キャベツに愛をchap00
あの日の昼下がり、俺たちは――つまり、俺、岡島雄介と、小川恵梨、藤谷田慎治郎、そして谷本田キホ――は、全員そろって、キャベツに話しかけられた。
いや、正確に言えば、「巨大なキャベツが空中に浮かび上がり、紫の光を放ちながら喋り始めた」んだけど、そう言うと余計におかしく聞こえるから、なるべくシンプルに「キャベツに話しかけられた」と言わせてほしい。
「――キャベツを……流行らせてほしい」
その“声”は低く、堂々としていた。まるで千年の眠りから覚めた王のような、それでいて葉物野菜らしいみずみずしい響き。
「……は?」
真っ先に声を上げたのは、慎治郎だった。眉間にしわを寄せ、キャベツを指差す。たぶん、突っ込まないと気が済まなかったんだろう。
「おい雄介。今こいつ、喋ったよな? しかもキャベツのくせに命令してきたぞ? 俺らに?」
「命令ではない。願いだ。汝ら四人にのみ、我が声が届く。選ばれし者たちよ――頼む、キャベツを、再び人々の食卓の主役へと導いてくれ……!」
キャベツは神々しかった。まぶしいくらいに緑の外葉をきらめかせ、芯の奥から神聖な光を発していた。葉が1枚パリッと音を立てて開き、ふわりと甘い香りが漂ってくる。
……で、俺たちはというと、4人とも無言。
理由は単純だ。
全員、料理がまったくできない。
どれくらいできないかというと、俺・岡島雄介(35歳・未婚)は、料理という行為に“包丁を握った瞬間から不安になる”程度にはド素人だし、小川恵梨(29歳)はレシピ本を読むと目が泳ぎ始めるし、藤谷田慎治郎(27歳)に至っては火をつけようとしただけで煙を出した経験がある。そして谷本田キホ(33歳)に至っては――彼女は黙って電子レンジの前に立ち尽くし、どうすればカップラーメンが3倍うまくなるかを研究していたプロだ。プロのインスタント生活者だ。
それなのに。
「汝らには、キャベツの可能性を解き放つ運命がある。すでに“キャベツマーク”は刻まれたはずだ……」
そう言われ、俺たちは自分の手のひらを見た。
すると……確かに、そこには小さく、緑色のキャベツ模様が浮かび上がっていた。
「マジかよ……刺青? ペイント? 痛くねえのになんか浮いてるんだけど?」
慎治郎がうろたえる。その様子を、恵梨はすっごく複雑な表情で見ていた。たぶん、感情が混ざりすぎて反応しきれてない。
「キャベツを、世界に広めよ。新たなレシピ、新たな料理。お前たちに、その知恵と舌を育ててほしい。完成された料理など不要。ただ、最初の“斬る”から始めよ――」
浮遊するキャベツは、そう言って、ポトリと地面に落ちた。
……王は沈黙した。野菜室に戻ったのかもしれない。
「……いや、意味がわからん!!」と叫んだのは、やはり慎治郎だった。
彼の叫びと共に、俺たちの“キャベツ・クエスト”が始まったのだった。
───
まず、俺たちは最も初歩的な“斬る”から始めた。
というか、包丁を持つのが怖かった。キャベツが怖いんじゃない。自分が包丁で何かを壊すんじゃないかという根源的な不安がある。どこをどう斬るの? 芯? 葉? まるごと? 縦? 横?
「え、まず洗うのかな……?」
「皮を……むくんじゃない? え、むかない?」
「誰がむくの?」
「“むく”って言うな。キャベツに失礼だろ!」
「誰が言ってたんだよ、それ!」
こうして1時間。
俺たちはようやくキャベツを半分にすることに成功した。
結果、それだけで全員、放心。
「……何かすごいことを成し遂げた気がする……」と俺が呟くと、
「わかる……達成感すごい」とキホが頷いた。
そこからの「ざく切り」チャレンジは、慎重に、慎重に行われた。指を斬らないように。キャベツが飛び出さないように。
そして、電子レンジでチンするだけの「キャベツのレンチン塩昆布和え」――ただそれだけの料理を、俺たちは震える手で口に運んだ。
「……うまい……」
「え、めっちゃうまいんだけど……!?」
キャベツが、キャベツじゃなかった。いやキャベツなんだけど、別の何かになっていた。香りと塩気、そしてレンジで出た自然な甘さが、舌の上でほどけた。
「料理……してしまったな、俺たち……」
静かに呟いた恵梨の目に、少し涙が浮かんでいたのを、俺は見逃さなかった。