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憑き物落し  作者: 独楽
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名も無き名刀と魂



 庭の山紅葉や錦木がすっかり紅く熟れた様に紅葉している。


 縁側から観る庭の美しさが、驟雨は気に入っていた。


 手入れがきちんと行き届いている割に、驟雨自身が庭の手入れをしているわけではなく、使役している式神に全て任せ、自分は美しく仕上がった庭の景観を肴に美味い酒を呑む事を由としている。つまり三船驟雨とはそのような人物なのである。


 その唇はほんのりと紅く染まり、酒に濡れている。


 瞳は冷徹な煌きを放ち、森羅万象を貫いてしまいそうな視線を携えている。

 

 人の存在は迷いや憎しみ、嫉みや苦しみの連鎖によってこの世に繋ぎ止められ形成される。だが、驟雨はその全てをさも超越してしまったかのような飄々とした表情をしている。不思議な人物だと、彼と接した者たちは口を揃えて云うだろう。


 事実、彼には懇意にしている友人や勿論嫁に来るような女性も居らず、世間一般では青春と呼ぶ日常を、彼は知らない。


 否、感覚としてや知識としてなら誰よりも熟知しているかもしれないが、如何せん経験がなかった。

 完璧な人間などこの世には存在せず、完璧を求めるは人の性であると、驟雨自身も常々思っていることである。


 ただ、片瀬真一と云う人物に措いては、驟雨の持論も意味を持たない。


 三年前に仕事の都合で出会った青年が片瀬である。

 今も驟雨の隣に座して、酒をほろほろと呑んでは鯛の刺身を一切れ口に運んでいる。

 

 『ん、うん。 いや、よく脂の乗った鯛だ』


 片瀬は口の端に付いた醤油を右手の甲で拭いながら舌鼓を打っている。

 

 『お前は魚を選ぶのが上手いな、真一。 こんなに旨い鯛を食ったのは俺も初めてだ』


 驟雨は元々細長い瞳をさらに細くし、笑った


 『だろう? この間の鮎も実に旨かったが、なんと云っても魚の王様は鯛だな』


 片瀬はそう自慢げに言った後、また一切れ口に入れた。


 『それで、頼んだ物は手に入れてくれたか?』


 薄く刺身にした鯛を喉の奥にしっかりと流し込んでから、じんわりと杯を口元へ、それから自慢げな表情になり、後ろに控えさせていた一振りの刀を驟雨の前にどかんと置く。

 

 『見事な業物・・・・。 名刀菊一文字宗則だ』


 深紅に染まる鞘は名刀の醸し出す独特の雰囲気を滲ませている。


 おもむろに驟雨は宗則を手に取り、刀身をゆっくりと抜く。


 ぎらりと妖しい光を放ちながら徐々に刀身が抜き放たれ姿を現す。


 『不思議だ、驟雨。 お前が持つと、不思議なくらい絵になるな』


 驟雨は柄を外し、(なかごり)を確かめた。 そこにはしっかりと菊の文様が銘記されている。正真正銘の菊一文字である。


 『感謝しなければなるまいな。 よくこの刀を見付けてくれた』


 『なに、ちょっと親父のコネをつかったまでのこと、そう気にするな。 それに、金を出したのはお前だしな』


 それにしても ―と片瀬は真剣な眼差しで驟雨に云った。


 『このような刀が必要なくらい今回の依頼は危険なのか? 俺にはよくわからんが、何にしても死ぬような事だけはあってはならんぞ』


 『大丈夫さ、俺はまだ死なん。 ただ、今回はこの刀なくして恐らく成功は難しかろうからな。 お前には無理を言った。 本当に感謝しているよ』


 お互いにそれ以上刀に関しての話はしなくなり、再び優麗な庭の情景を愉しみながら酒を飲み始めた。


 秋と云う季節は、人の心を(つや)やかに彩るように。


 秋と云う季節は、人ならざるモノの心までをも(あで)やかに奮い立たせてしまうのかもしれない。


 それは誰が決めたものでもなく、また偶発的にと云うわけでもなさそうだ。何らかの因果をもって、モノの心、魂は動いてしまうものらしい。


 例えばそれが秋でなくとも、例えばそれが夏であり冬であっても然り。


 それら怪異を引き起こし、世に災いをもって百害と成す。悪霊払いや祈祷師、陰陽師や霊媒師と呼ばれる類の者らはあまりに非力。


 八百万の神々はただ静観を貫き、人の世を正すも壊すも人次第と云わんばかりに。


 『哀しい事だと、思わないか。 真一・・・・― 』


 『俺はそう悲観してはいないぞ? 何にしてもお前がいるではないか。 この世界は広い。 だが、少なくとも俺の住むこの地にはお前が居てくれる。 それだけはいつも神様に感謝しているよ』


 二人は呆っと庭先を見つめたまま、頬を紅く染めて酒を呑んだ。


 片瀬の杯に酒を注ぎ、驟雨が云った


 『今回の依頼は、少し厄介でな・・・・。 解決策としてはお前の手に入れてくれた菊一文字さえあれば良いのだが、俺は全く剣術の心得が無い。 そこで梓巫女(あずさみこ)を明日東北の霊山から招いている』


 『あずさ・・・みこ? それはどんな巫女様なんだ』


 『梓巫女。 所謂イタコや市子と呼ばれる者達の事だ。 死んだ者の霊を口寄せできる能力をもっている特殊な人々だ。 時には政府の依頼を請けて神降しをしたりするが、殆ど山から下界へ姿を見せることは無く、恐らくその存在を知っている者はそうおらんだろう』


 片瀬は眉根を寄せて、う~んと唸っていたが、驟雨が『お前も明日来るだろ?』と訊くと、うむと答えた。


 





    二



 飯盛町の一等地に片瀬の邸宅がある。家主は片瀬籤一(かたせひごいち)、片瀬真一の父にして何百年も前からこの地に住まう地主である。


 片瀬家の所有する土地はこの飯盛は勿論のこと、他町他県に及び、片瀬家七代先まで悠々自適に暮らせるほどであろう。


 そんな片瀬家の嫡男として生を授けたのが片瀬真一なのだが、この男、自他共に認める道楽癖がしばしば見受けられる。学生時代には喧嘩で何度か警察沙汰にもなり、家の家財や貴重な品を質にいれては金に替え、遊び歩く。


