六話
「きゃぁぁぁぁ!」
「お嬢様! ベラ!」
お嬢様と兄の絶叫が聞こえると同時に、背中に鈍い痛みが走り、私とお嬢様は抱き合ったまま地面を転がった。
(痛い! 気持ち悪い!)
痛いけどお嬢様を傷つけてはいけないと、必死にお嬢様の頭と腰を押さえて抱き寄せる。手は擦り切れて痛みが走った。何回転もし、ようやく止まったころには、兄も馬車を止められたようで、遠くから呼ぶ声がした。
けど今はそれよりもお嬢様だ。私は全身の痛みを我慢して、胸に引き寄せていたお嬢様の顔を見る。目立った傷は無くて、体も大丈夫そうだ。それでも早く医者に診てもらわないといけない。気を失っているのか、目は開かないけど命に別状はなさそうだ。さすがにドレスは泥だらけになっているので、別荘についたらすぐに染み抜きをしないといけない。
私はそっと地面にお嬢様を寝かせて、せめてクッションをと落ちているのを拾いにいく。奇跡的に私もクッションに助けられたのか、骨も折れていなくて擦り傷だけだ。遠目で兄が簡易的な治療道具と水を持って走って来るのが見えたから、任せて大丈夫だろう。
歩くたびにピリピリとした痛みが走るけど、お嬢様が感じられた恐怖に比べたらこんなのましだ。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
近くに転がっていたクッションを拾って振り向くと、兄がお嬢様の側に膝をついていた。真っ青な顔で、わなわなと震えている。落石という事故があったとはいえ、御者は兄だった。責任も感じているんだろう。
「そんな、お嬢様! 目を開けてください!」
震える手でお嬢様の頬に触れ、顔を強張らせて上から下までお嬢様を見る。そして絶望した表情で顔を両手で覆った。
「そんな、神様! 俺は何でもしますから! お嬢様を、愛しい人を返してください!」
(ロンド、死んでないよ)
もう疲れて声もでない。兄はさらに言葉を続ける。
「俺、まだ何も言えてない! 本当はプリンが好きってことも。お嬢様が大好きってことも。お嬢様には幸せになってほしいけど、本当は結婚してほしくないってことも!」
兄の声は悲痛で、深い思いに少し胸が熱くなった。
(この姿を、お嬢様も見られたらよかったのに……)
これほどに愛されている姿を。
(そうしたら、さっさと結婚……あっ)
少し離れたところでクッションに座って見守っていたら、お嬢様の手がすっと上に伸びた。そして、顔を覆っているロンドの手を掴む。目はパッチリと開いていた。
「言ったわね。俺は何でもしますって。愛しい人って……大好きって」
「え、お嬢様!?」
突然手を掴まれて、目を白黒させる兄。そしてお嬢様はそのまま体を起こし、にこりと笑った。
「言ったわよね」
「あ、はい。え……?」
まさかお嬢様が起きているとは思わなかったようで、混乱と、戸惑いと、喜びが入り混じっている。お嬢様は、すっと立ち上がるとドレスについた泥も気にせずに、私に微笑みかけた。
「ベラ、あなたの望み通り結婚するわよ。危ないところを助けてもらったし、熱い告白も受け取ったわ」
「はい、そうですね」
お嬢様を体を張って守ったのは私だけど、野暮なことは言わない。今はその気になったお嬢様とお兄様をうまくくっつけるのが一番だ。
「え、ベラ? お嬢様?」
状況が飲み込めない兄はただおろおろと私とお嬢様を見比べる。その兄に私は近づき、手を差し伸ばして立ち上がらせた。その手に力を籠める。
「事故とは言え、お嬢様を危険な目に合わせたのよ。それにさっき愛を告白したでしょう。責任を取って、結婚して」
「え? え。えぇぇぇ!?」
山道にバカでかい声が響き、兄を黙らせ荷物を回収し、別荘に向かうまで三十分ほどかかったのだった。
無事別荘に着き、お嬢様も医者に診てもらい異常はなかった。私の方が怪我がひどく、手足に包帯を巻かれている。兄は私が治療を受けている間、ずっと謝っていたけど、あの状況で馬車を崖から落とさなかったんだから、それで十分だ。屋敷には早馬で連絡を入れてあるので、お嬢様の世話をするメイドが明日にでも手伝いに来てくれると思う。ついでに、お嬢様と兄がやっとくっついたことも報告した。
