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戦争とマーレイとの出会い

 それからちょうど一週間後だった。我がエルサス王国の北西にあるリジット王国が我が国に宣戦を布告した。


 リジット王国は一年ほど前に王弟が前国王を無能だとして殺害し、政権を簒奪し新しい王となった。彼は好戦的で知られる人物だった。以前の国王と結んだ平和条約は破棄され、不穏な空気が漂っていたのは私も知っていた。

 我がルドウィン伯爵の領地の一部がそもそもはリジット王国の物だったと主張していると言うことも聞いていたが、リジット王国はさらにその北にあるワイス国と戦争をしていたので、まさか我が国に攻め入るとは多くの人は考えていなかった。


 商会を持って情報こそが命だとつくづく感じたから、あの時のエルサス王国の情報網は機能していたのだろうかと今更ながらに疑問に思う。


 最初にリジット王国が攻め入ったのは我が領地の逆の方向のベルナ高原の方だった。エルサス王国の主力部隊はそちらの方面に向かった。父の話だと、フィリアスも小隊長として戦いに徴用されたと言う。

しかし、敵は攻め入ったと思ったら引いて行き、三か月ほどは膠着状態が続いていた。


 婚約解消の話のすぐ後に「自然に触れて、嫌なことは忘れましょう」と言う母のすすめに従って、私たちは領地に向かった。


 領地に滞在中に、王太子の婚約破棄の噂が流れてきた。自分の愛するレリアをエルザ嬢が虐めたと言うのがその理由らしい。お茶会でエルザ嬢と会ったことがあるが、公爵令嬢と言う立場にもかかわらず謙虚で優しい人だ。どうして虐めたなどと言う話になったのか理解ができなかった。王太子はレリアと結婚すると宣言したともいう。

その話を聞いて、こんな時に何をやっているのかととても腹立たしかった。


 そんなある日、父が私と母を呼んで、悲愴な面持ちで話し始めた。


「もしかすると今戦っているベルナ方面は主力部隊を引き付けるための偽装かも知れない。我が領地のコルノ山の後ろの方に敵の大軍が集結していると言う情報を得た。お前たちはとりあえず避難しなさい。領民も希望する者にはいくばくかのお金を持たせて避難させる。領主は領地と領民を守るのが務めであり、重い約束だ。私はここに残って戦う。心配するな、絶対にこの地を明け渡すことはない。国にも援軍を頼んでいる。少し後には必ず会えるだろう」

そう言って私達を抱きしめた。


 私はこんなに急に物事が展開するとは思っていなかったので、家族と離れ離れになる覚悟もできていなかった。

父と離れるのが嫌だと何度も言ったが

「お前たちが残って人質にでもなったら、国に迷惑がかかる。今は王都も安心はできない。とにかくしばらくの間、オルトン皇国のお母様の親戚の家に避難していてくれ」

そう言われたら、もう従うしかなかった。


 殆どの使用人にも暇を出し、私たちは大河の向こうのさらにその先にあるオルトン皇国へ避難することになった。


 屋敷の門から私たちの馬車に向かっていつまでも手を振る父。それが父を見た最期になるとは思いもしなかった。


 一か月半ほどかけて着いたのはオルトン皇国の北側の街はずれの母の従妹の家だった。一応男爵家ではあるが、小さな領地に小さな村が二つほど。男たちは農作業に従事し、女たちは織物や刺繍などをして身を立てているような場所だった。

言語は幸いなことにこの大陸の国々は基本とする言語は同じだ。もちろんその国によって表現の違いはあるので、それを理解すれば良いだけだ。


 離れを使っていいと言われたが、その離れはキッチンが着いた部屋と寝室だけの小屋よりはましという程度の家だった。私は小さい頃からの使用人の子らと野山を駆け回っていたので、料理や炊事、洗濯を覚えるのは苦にならなかった。

それでも、彼らは半年後に家令のモイセスが私たちを訪ねて来るまでは、わりと親切にしてくれた。


 モイセスは領地に命を捧げるつもりだったが、父に領地や自分のことを私たちに伝えてくれるように説得されてこちらに向かったと言う。

 

