえるだろうか?
彼女に相応しい僕になって、そんな僕の隣に彼女の意思で傍に居て欲しい。
……よし! これまで以上に仕事を頑張りつつ、より一層完璧な王子様を目指そう。王子様が嫌いなご令嬢は居ないらしいし。あとは好意を寄せてもらえるような行動を心掛けて――…そうだ。前に読んだ恋愛小説がまだあったはず。
鎧をガチャガチャさせてベッドから起き上がり、壁際に置いてある大箱を開ける。中に入っているのは寝室に置いてあった本で――何せ本棚に置いておくと定期的に一冊ずつ飛んで来るので箱に入れるしかなくなった。読みたい本が飛んでくれば便利なのに――その中から目的の本を引っ張り出す。
少し前に誰かから「流行っているんですよ」と渡されて、一度だけ読んだ恋愛小説。
王子様と賢い平民の少女が大きな陰謀に立ち向かいつつ、愛を育んでハッピーエンドを迎える。そんな話だった。
薄暗い中、兜のガードの隙間から本を睨んでページをめくり、大事そうな部分を拾い集めていく。
……この王子、やたらとご令嬢に触りすぎじゃないか? ちょっと移動するだけで手は繋ぐし、何かあれば頬を触るし髪を手に取る。女性はこういう王子がいいのだろうか。僕は教育係に「軽々しく女性に触れてはなりません。殿下はお顔がとてもお綺麗ですから特に注意が必要です。指一本でも触れれば、あらぬ誤解を生みかねません」と教わったんだが……
あ、壁ドン! これはここぞという場面で使ってみよう。彼女にソファドンされた時、確かにドキドキした。色々な意味で。
『君に出会ったその日から、僕の世界は輝き出した。朝日よりも眩しくて、月明かりよりも優しい君の存在が、僕のすべてを変えてしまったんだ』か。このセリフ、いつか言おうと絶対に一晩は考え抜いていたに違いない。こんなのがその場でスラスラ出てくるとか、ちょっとどうかと思う。僕も何か良いセリフを考えておかないと。
お姫様抱っこ! これは定番だろう! ……まぁ、僕に彼女を抱きかかえられる程の筋力があるのか疑問だが、身体強化魔法でどうにか……苦手なんだよなぁ……
「――殿下? アルバン殿下、おはようございます。お目覚めでしょうか?」
「……ッ! あ、あぁ。少し待って欲しい」
ノックと侍女の声に慌てて本を箱に戻す。
気が付いたら朝だった。いつの間に!?
少し前に目が覚めたかのように装って侍女を部屋に入れ、フェリシエ嬢のことを考えないよう淡々と、朝を迎えるための準備を始めた。
一度鎧を脱いで急いで着替えて、また鎧を着る。思えばこの流れもバタバタしていた最初に比べると随分効率良く速くなったな……僕と侍女たちの連携に拍手を送りたい。
着替えの後はそのまま部屋で朝食。皿とカラトリーを最小限まで減らしたワンプレートを兜のガードをガチャガチャ上下しながら食べ、それが終わると父上と母上が僕の部屋へと訪れる。こうなる前は必ず家族で朝食を取っていたので、その代わりだ。こんな僕を大事にしてくれる両親からの愛を感じて胸が温かくなる。
少しだけ話をしてお二人が部屋を後にし、しばらく経つと――…彼女がやって来る。
「おはようございます、殿下。フェリシエ・ガリアード、到着致しました。本日も護衛の任を務めさせて頂きます」
「おはよう、フェリシエ嬢。今日もよろしく頼むよ」
昨日までと何ら変わりない、黒い騎士服を纏い真っすぐに背筋を伸ばした凛々しい彼女。なのに心臓がドキドキと飛び跳ねていて仕方がないのは何故なのだろう。
大丈夫か? 僕は平静を保てているか? いつもの王子様笑顔がちゃんと出来ているだろうか? いや、まだ鎧の中に居るんだった。顔は関係ない。……ダメだもう何も分からない。こんなのもう熱病にかかっているようなものじゃないか! あぁそうか、恋は病というけれど本当だったんだなぁ……
なんてしみじみと思いながら、また新しい一日が始まった。