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【二度の奇襲と貴方の言葉】


 午後の執務室は比較的落ち着いたとはいえ、未だに忙しさの中にありました。

 人が動けば物も飛びやすい。ペン程度なら良いけれど、書類束やインク瓶などが飛んでしまえば大惨事になりかねません。魔力探知の範囲を広げて神経を集中させ、被害を出す前に止める。大丈夫、絶対にやり遂げてみせます。


「この添付資料、項目四についての説明が足りていないから――」

「かしこまりました。具体的な事例を――」

「修正案の確認終わりました。サインを――」

「ありがとう。急がせてしまってすまなかったね――」


 鋭く尖った神経が殿下の柔らかな声色に癒されて、いつもより集中して動きが良くなっています。これも殿下のお力ですね。凄いです。流石です。


 ――だからこそ、気付けたのでしょう。


 バチバチと魔力が爆ぜる音。

 発生源は殿下の左手窓の向こう。

 空中でブレて歪み浮かぶ(転位と妨害が拮抗した)黒い塊。

 呪いの杭。

 その先端が、殿下に向く。


 反射的に殿下と窓の間に立つ。

 杭はもう窓を割る。

 杭と割れるガラス、すべて防ぎきれない。

 ならば。


 杭が派手な音を立ててガラスを突き破ると同時に、椅子ごと殿下を床に押し倒す。

 降り注ぐガラスが当たらないように、しっかりと殿下の頭を抱きかかえて覆い被さった。

 杭が頭上を通り過ぎ、背中にパラパラと細かいガラスの破片が当たる感触がする。

 大きなものがないのは、殿下の防御魔法が弾いているから。これならば殿下がガラスで怪我をすることはない。


 けれど。

 壁に刺さった杭からまだ魔力が爆ぜる音が聞こえる。

 短剣に手をかけ――不意に、音が消えた。

 少し遅れて、窓の向こう、遠い場所から微かに男の叫び声が響く。

 おそらく、魔法士長様の反転魔法が上手くいったのでしょう。


 あぁ、そこに居る。殿下を害する屑野郎が。今すぐそこへ行って切り刻んでやりたいけれど、私の役目は殿下をお守りすること。

 それに私は独りではありません。

 入口横で待機していた近衛騎士の方々がすでに動いて下さっています。


 一人は窓に駆け寄って追撃がないように窓を塞ぎ、もう一人は緊急事態の警報魔道具を鳴らしました。近衛騎士の方々が廊下や窓の外に続々と集まる気配がします。

 ――これならば安全でしょう。


「殿下、少しだけ目を閉じていて下さい」


 抱えていた殿下をゆっくりと離して、私の背にある細かなガラスが殿下に降り注がないよう慎重に体を起こして立ち上がります。


「もう大丈夫です。周りにガラスがありますのでお気を付け下さい」


 近衛騎士の方の手を借りて立ち上がる殿下にお怪我がないことを確認してから少し離れて、逆立つ神経を落ち着けるように長く息を吐く。

 殿下はご無事。本当に良かった。


 駆け付けた近衛騎士団長様に起こった出来事と実行犯が近くに居ることを報告し、ようやく体に付いたガラスを振り払います。

 髪に入り込んでしまっているのが面倒で軽く頭を振ったらプツリと髪紐が切れてしまい、後頭部で一本結びにしていた髪がバサリと肩にかかってしまいました。

 困りました。予備がありません。殿下の前だというのに見苦しい……


 そんなことをぼんやりと考えていると、「フェリシエ嬢!」と殿下が焦ったように近くへ来て下さいました。いつも笑顔の殿下にしては珍しく、眉をひそめて険しい顔をなさっています。お怪我はないはずですが、何かご不快にさせてしまったのでしょうか?


「怪我はない? 大丈夫?」

「はい、問題ございません。……あの、まだガラスが付着していますので、離れられた方が良いかと」


 一歩踏み出せば体が触れてしまいそうな距離に立たれた殿下にそう告げると、ますます眉を寄せて苦し気に顔を伏せられてしまいました。

 ……もしかして私、何か失敗を!?

