黒曜石の騎士令嬢
クソ鎧をクソ鎧のまま身に着け始めて、早数日。
僕の心はすでにボロボロだ。
鎧を着こんだままの生活はまさに拷問だった。執務中も鎧のまま、食事も兜のガードを何度も上げ下げして少しずつ食べる。寝ているときも鎧の中だなんて、正気で居られる訳がない。
重い、暑い、息苦しい上に、宝物庫の奥にしまわれていたせいで埃臭い。おまけにちょっと動くたびに装飾がジャラジャラうるさいし、時折何かが飛んで来てカツンコツンと鎧の中に音を響かせる。ぶつかった衝撃を消せるなら音も消して欲しい。
『もういっそ一思いに殺してくれ……』と何度思ったことか。
心が死にかけているし、王太子がこんなクソ鎧を着用したままではすでに社会的に死んでいないだろうか。つまりもう死んでも良いのでは? 楽になって良いのでは?
あまりの辛さに完璧な王子様のメッキが剥がれかけてきた様子を見かねてか、ある日父上が僕を応接室に呼び出してこう言った。
「飛来物に強い騎士を連れて来た」
“飛来物に強い騎士”って何だ。
そんな疑問と共に現れたのは、一人の女性騎士だった。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。ガリアード公爵家第二子、フェリシエ・ガリアードと申します」
凛とした佇まいと声で胸に片手を当てて洗練された騎士の礼をして見せた彼女は、国王に声をかけられて顔を上げた。
同じくらいの年頃だろうか。女性としては背が高く、僕より少し低い程度だ。王国騎士団の黒い騎士服を纏い、艶やかな漆黒の髪を後頭部で一本結びにした彼女は、まるで美しい黒曜石のようだった。その姿に違わず真っすぐとこちらを見る瞳は孤高の竜のように鋭く、鮮やかな緋色も相まって引き込まれてしまいそうになる。
……こんな麗しいご令嬢が飛来物に強いとは??
――瞬間。トンと軽い音がすると同時に、ソファに座る僕に人影が覆いかぶさった。
眼前には漆黒の彼女。緋色の瞳。
ひょわぇ!? な、ななな、なんだどうした!? いつの間に目の前に、というかこっちに来たのが見えなかったが!? あ、この状況は恋愛小説で呼んだことがあるぞ! 床とか壁とかにやるやつだドンするやつだソファドンだ!! ご令嬢から僕に!? なんでだ王子様がするんじゃないのか!?
「突然失礼致しました、殿下。御身の背後から燭台が飛んで来ましたもので、受け止めさせて頂きました」
淡々と告げる彼女が、サッと身を離して元居た入口付近へと戻って行く。その手には確かに燭台が握られていた。
ドドドドドドと狂い跳ねている心臓をどうにか宥めて、王子様らしい落ち着き払った声を出す。今この瞬間だけは、鎧を着ていて本当に良かったと思う。焦りまくった変な顔を見られずに済んだ。
「僕を助けてくれたんだね。ありがとう、ガリアード公爵令嬢。貴女の方は怪我が無いだろうか?」
「はい、問題ございません。ご心配頂きありがとうございます。……私は、幼い頃より“物が飛んで来る”体質で、常日頃より飛来物を処理しております。私の知る限り、私よりも飛来物に的確に対処できる者は居ないと自負しております故、殿下の呪いに対してもお力になれればと馳せ参じた次第でございます」
……まぁ。うん。確かに、そんなピンポイントな特技を持つ人材は他に居ないだろうね。というかそれは体質じゃなくて呪いじゃないのか? この呪い、実は意外と被害者が居るんだろうか……
「アルバン、彼女を一時的にお前の専属護衛騎士に任命しようと考えている。もし彼女が本当に飛来物を止められるのであれば、様子を見てその鎧を脱いでも構わない。……息が詰まって精神を病んでしまっては、呪いに命を奪われるも同然だからな」
「本当ですか父上!」
このクソ鎧から解放される!! そんな希望をもたらしてくれるなんて彼女は女神か!? あぁ、ありがとう父上! ありがとう女神様!!