 そんな片瀬を見兼ねた籤一は、ある日真一を呼び出し仕事に同行するように告げる。もちろん真一は難色を示したが、断れば勘当だと云われ渋々了承したのである。


 その仕事とは、片瀬家が所有する物件の一つで旅館を経営している女将から『最近ご宿泊してくださるお客様がとんと減りまして、原因を調べてみるとどうやら幽霊が度々目撃されているらしんですけど、私どもではどうにも対処できません』 と云うのだ。


 そこで片瀬籤一はこの地に住まう霊媒師「三舟驟雨」に祓いの依頼をしたのである。


 片瀬真一と三舟驟雨の出会いはその旅館が、まさに最初の出会い。


 『しかし、驟雨と出会ってからずいぶんと経ってしまったが、あいつが自宅に女性を呼ぶなんて初めての珍事。 これは楽しみだ』


 三舟宅に向かう道中、真一は終始にやにやとした顔つきであった。


 飯盛町の外れにある仙道川を真っ直ぐに東へ歩いて行くと次第に竹林が見始める。 そこを突き抜け、石畳を踏みしめてしばらく行けば三舟驟雨の住まう春日造のまるで立派な神社のような風体の屋敷が姿を現す。


 『驟雨、入るぞ』


 片瀬はそれだけ玄関口で叫ぶと、遠慮なく屋内へと足を踏み入れた。


 家の中はしんと静まり、まるで人の生活観と云うものが感じられない。この家に入る者はきっと誰しもがそう云う不思議な感覚に陥るだろう。片瀬も昔はそうだったが、今ではこれが当たり前だと認識しているので特に驚いたりはしない。


 家の中央に長い板張の廊下が続き、突き当たりに客間がある。


 『驟雨・・・・、 やはりここに居たか』


 片瀬が濡れ縁で座している驟雨に声をかける。


 『客人はまだ来てないのか?』


 『真一か。 不思議なことを云うのだな、客人ならもうお前が尋ねて来ているではないか?』


 酒の入った杯を傾けながら、三舟驟雨は愉しそうに云う。


 『違う! 昨晩お前が東北の巫女を呼んでいると言うたではないか』


 驟雨は静かに声を漏らしながら笑うと、片瀬に杯を渡した。


 『まぁ、一杯呑もう』


 『う、うむ・・・。』


 『梓巫女のことなら、もうこの屋敷に着いて居るぞ。 長旅で疲れている様子だったのでな、今は風呂に入ってもらっている』


 『なるほど、風呂か。 それにしても梓巫女とはどんな女なのだ? やはり巫女と云うとそれなりに修行を積んだ者なのだろ? 皺くちゃの婆さんか?』


 驟雨は片瀬がなぜそんな事を自分に訊くのか、すぐに察してはいたがあまりに純真と言うよりも子供っぽさについ笑みを零した。


 『そんなに気になるのなら、自分の眼で確かめれば良いさ。 どうやら風呂から上がられたようだ』


 片瀬はそう告げられると、杯を手にしたまま客間の入り口、襖をじっと見据えた。

 

 廊下を確かに人が歩いてくる気配がある。


 ぎぃ・・・・ぎぃ・・・ぎぃ・・。と近づき、やがて客間へそっと姿を現す。


 片瀬の杯がぽとりと畳に堕ちる。


 


 『・・・・驟雨様、大変よいお湯を賜り本当にありがとうございました』


 白髪、―否


 銀色に近い頭髪の色、透き通る真珠のような白い肌にほんのりと朱が差している。風呂上りの色香を漂わせ、紅い長襦袢(ながじゅばん)を纏った若い女が、なんとも柔らかい声色で驟雨へ三つ指をつき、挨拶をした。


 『旅の疲れは癒えましたか。 こちらへきて一杯どうです?』


 『はぃ―』


 女は消え入りそうな程小さな返事をする。


 肩までに揃えられた髪を静かに掻き揚げて、驟雨の隣に座った。


 片瀬は女が入ってきてからと云うもの、まだ一言も言葉を発しておらず、ただただ女に見入っていた。

 

 すると、驟雨から杯を受け取った女が片瀬の方を見る。片瀬はその時我に返ったのか、― ぁ、と小さく言葉にならない声を出した。


 『貴方様が驟雨様の無二のご友人、片瀬真一様でござりましょうか? ― わたくし、名を八重と申します。 片瀬様の御噂は度々驟雨様に聞かされておりました。 このように美丈夫な殿方とお仕事ができるなんて、八重は幸せにございます』


 すらすらとそれだけ述べると、ささ一献。 と徳利を持って真一に酌をする。


 その仕草がまたなんとも艶やかで色がある。真一は酒とはまた別の理由で頬を紅くしながら照れくさそうに杯を差し出した。


 『ははは、真一めなぜ照れている? 八重がそんなに気に入ったのか』


 驟雨は実に愉しげに片瀬真一をからかう。


 『まあ、驟雨様・・・― わたくしなど卑しいモノを片瀬様が気に入るなどと』


 八重は自嘲気味に笑う。


 『お、おい・・・・驟雨、冗談も程ほどにせんか。 お、俺はだなぁ』


 語尾を濁らせながら言葉に出来ず、最後は酒を流し込んで投了してしまう。 当の片瀬は少しだけ不思議に感じていた。


 この八重と云う美しき巫女。 驟雨とは随分と古い仲のような雰囲気を醸し出してはいるが、このように美しい女の話を驟雨は一度もしてくれたことはない。 


 [いや・・・・]


 この八重に限ったことではない。 いくら浮世離れしているとは云え、驟雨も若い男なのだ。 浮いた話の一つや二つあっても良さそうなもの。驟雨にはそれが全く持ってない。 自分が色恋の相談をしてみると何かと助言や為になる話をしてくれるのだが・・・―


