その後のお話
「聖女だからって必ずしも心が清らかとか、そういう事はないんですよ」
そんな事を言い出したのは、トラム国の聖女の一人、男爵令嬢メイリアだった。
もう一人の平民聖女であるララは、そのとおりよとばかりに深く頷いている。
誘われたお茶会。聖女だけの小さな場。
そこで、ノンナは思わずきょとりと目を瞬かせた。
メイリアは豊穣の神より祝福を賜った芽吹きの加護を持つ聖女である。
彼女の加護は教会で加護を得ようと思ったところでハッキリと効果があるとは思えないが、しかしそれでも田畑を耕す者たちは教会で加護をと祈り、そうして丹念に作物の世話をする。
芽吹きであって、その後放置していても勝手に作物が育ってくれるわけではない。
けれど、場合によっては芽吹く事すらないまま、なんて事もあるので。
そういう意味では軽んじてはいけないものだ。
……いや、そもそも神から与えられた祝福だ。どんなものであっても軽んじるなんて本来ならしてはいけないのだとは思うのだけれど。
「私ね、聖女になった時、ちょうど不作が続いた年で。
お腹いっぱいご飯が食べたくても無理だったの。下に妹や弟もいて、皆ひもじいって泣いてた。
だから私一人だけがお腹いっぱい食べたいなんて言えるわけがなくて、皆がたくさん食べられるようになればいいのに、って思ってたの。
そしたらある日、神様が祝福を与えてくれた。
でも、私が聖女になった切っ掛けはあくまでも家族がお腹いっぱい食べられるようになればいいのに、ってだけで、それ以外の人のことまで考えたりはしなかったわ。
聖女だって言われて、神殿で祈ったりするようになってからは家族以外の事も考えるようになったけど、でも、最初の願いはあくまでも自分とその近くの人の事だけ」
「あたしも似たようなものよ。あたしはお父さんがいつもお仕事で寝る暇がなくて、寝てもぐっすりなんてほとんどなかったもの。いつ見ても目の下には隈がべったりしてたし、それを見てあたしもなんだか心配で中々眠れなくてさ」
ララは夜の神から眠りの祝福を与えられた。
彼女の加護によって、この国の民は夜、眠る際悪夢に悩まされる事もなく、安らかな眠りを約束されていた。
「睡眠って大切よ。寝て起きて、全然疲れがとれないままだと朝が来ても全然嬉しくないし、その日一日始まってから終わるまで気持ちも沈んじゃうし」
ララの父親は役人をしているらしく、書類仕事に追われていたらしい。
捌いても捌いても終わりが見えない書類仕事。家に持ち帰るわけにはいかないので、残業をして夜遅くに帰宅する。そうして冷めてしまったご飯を食べたら、さっさと寝て朝一番に起きてまた仕事に行く。
そんな日々を繰り返していた事で、ララの母親は勿論その娘であるララだって心配していたのだ。
お父さん、寝たはずなのに寝てないみたいに疲れてる……
お昼寝に誘おうにもそもそも仕事で家にいないから、ララがそう誘うわけにもいかず、また少ない休日に父が家にいる時は、寝室でひたすら寝ているだけだったけれど。
そっと部屋を覗き込んだララの目には、父がとても安らかに眠っているようには見えなかった。うなされていたのである。
数字が……何度計算しても合わない……
なんでだ……うぅ……期日が明日……間に合わない……
そんな風に寝言が聞こえて、苦しそうな表情の父を思わず起こしてしまった事もある。
一度起きたら父はそのまま起きていたけれど、でも全然疲れが取れてる様子じゃなかった。
あのまま寝かせていればよかっただろうか……と幼いながらにララは心配になっていたけれど、でもあのままでもダメだと思ったのだ。
ララが聖女になってからは、父も夜はぐっすり眠れて朝とてもスッキリした目覚めになったけれど。
そうなるまでは、いつか寝たまま悪夢に囚われて二度と目覚めないのではないか……なんて幼いララはとても不安だった。
「寝ても寝た気がしないって、結構大変なのよね。頭はぼうっとしちゃうし、疲れたままだからちょっとした失敗もしちゃうし。それがだいぶ減っただけでも良い事だと思ってるし、ましてやノンナが来てくれたから、この国の人たちは皆元気いっぱいだもの」
「そうね、怪我とかは気を付けないといけないけど、でも健康だと怪我をしても治りが早いから」
「他の国の聖女の事は知らないけど、でもきっと他の国の聖女だって似たようなものなんじゃない?
