第50話 始動
三月も半ばを過ぎ、アルカディアにもようやく暖かな春が訪れた。
アストレア王国とヴァルハラ王国を隔てているカミド山脈の峰にはまだうっすらと残雪が見えるが、大陸南方の温暖な気候の影響もあって、すでに雪山と呼べるほどではない。
私がエルディン学園の卒業記念パーティ中にアルバート王子から婚約破棄を突きつけられてから早一年。
そして私《理沙》がこの世界に来たのが、リサがアルカディアへと向かっていた去年の六月。追放されたリサと、転生(?)した私にとっての波乱の一年が過ぎ去った。
領地の借金問題も解決し、新たに魔石による収入源も得た一年。リサの救国計画に対して、なかなかに収穫があったのではないだろうか。
一番の懸念材料だったダウントン侯爵もリサに対して好意的であるように感じるし、何とかこのまま友好な関係を続けていきたいと思う。
「よくぞ来てくれたリサ嬢!!再び君に会える日を楽しみにしておったぞ!!」
この歓迎ムードからするとチョロそうな気もするけど。
ジェリエストンの雪解けを待って、再び私はダウントン侯爵の下を訪ねていた。
今回はこちらから謁見したい旨の手紙を送って、その了解を得た上での訪問である。
「今回は閣下に謁見出来た事を心より感謝いたします」
「いやいや、そういう堅苦しい挨拶は止めてくれ!命の恩人である君にそうかしこまられては、どうにも座りが悪い!」
騎士団長であったコルトによる突然の襲撃。
一時は生死の境を彷徨っていたダウントンだったのだけれど……。
それほどの大怪我を負ったというのに、目の前のソファに腰かけているダウントンは、まるであの事件が夢だったのではないかと思ってしまう程に元気だ。
「そうは参りません。本日はアルカディア子爵として、ダウントン侯爵閣下に話があって参ったのです」
「ふむ、そうで、あるか。では一先ずそちらを先に済ませてしまおう」
一先ず?いやいや、そちらが大事な本題であって、他には用事ありませんよ?
領地の事も気になるので終わったらすぐに帰りますからね?
「……閣下も《《大変》》お忙しい身でございましょうから、《《さっさと》》用件を済ませてお暇させていただきましょう」
「いや、別に私はそれほど――」
「本日お時間を頂きましたのは、閣下にお願いしたい儀があっての事です」
「私に願いと?」
「はい。閣下に私の寄親となっていただきたいのです」
貴族間の寄親、寄子の関係とは、いわば身元保証人のようなものだ。
ダウントン個人はリサに対して好意を持っているようだけど、それは個人間での話。他の貴族との間で何か問題があった時に味方になってくれる保証はない。個人と領主、そして貴族の関係性とは必ずしも同じではないのだ。
「寄親か……私に出来る事であれば、君の頼みを叶える事はやぶさかではないのだが……」
思っていた以上にダウントンの反応が悪い。
私的にはもっと簡単に引き受けてくれるものだと予想していたんだけど……。
「何か問題があるのでしょうか?」
「問題……というかリサ嬢、君はマイヤー閣下のご息女であろう?」
「はい。それは閣下もよくご存じでございましょう。それが何か?」
「つまりは保守派筆頭家のフィッツジェラルド公爵閣下の娘を、革新派筆頭家のダウントン侯爵家が寄子として迎えるという事なのだぞ?」
――ああ!!
派閥違いの事は全く考えてなかった!!
私個人としては公爵家から籍を外した身だし、そもそもそんな派閥自体に全く興味が無い。
だけどダウントンの言わんとしている事の不味さは理解出来る。
たとえ遠方へ追放された身だとしても、リサが公爵家の娘であるという事実が変わる事はない。他の貴族たちにしてみれば特にそうだろう。実際に私もその印象を利用していた部分があるし、ここで公に実家とは完全に決別しました!なんて宣言をするのも後々都合が悪いことになりそうだ。あくまでも実家との関係性はぼやかしたままの方が良い。
「……難しいでしょうか?」
「難しいな……。たとえ私やマイヤー閣下が良しとしても、互いの派閥に所属している他の貴族の中には不信感を抱く者が出てくるだろう」
「不信感ですか……」
「ああ、マイヤー閣下は革新派と繋がって国王陛下に対して何やら不満を抱いているのではないかと疑われる可能性があるし、私としても王国の改革を叫んでいるのは口先だけで、本当は保守派と馴れ合い、そんな気など最初から無かったのではないかと思われるかもしれん」
「そこまでですか?」
「これでも軽く見積もった方だと思うぞ。それぞれの派閥の足並みが乱れるような事になれば、統制を失って制御の効かなくなった者たちがどのような暴走をするか想像出来ぬからな。最悪の場合、貴族同士の小競り合いから大きな争いに発展しかねん」
これまでも――今現在も、王国の至る所で貴族同士の武力的ないざこざは起こっている。
派閥を隔てた場合であれば、フィッツジェラルド家とダウントン家が仲裁に入って収めているが、同じ派閥内での争いであれば、どちらかの家が取り潰しになってしまうという事態にも発展している。
それでもそこで争いが収まっているのは、それぞれの寄親ともいうべき上位貴族の裁量によって判断されているからで、その指示に従わない者が現れたとすると、その争いの火種は更に大きな戦火を巻き起こす事になるかもしれない。
「そうなれば東方貴族たちの思うつぼだ。奴らは常に王国の粗を探して牙をむく機会を伺っているのだからな」
ヴァルハラ東部を治めている貴族たちは、元を辿れば亡国の血を引く者たちである。
ヴァルハラが今の領土となる以前にはそれぞれの小国が乱立しており、属国という過程を経て、最終的にはヴァルハラに吸収される形で一領地となったという歴史がある。
表面上は王国に忠誠を誓っているが、ヴァルハラ譜代の貴族たちは、どちらの派閥にも所属していない彼らに常に疑いの目を向けているのだ。
そしてその懸念はやがて現実のものとなる。
「キミツグ」のバッドエピローグ――反乱その5。
その中の一貴族が武力蜂起し、隣接する領地へと一方的な進軍を始めた。そしてそれをきっかけに東部の各地で連鎖的に争いが起こった。彼らの目的は同じ。打倒ヴァルハラ王国ではなく、かつて滅んだ自らの王家の復興。その為に少しでも大きな力を手に入れるべく戦いは繰り広げられ、ヴァルハラ東部は互いが互いを飲み込まんとする巨大な戦火に包まれる事になる。
王国も当然その鎮静にあたるべく各地に仲裁の使者を送る。しかしその使者の誰もが二度と王都へと戻ってくることはなかった。
交渉による解決が難しいと判断した国王はついに兵を動かす。しかし争っているどちらを鎮圧すれば良いのかの判断がつかない状況であり、その出兵の主な目的は、相手も王国軍の軍勢を見れば大人しくなるだろうという威嚇目的での出兵だった。しかし蜂起した貴族たちは止まらない。王国軍が各地の戦場に到着すると、それまで争っていた両軍から一斉に挟撃を受けて敗走するという最悪の事態に陥った。
そうして徐々に勝者によって統一されていく東部貴族たち。
逆に分散した王国側の戦力は勢いよく削られていった。
そして「キミツグ」のエンディングからちょうど十年後。ヴァルハラ東部を統一した大貴族によってヴァルハラ王家は滅亡を迎えた。