 『ところで驟雨、その・・・なんだ。 や、八重さんとは古い仲なのか?』


 片瀬は頭でもやもやと考え込むのを由とはしない性格である。 訊きにくい事でもある程度は踏み込んでいってしまう自分に時には感謝している。


 片瀬の問いかけに、八重と驟雨は二人眼を合わさずに ―


 『ああ』


 『ええ』

 

 と同時に答えたのだ。


 それから


 『心配するな真一。 八重とは古い付き合いだが、お前が危惧しているような仲ではないよ』


 『まぁまぁ、わたしと驟雨様が恋仲にみえましたか?』


 『ち、違うのか? 俺はてっきり・・・―』


 益々赤面する片瀬を肴に、三人は濡れ縁に座し、心地よい夜風に髪をゆらし、草花の旬臭に鼻を躍らせ、酒をこくこくと呑んだ。







 どのくらい時間が経ったのか。


 三舟邸には時計と云うものが一つも置かれていない。ではどうやって時間を計っているのかと訊かれれば、きっと驟雨は微笑を浮かべて何やら小難しい事を述べるに違いない。


 そんな事をぼんやり考えていると、庭に一輪の牡丹が咲いているのが目に付いた。


 しかし、片瀬は事有る毎にこの濡れ縁で驟雨と酒を囲っているが、庭先に牡丹など観た事はない。なにか不思議な感じの牡丹であった。


 『なあ驟雨、牡丹の花が咲いているが・・・・。 いつからあそこで咲いているのだ?』


 驟雨は片瀬の言葉を聞いているのかいないのか、ふわりと立ち上がると、まさに片瀬が気にかけた牡丹を摘み、濡れ縁へと戻ってきた。


 『よくこの牡丹が視えたものだな、真一。 私と供に居ることで力を授かったのかもしれんぞ?』


 『それはどう云う意味だ? 普通の牡丹ではないのか?』


 『どうですか?』


 八重は心持神妙な顔つきで云った。


 『どうやら、また斬られたようですね』


 驟雨は牡丹を掌に乗せると、やさしく息を吹きかけた。


 驟雨の掌から離れた牡丹は空中で飛散し、地面へと堕ちる。 が、地面には牡丹の花びら一片たりとも残ってはいない。 完全に消えてしまっていた。


 『なあ真一。 こんな噂を聞いた事はあるか?』


 驟雨はゆっくりと語りだした。


 その噂とはこうだ。


 


 今からおよそ一月前である。


 ある若い夫婦が京都の三条橋を通り掛ったところ、前にゆらりと人影が現れた。夫婦は気にせずそのまま橋を渡ろうとしたが、人影とすれ違いざまに[人斬り・・・・おき、た。 知っているカ]と言葉をかけられ、夫の方が[存じませんが]と返事をすると、影が刀のような物を抜き、夫をばっさりと斬ってしまったそうだ。


 妻の方はすぐに逃げ出し、命は助かったらしいのだが、後日警察にその事を話しても信用してはもらえず、数日後に自殺したそうだ。


 それからこの事件と似たような事が日本各地で起き、つい先日、この飯盛町でも起きてしまった。

 

 『その事件なら俺も今朝新聞で読んだ。 だが、あれはただの辻斬りではなかったのか?』


 『わたしも最初はそう思っていたが、最初に被害にあった夫婦の妻』


 『京都のか?』 


 『そうだ。 その妻の親族から私に依頼があってな。 その自殺した女の遺書をよこして来たんだ』


 『遺書・・・だと』


 その遺書にはこう書かれていた。


 ― 拝啓、父上様母上様。


 ― まず、先日起きた事件のことで大変なご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫びいたします。


 ― けれど、夫が怪異によって斬り殺されたのは真実でございます。ですが警察では信じてはもらえませんでした。


 ― それは当然のことなのかもしれません。ですが、今この筆を認めている最中も、私の後ろにはあの日夫を斬った怪異が息を吐いて私を見ています。


 ― 悔しい。 悔しい。 


 ― お願いでございます。 どうかこの親不孝な娘をお許し下さい。 そして


 ― 先立つ不幸をお許し下さい。


 ― 願わくば、私と夫を斬ったこの人ならざる物の怪を


 ― この世から払っていただきとうございます。


 『ふむ・・・。 これはまたなんともおぞましい限りだな』


 片瀬は驟雨から渡された女の遺書を、神妙な面持ちで驟雨へと返した。


 『この遺書に記されていることは真実であろうな』


 『判るのか?』


 『ああ。 八重にも霊視してもらった。 間違いはない』


 『その手紙の文面、墨、紙にいたるまで全てに激しい恨みと恐怖。 それから強い邪気を感じましたので、まず間違いはありませんでしょう。 それに、今しがたも驟雨様のはなった式がその物の怪に斬られてしまいましたしね。 式神とは云え、痛かったでしょう』


 『式・・・・まさか先ほどの牡丹か?』


 『そうだ。 残念だが、この近辺を探らせていたんだがどうやら斬られてしまった。 心配するな、土に還すことでまた花として生まれてくる』


 『そ、そうか・・・・ん? 今、この近辺と云ったか?』


 『云ったぞ』


 『な・・・。 なにを呑気な。 この近辺まで妖怪のようなものが来ているのだぞ! 酒など呑んでいる場合ではないではないか』


 片瀬は血相を変えて辺りをぐるぐると見回している。


 『心配するな。 この屋敷には結界をしてある。 邪なるものからは一切みえぬ』


 『そ、そうだとしてもだ・・・・』


 『片瀬様、ご心配なさらずともそろそろ物の怪を払う準備が整いました』


 八重の白粉を塗ったような白い肌に、酒のせいかほんのりと朱みがさしている。


 酔ってはいないよだが、片瀬は八重の云っている準備の意味がまったくわからない。


 『今まで酒を呑んでいただけなんだが、いったいどんな準備が整ったと?』


 驟雨は口元に笑みを浮かべている。


 『このお酒を呑むことこそが準備なのですよ。 神降しや死者の霊を降ろすとき、まず湯浴みによって体の外を浄化し、酒によって中を浄化する』


 『つまり、真一とわたしは八重の準備を手伝っていたことになる』


 驟雨が続けて云った。


 片瀬はというと、なんとか合点がいったのか。杯にのこっていた酒を豪快に飲み干すと


 『行こう』 と云う。


 『ああ、行こうか』


 驟雨もそれにならう様に酒を一気に流し込み、立ち上がった。


 『おい、ここは・・・・』


 驟雨のすぐ後ろを歩く片瀬は、この三舟驟雨と云う男の全てを見つめる事など到底不可能だときちんと理解していた。

 

 三舟驟雨の人間臭さや、それとは真逆の素顔も彼は窺い知ることを是とはしていない。


 それにしても。


 ―此処は一体なんなのだ?




