聖職者は死ぬ前に乙女ゲー世界の知識を得ました
クロスは、老いた聖職者だった。40代半ば、髪はまだらに白くなり、腹は少し出ていて、中肉中背のおじさんだった。
普通の聖職者だった。特に信仰が厚いわけでもなく、日々のテラス神への祈りは欠かさないが、それだけで、あとは街の人々と交流をしながら、治癒魔法をかけたりして生活をしていた。
そんなある日ーークロスは、天啓を得た。
この世界が、乙女ゲームの世界だと。
テラス神に祈りをしていたとき、前世の記憶というあやふやなものが流れ込み、クロスは、世界が聖女の肩にかかっていると悟った。
「地方に行く」
若気の至りのようなことを言って、クロスは、街での聖職者の地位を捨てた。
早々に、聖女を保護しなければいけなかったから。
没落貴族で孤児院に入れられる少女を大切に保護して、世界を救うのだ。
こうして、クロスは、聖女を地方の教会の見習いとして育てたのだ。
40代なかば、前世の日本ならばともかく、この世界の平均寿命を考えれば、長くはなかった。クロスは、聖女を学園に入学させた、その年に静かに息を引き取った。
クロスは聖女を見つけ、大切に育てたことで、聖者として聖別された。
二度あることは三度ある。
クロスは、再び転生していた。
聖女の通う学園の教師だった。
「ダンディズムが足りません」
攻略対象のイケメンたちが、軒並みお断りされていた。聖女は、歳上のオジサンが好みのようだった。
世界は終わった。
乙女ゲーは、少女と貴族の美男子との恋愛で世界が救われるセカイ系なのだ。少女が愛を知って、愛の力で覚醒しないといけないのに。
なんだ、そのふざけた世界。庶民が可愛そうだ。貴族の恋愛に巻き込まれる平民の悲しさ。
まぁ、それは、ともかく、聖女よ、なぜ歳上のおじさん好きになってしまったのか。情けない。
歳の近いハイスペックイケメンと恋愛するだけでいいのに。
「せんせーい、分からないところがあります」
聖女は社会科教員室に入り浸る。
そこは乙女ゲー厶のイベントと全く関係のない場所だった。聖女は同年代との交流なんて無視している。
「聖女アリス、このようなところに何度も来てはいけません」
転生先の社会科教師モテーヌは、生徒に手を出そうとしていると悪評がありまくる最低な人間だった。その評判も転生後の努力で多少はマシになったが、聖女を毒牙にかけようとしているという根も葉もない噂は学園中に流れていた。
聖女の人格に当てられて、真っ当な真人間になったと思われてはいるが。
「先生、分からないところがあるんです」
社会科の歴史授業など、教科書や参考書を読めば分かると思うし、図書館で調べればいい。よほどの歴史好きでもなければ、質問なんて思いもつかない。
まぁ、聖女が入り浸るから、他の生徒も続々と入り浸りに来たりもするが。
「ラングストン大陸を含む聖なる器は、平面だと思われていましたが、聖暦1522年、聖職者マーゼランが海を一周して戻ってきて、聖なる器は球状だとされましたがーー」
聖女よ、歴史なんていいから、聖魔法を学び、今を生きるのだ。歴史は修正されるものだ。きっと、ほとんどの歴史は、聖女と魔王の御伽噺のように、脚色しながら成立している。
「過去って大事ですよね。一言一句、残しておかないと」
誰の一言一句かな。まさかクロスの言行録でも、作る予定で歴史勉強をしてないよね。クロスの言行録に、解釈をつけて、出版なんて絶対にしないでくれ。恥ずか死ぬぞ。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として。
聖女アリスの会話に適当に相槌を打ちながら、渋めにコーヒーをすする。
