幼馴染
メルバ国で一番弱い者の名前をあげよ、と言われればダニエルはそれは自分だと即答できる。
ダニエルは生まれた時から身体が弱かった。
生まれて間もなく死にかけたし、その後も何度か今夜が山場だと思ってくださいみたいな事を医者に言われた。
もっと言うのなら、十歳まで生きられれば奇跡、とまで。
実際それくらいの年齢まで、ダニエルは毎日いつ死んでもおかしくないくらいだと思っていた。
同じ年の子のように外を駆け回れる体力もない。
無理に走ったところで、すぐに息切れして呼吸が苦しくなるし、夜には身体が熱を持ってぐったりする。
少し夜更かしをしようものなら簡単に風邪を引いて数日は寝込む事になるし、季節の変わり目には必ずと言っていいほど体調を崩し寝込んだ。
一日の大半をベッドの上で過ごすのが当たり前だった。
そんなだから、同じ年の友達はできなかったと言ってもいい。
だって同じ年頃の子たちは、外で駆け回ったりして遊ぶのが常だったから。
そんな中にダニエルが交じっても、すぐに倒れるようなダニエルの事など周囲はすぐに邪険にし始めた。
お前と遊んでもつまんないし。
いこーぜ皆。こいつのいないところで遊ぼう。
そんな風に言われて置いて行かれて、ダニエルは友達を作る事を諦めた。
仲間外れにされた事を、最初は勿論悲しいしどうしてこんな目に、と思う事もあった。
その寂しさと悔しさが綯交ぜになった感情を親にぶつけた事だってある。
両親は――とりわけ母はそんな時決まって悲しそうな顔をして言うのだ。
「健康な体に産んであげられなくてごめんね……」
――と。
自分が他の子と同じではなく、むしろそれより脆弱である事は幼いうちに早々に理解したけれど、でも別にそれで母親を責めたかったわけではない。
皆と同じように遊ぶ事ができなくて、それが悲しかっただけで。友達ができなくて寂しかっただけで。
母親が悪いと言いたいわけではなかったのに。
それでも自分のその言葉のせいで母親にそんな顔をさせてしまった事をダニエルは幼いながらに申し訳なく思っていたし、自分の置かれている現状と、母親に対する感情が繋がっているわけではないのだという事を上手く言葉にできなくて、言い訳にもならないような言葉しか出なかったのももどかしかった。
それで余計に母親に申し訳なさそうな顔をさせてしまった事も。
ちょっと感情を高ぶらせれば熱が上がって寝込む事になるし、そのせいで余計に母親には申し訳なさそうな思いをさせる。それでも親が自分を見捨てていないのはわかっていた。
熱にうなされて苦しくて、意味もなく涙がぽろぽろとこぼれた時に、そっと拭ってくれた事も。
熱くなった額に置かれた手の冷たさも。
寒さに震えた時に包み込んでくれた手の温かさも。
食が細くてろくに物も食べられなかったダニエルのために、色々な工夫をしてくれたことも。
母親だけではない。父親だってダニエルのために色々としてくれた。
自分が弱く生まれてきたのがダメだったのであって、父さんも母さんも悪くない。
そう思っていたけれど、でもそれを上手く言葉にできなかった。
弱いのはダメだけど、でもダニエルという存在そのものがダメだとは自分でも言いたくなかったし、もしそうやって口に出していたらきっと両親が悲しい顔をするとわかっていたから。
悪気も何もない、当たり障りのない言葉でも、嘘偽りのない本心であっても、それを口に出して伝えたとして、まるでダニエルと両親の間には目に見えない壁があるかのようで。
まっすぐに伝わってはくれなかった。
塞ぎ込むばかりだったダニエルに、それでもたった一人、寄り添ってくれた人がいた。
それは隣の家に住んでいた女の子だった。
他の近所の子たちは皆活発で外で遊びまわる事が多かったけれど、その子はどちらかと言えば大人しくて家の中で遊ぶのが好きな子だった。
だからだろう。ダニエルとは別の意味でその子は周囲から浮いていた。
だからだろうか。その子は一人が寂しくて、ダニエルのところにいたのかもしれない。
その子は別にダニエルと違って元気に走り回るくらい余裕でできたはずなのに。
皆と遊ばないのか?