 『なんだ、まだ真一には案内したことはなかったか? 此処は舞台さ』


 驟雨は横にいる梓巫女の八重を見る。


 その視線に気がついたのか、八重は後ろできょとんとしている片瀬に向き直り、驟雨に変わって[舞台]について説明する。


 『驟雨様の邸宅の西。 まさに此処の、まるで能の舞台のようなこの場所こそが私たち巫女が神を降ろす時に用いる場所。 神聖なる場所なんです』


 『たしかに・・・・この間観劇に行った能の舞台と似ているなぁ―。 ここでどのようにして神を降ろすんだ?』


 三人は舞台のちょうど役者が最初に出てくる細い通路。 橋懸かりと云うの所に立っていた。


 舞台の中心を支えるように、四隅にそれぞれ柱が立っている。その柱のすぐ傍に松明が夜の闇を払いのけるように燃え上がり、舞台全体を照らしている。


 『― 舞うのです。 倭琴(やまとごと)の音色に舞い、自然の音色と舞い、神と魂の調和をはたして』


 『巫女の神楽舞いは、美しきものだ・・・。 真一は正面で座って観ているといい。 声を出して良いと言うまでは、何があっても喋ってはならんぞ?』


 『わ、わかった・・・・』


 片瀬真一はしっかりと頷くと、舞台の正面、これが能の舞台なら観客でいっぱいであろう場所に腰を下ろし、舞台を凝っと見つめた。


 八重と驟雨はなにやら小声で話し込んでいたが、それも終わった。


 梓巫女である八重は舞台の中心に立つ。 巫女の装束に着替え、両の腰には小さな鈴をつけていた。その鈴が、風に揺られて鳴る。


 驟雨は舞台の後方、八重の立つ場所から左後ろに座している。その驟雨の手元には古びた琴が置かれている。


 三度、鈴の音が鳴った時―。


 八重の右手がゆらりと上がった。


 それに続いて幽玄な琴の音色が辺りを包み込む。


 神を降ろす儀式の、― 神楽舞いが始まった。


 雲の流れのような八重の舞いと、小川のせせらぎのような琴の音が混じり合い、この世の物とは思えぬ心地良さに片瀬は次第に身を任せるように眼を閉じ、時折聴こえる鈴の音が、辛うじて自我を保たせている。


 体から体重が消えてしまったような、そんな不思議な感覚。


 眼を閉じていても、八重の舞う姿が視える。 驟雨の鮮やかな指捌きが手に取るように判る。


 夜の美しさとは、まさにこの日の為に用意されていたのではないか。そんなことを考えてしまう。酒に酔う心地良さとはまた違う。


 これが神楽舞い・・・―。



 時間にしておよそ一時間か二時間か。


 驟雨や八重にはそれが分っているのか、分っていないのか。


 片瀬の眼には八重の美しく艶やかに舞う姿を写すことしか、今は出来ていなかった。


 その時である。


 『真一、 もう声をだしても良いぞ・・・・』


 頭の中に驟雨の声が直接響いてきた。


 『・・・・・―、 しゅう・・・う』


 一言そう述べると、片瀬の自我は瞬く間に覚醒した。


 『驟雨! お、終わったのか?』


 舞台に眼をやると、驟雨とぐったりとうな垂れた八重の姿が確認できる。


 『八重さん・・・・―』

 真一は舞台に駆け上る。


 ぐったりとした八重を驟雨が抱き起こしている状態だ。


 八重の意識はなく、だらりと両腕が垂れ下がっている。


 『驟雨、八重さんは大丈夫なのか?』


 驟雨はしばらく八重の顔を見つめていたが、片瀬の問いに


 『あぁ・・・・成功したようだ』


 『え・・・?』


 