「先生がする雑談、わたし大好きなんです」
大好きなんです、という言葉に、社会科教員室のドアがガタガタうるさく軋む。
ハーレム要員の美男子がきっとこっそりとついてきているのだろう。
「第一次聖魔戦争が実は、エドワード大老の死を引き金に起きたという説は秀逸でした。まさか、そんな解釈ができるなんて思ってもいませんでした」
それは、ただのゲーム内知識を話しただけなんだが。エドワード大老は中立を装いながら、魔王との直接戦争反対だったから。不毛といえば不毛なんだ。魔王は繰り返し生まれるし、聖女も繰り返し生まれる。
好戦的でなければ、争う必要はない。
まぁ、ゲーム設定上、今回の衝突で魔王も聖女も生まれない世界になってハッピーエンドなんだが。
「時間の流れは、すべてを曖昧にしていきます。どんな解釈も可能性を未来に向かって内包しているのです。今の行動は、ある時点ではプラスに、次の時点ではマイナスに解釈されるかもしれません」
「先生、クロスさんと似たようなこと言ってる」
「あの偉大なる聖職者とですが、ありがたいことです」
自分で自分を持ち上げるのはむず痒い。しかし、クロスとモテーヌでは世間の評価は雲泥の差。
クロスは役職を辞し、聖女を見つけ、保護し育てた慈愛の聖職者。かたや、聖職者とは名ばかりの生活の怠惰と色欲の閑職教師。
ダンディズムとか言っているのに、こんなダメ親父みたいな教師に入り浸るのは辞めてほしい。
もっと渋いヒゲ面の教師もいるでしょうに。
◇◇◇
モテーヌとなったわたしは、生来の女性との交流のなさでーー1度目は弱者男性として、2度目は聖職者として、女の子はツチノコのような人生だったーー、女生徒に挙動不審の対応をしていた。
聖女アリスは娘のようなもので、あくまで親族の一員のようで、無問題なのだが、この学園は刺激が強すぎる。
これはモテーヌの邪心、わたしは清らかな聖職者。決して、生徒に欲情なんかしない。
そうだ。
結婚しよう。そうすれば、わたしは、いや、しかし、わたしは心は聖職者。
プラトニックラブしかできないサダメ。
そんなことを考えていれば、女生徒とぶつかった。遅刻遅刻と叫んではいなかったが、きっと移動教室で走っていたのだろう。
「だ、大丈夫かな、心配だよ。痛いところない、かな」
女生徒は一礼して、走っていった。
ああ、わたしは、変なおじさん。教会に帰りたい。今からでも遅くないか。
わたしも、もともと、神テラスの敬虔な信者。2度の生まれ変わりで、もはや神の奇跡の絶対性を疑ってなどいない。
聖職に戻ろう。
教会の聖職者になるには、地方教会に入信し、3年の見習い期間、そしてテラス神の像の前で、信仰の証である後光を輝かせるかで決まる。
この後光の照度で、だいたいの出世度合いまでもが決まる。全く光らなければ、また3年後のやり直しとなる。
さて、3年。ちょうど聖女も3年で卒業。
いいじゃないか。さてーー。
「あなたは入信資格がありません」
「は?」
地方教会で門前払いされるなんて。
生徒に手を出したという悪評があるが、別に前科で捕まったことはないはず。犯罪者でなければ、入信は認められるものなのに。
「なぜですか」
「わたしには答えられません。特A級の指令により、入信は認められません」
枢機卿クラスがわたしの入信を拒むなんて。いったい、どこの、枢機卿だ。我、クロスなり。今一度、門を開けよ、と言えるわけもなくーー。
「そうですか」
と答えて去った。
◇◇◇
「ふぅ、危ない危ない」
先生が入信してしまうところでした。
男性の聖職者は、妻帯できませんからね。
聖女は、なぜ子供を残せと、押せ押せで恋愛しろと言われてますけど、ますけどっ!
