二話
こうなると分かっていた私は適当に返事をし、さっさと後片付けに入った。兄はぶつぶつと元婚約者に対して文句を言いながら、年季の入ったドアを痛めないように優しく開けて出ていった。私はティーセットの片づけをし、厨房に寄って兄からよろしくされたものを持って部屋に帰る。倒さないようにと箱につめたものは、そこそこの重さがある。保冷のための氷も入れているから、さらに重くなっていた。
部屋に帰ると冷たいそれを丸テーブルの上に並べ、スプーンも用意した。並べられた筒形の器の中身は黄色で、つやつやとおいしそう。プリアン家名物のプリンで、昔からお金はないが広い牧場で牛と鶏を飼っているので、新鮮な卵と牛乳が自慢なのだ。それを生かして作られたのだと伝わっている。
5つのうち1つだけ器の色が違うものは私の分だ。プリアン家は家族そろってプリンが大好きなので、プリン担当の料理人がいるし、いつだって用意されている。使用人も好きに食べていいので、私はプリンを作りすぎなかったらもう少しお金が貯まるんじゃないかなって思ってる。
(まあ、おいしいプリンが食べられるから幸せだけど……。まだ来ないし、食べちゃお)
用意ができた私は、お駄賃だと思って先に食べことにした。
(いつもながらきれいなつや~)
私はカラメルソースがたっぷりかかったとろけるプリンが好きで、カラメルソースの中からすくい上げたプリンが顔を出すところがたまらない。口に入れると滑らかな舌触りで、カラメルソースのほろ苦さにミルクと砂糖の甘さが溶けあって最高。たまごのコクやバニラの香りがプリンを極上にしてくれる。
おいしさに私まで蕩けていると、ノックがされドアが開いた。入って来たのは当然兄で、私がすでに食べているのを見ると眉間に皺を寄せ、お礼も言わずに椅子に座る。そして手前にあったプリンに左手を伸ばし、右手でスプーンを掴み取ると、大きめにすくって口に入れた。口に入った瞬間、険しかった顔が少し緩む。
(わぁ……やけ食い)
三口で一つ目がなくなり、二つ目を平らげたところで、ふぅと息を吐く。
「……うん、おいしい。やっぱ気分転換はプリンに限る」
顔を洗って髪を整えてきたらしく、だいぶ落ち着いた顔をしていた。まだ目は吊り上がっているけど。
「できれば自分で取りにいってほしいけどね」
かれこれ何回目かわからない文句だけど、一応言っておく。こう言うと兄はいつも、「むっ」と口を横に引き結んで、気まずそうな顔をするのよね。理由も知っているけど、毎回身代わりにされているんだから、それぐらい遊ばせてほしい。兄はプリンにスプーンをさしたまま手を止め、拗ねた子どものような顔で小さく返した。
「お嬢様にプリンが好きだなんて知られたくないって、分かってるくせに」
兄のちょっと恥ずかしそうな顔なんて見たくもないんだけど、少し困った顔をするのが面白くて、つい話題にしてしまう。
「つまんない意地を張っちゃってさ~」
「俺はお嬢様が求める最高の執事でありたいの!」
そう言ってまたプリンを食べ始めて、すでに4つめ。見ている私が胸焼けしてきた。兄は大の甘党で、中でもプリンが大好きなんだけど、なんでお嬢様に知られたくないかっていうと馬鹿馬鹿しい昔話がある。
まだお嬢様が7歳で、私たちがお仕えして2年が過ぎた頃、お嬢様がこうおっしゃったの。「素敵な大人って、苦いコーヒーとか辛いものが食べられる人よね。甘いお菓子とかプリンも食べないんだわ」って、おやつのプリンを食べながら。当時兄は11歳。すでにお嬢様が大好きだったから、お嬢様が望む大人になるんだってその日からお嬢様前では甘いものを食べなくなった。
コーヒーはブラックを無理して飲むし……まだ子どもだったのに。使用人たちとご飯を食べていても、辛い香辛料を入れて食べていたし……お嬢様見てないのに。どこからお嬢様のお耳に入るか分からないから、外では完璧な執事を演じるって意気込んで、今に至っているのだからその熱意はすごい。でも、プリンだけは止められないみたいで、こうして私にプリンを取りに行かせてるんだけど。
(ほんと、馬鹿よね~)
私は溜息をついて、向かいの席に座る。紅茶を入れて飲んでいると、持ってきた5個のプリンを食べ尽くした兄は、満足したのか息をついて背もたれに背を預けた。
「お嬢様、プリンをお嫌いになられたからなぁ。子どもの時のようにお好きだったら、一緒にプリンについて語り合えるのに」
「うーん、まぁ、ちょっとやめておいたほうがいいと思うよ」
兄はお嬢様の次にプリンが好きで、プリン研究なんていうものもしている。休日は変装してまでプリンの食べ歩きをしていて、至高のプリンを追い求めているらしい。このプリンはプリアン家が発祥らしく、領地にはいくつかお店がある。兄は本日のプリンのおいしさ、できについて語り始めた。兄の好みは固めの卵をしっかり感じることができるプリンだ。私はなめらかとろける派なので、余計なことは言わずに相槌だけ打つ。そして、話しているうちに話題はお嬢様へと移っていき、兄はぽつりと零す。
「お嬢様にも早く結婚式をあげていただきたいのになぁ」
「まぁ、そんなに焦らなくてもいいんじゃない?」
「だってなぁ、お前も少しは困るだろう」
珍しく優しくて頼りになる兄の顔を出して来た。頭の中の9割はお嬢様のことだけど、少しは私のことも考えてくれているみたい。
「ん~。まぁ、結婚してくれたら気が楽だけどね」
だからこそ兄にはさっさとお嬢様に告白してほしいのだけど、「次のお見合い相手を考えないとなぁ」と呟く当たり、伝える気はなさそう。
そして話はまたあの元婚約者になり、兄は狭量が狭いだの、お嬢様にはもっといい人がいるだの、ぶつぶつ言っていた。私はあくびを堪えながら微笑を作って頷いておく。語る兄は放置にかぎる。
「まぁ、あとでお嬢様の様子を伺いにいくといいわ。私は先にお嬢様をお慰めしてくるから」
「なっ!? 俺も行く!」
「お嬢様は今とても傷ついていらっしゃるから、同性の私が行った方がいいの」
そう言うと、兄は悔しそうに唸り、「女になれたら……」なんて呟いているけど無視無視。それに、予めお嬢様に後で部屋に来るように頼まれていたのだけど、兄に言うつもりはない。私は手早くプリンの容器をトレーに乗せ、兄に「しっかり頭を冷やしておいてね」と言い置いて部屋から出た。「はーい」という生返事だったけど、お嬢様の前では完璧執事になるから心配はしていない。
厨房に寄って、さらに3つの別のプリンをもらう。プリアン家の人々はそれぞれ好みのプリンがあるから、固さや味が違うプリンが常に作り置きされている。
私はティーセットもカートに乗せ、お嬢様のお部屋まで運んでいく。そう、このプリン、次はお嬢様がご所望なのよね。毎日お昼のおやつにプリンを3つ。兄は、お嬢様はプリンが嫌いだって思っているけど、全く違う。というか、色々と全く違う。
私はドアをノックして、お嬢様の鈴のような可愛い返事を聞いてから中に入った。