 ドクンッ・・・―


 八重の全身が大きく震えたように見えた。


 ドクンッ・・・―。


 間違いない。 八重の体が大きく震えた。


 『眼を覚ます』


 驟雨の言葉とほぼ同時に八重が起き上がった。


 その動作はまるで人とは思えぬ動きをみせて起き上がったのだ。 なんと表現したら良いのか、まるで重力を感じていないような。無機質な動き。


 驟雨は突如として立ち上がった八重に向かって、声をかけた。


 『・・・・・新撰組、元一番隊組長 沖田総司様 で、ございますか?』


 八重はその言葉に反応したのか、ゆっくりと驟雨に振り返った。


 その双眸は先ほどまで一緒に酒を呑んでいたあの優しげな瞳ではなく、ぎらりとした眼光を携えた・・・・まるで武人のそれである。


 『『い・・・・いかにも』』


 八重の口から発せられた声は、明らかに八重の声ではなくなっていた。


 男性的でも女性的でもない中性的な声の質感は、どことなく不気味でもあり、春の陽だまりのようでもある。


 片瀬は驟雨を見た。


 驟雨は今、八重に向かって新撰組の沖田総司と呼んだのだ。


 片瀬は歴史家ではない。だが、新撰組とその隊士の中でも屈指の剣客であった沖田総司を知らぬほど無知でもない。


 しかし、と片瀬は我を疑う。


 八重に向かって驟雨は沖田総司 そう呼びかけた。さらには『『いかにも』』八重はそう応えた。これはどういうことなのだ・・・―。


 頭では理解していても、片瀬は現実として認識できていない。


 神降ろしと聞いていた片瀬は、まさか神ではなく死者の魂― それも当の昔に亡くなった者の魂をその身に宿らせることだったか。


 夜が更に深まる。


 舞台の灯火は今も尚煌々と萌え続けているが、その明かりがやけに不気味に思えた。


 驟雨の呼びかけに応えた以外は何も言葉を発しない。片瀬は八重に恐る恐る近づこうと、一歩歩み寄ろうとした時、隣にいた驟雨が片瀬の体を自身の方へ無理やり引き寄せた。


 ものすごい勢いで引っ張られた片瀬は、元いた場所が粉砕しているのにようやく気づく。


 ほんの一瞬の出来事であった。


 『な・・・・なにがあったんだ?』


 『真一、あまり不用意に八重の側に行かん方が身のためだぞ。 今も俺がこうして引いてやらねば、沖田殿の剣圧に潰されていたところだ』


 片瀬は尻餅をついたまま、舞台の板がばきばきに潰れているのを確認する。


 そしてその中心には息を荒げた八重が、眼光鋭くこちらを睨み付けている。


 『今はまだ魂の癒着が不安定なのだ。 だが、もう暫くすれば自我を取り戻されるだろう』


 驟雨はそう云うと、なにやら呪を唱え始めた。


 すると、方を上下させて息を荒げていた八重は徐々に落ち着きを取り戻し、ばたりと崩れ落ちたのだった。


 






       三



 


 『・・・・・ ここは。』


 どこか中性的な声と容貌をした男が、ゆっくりと目蓋を開けて、意識を取り戻した。


 『現世でございます。 沖田殿』


 『げん・・・・せ。 だと』


 『えぇ・・・・ 』


 驟雨が[沖田]と呼んだこの男。 元は八重と云う梓巫女のものであるが、今は呪がかけられており、見た目にはまるっきり若い男性である。


 『・・・・永い眠り。 如何な理由(わけ)にて妨げるのか』


 透き通るような美しい声だが、これがあの沖田総司と云う人物なのだろうか?


 『はい。 今の世・・・― 最初に言うておきますが、江戸にあらず。 もちろん明治と云う時代もすでに過ぎてしまいました。 それほどの時が経った今、現世ではある辻きりが横行しております故、こうしてあの世から貴方様を呼び戻しました』


 沖田はゆっくりと瞳を閉じ、口を開いた。


 『解せませんね・・・・。 死者を呼び戻す理由には到底ならない』


 『確かに。 ですが、この辻斬り・・・・どうやら沖田総司を名指しで夜毎夜毎さまよい続けている様子。 もちろんこの世のモノではないので人間では殺せません』


 『私に、何を望むのか・・・・― ?』


 『この辻斬りを、斬っていただきたい。 これは貴方がこの世に残したしこりに御座います』


 『わたしの・・・・しこり?』


 『左様で御座います』


 沖田はしばらく驟雨の眼を凝っと見つめた。


 驟雨は平然とした顔で見つめ返していたが、この時、お互いの意思疎通のようなものが成されていたのかも知れない。


 布団から右腕を出し、ゆっくりと上体を起こす。


 かなり華奢な体つきではあるが、四肢は筋肉質で理想的とも云える肉体をしているのが分った。


 髷はしっかりとしてある。あとで驟雨に訊いたところ、整然死ぬ間際の格好なのだそうだ。


 真っ白の肌は、どこか八重と重なる部分がある。


 『・・・・私は、生前人を殺めすぎた。 ようやく眠りについたかと思えば、また誰かを殺めなければならないとは。 世の因果か、私自身の性なのか』


 『新撰組隊士として、幕末の京を戦い抜いた貴方だからこその、因果。 そのしこりが今世を騒がせている。 協力して頂けますね?』


 沖田はゆっくりと立ち上がった。


 『・・・・・― 刀は、ありますか?』


 『沖田様の愛刀[菊一文字則宗]は用意しておりますよ』


 


 ぶ厚い雲が、夜の闇を更に深め、月を遮っている。


 それでも、一行は一切の迷いなく只管足を前へ前へと進めて行く。


 最後尾を歩く片瀬は、驟雨と八重の身体に憑依している沖田の背を時折見つめては、小さくため息を零す。


 これははたして現実なのだろうか。 それとも俺は驟雨と云う稀代の霊能者に夢でも観るように呪詛でも懸けられているのではないだろうか。


 そんなもやもや、と云うよりも不安の波が押し寄せては返し、また押し寄せてくる始末。


 驟雨にこんなことを訊いたところで、これが現実であることは自分がよく解っている。


 これまでも幾つか驟雨の仕事に付き添っては同じ不安を感じているのだから。今回だけが夢であるはずも無い。


 しだれ柳がずらりと並ぶ路を、三人は黙々と歩いていく。


 夜の帳はしんと張り詰め、今にも辻斬りが出てきそうな雰囲気である。


 柳並木のすぐ下は斐伊川がさらさらと音をたて流れている。


 しばらく歩いていると、やがて三叉路に出た。 どちらに行くのだろうか? と片瀬が考えていると、三叉路のそれぞれの道の先から、三匹の蛍が尾を煌々と輝かせてやってきた。


 三匹の蛍は驟雨の肩にとまる。


 すると、驟雨がおもむろに一番右側の道を進んで行く。


 片瀬は合点がいった。


 おそらくあれは驟雨が放った式神どろうな。


 三匹の蛍は少しの間、驟雨の肩に停泊していたが、一匹が飛び立つと、それに続いて他の二匹も夜の闇に姿を消した。


 


 三人はさらに歩み続ける。いったい目的地はどこなのだろうか・・・―?