「先生は、わたしと結婚するために、転生したんですから」
きっとテラス神様も無垢な少女の願いに涙ぐんでいたと思います。
「しかも、モテない教師だから他の女子に取られる心配がない。神様、分かってます。大事なのは、中身なんです。外見なんて、真実の愛の前に、砂糖菓子のように、砕け散るんです」
最近、theイケメンですって感じの恋愛要員が送り込まれてきて、全く疲れてしまいます。
男は顔じゃないんです。ルッキズムは悪、たしかクロス様もそう言ってました。ルッキズムとは何か、と激しく語っていた、あの頃が懐かしい。
イケメン爆死せよ。イケメンは女の敵です。
あんなの、結婚しても3日で飽きたと言ってくる典型です。
「先生とわたしは、愛の赤い糸で結ばれているのです」
今日も先生に会いに行こう。
まさか、わたしが正体に気づいているなんて思ってもいなさそう。
ふっふっふっ、わたしには魂の色だって視えるのですよ。
「せんせー。わたしに、服飾史の個人レッスンをお願いしまーす」
先生が、お茶を吹き出した。
なぜだろう、おかしなことは言ってないのに。
「聖女アリス、女の子が、下着を手に持って、男性に会ってはいけません」
「いえ、サンプルですよ。これが、今の流行り、これは古代のロウマの下着、これはーー」
「分かりました。分かりました。広げないでください。いくら社会科の教師が今日、私だけしかいないとしても、駄目ですよ。服飾史は、範囲外ですが、いい参考本があります」
あわてる先生、かわいー。実は、流行りの下着は、わたしが履く予定ですよ、さすがに言いませんけど。
「先生はコルセット好きですか」
「先生は自然を愛してます。健やかに成長する方がいいと思います。そして先生の服の好みと、歴史は関係ありません」
先生をからかうだけで、毎日が充実している。
好きな人には意地悪なのは、きっとテラス神様もそうだから。神はお気に入りの人には、苦難を与えるらしい。
◇◇◇
乙女ゲー厶だと、そろそろ攻略対象を決めないと、大陸が滅亡してしまう。
聖女が愛に目覚めないと、最初の襲撃が防げない。
都市の上空に、邪悪な力が溜まって、空に魔法陣が描かれ、砲撃が発射されてしまう。
それを防ぐのは、聖女の結界、想い人を守りたいという純粋な防御の力だけ。
もうなりふりなんてかまってられない。聖女に攻略対象を決めてもらわないと。
「聖女アリス、恋愛はしているかな」
「なんですか。セクハラですか、訴えますよ」
「……」
「冗談ですよ。そんな固まらないでくださいよ」
危なかった。前前世のトラウマが想い起こされかけた。
「わたし、同世代に興味ないんです」
「歳上が好きというのは、若い女性にはありがちなことですが、あなたの近くには、同じ年齢でも魅力的な異性がいるでしょう。恋愛は素晴らしいものですよ。聖女は恋愛をしないと」
「なんだか、聖女って恋愛させられようとしすぎじゃないですか。教会でも、好きな異性はできないかとか聞かれましたよ。聖職者が何を気にしているのでしょうか」
教会の中にも、聖女の愛の力が大事だと、文献でも残っているのだろうか。あいにくと、わたしはみたことがないが。
「まぁ、そういうものですよ。若者は恋愛したほうがいい。わたしも若い頃は数多くの異性とあそ、」
聖女から極寒の冷気が漂ってきた。
あれ、おかしいな、私の目には、ニコニコと笑っている聖女しか見えないのに。
「先生、わたし、先生の恋バナに興味があります。具体的に、どこのだれと、いつ、どのように、遊んできたのでしょうか」
あれ、さっきまで熱かったコーヒーが冷めてしまった。
しかし、恋愛なんてしたことないぞ。頑張れ、俺。聖女に恋愛は素晴らしいと思わせないと。
人生3回目、未だ異性と交流できず。
「先生は、嘘つきです。テラス神から神託がありました。目の前の男は、恋愛未経験のこじらせおじさんだって」
テラス神よ、わたしの信仰は、今、死にました。
もう二度と入信することはないでしょう。
娘に、恥ずかしい秘密を暴露されました。神は死んだ。
「先生、わたしと、お試しデートに行きましょう。どうせ、実は先生のほうが恋愛したかったんですよね。もう仕方ありませんね。聖女のわたしが、優しくエスコートしてあげます」
ウキウキだった。
仕方ない。こうなれば最終手段だ。
わたしが聖女と恋愛して、聖女の力を解放してみせよう。
わたしのプラトニックな親子愛の力で。