ご当主様は結婚相手を表向きお嬢様に任せるとおっしゃってたけど、お嬢様が兄を大好きなのをご存知だったから、ずっとつつかれていた。曰く、「縁談や婚約を全てロンドへの惚気で白紙にするのなら、ロンドをけしかけてさっさと落ち着かせてくれ」と。それに、上のお嬢様たちは嫁がれているし、二人のご子息様方は城に出仕しているので領地経営を手伝ってくれる人が欲しいという本音もあるみたい。
兄とお嬢様なら、プリンへの愛でうまく領地を潤せられるかもしれない。そんなことを思いながら、休む支度をした。
私はこの日お言葉に甘えて早めに休ませてもらったけど、意地の張り合いが終わった二人はゆっくり話していたみたい。拗れた期間が長いから、少しずつ本当の姿を知ってもらえばいい。
(さすがに疲れたわ……でも、お嬢様とロンドが上手くいってよかった)
私の結婚のためっていうのもあるけど、やっぱり好きな二人が幸せになれるのが嬉しい。私はベッドに横になり、重い体と包まれるような幸せを感じながら眠りに落ちたのだった。
そして一夜が明け、朝食を食べ終わって食後のデザート時間。激しい揺れでも厳重に守っていたプリンは無事形を保っていた。兄とお嬢様の至福の時だ。二人は昨日お互いへの愛よりもプリンへの愛を語っていたらしく、朝からプリン話で意気投合していた。
二人は中庭に置かれたテーブルを挟んで向かい合って座っていて、兄は「お嬢様とプリンを一緒に食べられるなんて」と感動している。お嬢様は「これからいつだって食べられるわよ」と澄まし顔だけど、口元が緩んでいた。
私は二人の前にそれぞれの好みのプリンを置く。兄には固め、お嬢様にはとろけるなめらかプリン。二つの違う容器を見比べたお嬢様がぽつりと呟く。
「そういえば昨日も言ってたけど、ロンドは固めが好きなの?」
「あ、はい。卵をたっぷり使って、しっかり固めたのが好きですね。やっぱりプリンは固めが王道でしょう」
「え……何言ってるの? プリンはなめらかとろとろでしょ? 生クリームたっぷりが一番よ」
降りる沈黙。交わる視線。
「いやいやお嬢様、何をおっしゃってるんです? プリンですよ? とろとろだったら、ひっくり返した時に崩れるでしょうが! 立たないプリンはプリンにあらずですよ!」
「バカなの? 卵が多いとぼそぼそするというか、プリンという名の蒸し卵じゃない。プリンの主役はミルクよ!」
二人は睨み合い火花を散らす。私には心底どうでもいいのだけど、二人は一歩も譲ろうとしない。そしてふんっと視線を逸らすと、同時にお気に入りのプリンを食べ始めた。二人とも完璧な令嬢、完璧な執事という被っていた猫が剥がれている。すっかり自然体で言い合っていた。
「う~ん、このとろける感じが最高」
「やっぱこのしっかりした味わいがプリンだよ」
再び視線が合い、火花が散る。私が隠すこともなくため息をつくと、二人は一斉に私に顔を向けた。
「ベラ! 結婚はあとよ。まずはロンドをとろける派にしないと、結婚なんてできない!」
「いいえ、固め派になるのはお嬢様です。とろけるプリンなんて認めませんからね!」
馬鹿げたことを言い出した二人に、私の我慢にも限界が来る。
「もう! さっさと、とっとと、結婚してください!」
青空に私の叫び声は吸い込まれ、目を丸くした二人は罰が悪そうな顔で黙ってプリンを食べ始めた。その後半日をかけて、お互いのプリンの好みは不干渉というところに落ち着き、夕方にはそれぞれのプリンレシピを紹介しあっていた。
この二人はやがてプリアン家のプリンを商品化し、大成功を収めて貧乏侯爵家の救世主となるのだけど、それはもう少し先の話。
これにて完結です! お読みくださりありがとうございました!
作者は、なめらかとろける派です!