みんなが幸せになればいい、なんて最初から思ってる人が神様の目に留まるかはわかんないけど、大切な誰かのために祈る人はいつ聖女になったっておかしくないと思う」
「えぇ、神様は沢山いるのだから、どの神様が自分を見てくれるかなんてわからないけど。
でも、強い願いに惹かれるのかもしれない……とは言われてるわ」
聖女の加護はずっと続くわけでもない。
ある日突然その加護が、力が消える事もある。
だから聖女の力に頼り切りでいるわけにもいかない。
けれど、神様に目を向けられて一時でも関心を引く事ができる相手だ。
その子孫にも目を向けられる可能性は高い。
だからこそ、かつては国の権力者たちと縁付かせようとされていた。
その結果、聖女を不幸にしていく形となってトラム国では一時期痛い目を見る結果となってしまったけれど。
聖女に関する研究もしてはいるようだが、ほとんど進んでいないといってもいい。
聖女になるには神に選ばれる必要があるけれど、何をどうすれば神が祝福を与えてくれるかは決まっていない。同じような行動をなぞったからとて必ずしも聖女になれるわけではないので。
「だからねノンナ、メルバ国のことで貴方が気に病むような必要ないわ。貴方は貴方が大切にしたい人のために祈ってればいいの。他の人はオマケくらいでいいと思うわ」
だってあたしたちがそうだもの、とララに言われてノンナはそれでいいのか……とすとんと納得してしまった。
追い出された国。
偽物だと言われて役立たずと蔑まれて、挙句散々扱き使われて、無一文状態で追い出されて。
でも、それでももうちょっと聖女として何かできていたら……と思った事もあったのだ。
ノンナの一番はダニエルだけど、聖女だと言われた時、それなら聖女と呼ばれるに恥じぬ行いをしようと思った事もあったので。
でもそんな必要がないのだとメイリアやララに言われて。
きっと必要なのは大切な人への気持ちなのだと言われて。
それでいいのか、とノンナはあっさりと納得できてしまった。
だって、誰かもわからないような人の幸せを祈ろうとしても何をどう祈ればいいかわからないけど、ダニエルやそれ以外のノンナが大切に思う人の幸せを祈るのなら、とても簡単な事だから。
そんなんでいいのか、と思ってしまうくらいに簡単な事。
「それに神様だって私たちにそこまで御大層な事思ってないわよきっと。
だってもっとすごい力を与えられてたら、それを利用しようとして争いが起きるかもしれないもの。
実際大昔にはそういう事があったって話だし」
「今の聖女の加護はあったらちょっとだけ助かるけど、なくなったら絶対に困るって程でもないのよね」
「ま、健康はないと困るとは思うけど」
「そうね、健康はね……なくなったら困るわ確かに」
メイリアとララが顔を見合わせて笑う。
でも普段から健康なら、失う事の方が滅多にないものだから。
多くはその事に気付かないから、本当の意味で失ってから大変な目に遭うのかもしれないけれど。
「それに、聞けば貴方の旦那さん、最近は貴方の加護がない日があっても倒れたりするような事もないんでしょ?」
「え、えぇ」
「あの後の調査でメルバ国の水質結構ヤバいってなったもんね。あれ加護でどうにかなってたかもしれないけど、もしなかったらそれはそれで遠くないうちに結局同じ事になってたんじゃない?」
いくつかの国に領土が振り分けられた元メルバ国だった土地では、様々な調査が行われた結果、工場の排水による水質汚染以外にも土壌汚染がされていたところだとかが発覚して、それこそ新聞を賑わせていたのだ。
そういう意味ではララが言うように、仮にノンナが健康の加護を持った聖女として出てこなくても。
いずれ国は崩壊していたのだと思われる。
もしノンナが聖女になっていなかったなら。
ダニエルはきっとあの時に死んでいたし、もしかしたらその後で体調を崩したノンナやダニエルの両親、それ以外のメルバ国の人たちも多く命を落としていた可能性すらあり得た。
そうはいっても、もっと自分に何かができたのではないだろうか……そんな風に思っていたところを、メイリアとララにバッサリと言われて、ノンナはなんだか目の前が開けたような気分だった。
神様だって気まぐれで祝福を与えるのだから、聖女だからって周囲の人が思うような理想の聖女像に自分をあてはめる必要なんてどこにもない。
そうなった結果、神様がなんか思ってたのと違うな……? みたいに思って祝福を消す可能性だってあるのだから。
そう言われて否定はできなかった。
ノンナは引き続きダニエルを一等大切なままでいればいい。
暗にそう言われて、それでいいのね……とノンナの心は「もしかしたら」や「たられば」のあれこれで悩む事をようやくやめる事ができたのである。
「あぁ、でも」
「なぁに? まだ何かあるの?」
「ダニエルの事が一番大切なのだけど。
でも」
「でも?」
「もう一人、同じくらい大切な人ができそうなの」
「えっ!?」
それって浮気とか!? と思わず声をあげようとしたララだったが、しかしノンナがそっと下腹部に手を当てたことでその叫びは上がらなかった。
「えぇっ、それ旦那さんには!?」
「まだ言ってないのだけど」
「なんで!? 言いなよ、早く帰って教えてあげなよ!」
「そ、そうですよ。そりゃ安定期に入るまでは……とか思うのかもしれないけど、知らないでいるよりは知っておいた方が注意する事とかあるんだから、知らせるべきだわ」
持ち上げたティーカップを速やかに戻してメイリアまでもがララに続いて言う。
先程までとは別の意味でにぎわい始めた事に、ノンナはきょとんとしたままだった。
「わかったわ、今度うちにある育児書とか持ってくから」
「えーっと、それじゃうちは何できるかな……あっ、赤ちゃん用の道具とか作ってくれる職人さん紹介する」
メイリアとララに詰め寄るように言われ、とにかく今はすぐさま帰って伝えてらっしゃい! なんて言われてしまえばそれ以上逆らえなかった。
まぁ、どのみちそろそろこのお茶会も終わる時間帯だっただろうし……とノンナは思って、それじゃあ、と席を立つ。
「まって私の馬車で送ってくわ」
「あ、あたしもついてっていい?」
「勿論よ」
ノンナが何かを言うよりも先に、どんどん物事が決められていく。
そうしてあっという間にメイリアの家の馬車に乗せられてノンナは帰宅し、ちょうど薬の調合を終わらせたばかりのダニエルに、メイリアとララが背後から早く早くと急かされながらも伝える形となったのだ。
ノンナの友人である二人の聖女までやって来て何事かと思っていたダニエルが、直後驚きと喜びのあまり両手を掲げて叫んだのは言うまでもない。