なんて聞いたこともあるけれど。
その子は決まってこう言うのだ。
いいの。ここにいる。
最初は遠慮がちだったけれど、その子は段々ダニエルのところに通うようになって、気づけば毎日一緒にいるようになった。
晴れている日も、雨の日も。
いつだってダニエルの隣にいて、本を読んだり絵を描いたり、他愛のない話をぽつぽつとして。
ダニエルを孤独からすくい上げてくれたのだ。
親に悲しい顔ばかりさせて、自分はきっとずっと一人なんだと思っていた。
でもそうじゃなくなった。
それがどれだけダニエルにとって嬉しかった事か。
自分のどうしようもない状況にやりきれない顔をしていたダニエルに徐々に笑顔が増えた事で、両親も同じように笑顔が増えてきた。
その子はダニエル一家にとってまさしく救いだった。
その子が十歳になった頃、その子の親が死んだ。
病気だった。全然そんな気配もなくて、気づいた時には手遅れだった。
この国には癒しの聖女様がいて、聖女様の力は教会に行けば受ける事ができる。
神殿で祈りを捧げる聖女様によって、教会を通じてその恩恵にあずかる事ができる。
けれどもそれは、怪我に関してのみであって病気には効果がなかった。
昔に比べて死傷者が減った、とは聞いているけれど、それでも人は死ぬ。
教会に運び込む事が間に合わなかったりすれば死ぬし、怪我以外の原因であればもっと簡単に死んでいく。
死が身近に潜んでいるダニエルは、きっとそれを周囲の誰よりもわかっていた。
他に頼れる親戚はいなかった。
その子は一人きりになって、まだ子供なのもあって一人じゃ生活できないのは明らかで。
働きに出るにしても、ロクな仕事はないだろう。
仕方のない事だとわかってはいる。
わかってはいたけれど、それでも。
ダニエルは、生まれて初めて両親に対して我侭と自覚している事を言った。
幼馴染を……ノンナをうちの子にしてほしい……と。
あの子の親は死んでしまった。
自分もいずれ死ぬだろう。
親を失ったあの子。
これから子を失う両親。
ちょうどいいんじゃないか、と思った。
自分が死ぬまでの間だけであったとしても、それでも一緒にいれば優しい両親の事だ。
ダニエルが死んだからといってすぐにノンナを追い出すような事はしないだろうとも。
そういった打算のようなものが浮かぶ程度には、ダニエルは考えていたのである。
ダニエルの祖父は医者だった。
おかげで、と言っていいかはわからないが、幼い頃のダニエルは体調を崩してもすぐに祖父が診てくれた。
けれど祖父はダニエルが五歳の頃に亡くなってしまったし、その後は薬師をしている両親がダニエルが元気になれるようにと色々試してくれた。
幼い頃に十歳になるまで生きられたら奇跡、とは言われていたけれど。
ダニエルは既に十歳になっていた。
けれど、そこで奇跡だと思えず、むしろそろそろ自分の命は終わるのだと思っていた。
ダニエルという存在がある間は、ノンナと両親が一緒にいても何もおかしな話じゃない。
自分が死ぬ前までに、せめてノンナにも一人で生きていけるだけの術を教えてあげてほしい。
できれば自分が死んだ後も、自分の代わりにノンナの事を頼みたい。
それはダニエルの人生で最初の我侭だった。
ダニエルの願いが叶ったのか、ノンナはそれからずっとダニエルの家で暮らすようになっていた。
親が死んで悲しいはずなのに、それでもダニエルの前ではそんな素振りも見せないで普段通りに接してくるノンナに、泣きたいなら泣いたっていいんだぞ、なんて言った事もあったけれど。
悲しいけど、でもダニエルがいるから大丈夫。
そう返してくれたノンナに。
思えばきっと、そこで恋をした。
そう長くないだろう自分の、きっと人生最初で最後の恋。
ノンナといられる時間はきっと残り僅かで。
けれど、それでもダニエルにとっては充分だと思っていた。
特別な事は何もなかった。
ダニエルは相変わらず一日のほとんどをベッドの上で過ごしていたし、動くにしても家の中だけ。外に出てあちこち移動できるほどの元気はなかったけれど、ノンナはそんなダニエルにずっと寄り添っていてくれた。
特にこれと言った変化のない日常。
あと何日、こうやってノンナと一緒に過ごせるだろう……?