 すぐに謝罪をと口を開くより早く、殿下が顔を上げられました。その表情は、もう先程のものではありません。真剣に正面を見据える、王太子殿下のお顔。そのまま廊下に控えていた侍女を呼び出して仰いました。


「フェリシエ嬢を一番近い客間へ案内して、怪我がないかの確認とガラス片の除去を。必要であれば医師や着替えの手配を頼む」

「かしこまりました。フェリシエ様、どうぞこちらへ」

「殿下のお傍を離れるわけには――」

「命令だ。すぐ行くように」


 初めて聞いた鋭いお言葉に「……かしこまりました」と答えて、殿下が文官方の安否を尋ねたり近衛騎士たちに指示を出す声を聞きながら、侍女の方と共に部屋を後にします。

 殿下の専属護衛騎士なのに慌ただしさから離れて行く自分が不甲斐なくて……つい、俯いてしまう。


「フェリシエ様、一介の侍女がこのようなことを申し上げるのは恐れ多いのですが、殿下をお守り頂きありがとうございます」


 殿下に長く仕えている年高の侍女である彼女が、深く頭を下げてそう言いました。


「……私、ちゃんと殿下をお守りできていましたか?」

「はい。ガラスが割れた後の光景を拝見致しましたが、殿下にガラス片が全く触れておらず、とてもご立派でございました」


 彼女の後ろに控えるもう一人の方も、勢いよく首を縦に振っています。


 ……誰かに、褒めて頂きたかった訳ではないけれど。

 一目で分かるような大失敗を犯したわけではないと、気持ちが少し落ち着きました。


 殿下はきっと、ガラス塗れの私が危険だから離れて身支度を整えるように言ったのです。破片で負った小さな傷でも動けば大きく裂ける可能性があり、それでは有事に万全の働きをすることができません。それを見越してのご指示。

 もし私が大失敗をしていたとしても、殿下なら必ずご指摘して下さいます。しっかりと受け止めて、二度と同じ失敗をしないようにするまで。……次の機会が頂ければ、ですが。


 気持ちに区切りを付け、励まして下さった侍女の方々に「ありがとうございます」と返して再び歩き始めます。


 客間に着くと侍女の方々が私の肩にシーツを掛けて、とても丁寧に髪を梳かして下さいました。私としてはそれだけで十分だったのですが、「お洋服のガラスを取り除くので、一度お脱ぎ下さい」「肌に傷がないか念のため確認致しますね」「髪にまだ破片が残っているかもしれませんから、お湯で洗い流しましょう」と口を挟む間もなく湯浴みまでさせられてしまいました。

 凄い手際です。流石は殿下にお仕えする侍女の方々!


 温かいお湯にいい香りのするシャンプー、香油で髪の手入れまでして頂いて、緊張していた心まですっかり溶けてしまいました。


「フェリシエ様、お着替えにドレスをご用意致しました。どのドレスがお好みでしょうか?」

「ドド、ドレスッ!? い、いいえ、不要です! 騎士服を返して下さい!」


 溶けている場合ではありません。殿下の専属護衛騎士がドレスだなんて!! 断固拒否しなければ!!

 侍女の方々との着替えをめぐる攻防戦に勝利を収めて騎士服を取り戻し、バスルームから部屋に戻って魔法で乾かした髪を再び丁寧に梳かされていると、急いで下さったのか息を切らした殿下が来て下さいました。


「フェリシエ嬢、怪我の様子は? 医師は呼んだ?」

「ご心配頂きありがとうございます。無傷でしたので、ガラス片の除去のみ行って頂きました」

「……そう……良かった……」


 そう呟いて俯いた殿下が、眉を寄せて息を詰まらせながらご自身の胸元を硬く掴みます。その様子があまりにも苦しそうで思わず手を伸ばすと、殿下の両手が、私の手を、ぎゅっと握り締めました。


「……ッ!!」


 驚きに喉の奥がごぎゅっと変な音を出す。

 ど、どど、どうしたら!? 殿下の綺麗な手が! 透き通るような白く滑らかな手は、剣ダコだらけでゴツゴツと荒れた私の手と大違いです!! 私などが触れて良いのでしょうか!?


「……きみに、怪我がなくて……本当に良かった……」


 きつく握り締められた殿下の指先は冷え切っていて、僅かに震えていました。

 呪いの杭が見つかったあの日、すごく怖いと仰っていた殿下を思い出す。実際に襲われたのですから、おそらくもっと恐ろしいはずです。だというのに、こうして真っ先に護衛()を心配して下さっている。