「ガリアード公爵令嬢、いや、フェリシエ嬢と呼ばせて欲しい。僕のことはアルバンと。貴女には多大な苦労をかけることになるだろう。だがどうか、僕の専属護衛騎士になってくれないだろうか? もちろん、貴女の命に関わるようなことがあればすぐに辞めてくれて構わない」
希望が見えた嬉しさと彼女に迷惑をかける罪悪感に少し早口になってしまったが、彼女は美しい顔を勇ましく引き締め、信念のこもった瞳で僕を見つめ返してきた。
あまりにも真っすぐで鋭い瞳に、ドキリと、心臓が飛び跳ねる。
「専属護衛騎士の任、拝命致しました。殿下の全てを、私が必ずお守り致します」
涼やかな声にも瞳同様に絶対に折れないような力強さが感じられて、まるで幼い頃に憧れた御伽噺の騎士様のようだ。
この女性騎士、格好良すぎではないだろうか。
こうして、僕と彼女のやたら物が飛んで来る奇妙な日常が幕を開けた。
始めは鎧を着たまま彼女を傍に置いて様子を見ていたが、その能力は本当に凄いものだった。例えば廊下を歩いていると、パシッと子気味良い音と共に彼女が目の前に現れ、その手には大小様々な物が握られていたりする。時には魔法や腰に帯びた短剣で物を弾き落とすこともあった。
その剣筋はもちろん、瞬間移動するような身のこなしすら速すぎて僕の目では追えないので驚く前に全てが終わってしまう訳だが、「身動ぎもしないとは……流石です、殿下」と彼女に何故か尊敬の眼差しを向けられてしまった。「僕の五億倍は貴女の方が凄いよ」と心の底から本心で伝えておこう。
そんな日々を幾日か過ごしたが、彼女が護衛に就いて以来、僕に何かがぶつかる事はなくなった。彼女の“体質”もあるので飛んで来る物は増えているが、彼女は見事にその全てを防いでいるのだ。凄い。凄すぎる。
そうして遂に、クソ鎧から解放される時が来た。
父上に承認を得て、鎧を脱ぎ捨てる。
ガラリと世界が変わったようだった。
あぁ、体が軽い! 僕の体はこんなにも軽かったのか! 枷を外されたとはまさにこのこと! フェリシエ嬢が今日の業務を終えれば鎧へ逆戻りだが、一時解放されるだけこうも気分が違うとは!
「殿下、ご体調に異変ございませんか? 長期の鎧着用はかなりの負荷を与えていたはずです。少しでもお体に異変があるようでしたら、どうぞお休み下さいませ。私が傍に控えております」
「いいや。大丈夫だよ、フェリシエ嬢。今とても良い気分なんだ。……貴女のおかげだ。ありがとう、本当にありがとう!」
「…………身に余る光栄です」
気遣ってくれたフェリシエ嬢に嬉しさのあまり満面の笑顔で返してしまって、慌てて顔を引き締める。完璧な王子様はこんなヘラヘラした笑顔はしない。幻滅されただろうかと彼女をチラリと見やると、彼女は何かを堪えるように目元に力を入れて険しい顔をしていた。
う、睨まれてる……やっぱり幻滅されたか……
「えぇと、それで、だ。今日の予定だが、予定通り庭に出ても大丈夫だろうか?」
呪われてからというもの、万が一を考えて必要最低限の部屋を行き来するだけの引き籠り生活だったが、今日は遂に外へ出るのだ!
鎧を着たまま試しに出てみた時は、やはり室内よりも飛んで来る物が多かった。まぁ、その全てをフェリシエ嬢は防いで見せたからこそ、こうして生身で出る許可が出たのだが、正直に言えば……僕の方が躊躇している。もし、万が一があったら? 外は普通に石とか瓦礫とか飛んで来るんだぞ……
怖い気持ちと、それでも外に出て気分転換したい気持ちがせめぎ合う中、僕の背中を押すのはフェリシエ嬢の確固たる言葉だった。
「問題ございません。殿下には、塵一つ届かせません」
緋色の瞳の奥で、彼女の決意が燃えている。
……本当に頼もしくて、格好良くて、憧れてしまう。
あまりの眩しさに自然と心が落ち着いて笑みが零れた。
「よろしく頼むよ、フェリシエ嬢」