そんな風に思う事もあった。
けれど、好きな人が自分と一緒にいてくれるというのは幸せな事だとダニエルは理解していて。
自分が死んだ後、ノンナはどうするんだろう、という漠然とした不安と疑問もあった。
自分が死んだ後、ノンナにはそれでも幸せになってほしい。その想いは本当だ。
けれど、幸せになったノンナの隣で、自分以外の誰かが笑っていると思うと、それはなんとなく嫌だった。
だからといって、そんなことを口に出すわけもなく。
というか、見知らぬ誰かに嫉妬したなんて言えるわけがなかった。
大体言われたノンナだって困るだろう。
嫌われたくない。
困らせたくない。
今だってきっと、迷惑をかけてる部分があるのだから。これ以上嫌な部分を見せたくなかった。
それはダニエルの中に少しだけ残っている男としてのプライドというよりは、単なる意地で。
どうしようもないとわかっていても、それでもダニエルはノンナに少しくらいかっこよく見てほしかったのである。
あぁ、もうだめかもしれないな。
そう思う事は何度もあったけれど、今回は格別だった。
今までダメだと思った事はあったけれど、今回のはその比じゃなかった。
立っていられない。上半身だけ起こす事もできそうにないくらいぐったりとして、力を入れても全然ダメで。
呼吸が上手くできなくて、熱のせいで身体は熱いはずなのに同時にどうしようもなく寒くて震えが止まらなかった。くらくらして目の前に黒い靄がかかるみたいになってきて、あぁ、このまま目を閉じて眠れば自分は本当に死ぬのだ……と自然と理解するまでになっていた。
最後にせめて、ノンナや両親に何か言葉をかけようと思っても、頭ではそう考えていても口から出る声は言葉というよりはただの音でしかなくて。
それどころか、両親の声も、ノンナの声も近くにいるはずなのにどんどん遠ざかっていって。
ぎゅっ、と握りしめられた手は、いつもならきっと痛いと言うくらい力強く握られていたのに、今はそれすらあまりよくわからなくなっていて。
十歳どころか十二歳まで生きたんだから、充分に奇跡だったよ……なんて思って。
そうして自然と瞼が下がっていくのを、ダニエルは抵抗しようともせずそのまま目を閉じようとして――
「やだっ、やだ! ダニエル! いかないで! 貴方まで私を置いて一人にしないで!!」
その声だけが、やけに大きく聞こえた。
泣きそうなノンナの声。
そんな風にしているのは紛れもなく自分で。
泣くな……そう言いたかったけれど果たして言葉になったのだろうか。
わからないなと思いながらも意識は遠のいて――
気づけば翌日だった。
「え……? あれ……?」
まだちょっと怠いけれど、それでも昨日のアレはなんだったのだと言うくらいにダニエルの身体は本人が思った以上に動いた。
ゆっくりと身体を起こして見回せば、自分の家の自分の部屋で。
上半身だけをベッドに乗せるようにして寝落ちしているノンナの姿。
その目にはうっすらと涙の跡があった。
「ノンナ……?」
あれは、夢だったのだろうか……?
そんな風に思いながらも、そんなところで寝てたら身体痛くするし風邪だって引くかもしれない。
そう思って手を伸ばして、そっとノンナの肩に触れた。
「ノンナ……ノンナ、なぁ、起きてくれよ」
「ん……んぅ、ダニエル……?
……ダニエル!」
「うわっ!?」
起こされた事で意識が完全に覚醒していない状態のままノンナは目を開けて、ぼんやりとダニエルを見た。
そうして名前を呼んでから、弾かれたようにノンナは起き上がってベッドに膝を乗せ勢いよくダニエルに抱き着く。
「良かっ……よかった……ダニエルが、死んじゃうかと思った……
あ! おじさまとおばさま呼んでくる!」
「あっ、おい……!」
ダニエルが呼び止める間もなく、今度は慌ただしくベッドから降りてノンナは、
「おじさまー! おばさまー! ダニエルが! ダニエルが起きたよー!」
弾むような声でそう言って。
ドタバタと騒々しい足音を立てて両親がダニエルの部屋に駆け込んできたのはそれから間もなくの事だった。
この日からダニエルは劇的に回復していった。
今までちょっとした事で体調を崩していたのが嘘のように。
ベッドから降りて家の中を歩き回るだけでも精一杯だったのが、日に日に回復していったダニエルは家の中だけではなく外を出歩けるまでになった。
それどころか、外で走っても倒れるような事もなくなったのだ。
いきなり走ってまた倒れても困るから……と様子見くらいの気持ちで少しだけ走っても、息切れはするけれどでも倒れる程ではなかった。
今までが今までだったので体力はまだそこまでなかったけれど、それでも快挙だった。
今までなら間違いなく軽い気持ちで外に出てちょっと走ろうものならすぐ倒れていたのだから。