 ……やはり殿下は、お優しくて素晴らしいお方です。


「殿下の防御魔法が、大きなガラス片から守って下さったのです。お陰で傷一つございませんでした。ありがとうございます、殿下」


 空いているもう片方の手を殿下の両手に重ね、冷えた指先が温まるよう祈りながら感謝の言葉を笑顔で告げる。

 騎士としては主君に守って頂くなどあってはならないけれど、フェリシエとして、殿下に感謝の言葉をお伝えしたかった。


 ゆっくりとお顔を上げて下さった殿下の、青空の瞳と目が合う。

 潤んで揺れる水色が、まるで美しい海のようで――


 そこからポロリと、光が零れ落ちた。


「――…ッ、ごめ、……すまない」


 握っていた手を離して俯いた殿下は目元を擦るとすぐにお顔を上げ、少し無理をしたような力ない笑顔を浮かべて下さいました。


「せっかく、きみを守れたというのに……僕は本当に情けなくて……」

「いいえ。情けなくなどありません。護衛()などをこれ程想って下さる、とてもお優しくて素晴らしい方だと思います。私は、そんなお優しい殿下が好きです」


 こんなにも素晴らしく素敵な殿下を嫌いな人間などおりません。全国民、いえ、全人類が殿下のことを好きです! ……あぁ。いいえ、残念ながらいるのでした。思考のおかしい方々が。ですが問題ありません。それらを排除してしまえば元通りです! ご安心下さい。騎士の皆様は優秀ですから、その日はきっとすぐに訪れます。


 そう自信を持って殿下に笑いかけたのですが――…何故でしょうか、殿下が驚いたようなお顔で固まってしまいました。


 どうしたのでしょうと考えていると、殿下の白い頬がみるみる赤く色付いて、それを隠すように掌で覆いながら顔を背けてしまわれました。けれどもすぐに私の方を振り向き、まだ潤んでいる瞳を揺らしながら震える唇で何度か言い淀むと、ふにゃりと眉と目尻を下げ、全ての慈愛を込めたような柔らかく温かで蕩けてしまうような微笑みで――


「ありがとう。そう()ってく■■(れる)、き■■■■(みのこと)■■(僕も)■■■(好きだ)


 ――至近距離で浴びた、その全てに。思考が、息が、心臓が止まる。


 どんどん真っ白になっていく視界に、どうにか自分を呼び戻す。

 ダメ、ダメよフェリシエ! しっかりしなさい! 息をするの!! この程度の奇襲を躱せなくてどうするの!! また殿下の前で倒れるなど許されません!!


「お褒め、頂き? ありがとう、ござい、ます……?」


 はひ、はひ、と変な呼吸でどうにかお返事をします。これで合っているでしょうか? そもそも殿下は何と仰いました?? お顔の破壊力が凄すぎて、全く分かりませんでした。ご様子を伺うべき? ですが殿下のお顔を見れません! 見たら死にます!! このままでも死にそうですが!!

 とにかく殿下(凶器)から全力で目を逸らして、呼吸を整えないと! しんと静まり返った空気が気まずい!!


「……あ、その。急に、申し訳ない。身支度の途中、だったね。どうか続けて欲しい」


 気を使わせてしまい大変申し訳ございません、殿下!!

 上手く言葉が発せないので心の中で謝罪しつつ、コクコクと頷きながらお言葉に甘えてドレッサーに戻ります。この隙に体勢を立て直さないと……!


「フェリシエ様の髪留め代わりにリボンをご用意致しました。どれになさいますか?」

「え、あ、あぁ。僕が選んでいい、のかな?」


 少し上ずったようなお声を出す殿下の視線がこちらを向いた気配がしたので、とりあえず頷いておきます。深呼吸、深呼吸。


「そ、そう。そうか。うん、分かった。えっと――…コレ、は、どうだろう?」


 遠慮がちに呟かれた殿下に対して侍女の方が「とても良くお似合いになると思います!」と嬉しそうに応え、そのまま箱から取り出したリボンを私に見せてくれた――ようでした。


「フェリシエ嬢、このリボンをきみに贈るよ。その……大事にしてくれると、嬉しい」

「ア、ハイ。アリガトウゴザイマス」


 殿下のお声に甘くとろりとした水飴を連想させるような熱がこもって、私の胸の内をぐちゃぐちゃに掻き乱してきます。

 呼吸を乱すお声に耳を塞ぎたくなる衝動を堪え、深呼吸で息をして、暴れて飛び出してしまいそうな心臓を抑えるのに精一杯で、もう視界は真っ白。侍女の方が丁寧に髪を梳かしてリボンを結んで下さるのをただ呆然と受け入れているだけでした。


 もっとしっかり確認すればよかったと後悔したのは、一日が終わって、自室でリボンを解いた時。


 光沢ある水色の生地を細かな金糸の刺繍が縁取る、殿下のお色のリボン。


 そんなものをずっと身に着けていたのだと気付いて叫んだ瞬間でした。


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