 片瀬は少しも和らぐことの無い不安感を募らせながらひたすらに驟雨と沖田を見ていた。


 もうどのくらい歩いただろうか・・・・。


 こんなことなら車で来るのだったなと不安の中に後悔が入り混じり始めた頃。


 『ここか・・・―』


 驟雨がぽつりと云った。


 『たしかに、ここには不思議と懐かしい匂いがしている』


 沖田総司は瞳を閉じて、深く深呼吸しているように見えた。


 一見して美しい顔立ちの若い男性にしか見えない沖田は、本来は八重と云う梓巫女に憑依している霊体でしかない。


 生身の人間のように見えているのは、ひとえに八重の能力がそれほど優秀であることの裏返しでもある。


 青と白のだんだら模様が新撰組の装束であることは様々な小説で読み知ってはいたものの、実際に見てみると、感慨深いものがある。


 それも新撰組で一番強いと評判の一番隊組長 沖田総司が着ているのである。 沖田と対峙してきた幾人もの侍は、どう感じていたのだろうか。


 憎い―悔しい―恐い―それとも嘲りか。


 沖田は一見したところ虫も殺せぬほどに優男である。


 しかし、片瀬はそれが沖田総司の一部分でしかないことをよくよく窺い知っている。


 『真一、もってきた酒をこの鳥居の側に撒き散らしてくれ』


 三人は暗闇の中に佇む古びた神社に来ていた。 ここに例の辻斬りが居るというのだろうか?


 片瀬は驟雨に云われるがまま、小瓶に入った日本酒を地面に向かって撒き始める。


 鳥居を中心に円を描くように酒を撒く。


 酒が地面を濡らし、薄暗い痕が円を形作る。


 その痕に、驟雨は数枚のお札を貼り付けていく。


 『これは一体なんの準備なのだ?』


 『・・・ふふ。 まぁ、あとは辻がくれば解るさ』




 歩いてきた道の先を見る。


 暗い柳の葉が擦れる音と、すぐ側を流れる川の音とが混ざり合う。


 永遠に続く黄泉への路を連想させるほどの不気味な空気が、片瀬真一の肌を粟立たせる。


 遠くの方で犬の遠吠えが聞こえると、それに呼応するかのように次々と鳴き声が響きあいだした。


 『犬が吼え始めた・・・・。 そろそろ来るぞ? 真一、覚悟はいいか』


 驟雨はいつもの微笑を口元に浮かべたまま、片瀬に訊いた。


 『う・・・うむ。 大丈夫だ』


 沖田は終始じっと今来た道の先を見つめたまま、一言も言葉を漏らさない。


 犬の鳴き声が徐々に収まりだした、深夜一時を過ぎた頃である。


 柳の揺らめきと似た黒い影のようなものが、遠くにゆらりと現れた。


 影はゆらゆらとした動きで、ゆっくりと、しかし着実にこちらに向かって歩いてきているのだ。


 歩いてきている、と云う表現は間違いなのかもしれない。 影が近づくにつれてそれが歩いているのではなく、ゆっくりと浮遊したまま足を動かさずに驟雨たちの居る神社の鳥居に向かってきていたのである。


