新生活
宿を出てトラム国の大きな町へと移動した二人は、たどり着くなり早々にこの国の民になりたいのだという届を出した。
メルバ国で聖女であったノンナの存在は既にこちらの国の神殿にも知られていたらしく、ノンナは改めてこの国の聖女として認定された。
とはいえ、メルバ国と違って神殿で暮らさなければならないというわけでもない。
この国では聖女だからとて権力者と無理に縁づかせるような事はしていないので、貴族であるなら政略結婚こそあれど、しかし平民であるノンナには無関係だった。
この国の民として登録された後、二人はすぐに結婚届も出した。
トラム国でノンナとダニエルがまたも引き離されるとは思わないが、それでもメルバ国が余計な横やりを入れてこないとも限らない。
もう離れるつもりのない二人は式に関しては後回しにするにしても、とにかく一刻も早く夫婦になるのだと決めていた。
ノンナに課せられた事は、毎日じゃなくていいから時々神殿で聖女としての祈りを捧げてほしいというだけのものだった。メルバ国と比べるととてもささやかに思える。
だがしかし、ささやかではないものもあった。
聖女として祈りを捧げる事で、ノンナは聖女としてこの国で働いている、という事になった。
そうなるとどうなるか。
支払われるのである。給金が。
それはまだこの国に来て間もない二人の生活基盤をあっという間に整えるだけの稼ぎであった。
ダニエルは両親から薬師としてやっていけるだけのものを教わっていたけれど、しかしまだこの国では新参で信用とかそういうものはほとんどない。
それもあって、よく使われる薬を作ってはそれらをいくつかの店に売りに行くくらいしか稼げなかった。
両親が持たせてくれた餞別で、少しくらいは生活できるとは思ったけれど、それでもノンナとダニエル二人の生活をとなれば、それこそ最初のうちは本当に色々なものを切り詰める必要があると思っていたのに。
神殿はノンナがこの国の聖女として認められたから、という事で最初にある程度まとまった金を工面してくれた挙句、住む場所まで紹介してくれた。
メルバ国とは大違いである。
ノンナはダニエルの助手として薬の材料を用意したり調合を手伝ったりして、時々神殿に行くというのが当たり前となりつつあった。
その後は少し遅れてトラム国へやってきたダニエルの両親ともどうにか合流して、そうしてノンナが聖女としてメルバ国の神殿へ行く前までの暮らしがようやく戻ってきたのだ。
メルバ国ではノンナに給金など支払われなかった。偽物聖女なのだからと蔑まれ雑用などを押し付けられロクな食事も与えられず、無給でこき使われていたのだが、しかしトラム国ではそんな事がなかったので。
ノンナはようやくのびのびと、聖女になる前のような生活を謳歌していたのだ。
だって隣にはダニエルがいる。
まだ実感はあまりないけれど、ダニエルはノンナの家族になったのだ。
今までだって家族同然に暮らしてきたけれど、しかしノンナの立場はあくまでも居候とかそういう認識に近かったと思う。
けれど今、ダニエルはノンナの夫になった。ノンナはダニエルの妻だ。
誰にはばかる事もなく家族だと言えるようになった。
それがノンナには嬉しくて仕方がなかった。
ダニエルと結婚した事で、ダニエルの両親の事もようやくおとうさんおかあさんと呼べるようになった。
今までは遠慮しておじさまとかおばさまとか、そういう呼び方しかしていなかったから。
家族のようだったけれど、家族じゃなかった。
それが家族になったというのは、ノンナにとって幸せな事だった。
ダニエルは途中の宿場町だとかで両親に伝言を残していたから、合流するまでにそう時間はかからなかった。
そして両親は他にもメルバ国を出てトラム国へ移住するというご近所さんとも連絡を取り合っていたらしく、気付けば見知った顔をご近所で時々見かけるようになった。