 彼の話によると、私たちが領地を去ってから三か月ほど後に領地は敵に手に落ちた。

屋敷は敵に渡すわけにはいかないと父が焼き払ったという。そして父は死を覚悟して戦ったので生きてはいないだろうと。

 自分が領地を出てきた時は、まだ王都は持ちこたえていたが、今はどうなっているのか分からないとも言っていた。

 あまりにも惨い展開に、私と母は抱き合ってただただ泣いた。


 父もいない。故郷ももう無いのだと思うと、婚約解消の時とは比べ物にならないほどの空白が心に広がった。


 モイセスの来訪は知っているので母の従妹に秘密にしておくわけにもいかず、領地の惨状と父が亡くなったことを話した。


 それから彼らの態度が一変した。

仕方がないとは思う。もう後ろ盾もないし、お金もいずれ底をつく。だから、私たちはこのままここにいることはできないと思った。

 最初は私だけ首都に行き、仕事を見つけて落ち着いたら母を迎えに来ようと思ったが「あなたの足手まといになるかもしれないけど、こんな時は離れない方が良いと思うの」と言われ、二人で首都に行くことにした。

 私たちはもうここに戻ることもないと思ったから、どこへ行くとも告げずに母の従妹の下を去った。彼らもどこへ行くのかと私たちに尋ねもしなかった。


 首都に来た私たちは安宿に泊まりながら、仕事を捜した。そのころから私はただのジーナと名乗り始めた。落ちぶれた貴族令嬢では足元を見られると思ったからだ。

商店の店員や事務員をあたったが、もう決まっていると言われたり、上から下まで嫌らしい目で見る人もいたので、やはり考えが甘かったのだと落ち込んだ。


 その日は日暮れの狭い道路を俯き加減に歩いていて横から駆けて来る人に気付くのが遅れた。

彼も急いでいたようで、ぶつかる寸前で気が付いたが、彼の持っていた数枚の紙が散らばってしまった。

私は謝りながら慌ててそれを拾った。彼も「僕が悪いんです」と言いながらそれを拾っていた。

ふとその紙を見ると『商会員募集中』と書かれていた。


「あの、これは?」

「ああ、職業紹介ギルドが閉まる前に持って行こうと思って慌てていて済まなかった」

「どのようなお仕事でしょうか?」

「簡単な文書整理かな。字を読めればできる仕事だよ」

「あの、私ではだめですか?」

「は?」

「私、仕事を捜している最中でして、字はもちろん読めますし、計算も得意です。南の島や西の大陸の言語も少しは話せますが」

「え、すごいな。でも、そんな人に来てもらっても沢山の給料は払えないんだ」

「いいです。仕事があれば」

これが後に夫になるマーレイ・ハインズとの出会いだった。


 マーレイは男爵家の次男で、十八歳で学校を出てから、ある商会に務め、八年働いてようやく独立するめどがつき、事務所を開いて従業員を少しずつ募集しようとした矢先に私と出会った。

小さな事務所には使い走りの十三歳の男の子がいるだけで、本当に大丈夫なのかと思ったが、マーレイは有能でさらに実直でもあったので、それなりに顧客もついていた。


 マーレイのところで仕事をすることになった私は、さっそく山となっている伝票を計算して整理した。

すると彼は「偶然とはいえ、素晴らしい人材が来てくれて本当に幸運だった。これで僕は営業や交渉に専念できる」ととても喜んだ。


 マーレイはフィリアスより少し背が高いが細くてちょっと頼りない感じがした。それに短い黒髪の頭を抱えながら仕事をする姿は私よりも十歳も年上なのにどこか幼く見えた。もしかすると私は守られるより守る方が性に合っているのかとふと思った。


 私と母は事務所近くの共同住宅に移り、オルトン皇国の首都ホスクでの生活を始めた。母も少しずつ家事をするようになり簡単なスープくらいは作れるようになった。

 ハインズ商会の取引は香辛料や塩、砂糖が多かったが、これはどこの商会も手掛けているもので実入りは少なかった。私は彼に薬草を輸入することを勧めた。西の大陸から輸入しているものの中には珍しい薬草が多数あったので、効能を書いている言葉を調べながら、少しずつ種類を増やしていった。