 『お・・・おい。 あいつ、やはり人間ではないぞ』


 『初めから人間では無いと、云ったはずだぞ?』


 『それから、真一・・・・。 鳥居の内側に入っていた方がいいぞ。 外側に居たら斬り殺されてしまうかもしれん』


 『ッ・・・・そ、それを早く云え! 』


 片瀬は大急ぎで鳥居をくぐり、樹木の陰に隠れて静観を貫く姿勢をとる。


 『あやつ・・・・。 何故だろうか、とても懐かしい匂いがする』


 『霊臭・・・とでも云いましょうか。 生前の記憶・(えにし)が関係し、それが貴方には理解できる』


 『アレが私を求め彷徨っているのも、生きていた頃の縁だというのか・・・?』


 『はい。 人には魂が御座います。 そしてそれは物にも然り』


 『物にも魂が宿る・・・』


 『人の情、想い。 様々な経験を通して培われる魂。 それを人は〔九十九神〕(つくもがみ)と呼んでおりますよ』


 『つくも・・・か。 百年もの歳月が物を神に変えてしまうのだな』


 『この世とはまこと、不可思議なものでございますから』


 驟雨と沖田が鳥居の前に並んで立ち、そのすぐ前方には、黒い影だったものが今ははっきりと人の姿に変わっている。


 襤褸布を纏った大男が、そこには立っている。


 腰には一振りの日本刀を差し、沖田と驟雨を凝っと見据えている。


 表情は判らないが、口元からは息遣いの荒い声だけが漏れ出ている。


 『沖田様、アレを斬ることで不浄を払うことは出来ません』


 『承知している・・・・。 アレの正体を突き止め、想いを遂げさせてやらねば、解決せぬのだろ』


 沖田総司は、静かに腰に携えた〔菊一文字則宗〕を抜き放つ。


 その動作と寸分違わぬように、影もまた刀を抜く。


 『・・・・この感覚。 久しぶりだな』


 沖田は少年のような豊かな表情をほんの一瞬覗かせた。しかし、他の誰もその僅かな沖田の変化を確認できた者はいないであろう。


 『沖田様・・・・・、きます』


 『元新撰組隊士 沖田総司、参る』


 二人は同時に切り込んだ― 。



 二つの刀がぶつかり合う音が辺りに反響するより早く、両者は次の行動に出ていた。


 『流石ですね。 人の領域をとうに超越している』


 驟雨は無数に飛び散る小石や枝屑などを冷ややかな顔つきで避けながら、そう云う。


 沖田の動きが更に速度を増した。


 次々に繰り出される平突きを、辻斬りもよく交してはいるが、徐々に防戦一方となってきている。


 そして、辻斬りが沖田の刀を受け流しきれずに刀を落としてしまう。


 その隙を逃すような真似はしない。


 沖田が放った一閃が、辻斬りの深編笠ごと首を跳ね飛ばしたのだ。


 笠は宙をふわふわと舞い、そして地面へと落下する。


 しかし、斬られれば笠と同じくして地に落ちなければならないものが、どこにも無かった。


 【首】である。


 笠の中は空であるし、着られた胴体にも首はない。


 沖田は一歩後ろへ下がり、驟雨に訊いた。


 『あやつには首がないのか―?』


 『どうやらそのようですね。 本より人ならざるものでございますから』


 ― しかし ― と驟雨は続けた。


 『沖田様とあのモノ・・・・ 剣筋がまったく同じに思えたのは、気のせいでしょうか?』


 沖田もそれには納得したように頷いて『その通りなんだ』と不可解な顔を示した。


 『剣を交えてみて私も気がついたのだが、構えや太刀筋が私と・・・、強いて云うのなら、天然理心流そのものだった。 どうしてでしょうね・・・・』


 辻斬りはふらつきながらも、再び笠を頭に被せ、刀を構える。


 『少なくともアレには人の怨霊とは違ったものが宿っております。 それは沖田様。 あなたにしか理解し得ぬものだと感じるのです』


 『嗚呼、それは理解している・・・。 もう少しやつと剣を交えてみるさ』


 沖田は再び刀を正眼に構え、じりじりと距離をつめた。


 互いの剣先が喉元にまで近づいた時、先に仕掛けたのは沖田であった。


 喉元に伸びていた剣先を殺さず、全身のしなりを駆使し、神速の突きを繰り出す。


 遠くで見守っている片瀬には、沖田が素早く一度突きを出したかのように見えた。


 だが、凄まじい衝撃と刀と刀の擦れ合う音は三度聴こえ、辻斬りの体には、三箇所に切り傷― と云うにはあまりに大きな穴のようなものが穿かれていたのである。


 世に云う【三段突き】である。


 新撰組激剣師範と云う役職と、一番隊組長であった沖田総司にしか成し得なかった神技。


 本来突きとはその速さと威力に措いて一度繰り出す事が普通であった。


 一度の踏み込み音に対して、一度の突き。 しかし、沖田の三段突きの場合は異なり、一度しかしない踏み込みで三度も突く。


 喰らった相手は、一度突かれたとしか認識できずに絶命していたのである。


 全身を小刻みに震わせて、辻斬りが叫んだ。


 『『オ・・・おき、タ。 オキタ、そうじ。 ガァ・・・・がああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ・・・・― 』』


 重低音が辺り一面に鳴り響き、木々は軋み、葉は揺れ水面は波立つ。


 少し離れた位置にいる片瀬も思わず耳をふさいでしまう程の反響である。


 穿かれた三箇所の穴からは、黒いどろどろした粘着物が流れ出し、おぞましい姿を如実に現していく。


 『・・・・お前は、 清光?』


 『『ワ・・・、ワレヲ、ワレヲ、ステタ・・・・ こ、このカシュウ、ヲ・・・ステタ』』


 人の声ではない。 なにか獣が辛うじて人の言葉を話しているような、禍々しい声である。


 『やはり・・・やはりお前は加州清光か』


 沖田は刀を鞘に納める。


 『・・・・加州清光 ?』


 驟雨は思案深い顔をし、何かを思い出そうとした。


 『『ワ、ワqれをs・・・士明日y歩会うい亜sづあいs午後後オ大尾おおおお大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大オオ大尾おお大おおおおおおおおおおおおおおおお大尾おお大おお大おおオおおおおおオおおおおおおおおお大おお大おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお大おお大おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお大おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお・・・・・・』』


 凄まじい怒号と供に、禍々しい邪鬼へと姿を変えた辻斬りは沖田へ一直線に向かってきた。


 瞬く間に距離を詰めた辻斬りは、右の腕を振り下ろす。


 もはや刀などと云える代物ではない、辻斬りの腕と一体化した爪で攻撃を加える。


 沖田は辛うじて攻撃を受け流すが、あまりの衝撃に本来は八重の体が悲鳴をあげた。 急激な身体の向上に、付いて行けなくなったのだ。


 沖田の全身がガクリとその場に膝を付くと、そこを躊躇なく鬼へと変貌した辻斬りの今度は左の爪が沖田の頭めがけて振り下ろされた。


 地響きのようにこの大知が振動する。


 土煙が巻き起こり、辺りを覆い隠す。


 『・・・・・― おや? こんなものですか』


 驟雨がその煙の中に居た。


 いつの間にそこへ移動したのか、遠くにいる片瀬にも分らなかった。


 驟雨は振り下ろされた辻斬りの大きく研ぎ澄まされた爪を、鉄扇を持って受け止めていたのである。


 『『ぎがが・・・があぁああ―』』


 この世の恨みを全て吸い尽くしたかのような形相の辻斬りに、驟雨はつとめて飄々とした表情を向けながら軽口をたたく。


 『くっ・・・・、すみません、三舟殿』


 沖田はまだ全身の筋肉が痙攣しているのか、片膝をついたままである。


 『いえ、 漸くこの物の怪真名が解りましたからね。 沖田様のお陰でございます』


 そう云うと、驟雨は鉄扇を大きく振り払い、辻斬りを後退させると、三枚の人型に切り取られた紙の人形を辻斬りのそれぞれ頭、右肩、左肩と素早く張り付け、なにやら呪を唱え始める。


 三枚の人型が黄金色に輝きだしたのはその直後である。


 驟雨はひたすら呪を唱え、徐々に辻斬りへと近づいていく。


 驟雨が一歩近寄れば、辻斬りの鬼は一歩下がり、また驟雨が一歩近づけば、一歩下がるといった風に足を後退させている。


 数分後には先ほど驟雨達三人が居た、神社の鳥居のそばに辻斬りは誘導されている。


 そして・・・・―


 『さあ、その呪縛円の中に入るのだ、加州清光』


 驟雨がそう辻斬りに命令すると、最初に片瀬が酒を撒いた結界の中に辻斬りは何か見えない力に抵抗するように、だが確実に円の中に納まった。


 『真一! 沖田様をここまで運んできてくれないか?』


 事の成り行きをじっと手に汗握ったまま見ていた片瀬は、固まっていた自分の体を奮い立たせて、沖田がしゃがみ込んでいる場所まで走ると、そのままおぶると、驟雨の側まですぐに連れてきた。