全部が全部以前のままというわけではないけれど、それでもノンナにとってはようやく帰ってきた、と思えるもので。
ダニエル程虚弱な人間が他にいたわけではないから、ノンナはいかにダニエル以外にもノンナの聖女としての加護が働いていたか、と言われてもピンとこなかったけれど、最近になってようやくほんのり理解できるようになった。
新しくご近所さんになった人たちの中には年配の人もたくさんいて、ノンナは色んな事を教えてもらっていた。
近所の美味しいパン屋さんの事とか、怪我を治すのが得意な医者と、病気の時に診てもらう医者の事とか。得意分野がハッキリしてるから、用途に合わせて受診しなさいね、なんて。
そんな生活のあれこれから、でも最近は新しい聖女様のおかげであまり医者にかかる事も減ってきた気がするわ、なんていう世間話も。
この国では聖女は別に神殿で生活する必要がないようなので、わざわざ誰がそうであるか、だとかを公表しないのだとか。
勿論、公表した方が良い場合というのもあるのでそこら辺は人それぞれだが、少なくともメルバ国で嫌な思いをしたノンナはこの国で聖女だと名乗るつもりはなかった。ただ、神殿からはこの国に新しく聖女が出た事だけを知らせる形であるので、ノンナが聖女だとは知らなくても新しく現れた聖女の事をトラム国の民は知っている。
その新しい聖女が健康という加護を持っている事も。
この国でも健康の加護なんて役に立つのかしらね? なんて言われるかと思っていたノンナだったけれど、しかし少なくともご近所さんから聞こえる話からはそういった懐疑的なものはなかった。
ダニエルは言う。
「やっぱあの国がおかしかったんだよ。そりゃ、例外としてここに超絶虚弱だったのがいるけど、そうじゃない人たちだって年齢による老化とかで健康なんて若い頃に比べて失われるものなのにさ、あいつらそういう有難み全く理解してなかったもんな」
「あの国の人たちが人一倍健康体だった、とかじゃないの?」
「どうだかな。
だってノンナは神殿で毎日祈ってたんだろ?」
「う、うん。だってダニエルの事が心配だったし……」
「おかげで毎日元気だったけどさぁ、でもじゃあ他の人たちにもその加護は間違いなく働いてたんだよ」
「そう、かなぁ……」
「あぁそうだとも」
だって、とダニエルは言う。
「だってこっちの国だとさ、最近知り合ったご近所のモニカ婆さんとか、膝の痛みが軽減したって言ってたし、斜め向かいのトムのおやじさんだって最近寝起きがずいぶん楽になったって言ってたぞ」
「それ、関係あるかなぁ……?」
「何かした上でそうなったならともかく、なんもしてないのにそうなったっていうなら加護だろ。
モニカ婆さんの膝の痛みは年齢によるものだから、医者に行っても治んなかったって話だし、トムのおやじさんだって寝るのはまだしも、起きても疲れがとれなくて身体が辛いって言ってたのがなくなったって言ってたし。
しかもそれが、ノンナがこの国に来て祈るようになってからだぞ。じゃあ、全部じゃなくたって一部はノンナの加護だって思っていいと思う」
一番わかりやすい方法としては、ノンナが祈るを止めて様子を見るとか、この国を出てしまえば加護はなくなる。そうなれば特に何もしていないのに体調が良くなった者たちの調子がまた以前のように戻る可能性は高い。
もしそうじゃないのならノンナの加護ではない、となるけれど。
しかし良くなっていたのが前の状態に戻るのであれば、落差のせいで体調が悪く感じるようになるかもしれない。
それを考えると、気軽にじゃあちょっと試してみましょうか、とはノンナは言えなかった。
祈るのを止める場合はダニエルにも被害が及ぶかもしれないし。
かといってこの国を出るのも……と思うのだ。
他の国の事をノンナはあまりよく知らない。
