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フィリアスとの婚約

ペットが亡くなる場面があります。お気を付けください。

 私は自分の執務室兼応接間である商会長室の深紅のアームチェアに埋もれて、一時間ほど前に帰って行ったフィリアスが語ったことを反芻しながら、何度もため息を吐いていた。


軽くノック音がしたあと、「入るよ。出張ご苦労様」

ニ十歳になる息子のチェイスが、商会長室のドアを開けて入って来た。


彼は腕を組んだまま返事もしない私を見て

「あれ? 支店開設に何か問題があったの? それとも僕たちの結婚式が近づいて来たから、息子を取られるような気になって寂しいとか?」

などと馬鹿なことを言った。


「その方がまだ良かった......」

「おっと、かなり重症だね。エルサス支店の方は順調って聞いているから他の理由か」


「さっき、私が十二歳の時に婚約したフィリアス・ウェイドという男が来たの。その婚約は解消されていないから今すぐにでも結婚して欲しいと跪いて求婚された......」

「フィリアス・ウェイドって、確かエルサス王国の将軍じゃないか?」

「ええ」

「なにがどうなっているんだ?」

「偶然に偶然が重なったとしか言いようがないかな......」

「ま、父さんが亡くなってから十年も経つし、リセルも結婚して幸せそうだし、母さんも再婚してもいいんじゃない? 今までだっていろいろ話はあったんだろ?」

「私にとっては、あなたやリセルの幸せが最優先だったからね。マーレイのような人はいなかったし、皆、私の資産狙いに見えてその気は起きなかった。ただ今回は今までとは違って......」

「何が違うの?」


◇◇◇

 

 いま私は、長男のチェイスの結婚を機にハインズ商会の商会長の座をチェイスに譲り、戦禍から復興しつつある私の生まれた国、エルサス王国に支店を開設するべく動いている。故国に戻ることは、私の一つの目標だった。やっとその機会が巡って来たのだ。

 ハインズ商会はオルトン皇国を拠点とするかなり大きな商会だ。

息子はまだ若いが、一つ違いの妹のリセルやその夫のキーナンもいる。補佐する者たちも優秀だから存分に活躍してくれるはずだ。私も顧問として商会に在籍するけれど、基本の活動はエルサス王国に移すつもりでいる。


 私はエルサス王国の中でも格式の高い伯爵家ルドウィン家の一人娘だった。その頃の名はジョジーナ。十七歳の時にオルトン皇国の商人、マーレイ・ハインズと結婚してジーナ・ハインズと名前を変えた。

 


 ルドウィン伯爵家の領地は王都から馬車で半日ほどの距離だ。王都に近いのに自然に恵まれ、農産物も豊富な土地だった。 

 私は婿を取ることが決まっていたので、言葉を覚えて間もない頃から歴史、言語、経理、などの勉強をさせられた。


 私が生まれる前に姉が二歳で亡くなったので、私が健康だと言うことが両親には殊の外嬉しかったらしく、きちんと勉強さえしていれば、使用人の子供たちと領地の野原を駆け巡っても口煩くは言われなかった。もちろんいつもメイドのカリンや執事見習いのロジェが付いて来た。


 草原の斜面を大きな葉っぱを使って滑り降りたり、トンボやコオロギを捕まえて誰のが一番大きいと比べたり、山ブドウやベリー類を採りにいったり、穏やかな川面や湖で水切りをしたり、美しい自然とその思い出は大人になっても私の心に潤いを与えてくれた。


 あれは三歳の頃、メイドのカリンと領地の小川を散歩していた私の耳に「ク~ン」と言うかすかな鳴き声が聞こえた。

私は思わず声のする方に駆け出していた。カリンが慌てて「お嬢様、待ってください」と言っていたが、全速力の子供の足は結構速い、私はカリンに追いつかれる前に背丈の高い雑草の中に埋もれている子犬を発見した。