少しずつではあるけれど、毎日できる範囲で身体を動かしていくうちに、体力も少しずつついてきた。
今までできなかったことができるようになってきた。
ダニエルにとっての小さな世界が突如拓けた瞬間でもあった。
とはいっても、ダニエルは決して一人で自由に、なんてことはしなかった。
出かける時にはノンナを誘って、今まで本でしか見る事のなかった草花を共に見に行ったり、木々にとまる鳥を見たり。
多くの人が気にも留めないような事でも、ダニエルにとっては新鮮なものだ。
自由に動いても苦しくないし、息も切れない。
いつもならこれくらい動けばとっくに身体は限界を訴えて、下手をすればその場で意識を失ってもおかしくなかったのに、しかしダニエルの身体はまだまだ元気いっぱいだとばかりで。
そんな感動をノンナと分かち合い、ダニエルは改めてノンナが隣にいる幸せを嚙みしめたのである。
けれどもその幸せは長くは続かなかった。
ノンナが聖女であるという神託が降りた事で、ノンナは王都の神殿へ行かねばならなくなってしまったのだ。
既にこの国には聖女が二人いるけれど、ノンナもまたその聖女の仲間入りを果たしたのでこの国の三人目の聖女である。
一生神殿にいるわけではない。
ただ、今までの慣例から聖女は王族やそれに近しい血筋の家に嫁ぐことが多いため、此度は王子の結婚相手が定まるまでは神殿で聖女として活動してほしいとの事だった。
王子の結婚相手、と言われてもノンナは困惑するだけだった。
だって自分には無関係だと思っていたのだから。
王家に近しい血筋の家に嫁ぐ事になる可能性もあるけれど、しかし現状聖女と年が近いのは王子だけ。
恐らくは既にいる二人の聖女のうちのどちらかが選ばれる事になって、ノンナはある程度役目を果たせば帰ってこれると……そう、神殿からやってきた使いは確かにそう言っていた。
案外すぐにお相手が決まるかもしれない。
そんな風に考えて、ノンナは少しの間だけ王都へ行ってくる、と困ったように笑うから。
「……頑張れよ」
「……うん」
ダニエルも困ったように笑って見送るしかなかった。
思えばずっとノンナがいたから、いない事がなんだか不思議で。
それでもノンナの聖女としての加護はダニエルに惜しみなく与えられていた。
ノンナは命の神の祝福を授けられ、その加護は健康である。そう神託が降りたのだと言われて、ダニエルは納得したのだ。自分が元気になれたその原因に。その加護に胡坐をかくような真似をせずダニエルはノンナがいない日々の寂しさを誤魔化すように体力づくりに励んだ。
今までならできなかったけれど、しかしノンナの加護で健康を得た今のダニエルは人並みの体力を得る事ができたし、体調を崩す事も少なくなってきた。
王都にいるノンナに手紙も書いた。
返事は、来なかった。
きっと聖女として忙しいのだろう。
そう考えていたけれど、やはりどこか寂しくて。
今までが今までだったから友人らしい友人もロクにいなかったし、それもあってダニエルは身体を鍛えるか薬師でもある両親に教えを請うかのどちらかでほぼ一日を過ごしていた。
時々手紙を出すけれど、やはりノンナからの返事は来ない。
そうこうしているうちに、ダニエルが暮らしている町にまでノンナが役立たずの聖女だという噂が流れるようになってきたのだ。
そんなはずはない!!
そう否定して回りたかったけれど、町の人たちはその噂を信じていた。
ダニエルと同じくノンナも町の同年代の子とはあまり関わらずダニエルとばかり一緒にいたものだから、ノンナがどんな娘であったかを知る者が少なかった事が原因だろう。そしてその噂は他の聖女やその友人である貴族の令嬢たちが言っているとなれば。
お貴族様が言うんだ、間違いないだろう……と信じられてしまったのである。
そんなはずはないのに。
ノンナが聖女として頑張ってるのは間違いない。
そうじゃなかったらダニエルは今頃ベッドに逆戻りしていたっておかしくはないのだから。
けれど噂はどんどん悪いものになっていって。
そのせいだろうか。
ダニエルの体調も少しだけ悪くなって。
そうしてそのすぐ後に、ノンナが偽物聖女としてメルバ国から追放されるという噂が駆け巡ったのだ。
「帰ってくるって……帰ってこれるって言ってたじゃないか……!」
こうしちゃいられなかった。
ダニエルはありったけの荷物をかき集めて、そうして家を出たのである。
両親も一緒に行きたかったけれど、すぐには無理だったから。
だから両親からの餞別と一緒にダニエルが先にノンナと合流するつもりだった。
噂では隣国へ追放されたというし、急げばきっと……!
そんな風に思ってダニエルは、隣国へと急いだのである。