この国は聖女だからと神殿での生活を強制されたりも、王族やそれに近しい高貴な身分の家の花嫁候補としてだとか、そういうものを強いられる事はないけれど、でも他の国がメルバ国と同じようなものであるのなら、ノンナは正直この国にずっといたいと思うわけで。
ダニエル以外の人たちに自分の加護がどれだけ効果を発揮しているかはよくわからないけれど。
「ダニエルが元気でいるなら他の人に効果があるとかないとか、そういうのあんまり気にならない……かな」
「ノンナがそれでいいならいいや。ノンナが意味もなく軽んじられるようならこっちだって黙ってないけど、この国じゃそういうのなさそうだし」
「うん。あ、でもね、この国の他の聖女様とは知り合ったの」
「神殿で?」
「うん。最初にそれとなく教えてもらってたけど、会う事になるかどうかはわからなくて。
でもこの前お祈りに行ったら丁度会う事ができて」
「へぇ」
「一人は私と同じ平民で、もう一人は貴族のお嬢様だったの」
「……大丈夫だったのか?」
「平気よ。だってこっちじゃ王族の結婚相手に、だとかじゃないみたいだもの。だから向こうみたいに結婚相手になるための蹴落とし合いとか、そういう事にならないもの。
……うん、ディシュリー様やガルシア様とは全然違って、とても気さくな方よ」
貴族と平民だけど、既にこの国にいた聖女の二人はそれなりに顔を合わせる事にもなっていたようで、仲が良かった。そこにノンナも良ければ仲良くしましょう、と言われて。
本当にいいのかな……? なんて思ったけれど、この国の聖女二人はそんなノンナに遠慮なんていらないから! と折角だから今度一緒にお茶でもどう? なんて誘ってくれたのだ。
メルバ国にいた時にはあり得ない展開だった。
ディシュリーやガルシアはノンナの事を良く思っていなかったから、そんな風に一緒にお茶をしましょうなんて誘ってくる事がなかった。いや、仮に誘われたとしても、ノンナに対して良い感情を持っていないであろう相手の誘いに乗りたいなどノンナだって思わないので、誘われなくて良かったと思っている。
この国の聖女の一人は貴族とはいっても、うちは男爵家だからあまり平民と変わらないのよ、なんて言っていたくらいだ。フレンドリーなのはきっとそこら辺も関係している。
ともあれ、トラム国に来てノンナは初めて友人と呼べる相手ができたのである。
ダニエルとこれからもずっと一緒にいられるし、お友達もできたし、いい事尽くめである。
こうして考えると、あの国から追放されてよかった、と思えてくる。
もしあのままメルバ国にいたのであれば。
ディシュリーかガルシアのどちらかが王子様と結婚したとして、そうなれば選ばれなかった方とノンナはそれ以外の貴族の家に嫁がされる事になっていたかもしれないのだ。
あの二人がせっせとノンナは役立たずの名ばかり聖女だなんて噂を流してくれていたので、もしそうなっていたのであれば。
お前のような者を娶ってやったのだ、とかきっとそんな風に尊大な態度の相手の家に無理矢理送り込まれて、大切にされないまま望まない結婚をさせられていたかもしれない。
もしそうなっていたら。
ダニエルの事を想いながら、果たしてどこまで頑張れただろう……?
ダニエルの事を想いながら、好きでもない相手と結婚させられて、しかもそれを有難がれなんて言われて、好きでもない相手の子を産まなければならない。
考えただけでも最悪すぎる。
そう考えると、追放されて良かったとしか思えないのだ。
だって聖女になる前以上に、今が幸せなのだから。
神様協定で基本的に聖女がいる国だけに加護がいきわたるようになってる仕組み。じゃないと神様も世界中に加護を回す事になりかねないのでそこまで力を持たない神とかそれやるとぐったりする。
じゃあ一つの国が世界を統一したらどうなるかって話だけど、神様的に多分それは無理だろうと思ってるからその時はその時。