 『沖田殿、このモノの魂。 あなた様にしか癒せませぬ』


 『ああ・・・。 二人とも迷惑をかけたな』


 沖田総司はそう呟く。


 『あの時、鳥羽伏見で見つけてやれなんだ恨み。 お前を忘れたわけではなかったのだ。 許せ・・・清光。 お前は良き刀であった』


 辻斬りの全身から淡い光があふれ出した。


 すると、同じ光が沖田からも溢れ出て、その光が徐々に弱まっていくと、辻斬りはもうどこにも居なくなっていたのだった。


 沖田は、本来の体の持ち主である梓巫女の八重へと戻っており、今は気を失っているようだ。


 片瀬―。


 驟雨がぽつりと云った。


 『帰ろうか』、と。


















































 終章


 

 朝の陽が、零れている。 八重は寝ぼけ眼にそう感じた。


 『 ん? 気が付かれたぞ! 驟雨』


 片瀬の元気な声が聞こえた。 八重はなんだか少しだけ安心感に包まれるのと同時に、全身に痛みが走った。


 『ッ、 』


 『―、あまり無理をしない方がよろしいですよ。八重』


 驟雨が襖を開けて入ってきた。


 『いいえ、このくらい平気でございます』


 『これはこれは、なかなか男気に溢れている』


 驟雨はくすりと笑った。


 『驟雨様、すべて終わりましたか?』


 八重は安らかな表情で驟雨に訊いた。 返ってくる答えはかならず、八重が想像している通りであると、確信しているからだろう。


 驟雨は頷く。


 『あなたのお陰です、八重。 しばらくはこの家に逗留し、体を休めると良い』


 『で、ですが、私は卑しい身の上。 驟雨様のお役に立てたのなら、これ以上ここにいてはご迷惑が―』


 八重の言葉は途中で途切れた。


 『いいえ、私はあなたにここに居てほしい。 その方が、真一も喜ぶ』


 驟雨は襖の向こうで耳をそば立たせている片瀬に聞こえる様にわざと声高にそう云った。


 照れくさそうに頭を掻きながら、片瀬が部屋に入ってくる。


 『まったく、気が付いているのならそう云えよ』


 『ははは、八重の看病は一晩中真一がやってくれたのだ。 礼を言ってやりなさい』


 『そ、そうだったのですか、 こんな私の為に片瀬様に多大なご迷惑を。 なんとお礼を申し上げたらよいか―』


 再び、八重の言葉を驟雨が止める。


 『八重、一言だ。 一言でいい』


 『・・・、 ありごとうございました。 片瀬さま』


 片瀬に向かってにこりと微笑む。


 『ほらみろ、真一めもう顔が真っ赤だ』


 驟雨はおなかを抱えて笑った。


 それにつられて八重も笑う。


 片瀬は真っ赤にした顔を驟雨に悪態つきながら、それでも最期にはつられて笑った。


 


 それから数日が過ぎて―。


 


 夜風に髪をそよがせ、濡れ縁で酒を呑む驟雨が一人で居た。


 着物の裾が擦れる音がして、驟雨はゆっくりと背後に眼をやると、八重が立っていた。


 『どうしました? そんなところで立っていないで、こちらで酒でも呑みませんか』


 驟雨の誘いに、小さく返事をする八重。


 『驟雨さまと片瀬さまのお陰でございます。 人からこのように厚遇された事などございませんでしたから』


 驟雨は楽しそうに杯を傾ける。


 『幸せとは、このような気分を云うのでしょうね。 まるで夢を、夢を観ているようです』


 八重と云う人物について、驟雨も詳しく存じている訳ではなかった。 ただ、以前世話になった老巫女の元に引き取られ、その跡を継いだ少女が八重である。


 まだ老巫女が生きていた頃、数度驟雨が尋ねたことがあり、その時に何度か話をした程度であったが、驟雨の頭にはしっかりとあの時の少女が記憶されていた。


 そうでなければ、今回危険を冒してまで仕事を依頼したりはしなかっただろう。 


 『あなたは優秀な巫女です。 あなたを冷遇してきた者たちは、きっと世の理に外された者。哀れな人間ですからね』


 『いいえ、私は親の顔もわからぬ時分に山に捨てられ、お婆様に引き取られるまでは卑しい生活を余儀なくしてきましたもの。 己の体が穢れているのは良く理解しておりますから、どんなに冷ややかな視線を送られようとも我慢してこられました。 ですが・・・―』


 『・・・・・』


 驟雨は黙って八重の言葉を待つ。


 『・・・・―、ですが。 今回驟雨様の住まう九州に来て、そして片瀬様や驟雨様に出会え、本当に嬉しかった。 沖田総司の魂を宿していた時も、人の温もりと云うものを感じられた。 そして私を庇い、助けて頂いた驟雨様に、私は、私はこの先我慢して行くのを、恐れてしまうかもしれません』


 『だったら』


 『え?』


 驟雨は杯を濡れ縁に置いた。


 『だったら、ここで供に暮らせば良い。 八重は初めから我慢などせぬ生き方を選べばよかった・・・・。 お前は優秀な梓巫女だと私は常々理解していた』


 『勿体無いお言葉です、驟雨様。 私などを―』


 『など。 と云う言葉を使うのはこの三舟驟雨に対する冒涜かい?』


 『そんな、とんでもございません・・・』


 『私は・・・。 何度も云っているだろ、 八重の事を優秀だと思っていると。 真一だってそう思っている。 いや、お前の事を知れば、万人にその気持ちは生まれるだろう。 我慢などしなくて良い。 それに、いつもここで酒を呑むのは真一とだけだったからな、八重が住まうとなると、あいつもきっと大喜びだろう』


 『驟雨さま・・・・』


 八重は袖で流れる涙を何度も、何度も拭ったのだった。


 


 

憑き物落し 第二弾。 如何だったでしょうか?^^;

今回は実在の人物を少し登場させてみましたが、もし皆々様の気分を害してしまう表現などがありましたら、平にご容赦のほどをmm;

って、謝ってばかりの独楽です。


次回はどんな物の怪、または憑き物、魂のお話になるのでしょうかね・・・。笑

もし良かったら、次回もまた読んで下さいね♪

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