私は躊躇することなくその子犬を胸に抱えた。そして屋敷に戻り、父にこの犬を飼いたいと懇願した。

父は最初は渋い顔をしたが「使用人任せにせずお前が責任をもって面倒見るのなら許そう」と言ってくれた。私は「約束します」と言って何度も頷いた。そんな私を見て領主の顔になった父が言った。

「領主たるものの約束は重いぞ。そのことをきちんと覚えておきなさい」


 その犬に三歳の私でも呼びやすいようにとララと名付けた。ララは一歳を過ぎると少し灰色がかっていた毛も真っ白になり、私の行くところにはいつも付いてくるようになった。二年もすれば大人の半分ほどの大きさになり、外で遊ぶ時はカリンやロジェの代わりにララが私に付いて歩くことになった。

水切りが大好きな私は、いつの頃からか水切り用に最適な石を川原で見つけてはポケットに二、三個入れて歩くのが習慣になった。


 そして五歳になった頃だと思う。勉強も終わり、やっと解放されたうららかな春の日。その日は小さな湖で皆と集合することになっていたから落ちていた木の枝を振りながらララと歩いていた。

すると突然ララが駆け出した。

「ララ、どうしたの?」

慌てて追いかけたら、ララは林の奥で切り株の上に腰を掛けて俯いている男の子の前で止まって私を見た。その子の洋服は汚れてはいたが、平民の子でないのは分かった。

 その子は大きなララを見て、恐れる様子もなくララに話しかけた。

「君はララって名前なの? 僕と同じ白い髪だね。犬はいいな。毛の色で虐められたり嫌われたりしないものね」


その子は白い髪が顔半分を隠していて顔立ちは良く見えなかった。私はおそるおそる男の子に近づいて聞いた。

「髪の色で虐められてるの?」

「うん、今日は兄上に髪を引っ張られて蹴られた。母上はそれを見て何も言わなかった」

「それは大変だったね」

「皆、僕がいない方がいいっていう」

「医者の叔父様が言ってたけれど、髪の色は成長すると変わることがあるんだって。ララも子犬の時は灰色だったんだよ。私も亜麻色じゃなくて金髪になったらいいな」

「もったいない。すごく綺麗な髪なのに」

「あなたも自分で思っているより綺麗な髪だよ」

「え? ありがと」

「王都から来たの? 結構歩いたでしょ」

「夢中だったから分からない」

「お腹空いてない? これ上げる。ちょっと形崩れちゃったけど」

私は外出前に厨房に寄り、そこで貰ったクッキーを右ポケットに入れていた。それを彼の目の前に差し出した。

彼は嬉しそうにそれを両手で包んだ。


「いいの?」

「ええ。そうだ、これも上げる。水切りの石だよ。これは特別な石なの。お日様に当てるとキラキラ光るの」

今度は左ポケットから一番お気に入りの石を出した。彼の両手はクッキーでふさがっていたので、ズボンのポケットに入れてあげた。

「水切りってなに?」

「あまり波のない水面でこうして石を投げると、石が水面を跳ねて行くの。私はまだ六回くらいかな」

「へえ、面白そうだね」

「うん。あなたもムシャクシャしたらやってみるといいよ。すっきりするから」

「やってみる!」

「良かった。元気になったね。じゃ私は約束があるからもう行くね。気を付けて帰るんだよ」

「ありがとう」


私は手を振って彼と別れたが、一番いい石を上げたことを少し後悔していた。

あれがあったら今日は十回は行けたかな、と。



 時は過ぎ、私が十二歳になったある日、父のアイザック・ルドウィン伯爵に執務室に呼ばれた。執務室で話すなんてことはまだ成人前の子供にはとても珍しいことだったから、私は何か悪いことをしたのかしらと不安だった。

けれども、執務室の大きいソファに既に座っている母ナタリアの機嫌は良くて、それを見て私はほっとした。

私が母の隣に行儀良く座ったのを見て、父はおもむろに話し始めた。

「ジョジーナ。お前の婚約を決めたよ。時期としてはちょうどいい頃だと思う。相手はウェイド公爵家の三男、フィリアス様だ。彼は十四歳で非常に賢く武にも才能を見せているそうだ」