 ある時、南の島の商人から綿で出来た平織りの薄く透ける生地を紹介された。それは下着用という話だったが、下着だけのために使うのはもったいないほど美しかったので、薄い生地に似合う淡い色に染めてもらい、それをドレスとして仕立ててみた。

マーレイにも少し先行投資をしてもらったが、幸いその生地で作ったドレスは涼やかでこちらの暑い夏にはぴったりと言うこともあり、爆発的に売れた。


 私が彼の下で働き始めて一年が経ち、従業員も少しずつ増えて何とか商会の形になって来た。

いつものように従業員たちが帰った後、私とマーレイはそれぞれの書類と格闘していた。そんな時、マーレイが書類を見たままポツリと言った。


「ジーナ、結婚しよう」

私も、書類を見たまま答えた。

「ええ、そうしましょう」


彼は驚いたように書類から顔を上げて言った。

「ほんとにいいのか? 君のような貴族のお嬢様に僕が相応しいとは思っていなかった。だが、気持ちを抑えられなくなったんだ」

「元貴族です。今はあなたが好きなただのジーナです」


マーレイと仕事をして、同じ目標に向かって努力することがすごく心地よかった。

フィリアスはどちらかと言うと弱いものや醜いものを私から遠ざけようとしていた。でもマーレイは何事にも共に向き合い解決しようとした。もうマーレイのような人には出会えないと思った。


 その日、私は初めての口付けをした。


 そして、私たちは二か月後に結婚式を挙げることになった。マーレイが私の気持ちが変わらないうちにと焦ったらしい。そんなことはないのに。


 マーレイはあの薄い生地をふんだんに使ったウェディングドレスを用意してくれた。


「こんなにお金を掛けなくてもいいのに」

「僕たちの娘も着るかもしれないよ」

「......そうね。ありがとう」


仮に娘ができたとして、その娘の時代にはまた流行が変わるのよ。と、もう少しで言いそうになったが、マーレイのその言葉は幸せな未来を想像させ、彼の温かな心が嬉しかった。


 彼は小さくて居心地のいい家を買って、私の母も一緒に住まわせてくれた。

母は最初は遠慮したが、彼女もその頃には殆どの家事をこなせるようになっていて、私が仕事に専念できるのも母のお蔭だった。そして、すぐに子供ができたので、結局は母と同居してとても助かった。


 子育てしていると、もっと絵の多い幼児向けの本が欲しいとか、遊んで自然に字や物事を覚えていくようなおもちゃが欲しいと考えるようになって、マーレイは私の提案を実現するために東奔西走していた。

 それに何と言っても子供はすぐに大きくなる。子供の服をいちいち仕立てていたら、仕立てているうちに成長してしまうので、初めからその年頃の子供の大きさに合った洋服を作っておけば良いのではないかと思い、お針子を何人か雇い年齢違いの子供服を大量に作った。色やレースやリボンで少し雰囲気を変えて直販店を開き、それらを売り始めた。

『ララの子供服』という名前で商標権も取った。

 貴族の家からもう使用しない子供服を引き取って、手直しをし、それも販売した。

貴族から庶民までの顧客が付き、後に同じような店も現れたが『ララの子供服』はいまだに高い地位を保っている。


 子供服に付随する小物入れや靴や帽子も作ってみた。ドレスにポケットの付いていない大人のドレスにも子供の小物入れが重宝すると評判になり、大人用にと美しいビーズや銀を使った小物入れを作成依頼した。それは腰のベルトに着けたり、斜め掛けにもできて、おしゃれな婦人たちには必需品になった。

 もちろんこれらを扱う店には母の名から『ナタリーの小箱』という商標権を取った。


 マーレイが手掛けている薬草や毛織物の取引も順調で、やがて私たちは邸宅と呼ばれるほどの家に移り、何人かの使用人も抱えるようになった。


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