第2話
いつも、死ぬことについて考えてきた。
と言っても、自殺志願者だとか、死が救済だとか
メンタルヘルスによる妄執だとか、そういったものではない
自分なりの哲学、考え方、納得のさせ方のようなものだ
今現在、世界に存在するさまざまな宗教では、人は死んだら天国や地獄に行くだとか、神様の元へ変えるなどという。
さらに現行の科学では、人は死ぬと土に還り、分解され土壌に吸収されるだけだと、そしてその先は無いのだと。
本当にそうだろうか。
いや、そんな事が可能だろうか?と言いたい。
この宇宙で、拡散していく粒子が、多様性を帯びていく現象界が、不変とされる物理現象が
僕らにも適用されるならば
死ぬことも、死なないこと、生きていることも全て
粒の配置に過ぎないということだ
時間さえも、粒の配置の連続に経過を見出しているだけに過ぎず、
僕達が生きている実感は、意識による変化の知覚によって形成される。
簡単にまとめてしまえば、『意識こそが世界』という認識だ
意識など所詮は脳の電気信号で、死ぬことによってそれを失うのか
クオリアは身体とは分離した場所にあるのか
それは、いつか科学と宗教が交差する場所に行くまで、誰にも分からないのだと僕は思った。
─────────
亀は、突然動き始めた。
夕暮れ、蝉が静まり始めた午後5時を回る直前
自衛隊のヘリと、海上保安庁だとか、米軍の船だとか、野次馬や報道関係者が見守る中
大地が削られるような地響きを上げて、亀は進行を始めた。
象のように長く太い足の上下動により、海底の砂は持ち上げられ、海面は子供が飛び込んだ風呂場のようにたわんで
打ち上げられた潮が亀の頭上から、霧のように降り注いだ
現場はパニックになり、さっきまで集団幻覚だなんだと騒いでいた老人も、早く逃げろと叫び始める
町には緊急避難警報が鳴り響き、住民たちは高台へ避難するよう勧告がされた。
僕は堤防沿いで突っ立ったまま呆気に取られていたが
たまたま車で通りがかった会社の後輩、山田が、僕を見つけ慌てて車内に引きずり込んだ。
「なにやってんすか、逃げますよ あれヤバすぎますって」
後輩は新車で買ったばかりの軽を飛ばし、山の方へ向かった。
およそ8000人ほどの小さな町であったためか、渋滞は起きておらず、頂上の避難場所になっている高台までは10分とかからなかった。
インターネットでニュースを見ると、地震警報と津波警報が同時に発令されている
アナウンサーが忙しくカンペを変え、裏方の怒号が混じる。
テロップによると、津波の到達は30~40分、最大9mが予測され
その場にいる誰もが、いやおそらく日本全体が『あの日』を連想していた。
恐怖とやり場のない焦燥感が避難民全員の心を支配していく
見えない地震ではなく、確実に存在くる怪物による災害だ
悪意の有無に関わらず、ただただ、アレはゆっくりと、しかし確実に近ずいてくる。
視覚的な恐怖は、自然災害とは比べ物にならない。
僕は左腕に目をやり、学生時代から付けている銀色の腕時計を確認する。
高台から見える亀の挙動を目視で測った限りでは、彼は1歩踏み出して着地するために、5分以上の時間を必要としているようだった。
確かに。これだけの巨体だ、動くだけでも莫大なエネルギーと負荷が掛かるに違いない。
むしろ、この地球の重力下で、あの自重を支えられているだけでも不可思議なことだ
凄いなあ、一体どうやって…
妙に関心していると、右隣から不安そうな声が聞こえてくる。
「先輩、あれなんすかね、ここ、どうなるんすか」
彼女はひどく怯えているようだった
よく考えてみたら彼女は命の恩人だ
なにか安心させる言葉を掛けたいが
しかしこういうとき、『大丈夫だ、問題ない』と言えるようなリーダー性も人格もないので
「うーん、分かんない、死ぬんじゃないか僕ら。」
と答えるしかなかった。
すると彼女は怪訝な顔をして、返事をしなかったが、次第に慌ただしくなり
家族に連絡を取ったり、周りの人と話したりし始めた
僕はそれを見て、普通はそうかと思い、遠方の母にメッセージを発信した。『相続についてですが…』
突然、ドン。と前方で空気を切り裂くような爆音が鳴り響いた。
先程までスマホを叩いていた後輩も、うずくまっていた周囲の人達も、そして僕も海の方を見た。
亀の頭部から煙が上がっている。
その範囲は広く、あの巨大な頭部を持ってして、目や口は煙に隠れ目視では確認出来なくなるほどだ
「自衛隊の対処がこんなに早いとは…いや、米国か?」
そう発したのは地域でも有名な、元自衛隊員の老人、三島さんだった。
これは本人が飲みの席で自慢していたものなので真偽は定かでは無いが、どうやら現役時はレンジャー部隊に所属し、いくつもの功績を上げたらしい。
「ミシマさん、もしかして今のは武力攻撃ですか?」
銃やミサイルはおろか、爆薬による作用さえも、生で見るのは人生で初めてだ
「ああ恐らく、そして今の兵器は日本じゃ使用されないタイプの…俺はイラクに行ってた米兵から聞いたことがあるが…」
その後も専門知識を用いて、知識の無い僕らに分かりやすく説明してくれようとしたが、さっぱりだった。
「しかし…おいアレ見ろ。どうしてだ。本当に…生き物か?」
ミシマさんが指を指す方向を見ると
亀は依然、昼に見た姿そのままで、少しの傷を負うことも無くそこに存在した。
どうやら、ミサイル攻撃では効果がないようだ。
亀は、穏やかな表情で
一切の歩みを止めない。
目視で確認できるほど大きな津波は、確実にこちらへ向か
ってくる
運命の時が近付くのを感じながら
僕はなぜか安堵していた。