 一緒にソファに座っていた母も顔を上気させながら私の両手を取り「お婿さんが決まったのよ。素晴らしい縁談で良かったわね」と喜んでいた。

私は好奇心に駆られてなぜその方に決めたのかと父に尋ねた。

「実は、かなり前からいろいろな方面から婿候補の話はあったのだが決めかねていた。今回は陛下の推薦があってね。ウェイド公爵家のフィリアス公子は陛下の甥にあたるのだよ」


貴族の結婚は、すべて駒を動かすがごとく。そこに本人の意思はない。だからと言って不幸だとも限らない。

両親だってそうだ。

「来週、こちらにお見えになるから粗相のないようにな」

「はい。丁重にお迎えします」


 相手がどんな人でもよほどのことがない限り婚約解消は出来ない。私の人生を左右するその人に興味と少しの不安を抱いた。


 次の週に現れたフィリアス・ウェイドは、銀色に近い金髪に薄紫色の瞳の涼やかな美しい少年だった。

第一印象は悪くなかった。

従騎士の制服に身を包んだ彼は、満面の笑みをたたえて黄色い薔薇の花束を私に差し出して紳士の礼をした。


「美しいジョジーナ嬢。あなたと婚約できて僕はとても嬉しいです。これから愛と信頼を育てて行きましょう。そして、どうかあなたの隣に立つ栄誉を下さい」

亜麻色の髪でグレーの瞳の地味な十二歳の少女を一人前の淑女として扱ってくれた。


 ララは初対面の人に対してはいつも低いうなり声を上げる。かといって部屋に閉じ込めると、ドアをひっかいて滅茶苦茶にされるので、その日も一緒にフィリアスに面会することになった。

ララが相手を敵認定をしなければ、うなってもそのまま大人しく私の側にお座りをしているので、襲い掛かるようなことはしない。

 父は「ララが彼をどう扱うか楽しみだね」などと本気とも冗談ともつかないことを言っていた。


 不思議なことにララは彼を一瞥しただけで私の傍に臥せの姿勢で前足に頭をのせて目をつぶっていたのだ。

彼がララに近づいても、ララを撫でても少ししっぽを振って一瞥しただけだった。

そのことについてもう少し深く考えていれば私の人生は違っていただろうか?

今となっては分からない。



 それから三年間、私は淑女学校へ通い、フィリアスは騎士学校を卒業して正式な騎士となった。彼はとても優秀だったらしく、あっという間に小隊を任せられていた。忙しい中で何とか日にちを調整し、私たちは世間一般の婚約者同士の正しい距離を保ちながら交際していた。

 フィリアスはいつも優しいまなざしで私をエスコートしてくれた。時間がある時は二人でお茶や乗馬を楽しみ、ララと遊んだ。そんな時、彼は心からの笑顔を私に向けていたと思う。


 ララが亡くなったのは私が十五歳になったばかりの頃だった。内臓にできものが出来て弱っていると言われたのがその半年前。本当にあっという間にララは私の下から去って天国へ旅立った。

何よりも悲しかったのは、ララの首に抱き着いたときの温かさ、ララをゆっくり撫でるときの感触、駄目だと言うのに私のベッドに乗って来ていつの間にか私の足元で寝ていた時の重み、それらを永遠に失ってしまったことだった。

 フィリアスは忙しい中、すっかり落ち込んでいる私のために何度も王都の我が家に顔を出した。

二人で、ララの思い出を良く語った。草の上に寝転ぶと顔をなめられるとか、林の中でわざと隠れると右往左往していたとか、この縄の結んだおもちゃはお気に入りだったねとか。

そんなことを話しているうちに、私はだんだんと彼に惹かれて行った。彼が婚約者で良かったと思った。


しかし、そんな関係にも転機が訪れる。


気を付けてはいますが、誤字はきっとありますよね。よろしくお願いします。

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